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消えない思い出を

「狭かったら、ごめんね。」


 そう言って、早坂さんは都内のアパートの扉を開けた。築5年も経っていなさそうな綺麗なアパートだ。そこに彼女は住んでいるらしい。


「お、お邪魔します……。」


 あの後、夜遅くになっていたこともあり、俺は適当な店には入らず、早坂さんの家にお邪魔することとなった。


 いきなり押しかけるのは少々迷惑な気もしたが、早坂さんは特に気にする様子もなかった。その優しさに俺は胸を撫で下ろす。


 綺麗に整理された部屋で、俺はプリンのクッションに腰を下ろした。部屋にはフローラルな甘い香りが漂っていて、荒れた俺の心を落ち着かせる。クッションのふかっとした感触がなんとも心地よい。


「天崎くん、コーヒーと紅茶はどっちが良い?」


 キッチンの方から早坂さんの声が聞こえた。


「こ、コーヒーでお願いします……。」


 借りてきた猫のように、萎縮しながら答える。仮にも好きな人のお家にお邪魔しているのだ。緊張くらいはする。

 

 しばらくして、俺の目の前にアイスコーヒーが2杯運ばれてきた。


「ありがとう、早坂さん。」


 俺は礼を言ったあと、少し気まづくなって黙り込んでしまった。失礼な態度だが、それもそうだろう。俺は、この目の前にいる大好きな人を、振ったばかりなのだから。


 コーヒーを机にそっと置くと、早坂さんは俺の向かいにあったバナナのクッションに腰を下ろした。


「…………。」


「…………。」


  二人の間を沈黙が支配する。

 どう話を切り出せばいいか分からず、俺は視線を足元に落とした。


「あのね、」


 そんな空気を切り裂くかのように、彼女は静かに言葉を発した。


「実は私、中学校の入学式で出会った時から、天崎くんのことが好きなんだよね」


「……え?」


 少し恥ずかしそうにしながら、彼女は言葉を紡ぐ。


「入学式のとき、私親に貰った大切なハンカチをなくしちゃって。せっかくの記念日なのに、公園の花壇とか、学校の校舎とかを必死に走り回って探してたの。」


 馬鹿だよね、と小さく彼女は笑う。


「どれだけ探しても見つからなくて、泣きそうになってた時、一緒に探してくれたのが君だったんだ。」


「……そんなことも、あったな。」


 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。だってその日は、俺が早坂さんに一目惚れした日でもあるから。


 ********


 入学式。

 俺は、周りで両親に囲まれ写真を撮る同級生を、羨ましく思っていた。


 桜の舞うこの時期に、これからの生活に胸を躍らせ笑顔をうかべる彼らは、とても眩しく輝いていた。そんな彼らを見て、俺はたった1人でここにいる自分の惨めさを、嫌という程痛感していた。


 そんな時、俺は君に出会ったんだ。


 晴れやかな入学式とは思えないくらい、何故か所々に怪我をしながら走り回る少女。


 傍から見てとてつもなく怪しかった君に、俺はつい話しかけてしまった。きっかけは、好奇心、だったのだろうか。


「どうかしたんですか?」


 そう聞くと、彼女は立ち止まって振り返った。


「……あなた、は?」


 その瞬間、俺は雷に打たれたかと思うくらいの衝撃を受けた。


  振り返った彼女は、とてつもなく可愛かった。

 さっきまでの憂鬱な気分がきれいさっぱり弾け飛び、俺は目の前の彼女に釘付けになる。


「えっと……。俺は、天崎海斗って言います。何か、困ってるみたいだったから……、俺に出来ること、なんかありますか。」


 ドキドキする胸を落ち着かせながら、俺は本来の目的を思い出した。


 彼女は陰った瞳を揺らしながらこちらを見つめて口を開く。


「あ、えっと……、実は、ハンカチを探していて……。」


「ハンカチ?」


 聞くと、彼女は悲しそうに俯いた。


「親に貰った大切なハンカチなんですけど、今日気がついたら無くなっていて……。多分どこかで落としたんだと思うので、探していたところなんです。」


 はぁ、とため息をつく様子に、いちいち胸がときめく。単純だが、なんだか手を貸したくなってしまった。別に、ちょっとでも多く喋ってみたいからとか、そんな不純な動機があったわけじゃない。


 ただ、困っている彼女を、放ってはおけなかった。


「良かったら、俺も手伝いますよ。」


「え?」


 彼女が大きく目を見開いた。


「どんな見た目のハンカチか教えてくれたら、一緒に探します。1人より、2人の方が効率的でしょ?」


 ちょっとナルシスト感のある言い方だったが、そう言うと、彼女は少し戸惑いながらも、


「あ、ありがとうございます!!」


 と言葉を返した。


 それから2時間くらい、2人で辺りを探し回った。

 どこで落としたのか検討もつかないので、捜索範囲もかなり広く、2人で手分けして全力で探した。そして……


「あっ!」


 近所の公園に咲く桜の木に、小さなハンカチが引っかかっているのが見えた。少し高いところにあったので、俺は猿のごとくすいすいと木に登っていき、そのハンカチを手にする。


「おーい!君!ハンカチあった!」


 地面に降りてから遠くの花壇を覗き込んでいた彼女に手を振ると、彼女は勢いよく振り向き、こちらに小走りで近寄ってきた。


「ほ、ほんとだ!!凄い!!!」


 少し汚れてしまっていたが、特に破れることなく綺麗なままで見つけることが出来た。俺が彼女にハンカチを手渡すと、彼女は


「本当に嬉しい!ありがとう!!!」


 と満面の笑みを浮かべた。


 その笑顔の眩しさに、俺は今でも引きずるほどの大きな恋心を抱いてしまったんだ。


 ********


「あの時は、お互い名前も知らなかったけど、一生懸命な天崎くんのその優しさに、私は恋をしたんだ。」


「……そう、だったんだ。」


 なんだか不思議な気持ちになった。面と向かって言われると、どこか照れてしまうものがある。


「ねぇ、天崎くん。」


 早坂さんは1呼吸置いて、俺に尋ねる。


「天崎くんは、私の事、どう思ってるの?」


 透き通ったその瞳は俺の心全てを見透かしてしまいそうで、思わず目を逸らしてしまった。


「それは……。」


 正直に伝えるか迷ったが、ここで嘘をつくのは違うと思った。


「凄く、素敵だと思ってる。性格とか容姿とか、そんな限定的なものじゃなくて……日頃見る君の全てが、素敵で、……そして、」


 1度間を置いて、俺は言葉を紡ぐ。


「好きだと、思ってる。」


「……っ!!」


 俺のその一言に、早坂さんは一瞬にして真っ赤になった。


「だけど……」


 心が痛い。


「だけど、君とは付き合えないんだ。」


「……それは、どうして?」


 静かに、落ち着いた声で彼女は問う。


「それは……。」


 唇を噛んだ。

 手を固く握りしめた。

 彼女の瞳を、真っ直ぐ見つめた。


「俺が、あと2ヶ月で死んでしまうから。」


「……え」


 空気が張り詰めたのを感じた。早坂さんの瞳が揺れる。彼女は震える唇で、言葉を発した。


「病気、なの?」


 動揺する彼女に反して、俺は少し冷静だった。


「病気では、ないよ。違うけど……、なんだろう、説明が難しいな。」


 頭をかいて、俺は苦笑をこぼした。

 どんな感情なのか、自分でも分からない。分からないけど、どんなにぐちゃぐちゃでも、彼女には伝えておきたいと思った。


 もう一度出会ってしまったからこそ。


「長くなるかもしれないけど、聞いてくれるかな、俺の話。」


 そう言うと、彼女は真剣な表情で頷いた。


 ********


 俺は以前、1度死んでいるということ。

 死んだ日から5か月前に戻って、今を生きていること。

 未練が沢山あること。

 能力を貰ったこと。

 妹に別れを告げれなかったことが心残りだったこと。

  普通の生活が、してみたかったこと。


 他にも沢山の出来事や、経緯、それから思いを、彼女に伝えた。


 早坂さんは、俺のどんな話も真剣に聞いてくれて、1度も馬鹿にすることは無かった。


「信じにくいことかも……しれない。ごめん。」


 そう言って、俺は彼女に自分の手のひらを見せた。


「証明になるかは分からないけど……、今日、早坂さんとアスレチックで遊んでる時の怪我、実はもう治ってるんだ。」


「あ……。」


 怪我などなかったような綺麗な手を見せると、彼女が息を飲んだのが伝わってきた。


「……天崎くんは、いついなくなってしまうの?」


 絞り出すように彼女は言う。


「……8月15日の24時。その日を過ぎたら、俺はこの世界から消えるみたい。」


「そっ、か……。」


 2人のいる部屋が、静寂に包まれた。遠くから電車の通る音が聞こえてくる。


「……俺は、入学式の日に出会った時から早坂さんのことが好きです。今日、告白してもらえて本当に嬉しかったし、付き合いたいとも思った。」


 早坂さんは、俺の言葉に静かに耳を傾ける。


「……だけど、俺は自分勝手で。自分が楽しければそれでいいって思って、俺が消えた後のことなんて何一つ考えていなかった。優しい早坂さんがいつか悲しんでくれることなんて、分かりきっていたのに、俺は……!」


「それは違うよ。」


 俺の言葉を、早坂さんが遮った。


「そんな風に言わないで。確かに、私達がこうして再会したのは、天崎くんのわがままがきっかけだったかもしれない。けどね、私は、君ともう一度話して、笑って楽しい時間を過ごせて、本当に幸せだったの。」


 一言一言が、胸に突き刺さる。


「もし、君がこの世界から消えてしまっても、あの日再会してからのこの3ヶ月間が無駄になるかといったら、そうじゃないでしょ?」


 涙が溢れてくる。


「私たちが作った記憶は、思い出として一生残るの。お別れは辛いし、あと2ヶ月しかないんだって思うと寂しいよ。でも、思い出もなく消えてしまう方が、もっともっと、辛い。」


 彼女の優しさに、甘えてしまう。


「ねぇ、天崎くん。」


 早坂さんがそう呼びかけた。

 俺は涙に濡れた顔を上げ、彼女の瞳を見た。


「あと2ヶ月でもいい。お別れがあってもいい。辛いことも悲しいことも全部一緒に抱えるから……」


 息を吸って、彼女は言う。


「私と、付き合ってください。」


 涙がとめどなく溢れてくる。


 いいのだろうか。

 俺は、彼女の優しさに甘えていいのだろうか。

 あと2ヶ月も、彼女のそばにいていいのだろうか。


「……ありが、とう。」


 泣きじゃくる俺に、早坂さんは何も言わず、ただただ優しく抱きしめてくれた。


 ********


 20××年6月17日。海斗が死ぬまで、あと59日。

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