未練
20××年8月15日
その日俺は、死んだ...はずだった。
しかし今、俺は今までで見たこともないような、美しい花畑に突っ立っている。
鼻につく甘ったるい匂い。足に触れる柔らかい花々。これは...、絶っっ対に、夢じゃ、ない。
ってことは、まさか、ここは......
「死後の世界とかって、やつか?」
余りにもイメージと違いすぎて、にわかには信じられないが...。俺的には、死後の世界といえば、ドクロがあって、暗くて、三途の川があ...(以下略)。しかし、あのトラックに跳ねられた時の感覚からして、生きているというのも、ありえないだろう。俺は、死んだんだ。余命3ヶ月を残して。妹を...、結を、1人残して。
(結...。大丈夫だろうか。)
あの時、頬に感じた水は、結の涙だったのだろう。俺にとっても、結にとっても、...俺の死は、あまりにも突然だったのだ。まだあと3ヶ月はあると、そう信じていた命。終わってしまうのは、あっという間だった。できることなら、結ともっと話したい。しかし、死者は生者に干渉できない。結がいくら悲しんでいようと、俺にはどうすることもできないのだ。
「クソッ...。」
後悔しても、遅かった。こんなことになるなら、伝えておくべきだった。今まで、俺を支えてくれたことへの感謝。大好きだと言う、まっすぐな言葉。最後にお別れだって、言っておきたかった。いわゆるこれは、「未練」というやつなのだろう。やりたいことが、まだ沢山あったんだ。それが何もできなかったくらいの「突然の死」だった。
「...行くか。」
もう、できることは無い。俺は、周囲を見渡したあと、地平線の先まで続く、広大な花畑を、あてもなく、さまようことにした。たどり着く場所があるかだなんてことに、特に興味はなかった。
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あれから、どれだけの時間がたったのだろうか。数時間。もしくは数日かもしれない。それだけの長い期間、俺は誰とも出会うことなく、1人でこの花畑を歩いていた。しかし、死んでいるからだろうか。あれから、一切空腹も感じず、睡魔にも襲われない。疲労など、1ミリも蓄積していなかった。それもあって、時間の感覚がなくなってきているのだが......。
「暇、だな。」
なにゆえ、今までただひたすら歩いてきたのだ。生前は、依存性とまではいかなくても、片手にスマホがあるのが当たり前だったから、こうして余りにも長い間娯楽がない場所に放置されると、流石に暇になってくる。
(スマホが懐かしすぎる......!めちゃくちゃ戻りたい!あの小説も完結してないし…。くそう!もう少しでいいから生きていたかった!)
思わず、キャラが変わってしまいそうになった。少々俺の頭もおかしくなってきたかもしれない。
「誰でもいいから、誰か人に会いたい.........。」
誰かと話したい気分だった。ずっと独り言を言っていると、いい加減虚しくなってくるというものだ。普段は陽キャな訳では無いが、初対面であろうと、今なら誰とでも話せる気がする。
「誰か、いないのか....?」
「いるぞ」
「うぉっ!?」
突如響いた自分では無い声に俺は勢いよく振り返る。そこには、真っ黒なマントを羽織った20代程の男がいた。
(なんというか…ここに似つかわしくないというか…。違和感すごいな。)
「わかっておる。言うな。」
「!?」
なんか心を読まれた。え?
「な、なんでわかって…。」
すると男はふぅ、とため息をつき、俺をじっと見てきた。
「おれはハデス。ここ、冥府の王である。お前に話があってきた。天崎海斗。」
「…は?」
********
それから。俺は冥府の王、つまり冥王に様々な話をされた。まずはこの場所について。ここは予想通り死後の世界らしい。冥王ことハデスが頂点に立つ場所で、死後の魂の行先を決めるところらしい。この花畑は、「第1の間」というらしく、ここでは生前に対する未練について調べられていた。
「この花畑には出口がある。未練の濃さによって、出口にたどり着くまでの時間が変化するのだ。普通の者なら1時間とかからず終わるのだが…。」
と言うと、ハデスは俺の目をじっとみながら
「お前はここに1週間以上いた。つまり未練ありまくりだ。っていうかありすぎてこのままだと今後影響が出てくるレベルだ。もしかしたら幽霊として現世に送り返されるかもしれん。」
…え?
「え、え、ちょっとストップストップ。え、あの、幽霊とか絶対嫌だよ?だってあれって…」
誰からも無視される存在じゃないか。まぁ霊感あれば見えるけど。ちなみに結に霊感は無いので、俺が幽霊になったところでなんにもメリットはない。むしろデメリットしかない。え、このままじゃ俺の末路これ?ヤバいじゃん。
「そうなのだ。今のままではお前はヤバい。そう、ヤバいのだ。」
だから心を読むな。
「と、いうことで。お前に提案がある。おれにもお前にも利益しかない、最高の提案だ。」
最高の…提、案?
「一応聞くが、なんだ?」
そう聞くと、ハデスはフッと笑って
「天崎海斗。お前、5か月前からやり直してみる気は無いか?」
と言った。
「やり直すって…どういうことだ?」
「実はな。未練が濃い者は転生処理がめちゃくちゃ大変なのだ。もちろん幽霊にする場合もな。そこで、まぁ簡単に言うとお前の未練をなくそうじゃないか、ということだ。」
「はぁ。」
「いまからお前は死んだ5か月前。つまり3月15日に戻る。そこからの5ヶ月間で、お前の未練を無くせ。どうだ?いい話だろ?俺は仕事が簡単になって、お前は未練を無くせる。」
そう…だな。いい提案かもしれない。
「…わかった。その話に乗る。」
と言うと、ハデスはにっとはにかんで
「了解した。ところで、お前は自分の未練を把握しているのか?」
と聞いてきた。
「未練…。思いつくのは、結とお別れができなかったことだ。他にはあるのか?」
「そうだな。お前にとって1番の心残りはそれだな。そして、もう1つ。生前、心の奥で願っていたことが、もう1つの未練だ。」
心の奥で願っていたこと?何か、あったのだろうか…。
「お前自身にあまり自覚はないけどな。お前は『普通の生活』が送りたいと思っていた。友達と喋ったり、妹と喧嘩したり、ゲームしたり、旅行したり。なんでもないような日常をお前は求めていた。」
その、言葉に。俺は思わず自分の胸に手をあてた。
「そう、だな。」
中3で、親が死んで。親戚はいなかったけど、来年妹が中学生になるからと、養護施設には入れなかったから、俺は働くしかなかった。親の遺産を全て妹に使うためには、仕方の無いことだった。当時の俺は、結のためになるならいいと考えていた。でも、本当は…
「高校、行きたかったな。」
勉強がしたいとかそういうことではなくて、ただ友達と過ごしたかった。教室の楽しい雰囲気を、忘れたくなかった。たった5ヶ月間で叶うことではないけど…。また、みんなに会いたい。中学校時代の同級生に。
「理解したよ。ハデス。いや、ハデス様か。俺は、まだ楽しみたい。5ヶ月間だとしても、精一杯生きたい。そして…」
結と、お別れをしたい。
「あぁ。未練を消してこい。お前にとっちゃ、5ヶ月は短いもんかもしれんが、きっと、戻ってくる時には、清々しい気持ちになってることだろう。」
そして、ハデスは転移の準備に取り掛かる。彼の右手の下に、エメラルドグリーンに輝く魔法陣が出現した。
「海斗。今からお前を3月15日に戻す。細かいことについては、お前の机にノートを入れておいたから、探して読め。黒いノートだ。見ればわかる。」
「わかった。」
俺がそう言った瞬間、魔法陣の輝きが強さを増した。
〈時間遡行転移〉
ハデスがそう呟くと、辺りが真っ白に光った。
「また会おう。海斗。5ヶ月を楽しんでこい。」
その言葉を聞きながら、俺は意識を失った。