決意
そうして、両親が帰ってこないまま、3日がたった。
あれからずっと頭の中がぐちゃぐちゃで、いくらたっても何も考えることが出来なかった。
目を閉じればすぐ、あの時の光景が浮かんでくる。大好きな妹の、最後の瞬間が。
…………痛い。痛い……。とてつもなく、痛い。頭が、心が……、舞を抱きしめた、この手が。
僕は眉間にシワを寄せ、その苦痛に必死に抗った。
……ちなみに、結はまだ目覚めていない。
倒れてからずっと、布団で寝かせてはいるものの、起きる兆しは無さそうだった。声をかけても揺さぶっても、何も反応はない。でも僕は、もしかしたら結までもが突然死んでしまうのではないか、と思ってしまって、近くから離れることが出来ないでいた。
この3日間で僕が結から離れたのは、トイレに行くか、ご飯を取りに行くかくらいだった。
「……。」
結の頭をそっと撫でる。最初の頃はうなされていた彼女も、今では一言も喋らなくなっていしまった。ただ静かに寝息を立てて、何事も無かったかのように落ち着いて眠っている。
プルルルル プルルルル
その時、静まった部屋に、一通の電話が鳴り響いた。無駄に広いこの空間に、無機質な機械音が反響する。
(……一体なんだ??)
訝しみながらも受話器を取ると……
『もしもし。天崎一斗さんの息子さんでしょうか?』
聞きなれない若い女の人の声が耳に入った。
(……誰だ?)
天崎一斗……とは、僕の父さんのことだ。息子かと聞くということは、きっと父さんの知り合いなんだろうが……。もしかして、仕事の話とかなのだろうか。父さんは一応社長だから、休みをとっていても連絡には関係ないのかもしれない。
「あっています、が、どちら様ですか?」
僕がそう尋ねると、彼女は
「あぁ、失礼致しました。私、警察庁交通課の櫻田穂乃香と申します。突然で申し訳ありませんが、お話したいことがございますので、署に来ていただくことは可能でしょうか。」
と言い出した。
(何言ってるんだこの人。)
と思ったが、よくよく話を聞いてみると、どうやら両親のことで何かがあったらしい。
その後、これからすぐに警察に向かうことが決まってしまった。
本当は、結を1人にしたくないからあまり遠くまでは行きたくないのだが……
(もし向こうに両親がいた時、行かなかったら今度は本当に結が危ないかもしれない。)
舞の最後の言葉。今度こそ絶対に、守らないと。
僕は目を閉じて、思いを胸にとどまらせる。
そして、結に置き手紙を残し、1人で警察署へと向かうのだった。
********
警察署に到着すると、そこでは先程電話をした女性が待っており、僕はその方に小さな部屋へと案内された。
「突然お呼びして申し訳ございません。」
櫻田さんは、そういった後、ふぅ、とため息をついた。
「……それで、話したいこととは?」
僕がそう聞くと、彼女は目を伏せながら、慎重に告げる。
「とても、言い難い話ではあるのですが……
あなたのご両親の車が、事故で海へと転落し、現在中に乗っていたであろう方が、行方不明になっておりまして、その…………見つけることのできた2名とも、既に亡くなられていました。」
(……え?)
頭が、真っ白になった。
聞き間違いだろうか。
そう思ってしまうほど、僕はその話が信じられなかった。
だが、その後の話で、それが聞き間違いではないことがわかった。
……簡単にまとめると。
あの時、車を運転していた父さんは、酒に酔っていた。
2人は舞の死体を捨てにどこかしらへ向かっていたはずだが、その道中で運転を誤り、ガードレールを突破って転落。そのまま海に落ちていったようだ。
幸い車は見つかったものの、中に乗っていた人の姿はなく、捜索の結果、男性と女性の死体だけが見つかったそうだ。
「車の持ち主から身元を割り出させてもらい、こうしてお呼びさせて頂きました。お辛いこととは思いますが……。」
そして彼女はお悔やみ申し上げます。と言ったあと、難しい手続きの話をし始めた。
それが仕事だからしょうがないのだろう。でも今の僕には、それに耳を傾ける余裕なんてなかった。
「……あの。」
僕はその話を、1度遮った。そして震える口で、彼女に問いかける。
「もう1人、いませんでしたか?」
そう。その車にはもう1人──舞が、乗っていたはずだ。あの時父に連れていかれた、舞の遺体が。
すると彼女は、少し納得したかのような表情をみせた。
「やはり、もう1人いらしたのですね……。多分その方は、小さな女の子……でしょうか?」
小さな女の子……。舞の、ことだ。
「そうです。その車に、妹も1人、乗っていたはず、なんです。」
僕がそういうと、彼女の瞳が、僅かに揺らいだ。そうして、苦しげにこう言葉をもらす。
「……捜索中、明らかに2人のものでは無い、小さなTシャツが見つかりました。その……、遺体は見つからなかったので、断言は出来なかったのですが、……多分、あなたの妹さんの物だと思います。」
それを聞いて、僕は……
知らず知らずのうちに、涙を零してしまっていた。
わかっていた。もう舞が、帰ってこないということくらい。
でも、両親が死んだという話を聞いて、もしかしたら、舞の死体も見つかるんじゃないかって、せめてもの弔いができるんじゃないかって、考えてしまった。
……舞は、もう僕の手の届かないところまでいってしまったんだろう。誰にも見つけて貰えないような場所まで……。
「……すみません。」
櫻田さんが、申し訳なさそうに目を伏せる。
僕が泣いている理由を彼女は理解していないだろうが、それでも僕のことを哀れんでいるのだろうということは伝わってきた。
「……あの。今日は1度家に帰って、気持ちを整理したいので、複雑な話はまた明日でもいいですか。」
僕はそう言って席を立った。去り際に、頭を下げる彼女の姿が見えた。
********
「これが、警察の仕事なんですね……。」
私──櫻田穂乃香は、警察署の自分の机で項垂れていた。
この春から警察官としての仕事を始め、ようやく任された大きな仕事が、まさかこんなにしんどいものだなんて……。想像の100倍は苦しい胸に、私は思わず手を当てた。
「警察なんて、そんなもんさ。」
上司である猿寺野吉先輩が、書類仕事をしながらそう呟く。
「この世界では、警察は最早何でも屋みたいなもんだ。どんなに心が痛くても、どんなに同情してしまっても、冷静に対応しなくちゃいけないもんなのさ。例えそれが、人の死を伝える時でもな。」
「そうですか……。」
私は静かに窓の外を眺めると、はぁ、とため息をついた。
「なんだ?仕事に身が入らないか?」
鋭い目で軽く睨まれ少し恐怖を覚えながら、私はおずおずと話し出す。
「その、気になるんです。今日話をした男の子が、これから苦労しないかとか、心に傷をおわないのか、とか……。お節介だとは、思うんですけど。」
すると、先輩は軽く鼻で笑って言った。
「大丈夫だよ。全部全部、結局はなんとかなるもんなんだ。世の中なるようにしかならないって言うだろ?努力が実るのも実らないのも、困難にぶち当たるのもそれを乗り越えるのも、全部未来の自分になるための1歩なんだ。だから、そいつらみたいに今が苦しいやつは、いずれ努力をして良い未来に進んでいくんだよ。」
うんうんと、彼は大きく頷く。
きまった……とでもいうかのように腕を組む先輩に、私は
「なんか……かっこいいのかダサいのかよくわかんないですね。」
と声をかけた。
********
あれから僕は、とある町へ引越しをした。
住んでいた家を売って、両親の遺産といくつかのものを持って、誰も知っている人がいない所へと。
……もう北海道には、居たくなかったのだ。
あそこにいれば、どうしてもあの時の記憶が蘇ってしまう。
それに、結が目を覚ました時に、彼女の負担になってしまうようなことは、したくなかった。
とまぁそんなわけで、行っていた中学校は一応卒業させてもらえるけど、もう通うことは無くなったのだ。
……クラスLINEだけはずっと入らされてるけどな。
結は、今現在この町の病院で入院している。よく殴られていた俺らと違ってまだ体が綺麗な結は、特に目立った外傷もなく、医者には、精神面に問題があるのかもしれないと言われた。そして、眠り続ける原因を探られたが、詳しくは話さなかった。
入院してから約1ヶ月後、彼女は目を覚ました。
でも、でも……
起きた彼女の頭の中に、天崎舞という存在は、残っていなかった。
死んだ両親の性格も、これまでの痛みも。
全てを綺麗に忘れて、彼女は僕に屈託のない笑顔をみせた。
僕は、どうすればいいんだろうか。
何も知らない結を守るために、僕は……。
悩んで悩んで……、そして僕は、答えを出す。
僕は……、俺は……。結を、全力で、幸せにするんだと────




