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大人はみんな

──6年前


 ガタガタと、目の前の窓が風で揺れた。


 それは、とある寒い冬のこと。とても大きくて豪華な家のベランダで、僕たち3人は冷たい風に吹かれて凍えていた。


「寒いよ……。お兄ちゃん……。助けて……。」


 消え入りそうな小さな声で、妹の結は僕に助けを乞う。小5とは思えないほどのその小さな体は、僕にしがみつきながらも、小刻みに揺れていた。


 それもそのはず。僕達は今、冬の氷点下のベランダで、Tシャツ1枚で過ごすことを命じられていたのだから。


 何とかして温まろうと、みんなで身を寄せあって熱を作る。でも、彼女らの唇は、青紫に変わっていった。


「死んじゃうのかな?結たち皆……。」


 段々と心細くなってきたのか、妹の結がそんなことを言い出した。


「死なないよ。」


 涙目になった結に、彼女の姉である舞は静かに言い放つ。彼女もまた、周りと比べると一際小さな体を持っているが、結と少し違うところといえば、彼女よりも圧倒的に細いということだ。


舞は我慢強く、また普段は表に出さない優しい性格を持つが故に、少ない食べ物を結に譲ることがあった。また甘えん坊な結に対し、舞はツンデレである。


 舞は、だって……と小さく呟くと


「……私、死にたくなんてないもん。」


 と思いを吐露した。


 手の指先が左右にぶれ、足の感覚がなくなっていく中でも、舞の瞳には、強い意志が灯っていた。


 そんな2人を見て、僕は……


「大丈夫、大丈夫だ。お兄ちゃんが絶対、守ってやるからな。」


 そう言って2人の頭を優しく撫でた。


 その約3時間後、僕達は暖かい家の中へと入れてもらうことが出来た。


 時刻は既に、深夜1時をすぎていた。


 ********


 妹は、望まれた子ではなかった。


 うちの両親は、3人目の子供なんて必要に思わなかった。



 天崎家は、とても裕福な家庭だった。母親は名の売れている作家で、父親は大手株式会社の社長。2人ともたくさんの人から信頼されていたから、仕事も多かったし、そこでの儲けも多かった。彼らは、皆に優しい人だった。


 でも、同時に。彼らは理不尽な人だった。また、理想に忠実な人だった。だから、理想と違う「3人目」が生まれた時、全てが台無しになった。


 2人は育児放棄を始めた。


 当時、僕──海斗は4歳。舞と結は産まれたての0歳。


 当時の僕に確実な自我がある訳ではなかった。

 “ 両親が正しい ”

 “殴られるのは普通のこと”


 そんな考えが、僕たちの中に植え付けられていった。


 だから僕にできたのは、せめて妹たちが死んでしまわないように自分にできるお世話をすることだけだった。


 僕には、妹たちを守るすべも、守ろうと思う心も、存在していなかった。


 ……しばらくして。


 僕が小学校に通うようになった時、自分の家が普通ではないことを知った。そして、このまま“虐待”というものを受け続ければ、いずれ死んじゃうかもしれないということも。


 その日から、僕は両親に反抗するようになった。沢山殴られたけど、我慢して。必死に立ち向かった。けど、そんなこと、長く続くわけがなかった。僕は小4にして、現実を知ったのだった。

 ──大人は、自分たちの味方ではないと。


 ********


──いじめアンケート──


 学校はいじめを許しません。あなた達子供には幸せに生きる権利があります。困っていることがあったら先生たちに相談してください。必ず私たちが助けになります。


 それでは以下の質問に……



 通っている学校から配られたいじめアンケート。僕はそれに、家庭の事情を書いた。両親から虐待されていること。妹が2人いること。そして両親は怒ると手が付けられないこと。


 家の大人はろくでもないけど、きっと先生たちなら何とかしてくれると、そう思って。


 でも、その3日後の夜……



 プルルルル…… プルルルル……


 部屋の隅で蹲っていると、とある1本の電話が鳴り響いた。


「……チッ。誰だよこんな時間に。」


 心底迷惑そうな顔をしたお父さんが舌打ちをしながら受話器を取った。


「もしもし?」


 ………………10分後。


「はい。息子がご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした。息子には強く言い聞かせておきますので。はい。はい。それでは失礼致します。」


 お父さんがそう言って電話を切った。

 そして、くるりとこちらを振り向くと、づかづかと僕の方に迫ってきた。


「お、お父、さん……??」


 絞り出すようにそう言った時、僕の顔に雷が落ちたかのような鋭い衝撃が走った。


「あ……ぇ?」


 顔をぶたれた。そう理解するのに、時間はかからなかった。けど、理由が分からなかった。今までも殴られることは幾度となくあったけど、顔に傷をつけるなんて……


「お前、学校に言ったのか。」


「……え?」


 学校に言った?それってまさか……


「家で両親に虐待されてるって、そういったのか!!!!」


 大きな声で、お父さんが怒鳴りつけてくる。

 今の言葉でわかった。きっとさっきの電話は、学校の先生からだったんだ。


 ドゴッッと、今度はお腹を蹴られる。痛い。すごく痛い。……けど、僕は笑っていた。


(これで、もう大丈夫なんだ……。これで僕達は……助かるんだ。)


 痛みなんか気にならないくらい、心の中は安堵の気持ちでいっぱいだった。


 そして、その後も、いっぱいいっぱい暴力されたけど、いつもよりも全然辛くなかった。


 もう少しすれば、全て解決して……僕達は幸せになれるって、そう信じてたから。




 でも、違った。


 次の日、僕が学校に行くと、担任の先生に呼び出された。


「天崎くん、お父さんから話を聞きましたよ?嘘ついちゃダメじゃないの。」


 先生から言われたのは、そんな言葉。


「……え?せ、先生何言って」


「お父様、凄くいい人だったじゃない。虐待されてるって息子さんが言ってたと伝えたら、自分の教え方が少し怖かったのかもしれないと反省してらっしゃったわ。」


“少し”??アレが??そんなわけ……


「それに、あなたがついた重大な嘘にも凄く寛大で、後で叱っておくとだけおっしゃったのよ。全く……、素晴らしいお父様なんだから、悲しませちゃダメよ?」


 な、何を……言ってるんだ?


 お父さんが優しい??あの少し苛立っただけで妹にビール瓶を投げつけてくるあいつが?


「ちょ、ちょっと待ってよ先生!!僕が言ってることは本当で……、ほ、ほら!僕のこの顔の傷だって昨日お父さんから殴られたからで……」


 必死に先生に反論した。昨日の赤くなった傷跡を、証拠としてみせた。なのに……


「全く……。まだ言ってるのかしら。しつこいわね。嘘はいけないと言っているでしょう?どうせただ転んだだけのくせに……」


 先生が僕に向ける目は、冷たい。まるで虫でも見るかのような、冷ややかな視線が、僕に向けられている。





 ……嘘だ。


 酷い大人は、僕の両親だけだと思ってた。先生たちは絶対味方だって。僕たちの話を信じてくれるって、そう思っていた。だけど、違った。


 大人はみんな、外面の良いお父さんたちの表の顔に騙されて、本当のことなんて知ろうとしてくれない。




(……信じた僕が馬鹿だった。)


 大人は助けてくれない。心も身体もボロボロになった、僕らのことを……。




(そっか、そうなのか。)


 考えてみれば、当たり前のことだ。有名な会社の社長と、10歳のこども。

 どちらを信じるかと言われたら、それは分かりきったことだろう。




 そうして僕は、諦めた。



大人に頼ることを……。





 そして、その五年後。

 海斗と結の最大のトラウマとなり、結が記憶を無くすきっかけとなった、“あの事件”が起こる……。

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