真実へ
息も絶え絶えで、誰よりも苦しいはずなのに。
少女は涙を流しながら、されど笑顔で、静かに口を動かした。
“ 大好きだよ ”
と。
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時が経つのは、どうしてこんなにも早いのだろうか。
結に真実を伝えなければいけないと例の彼から言われたあの日から、なんと既に1ヶ月がたってしまっていた。
「そろそろ……か。」
あの日から、一体どれだけ悩んだことだろうか。
この1ヶ月間、俺は殆どなにもすることが出来ず、残りの命を無駄にするような形でここまで来てしまった。
だが、仕方がなかった。勇気がいるのだ。
あの事件について話すのは。
自分の部屋で、頬杖をつきながら窓の外を眺める。暗い……とても暗い。先月は美しく輝いていたあの満月は、今では黒雲に呑まれてしまっていた。
俺自身、まだあの日のことは鮮明に覚えている。追い詰められた俺たちの希望をとざした、あの日のことは。
ビール瓶を持ち、目を赤く充血させる母。その後ろでいびきをかいて眠るアル中の父。顔から一筋の血を流す結に、それを見ていることしか出来ない俺。
そして……
「うぐっっ!」
思い出すだけで、吐き気を催す。彼女が赤く染まってゆく光景を、ただ見ることしか出来なかった、そんなトラウマ……。
ただ、
「もう、無理、なんだよな……。」
ハデスに言われた言葉は、持って2ヶ月。つまりそれは、2ヶ月持たない可能性もあるということ。
もしも、もしもだ。俺が、このまま結に何も知らないふりをし続けたら……、いつか、結は必ず自力であの事を思い出してしまう。そうなった場合、結は最悪心を閉ざしてしまうだろう。
既に1度、そうなってしまったのだから。
でも
それだけは、絶対にダメだ。
もう二度と、結にあんな辛い思いをさせたくない。
……そうして俺は、心に決めた。
次の土曜日、俺は、結に……
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「旅行?」
きょとんと首を傾げながら、結はそう聞き返してくる。
「そうそう、旅行。実は前々から行きたい場所があってな?景色も綺麗なところだし、リフレッシュにもなるだろうから、結も一緒にどうかなって思って。」
勿論これは建前である。
旅行に行ったら観光をする気はめちゃくちゃあるが、本当の目的は結に真実を告げることだ。
……まぁ、結が行かないと言ったらそれまでなのだが。
さすがにそれはないだ
「うーん、行かない。」
「え、」
…………まさかの拒否されてしまった。
結なら必ずOKしてくれると思っていたので思わず体が石化する。
えまってこれどうしよう
と脳が語彙力を失ったその時
「あははははっ!」
急に結が笑いだし、涙を手で拭いながらはぁはぁ、と息をついた。
……??
「ごめんごめん。まさかそんなショック受けられるとは思ってなくてさ。さっきのは嘘だよ。う、そ。旅行いいじゃん、行こ?」
?????
「…………いいの?」
頭があまり回ってない。
「ん。いいよ。流石に海外とか言われたら拒否るけど。そこまでじゃないでしょ?国内だったらどこでもいいよ。」
ゆ、結ぃぃ……
「ありがとう……。」
うん。相変わらず可愛いな。さすが結だ。元気出た。
「因みに、行く場所は北海道なんだけどいいか?」
「そんな北!?!?」
「あ、あと出発は今週の土曜日な。」
「馬鹿なの!?!?」
今日は凄く久しぶりに結のツッコミが炸裂するのだった。
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「ついに、覚悟を決めたか。」
ふぅ、と溜息をつき、俺は椅子にもたれかかった。
宙を見上げると、暗闇が広がる。
あれから1ヶ月。行動を起こさない海斗に、もどかしい思いを感じながらも、何もすることが出来ず仕事に没頭し続けた俺────ハデスは、ようやく心を落ち着かせることが出来、少し安心していた。
ここしばらく忙しく海斗の様子を見れていなかったこともあり、久しぶりの2人の幸せそうな笑顔は、俺の心を温かくした。
「ククッ。」
彼らの思いを感じる度、俺の想いも豊かになって行く。俺の感情、思考、思いやりなどの、全てのことが、俺の中で増え続けていく。
「……こう考えると、少しありがたみを覚えるな。」
そんなことを呟きながらも、俺は再度思考を進める。
海斗が、結に話をするのに、必要なこと。
彼女にとってにわかには信じられないであろうあの事件。そして、あと事実。それを伝えるのに必要なことは、彼女の心を、安定させることだ。
最低限、心が壊れない程度には、彼女に安心や楽しみを与える必要がある。
「さて……。どうなる事やら。」
不安に思いながら、俺が1人思想していると
「ハデス様?どうかなさったのですか?」
俺の秘書であるルーガンが、大量の書類を抱えて部屋に入ってきた。
「おぉ、ルーガン。その書類の量は頭がおかしいな。ちゃんと書類の期限は3年後にしてくれたか?」
俺はちょっとふざけながら彼女に向かって手を挙げる。
「ええハデス様。勿論ちゃんと明日までにしておきましたよ。」
ルーガンは少しばかり冷たく言い放ちデスクの上に100000000を超える資料を置く。
ちょっと、前のおいていった件を気にしているっぽい。
…………うん。
「はぁ。まぁやっとくよ。ありがとな。」
俺は重い体を起こして、自分特製の羽根ペンを持つ。ちなみにこれは、このペンの周囲の時空を歪めて、実際の時間の10億分の一の時間で字が書けるという優れものなのである。
「ところで、先程の溜息はやはりあの例の人間の関係なのですか?」
しばらく作業をしていると、珍しくルーガンがそんなことを聞いてきた。
そういえばルーガンが、海斗たちのことについて関わってきたのはあまり経験してないな。
「ん?あぁ。そうだぞ。海斗の命も残り半分ちょっとになってな、大分話というか人生が盛り上がってきているんところなんだが、ちょっと心配なところもあるというかなんというか……。」
うーんと顎にひじを手を当て少しばかり悩む。
「そうなのですか……。でも」
ん?と思った俺は顔をあげる。するとそこには、今までで初めて見るような優しい目をした彼女が僅かにはにかんで立っていた。
「ハデス様が認めた人間なのであれば、きっと大丈夫ですよ。だって貴方様には、人の本質を見抜く多大な力があるのですから。沢山の人の上に立てる、実力と、目を備えているハデス様だからこそ、今この場に冥王として君臨しているのでしょう?」
その言葉は。
彼女から初めて聞く、俺への思いでもあった。
素直に、嬉しかった。
「そう……だと信じておくか。」
俺は肩から力を抜き口角を持ち上げた。
「ありがとな、ルーガン。」
「いえ。当たり前のことを言ったまでです。」
少し視線を逸らしながら、メガネをクイッとあげた彼女に、俺は、ははっ!と笑いながら、もう一度強くペンを握り直した。
俺も、人のことだけじゃなく、もっと沢山のことを頑張らないとな。
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そうして、時は。
彼らを真実の扉へと、誘っていく。
果たしてその先にあるのは、
希望か。絶望か。
今はまだ誰にも、分からない。
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20××年5月17日。海斗が死ぬまで、あと90日。




