夢と記憶と
「寒いよ……。お兄ちゃん……。助けて……。」
「私、死にたくなんてないもん……。」
少女は身体を震わせながら、兄と呼んだ少年に身を寄せた。少年は華奢な身体を抱き寄せながら、少女の頭を撫でる。
「大丈夫、大丈夫だ。お兄ちゃんが絶対、守ってやるからな。」
冷たい風の吹き荒れる冬のベランダで、彼らは幸せな未来を夢見ながら、薄く雲のかかる夜空を眺めていた。
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「──ちゃん。ゆいちゃん。起きてー!」
「ん……。……ふわぁぁ……。」
ぼやけた視界の中に黒髪の少女の姿がうつる。しばらくたって、それが親友の沙也加だということがわかった。
「うー。なんだ沙也加かぁ。おはよー。」
うーんと伸びをしながら、私はゆっくりと身体をおこした。
「今はこんばんはでもいける時間だよ。もう5時になっちゃってるからね。あまりに気持ちよさように寝てたから起こさなかったけど、5時限目からずっとぐっすりだったよー。」
そう言われたので私は寝ぼけ眼をこすりながら時計を見た。すると、時刻は既に5時8分を示していた。
「ホントだ。もうこんな時間か。……そういえば、生物と現国と社会の記憶全くないや。」
勉強は別についていけてるから問題はないけど、明日は絶対担任に怒られるよなぁ……。
「進級してから4日たったとはいえ、流石にだらけすぎだねぇ。まぁ、ゆいちゃん普段は真面目だからいいんだけど。」
沙也加は少し呆れたようにしながら机にちょこんと座った。
……可愛い。
「まぁ、もうしょうがないよね。帰ろーよ、沙也加。」
私は重い体を持ち上げながら、鞄に手をやった。
「うん。もう遅いしね。」
沙也加も立ち上がって荷物をまとめる。
……なんだか、よく分からないけど少しブルーな気分だ。何か、嫌な夢でも見ていたのだろうか……。ちょっと、不思議な感覚がする。
「どうしたの?ゆいちゃん。」
気がつくと、沙也加は既に教室のドア付近に立っていた。そしてきょとんとした目でこちらを見ている。
「あ、ごめん。今行くー。」
私は急いで沙也加を追いかけた。そして歩きながら、きっと担任に怒られるであろう明日のことを考えて、さらに憂鬱な気持ちになった。
そんな帰り道は、陽の光の届かないあいにくの曇り空なのであった。
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「ただいまー。」
家に帰ると、とても美味しそうな香りが私の体を包み込んだ。
(あ、そっか。もう海斗は家にいるんだった。)
1か月前までは有り得なかったことだったから、すっかり忘れていた。少し前まで海斗は、一日中家にいないようなものだったからね。
日中は会社で働いて、夜中はアルバイト。そんな生活を、海斗はずっとしていた。それも、私のために。
昔から申し訳ないと思っていた。だから、海斗が仕事を辞めると聞いて、少し嬉しいと感じた部分もあったんだ。
そんなことを考えながら、私は靴を揃えて中に入り、リビングの扉を開ける。すると、キッチンに立っていた海斗が、おっ と声を漏らし、
「おかえり、結。晩御飯できてるぞー。」
と言った。にかっとはにかむその姿に、安心感を覚える。家に誰かがいるということが、どれだけ幸せなことなのかを凄く実感した。
しかしなぜか、同時に僅かな違和感を覚えてしまう。
(何かあったのかな)
と思ったが、口には出さない。それは、心配するのが私のキャラではないからでもあるし、この違和感をずっと覚え続けているからでもある。
実は私はこの違和感を、彼が仕事を辞めたくらいから感じていたし、もっと言えば両親が死んだ時くらいから僅かではあるが感じていた。
それでも、海斗が隠そうとするならと思って、私は聞かないようにしていた。昔からずっと。
と、そこまで考えて、私は首を横に振った。だって、今はそんなことどうでもいい。
「ただいま。今日のご飯は何?」
そう聞き返した私の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。私は、こういう時間が以外に好きだったりするの。自分が自分でいられる時間。家族との幸せな温かい時間。
とっても楽しくて、とっても嬉しい。それは、なんだか昔失ってしまったものを取り返しているような気がしていたから。
まぁもちろん、このことを海斗に伝えることはないけどね。
「今日はなんとな……カレーだ!しかもコロッケつきの!」
幼い少年のように笑顔で言う海斗に、私は
「ふふっ。」
と小さく笑ったあと、ゆっくり歩いてキッチンへと向かうのだった。
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「ついに……動き出したか。」
自分の書斎で、ローブを羽織った若い男──ハデスは1人、仕事を放ったらかしにして苦悩していた。その内容はもちろん、彼が特に深く関わった海斗たちの事だった。
───海斗の行動が、彼の抱える秘密に影響を及ぼしている。
その事に気がついたのは、つい先程の事だった。暇つぶしに天崎結を観察していて、また彼女の心を覗いているうちに、わかってしまった。
彼女の心の底に封印された記憶が、少しずつ甦ろうとしていることに。
彼女が見たあの夢の内容、そして何より彼女の性格が1か月前と比べてどんどん柔らかく変化していっているということが、その証拠だ。
「まだ……あいつが戻って、1ヶ月だぞ。あまりにも早すぎる……。これは、早く手を打たないとまずいかもしれないな。」
期限は、もってもあと2ヶ月と言ったところだろうか。
「……しょうがない。」
もう干渉しないと決めたはずだが、最後にもう一度だけ、海斗の元へ行くとしよう。
天崎結の、人格崩壊を防ぐために。
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「うそ、でしょ?」
思わず、手に持っていた資料を床に落としてしまう。
ほんの少し。ほんの少し席を外しただけだった。少しくらいなら大丈夫だろうと思って、後輩の指導にまわってしまったのが、間違いだった。
「……ハデス、様……。」
目の前にあるのは、悲痛な現実。終わってない大量の書類と、そして寂しげに佇む空席の椅子。本来ならそこにいるはずの彼は、既にこの世界から消えていた。
「私は、どうすれば良かったの……。」
残された仕事を全て自分で片付けなければならないということに絶望しながら、ルーガンはその場に膝を着いてうなだれるのだった。
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物語は、着々と進んでいく。
真実を知るもの達は、躊躇いながらも、前へ前へと進んでいく。
答えを知らないもの達は、漠然とした不安を抱えて、戸惑いながらも、1歩ずつ、前へと歩んでいく。
彼らが迷いながらも懸命に進んで行った末に行き着く未来のことなんて、まだ誰にも、予想することができない。
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20××年4月14日。海斗が死ぬまで、あと123日。




