事故
「ふぅ…。」
20××年6月15日。
俺の名前は天崎海斗、19歳。現在、都内の総合病院に呼び出されていた。1週間前、働いているコンビニの店長から、健康診断を会社で一斉に受けると言われ、俺たちは社員全員でここを訪れていた。そして今日、その結果について話があると言われたのだ。
「天崎海斗様ー。どうぞお入りください。」
待合室で待っていると、左斜め前の扉が開き、看護師に呼ばれる。俺は周りの荷物を抱えて、診察室に入っていった。
「あぁ。どうぞおかけください」
荷物を隣のカゴに無造作に入れ、俺は近くの椅子に腰掛ける。医者はそれを見届けた後、神妙な面持ちをして、俺の目を見つめた。
「天崎さん。これからとても大切なお話をさせていただきます。」
医者はそう前置きをした。ピリッとした空気が張り詰める。その感覚に俺は思わず背筋を伸ばしてしまった。
直後、医者はある1枚の紙を提示した。それは俺の血液検査の結果で、1つの項目に赤丸がついていた。
「こちらですが、普通なら、このような数値になることはまず有り得ません。私もこの事例はわからず、現在公表されている様々な論文に目を通しました。」
言い終えると同時に、看護師が医者に一冊の本を手渡す。そこには
(WorldPaper)
と書かれていた。
(直訳すると…世界の論文、か?見た感じ医学系
の本らしいが…)
俺はふと、そんなことを考えた。医者はそれをパラパラとめくり、赤い付箋の貼ってあるページで手を止めた。
「これを見てください。」
見てくださいなんて言われたところで、全文英語ではなんと書いてあるかは全く分からないが、一応見ておくことにする。だが、予想通りわからなかった。流石に俺の中卒レベルのスキルでは無理か。
「これはアメリカの学者が発表した医学論文です。こちらを見る限り、天崎さんの症状は、これに完璧に当てはまります。先日、こちらを執筆した学者に問い合わせましたが、あなたはこの病気で間違いないそうです。」
「は、はぁ。」
この医者が何を言いたいのかがよく分からない。なにか珍しい病気でも見つかったのだろうか。そんな楽観視を打ち消すかのように、医者が後ろめたそうに声をかけてきた。
「天崎さん。はっきりと申し上げます。あなたの病名は…」
そして彼は病名を告げた。この時点では、俺はまだこの病気が何なのか、よくわかっていなかった。しかし、俺は次の瞬間、驚愕の事実を知ることになる。
「落ち着いて聞いてください。あなたに…」
そこで一息ついて、医者は言った。
「あなたに余命を宣告します。あなたの余命は、5ヶ月です。」
その、言葉を。
********
「あと3ヶ月…か。」
あれから、2ヶ月の月日が経過した。
余命は残り3ヶ月。しかし、体の不調は怠さが続くだけであって、死を目の前にしているという感覚はない。
「もし俺が死んだら、結はどうするのかな…」
誰にも聞こえない声で、ひっそりと呟く。
天崎結。俺の妹であり、唯一の肉親でもある。中3で家族が死んでから、ずっと2人で暮らしてきた。俺の大切な人だ。
寂しがり屋なくせに気だけは強くて、いつもつり上がった目で睨みながら照れ隠しをしている。所謂ツンデレだ。
俺が余命宣告されたと結に告げた時、あいつは一瞬びっくりしていたけど、そのあとは何事も無かったかのように過ごしていた。…俺の前では。あの後、自分の部屋に戻ろうとした時、隣の結の部屋からすすり泣く声が聞こえてきて、どれほど申し訳なく感じたことか。
「…と。…ぃと。海斗!」
そんなことを考えていた時、突如耳元で叫ばれ、俺は右に飛び退いた。隣では、大声を発した張本人である、少し怒ったらしい結が両手を腰に当てて俺を見ていた。
「…あ。」
完璧に忘れていたが、俺は結と日帰りの旅行に来ていた。とは言っても、今はもう既に旅行を終え帰っている最中だ。呼びかけに応じなかったことに腹を立てているのか、結は大きめの声で怒った。
「ちょっと!私の話ちゃんと聞いてた!?」
そう叫んだ結に少々焦りながら、俺は言葉を返す。
「あ、あぁ。もちろん。聞いてるよ。今から公園で遊ぶって話だよね。」
「違うわよ!ったくもう。話くらいちゃんと聞きなさいよ。」
そう呆れたように言った結は、少し早歩きで俺の前に出て、くるりと振り返った。
「ぼぉっとしてる時間なんてないんだから。残りだって少ないんでしょ。楽しまなきゃ!」
にっと歯を出して笑った結に、俺は申し訳なさでいっぱいになる。今、彼女の顔に浮かんでいるのは、引きつった笑顔だ。見ているだけで痛々しい気持ちになる、そんな笑顔。そして俺は、結にそんな顔をさせている原因だ。
「……そうだな。楽しむか。」
その笑顔を変えたくて、俺は結と並んで歩き出す。少しでも沢山、楽しい思い出を残すために。夏である事を示すかのように、蝉は鳴き、太陽はジリジリと地を温める。額から垂れた汗が、不意に目の中に入る。突然、俺の視界がボヤけた。
「…?海斗?」
何故だかわからないが、立ち止まってしまっていたらしい。俺は結に背を向けて、水に濡れた目をゴシゴシと拭う。この水が汗なのか、はたまた別のものなのか、俺は知らない。
「ゴメン。ちょっと疲れたかも。」
そう言いながら急いで結の元に駆け寄った。結は
「そうだね。私も疲れたし。ちょっと公園よってく?」
と言う。正直、なんだか考えたいことが沢山あって、体力的にも精神的にも疲れてきたところだ。
「そうするか。」
結果、俺たちは、近くの公園に立ち寄ることになった。俺は道路沿いにあるベンチにすわって一息ついた。
「飲み物買ってくるから」
結はそう言うと、自販機に向かって走っていった。
今日、8月15日は俺の20歳の誕生日である。明後日から入院することが決まり、最後の思い出を残すためにこの旅行に来たのだ。
「…すずしい」
先程とは打って変わって、ここはやけに涼しい。
それには、ここが木陰であることと、心地よい風が吹いていることが関係しているのだろう。一方遠くでは、先ほどと同じように夏を感じさせる蝉の声がムワッとした暑さと共に反響していた。
「……はぁ」
……こうしていると、自分が余命を宣告されているということを忘れそうになる。俺は3ヶ月たってもまだまだ生きることが出来て、余命宣告されたのはただの冗談だったのではないか、と。しかし、そんなことはあるはずもなく、ただ存在するのは俺が死ぬという事実だけ。
正直、死ぬのは怖い。でもそれ以上に、妹を1人にしてしまうのが申し訳なく感じてしまうのだ。
そんなことを考えているうちに、数分が経過した。そろそろ結が戻ってくる頃だろう。
「海斗!」
予想通り、飲み物を手にした結が駆け寄ってきた。顔が火照っているため、少し走ってきたのだろう。そんな結を微笑ましく思いながら、俺は立ち上がろうとベンチに手をつく。しかし、俺がベンチから立ち上がることはなかった。何故なら
「っ!?海斗!逃げて!!」
結がそう叫ぶ。その慌ただしい声につられ、俺は結の視線の先を辿る。結が見ていたのは俺の背後だった。思わず振り返ると、そこには
──制御不能となった大型トラックが
俺目掛けて、突っ込んで来ていた──
「っ!?」
突然のことで足が動かなかった。いや、動けたとしても無意味だっただろう。トラックは俺のすぐそばまで迫ってきていた。そして
ドォォォォン
大きな音が、響き渡った。
********
目の前が霞んで見える。身体中に痛みが走り、手足を動かそうとしても、動かない。何も、聞こえない。
(俺は…死ぬ、のか?)
ダメだ。
こんな所で死ぬ訳には行かないのだ。
俺には、まだやらないといけないことが沢山ある。
何より、まだちゃんと、結にお別れを告げていないのだ。
誰かが、俺の体を揺すっていた。だが、その感覚も次第になくなっていく。無情にも俺の意識は、だんだんと薄れていった。
意識を失う直前、俺の頬に何か水のようなものが落ちてきた気がした。
20××年8月15日。俺は余命を3ヶ月残して、死んだ。




