ACT07 謎の商人
それは、奇妙なお茶会だった。
「本当に冷や冷やしながら、見てましたよ」
先に声を掛けてきたのは、ストーンと呼ばれたその謎の人物の方だった。
流血沙汰寸前の場を収めたストーンは、レオナとフォンを誘ってバザールから少し離れた商業区画にある一軒の大きな商家の門をくぐった。
門の近くの建物の前に大きな天幕が張られ、灼熱の陽光を遮り涼しい日陰を作り出している。その日陰には、赤黒い木の机と椅子があり、そこに三人が腰を下ろした。
昼間は灼熱のランカだが、空気は乾いているため日陰は風が通ると心地良い。
謎の人物が門をくぐった姿を見て、白いゆったりとしたシャツを着た使用人が姿を現した。使用人は、この辺りの人間ではない。南方諸国の人間特有の黒褐色の肌を持つ男だった。しっかりと躾けられているのか、物音一つ立てない。
まるで来客を予想していたかのように、即座に茶器が運ばれてきた。
茶葉に加えて柑橘類を混ぜているのか、茶器から涼やかな芳香がたちこめる。
「お節介かもしれませんが、刃傷沙汰になりそうでしたので思わず声をおかけいたしました」
レオナとフォンを前に、ストーンが頭を下げた。
ストーンは、レオナとフォンを助けるために声をかけたという。厄介ごとに遭遇して見て見ぬふりをするのが普通なのに、昨今では珍しい人物だった。
見ず知らずのレオナとフォンに対しても、奇妙なぐらいへりくだった態度で接してくる。
鏢師姿のレオナとフォンよりも、この男の方が絶対に裕福であるはずなのに、その接し方はどこまでも丁寧なものだった。
「手前は、南のカナンの商人で、ストーン・デオーロと申します」
レオナは、ストーンと名乗った目の前の人物をじっくりと観察した。
赤と青、黄色の鮮やかな装束を身にまとっている。その頭を覆うのは、孔雀の羽根の付いた大きな黄色い帽子だった。
どれだけ観察しても、その派手な装束に目が移ってしまいその顔の造作がぼやける。ランカの街の人々が着ているぼろを身にまとっていたら、すれ違っても思い出せないような容姿だった。ただ一つ特徴があるのは、ストーンの目の色だった。糸のように細められた両目の色は、赤みが掛かった褐色の珍しいものだった。
机上に目を移すと、高価そうな茶器だけではなく様々な新鮮な果実が盛られた皿が並んでいる。茶器も皿も、この辺では手に入りそうもない白磁だった。遙か東方諸国からの交易品だろうが、これを長旅で破損させずに運んでくるのは困難を極めるため、これがシドニア大陸西域へ運ばれると、その代価は驚くばかりの高額に跳ねあがる。その高価そうな茶器から、柑橘類と茶葉が香しい芳香を放っている。
「ゾア様とお二人のやりとりを拝見してまして、刃傷沙汰になるんじゃないかって心配しておりました」
目の前に座ったストーンが、再び大袈裟に身を震わせた。芝居がかった動作だが、この男には妙に似合っている。
不意に、ストーンが思わせぶりに声を潜めた。
「ゾア様を敵に回したら、このランカの街では三日と生きてはゆけません」
「ゾア? さっきの居丈高な奴?」
レオナの口汚い言葉に、ストーンが慌てて自分の口元に人差し指を当てた。この場に居ないはずのゾア達を警戒するように、ストーンが素早く左右を見回す。
「しーっ! ゾア様を呼び捨てにしたのがバレたら、タダじゃすまされませんよ」
「へぇー」
脅かされても、レオナは動じなかった。気に食わない奴は気に食わない。レオナの行動原理は、単純なものだった。権威などに頭を下げるような性格ではない。
だが、ストーンは、レオナの態度も気にせず言葉を続けた。
「ゾア様は、このランカの実質的な支配者でございます……逆らっていい事など、一つもありませんよ」
「喧嘩を売ってきたのは、あっちだわ」
レオナの言葉に、ストーンが慌てて手を振った。
「まぁまぁ、そこはお流しください。
まぁ、ゾア様は、ちょっと喧嘩っ早い御気性ですがねぇ」
「ちょっと、どころじゃないわ……自分の思い通りにならなきゃ、すぐに刃に物を言わせようって暴れ者よ」
「手前は、このランカで商いをしておりますからねぇ……ゾア様のご機嫌を損ねたら、翌日から商売に差し支えますので」
「でも、このランカは支配者はいないはずよ。ランカ王国ってずっと前に滅亡したって聞いたけど」
レオナの言葉に小さくうなずいたストーンは、少し遠い目をした。
「もともとのランカ王国が滅びてから、もう二百年も経っておりますが……交易の要衝という地の利がありますからねぇ。新たに人が集まってきたのが、このランカでございますよ。ところが、人が集まれば集まったで、支配者がいないとすぐに無秩序になってしまいます」
ストーンが、このランカの街について説明を続ける。おしゃべり好きなのか、ストーンの話しぶりによどみがない。
「ゾア様は、このランカの無秩序な状況を見て、新しいランカ王国を復興しようと望んだそうでございます。
そのために、このランカに秩序をもたらすために、ランカ自警団を創って日夜ランカの守護を担っていらっしゃいます」
「鬼祟地って言ってたわね」
レオナが顔をしかめ、ゾアの言葉を思い出した。
「旧ランカ王国の遺構は、鬼祟地ってこのランカでは呼ばれてましてね。聖域になっているあそこら一帯は、今から二百年も前に滅んだランカ王国の神殿が置かれていた敷地でございますよ」
そこまで言ってから、急にストーンが声を潜めた。
「大昔のランカ王国の神殿一帯は、呪われております……中に忍び込んで、生きて戻ってきた者は一人としておりません」
ストーンが、よどみなく語ってゆく。
「ランカの城壁内には宝があるとにらんで盗賊が侵入したり、好奇心から命知らずの若者が侵入を試みたそうですが……ところが、そのたびにランカの街に災厄が訪れるので、ゾア様が立ち入らないように閉鎖しているのでございます」
「災厄?」
レオナは、ストーンの言葉に眉をひそめた。
「本人達が生きて戻ってこないだけでなく、その後は決まって亡霊が街に出現するのですよ」
「亡霊?」
「亡霊なのか魑魅魍魎なのか妖怪変化なのか、子細はわかりかねますがね」
ストーンが、大げさに身を震わせてみせた。
「手前は、お化けとか亡霊とかが大の苦手でしてねぇ……そんな噂話を聞いただけでも、寒気がします」
そう言って、ストーンがランカ王国滅亡の物語を語り始めた。
「このランカ大平原は、もともと緑豊かな平原でしてね」
ランカとは、古語で三角州を意味する地域のことだという。大河に挟まれた肥沃な三角州こそが、大昔のランカ王国の富の源だった。
「年に二度、雨期があって……大河が氾濫して上流から肥沃な土を運んできたのですよ」
交通の要衝でもあったランカ王国には様々な物品が運び込まれ、その栄華は三百年近く続いたという。
ところが、いつの頃からかそのランカ王国に衰退の兆候が見られ始めたという。
「雨期が短くなり始めたのでございます。最初は微々たる影響だったのですが、干ばつや害虫の被害もあってランカ王国の国力は徐々に削がれていったのでございます」
ストーンが、大げさな身振りで語り続ける。その饒舌さに半ば呆れながらも、レオナは話に聞き入った。
「ありとあらゆる災厄が、このランカの地を襲いました。地震、干ばつ、疫病……そんな中、ランカ王国を狙う国もございました。もっとも、そのゴース王国も百年も前に滅びてしまいましたがね」
まるで、レオナの故郷のヴァンダール王国の前途を予言しているような話だった。
だが、レオナは黙ってストーンの話の続きを聞いていた。
(親切な善人には見えるけど、どこか信用できないわね……見ず知らずの相手にしゃべりすぎるわ)
レオナの出自や旅の目的を、軽々しく話せる相手とは思えない。レオナの直感が、ストーンにどこか警戒を抱いている。
ストーンは、レオナにお構いなしに話を続ける。
「ごらんのように、このランカは城壁を幾重にも重ねた城塞都市でございます。ランカ王国時代には、さらに数里四方もある市街地そのものまでを巨大な城壁で囲っておりました。
南のゴース王国の精鋭数千騎程度に取り囲まれても、簡単に落ちるような防御ではありませんでした。
ところが奇妙なのは、ゴース王国がランカ王国の城内に攻め入ったとき、すでにランカ王国の城内は瓦礫の山と化していたと伝えられております。
ランカ王国滅亡と共に、二十万を超える住人はシドニア大陸各地へと散り散りとなり、ランカ王国は滅亡しました。
ただ、奇妙なのはそのランカ王国の中心にある神殿一帯だけが破壊から逃れ、往時の姿のままだったそうです。
ところが、ゴース王国の兵士達が内部に侵入しようとしても、不可思議な迷路に道を阻まれ何故か丘陵地帯にもたどり着けず、さすがのゴース王国も侵略をあきらめたということです」
ストーンが言葉を切り、茶器を引き寄せて一口喉を潤した。
ランカ王国が繁栄していた頃、大陸各地の珍しい品々がランカに集められ収蔵されていたというが、その貴重な文物も全てが散逸してしまったという。
「略奪する品物もなく、破壊の限りを尽くされたランカ王国の残骸に何の価値がありましょう」
ストーンが、苦笑を浮かべた。
「緑豊かな草原地帯も、雨期を失い大河の枯れ果てた状態では、あっという間に荒れ地となってしまいました……ランカの富を狙ったゴース王国は侵略しても何も得ることは出来ませんでした」
「ゴース王国は、ランカを支配しようとしたんじゃないの?」
「ゴース王国は、騎馬民族が集まった都を待たない国でございますよ。領土が欲しいというのではなく、豊かな他国の宝物を掠め取るのが目的の戦ばかりしておりました。
そんな、野盗まがいのゴース王国が狙ったのは、ランカ王国の秘宝とも言うべき霊石でございました。この霊石がランカ王国を守護していたそうですが、何者かがそれを持ち去ったと噂されています」
「霊石?」
「星の蒼玉と名付けられた霊石でしてね、それはそれは青く輝く逸品だったそうです。
千年の安寧をもたらすとまで唄われた星の蒼玉を失ったランカ王国は、雨期を失いわずか数年で今の大荒野へと変貌してゆきました」
「まるで、その場にいたような話しっぷりだな」
それまで無言で話を聞いていたフォンが、不意に口を挟んだ。
ストーンが、慌てたように顔の前で手を振った。
「いえいえ、手前の口上は吟遊詩人のランカ王国賛歌で聞き覚えたものでございます」
「吟遊詩人か……なるほど、まるでランカ王国滅亡を見てきたような生々しさだなぁ」
フォンが笑った。
「ところで……ここは、ストーンさんの商家?」
レオナは、広い屋敷の敷地を眺めた。
敷地の奥には、石組みの背の高い建物が並んでいる。傍らの広場では荷駄が荷物を積み込んだり、荷さばきをしている人足達が忙しく立ち働いている。
「ずいぶんと商売繁盛してるわね」
「いえいえ、旅から旅へのしがない交易商でございますよ。あちこちの都にこういった商家を借りて、荷物と共に行ったり来たりでございます」
「三角貿易ってやつかい?」
口を挟んだフォンに視線を移し、ストーンが大げさに驚いた表情を見せた。
「お客様は、商売に詳しいとお見受けしました……ご指摘の通り、三角貿易でございます。あっちの品物をこっちに運び、こっちで購った品物をそっちに運び、そっちで購った品物をあっちに運ぶ、という商いをしております」
「なるほど、行ったり来たりの商売か」
ストーンは、フォンの指摘に我が意を得たりと胸を張った。
「今は荷物を運んできている最中ですが、あと一月もすればここは留守番の数人を残して閑散とします」
ふと、ストーンがいぶかしげにレオナとフォンを交互に見た。
「お二人様は、この辺りではお見かけしないお顔ですが、今日ランカに到着した隊商のお方で?」
「ああ、こことは別の場所に荷物を持ってきたんだが」
「自由交易都市ボーダンを拠点とする交易商クロウ様の隊商でございますね……残念ながら、手前どもとお付き合いのない商家でございますが、なかなかの規模とお聞きします」
「そうか、商売敵だったか」
フォンが、申し訳なさそうに頭をかいた。
「いえいえ、商売敵などとんでもございません。我々商人は、互いに競争する事で商いを大きくしてゆくのが理想でございます。
クロウ様とお取引がある隊商は、ここしばらく御難続きでしてね……野盗に襲撃されたり、事故に巻き込まれたりで満足にランカまで到着できないありさまでございました。
それが、荷駄で百騎を超える隊商が無事にランカにたどり着いたのですから、お二方を始めとする鏢師には優秀な方々がそろっていたのでございましょう。
機会がありましたら、是非手前どもの隊商の護衛もお願いしたいものですよ」
これ見よがしなお世辞が、ストーンの口からよどみなく出てくる。
レオナは、思わず微笑んだ。
「商人って、器が大きいのね……普通だったら、商売敵の悪口の一つでも出てくるかと思ったわ」
「そりゃ、見ての通りの太っ腹でございますから」
ストーンが、自分の太った腹を撫でて見せた。ひとしきり笑い声を立ててから、ストーンが不意に真顔になった。
「お二人様は、どこから来てどこへ行かれるのでしょうか?」
「自由交易都市ボーダンからだ、長旅の疲れを癒やしたら、また次の仕事を拾ってここを出ていく」
ストーンの言葉に、レオナが答えるより早くフォンが口を開いた。
「ほほう……」
ふと、ストーンがフォンに視線を移した。
「あなたは?」
「俺? ただの鏢師だが」
フォンのとぼけた口ぶりで、レオナも察した。
『余計な事をしゃべるな』と暗にフォンの態度が語っている。こういう時のフォンには素直に従った方がいいというのは、これまでの旅でレオナも理解している。
基本的にフォンは、人懐っこい。
行きずりの人間が相手でも一言二言交わしているうちに、十年来の旧知の間柄のように打ち解けてしまう才能がある。
だが、今回は何故か口数が妙に少ないのがレオナには気になった。
「いえねぇ、お二人ともただの鏢師に見えないので」
ストーンが、探るような眼でフォンを見た。
だが、フォンは素知らぬ顔で皿に盛られた果物を手に取った。フォンは、その指先に挟んだ果実で皿に並んだ様々な果物を示した。
「果物にもいろいろな種類があるのと同じ……鏢師も色々さ」
「そうですねぇ……私もあちこちの隊商と遭遇しましたが、無腰の鏢師には初めてお目に掛かりました」
屈託のない笑顔だが、糸のように細められた目は少しも笑っていなかった。
商人の観察眼ではない。フォンの腰に剣がないことに、しっかり気が付いている。実際に戦う心得を持った人間でなければ、そんなことにこだわったりはしない。
だが、フォンは顔色一つ変えなかった。
「剣は重いからなぁ」
「またぁ、おふざけになっちゃ嫌ですよ」
冗談ととらえたのか、ストーンが声を立てて笑った。フォンは大真面目だが、これを聞くと大概はこういう反応を見せる。
「素手で戦う鏢師なんて、聞いた事がない」
今度は、フォンが笑う番だった。ナギドの率いる隊商に雇ってもらった時も、最初の頃は鏢師仲間でさえ同じ反応を見せた。
それに対する答えも、決まっている。
「素手だと、何でも持てるからな」
「!」
意表を突くフォンの答えに、ストーンが一瞬あっけにとられた表情を見せた。
だが、ストーンの立ち直りも早かった。
「なるほど、道理ですな。
今、一つ賢くなりましたよ……素手とは何でも持てる、とは初めてお聞きしました」
◆
レオナとフォンの二人が立ち去った後も、ストーンが考え込むような妙に沈んだ表情でその場にしばらくたたずんでいた。
「さて、何者なんだか‥‥どうも気になる‥‥」
それは、奇妙な独り言だった。先ほどまでの、快活な商人の態度ではない。
「とても普通の鏢師には見えないが……身のこなしといい、漂わせている気配がまるで違う」
ストーンは、背の高い石壁に仕切られた庭の向こうを透かし見るような目で、二人が出て行った通りの方へと視線を走らせた。
「滅多にお目にかかれないような長大な大刀を背負った訳ありの娘と、無腰のくせにただならぬ身のこなしの男……無腰なのは、魔道か何かだけで戦える人間か……それとも、単なる不用心なのか、相当な自信があるのか、皆目わかりかねるな」
しばらく瞑目していたストーンが、目を見開いた。赤みを帯びた瞳が謎めいた輝きを見せた。
ストーンが懐に手を入れた。
「ふむ……占ってみるか」
懐から手を出すと、そこには小さな木箱があった。
木箱の中には、革をなめして作られた占い札が収められていた。長い年月の間使いこなされて来たのか、木箱も占い札も古ぼけて使い込まれたような黒い色をしている。
ストーンが占い札の束を手にした。慣れた手つきで束ねた占い札を混ぜる乾いた音が響いた。
抜き出した数枚の占い札を、机上に落とす。
だが、机上に置いた占い札が、鈍い金属音を立てた。
革の占い札とは思えない、重い金属音だった。よくよく見なければわからないが、それは鋼鉄の板に革を貼った占い札だった。
ストーンが、伏せた占い札を三枚机上に並べた。
ストーンの口元から、呪文のような異国の言葉が漏れる。
厳かな手付きで、机上に伏せていた占い札をひっくり返す。
「!」
ストーンの表情が険しくなった。
「不吉な占いの卦だ」
ストーンが、苦々しくつぶやいた。
机上に並んだ何枚かの占い札は、不吉な未来を暗示する占い札ばかりが並んでいた。
「毎日やっている占いなのに、こういう時に限ってろくなものが出てこない」
ストーンは、占い札を重ねそっと木箱に収めた。木箱を机上に戻すとき、再び重い音が響いた。
「先回りしてみるか……」
ストーンの細められた赤みを帯びた目が、考え込むような光を浮かべた。
「どこか、試したい気分にさせてくれる……無腰の男の方が、やばいか。
どこか、記憶の遙か彼方で遭遇した匂いがする」