ACT06 一触即発
「ちょっと、お待ちなさいなぁ」
突然の声だった。
聞き覚えのない誰かの声が、一触即発の緊張した空気を破った。
あまりに場違いなおっとりした声に、レオナは反射的に後方に飛び退いた。
レオナは油断なく身構えたまま、ゾアとの間合いを開ける。
レオナをにらみつけたままのゾアも、突然の声に反応して二歩ばかりレオナとの間合いを外している。
大上段に振り上げていた大剣を、ゾアが静かに下ろした。レオナと同様、突然の声にとまどっている色が見える。ゾアも、自分から仕掛ける気が失せた様子だった。
(邪魔したのは、誰?)
ゾアを視界に入れたまま、レオナは視線を流した。群衆の背後から出てきた声の主が、レオナの視界に入ってきた。
「?」
レオナは、一瞬自分の目を疑った。
目が痛くなるほどの、鮮やかな極彩色を身をまとった男。
レオナの第一印象は、それだった。
とにかく、一目見たら忘れられない派手な姿だった。
上等な仕立ての鮮やかな黄色の衣の下から、さらに上質な生地であつらえた赤色と青色の縞模様に織られた服装が見える。
陽射しをさえぎる黄色の大きな帽子には、金細工と宝玉で飾られた鮮やかな孔雀の羽根飾りが縫い付けられている。
原色の鮮やかな装束を身にまとった目の前の謎の人物は、かなり裕福なのだろう。身につけている指輪、腕輪から首飾り、腰帯まで金細工や宝玉で飾り立てた豪勢な姿だった。
高価そうな衣装なのは誰の目にも明らかだが、ランカの街の中ではその姿があまりにも場違いに見える。レオナとゾアの対決を遠巻きに眺めていた茶色や灰色の長衣を身につけた群衆を背景に、その場から鮮やかに浮き上がって見える。
(よくこんな格好で、街を歩けるわよね……裏道に入ったら、あっという間に身ぐるみ剥がされちゃうわ)
今のランカは、かつてのような王国ではない。
交易の中継点として人々が集まってきた街に過ぎず、統治者として為政者などいない無秩序な街だった。
当然、出自の怪しい連中も自由に出入りしている。
レオナは、自由交易都市ボーダンで耳にしたランカの噂を思い出した。レオナがランカへ向かう前に滞在していたボーダンも、交易の中継点として栄え、周辺諸国の情報も入ってくる。
そこで知ったランカの情報は、あまり良い噂話ではなかった。
一言で表現するなら、無秩序な街だった。あちこちの国を追われた強盗まがいの連中も、この街に流れてきているという。
そんな無秩序な街の中で、こんな派手な格好で歩いたらあっという間に強盗に襲われる。
腕に覚えがあるレオナでも、こんな姿で街をうろつくことはない。これでは、襲ってくださいと言わんばかりの無防備な姿だった。
(よっぽど腕に覚えがあるのか、それとも鈍いのか……これじゃ、襲ってくださいって言ってるようなもんじゃない)
他人事ながらもレオナは、思わず目の前の男の無防備さを心配した。
だが、この男は見かけよりもはるかに豪胆だった。
「くれぐれも、早まって無用な争いをされませんように」
男が、そう言ってレオナとゾアの間に割って入ってきた。
誰も、反応が出来なかった。
ランカ自警団という朱色の面々も、無言で男を見守っている。
刃を向けられていながらも、全く臆することもないような平然とした歩みだった。
「争っても、誰の得にもなりませんよ」
誰に言うともなく、目の前に立った派手な男がうそぶいた。
その男の言い分は、確かに正論だった。だが、それは秩序のある都市でのみ通じる正論に過ぎない。
このランカのような無秩序な街で、そのようなまともな言葉を耳にするとはレオナも想像していなかった。
(こいつ、何者?)
レオナは、ゾアとレオナの間に立った謎めいた男を観察した。
小柄だが太った壮年の男だった。
縦横が同じような寸法に見える。
背丈はそれほどでもないが、胴回りは常人を遙かに上回る。
褐色の肌と首の後ろで束ねた黒い髪は、南方諸国の血が強いことを示している。だが、細い目元を見ると、この男には東方諸国の血も混じっているのかも知れない。
「まぁまぁ、お待ちなさいな……ゾア様と衝突するようなことじゃありませんよ」
レオナに話しかける男の口調は、警戒を解くかのような柔らかな気さくなものだった。
レオナを押しとどめた男は、そのままゾアに向き直った。大きな黄色の帽子を脱いで小脇に抱えると、左掌で右拳を包む挙手の礼をとる。これは東方諸国の礼だった。
この男の登場で、張り詰めていた空気が一変した。
レオナをにらみつけたままだったゾアが、割って入った謎の男に視線を移した。
知り合いなのか、この謎の男を見たとたんにゾアの態度が軟化した。
レオナから完全に間合いを外し、ゾアは視線を謎の男の方に向けた。
ゾアは、大剣をゆっくりと鞘に納める。
「ストーンか……こいつらと何か関わりが?」
「いえいえ、お二人とは初めてお会いしましたが……刃傷沙汰を見たくないので、ついついお節介しに出てきてしまいました」
ストーンと呼ばれた男は、ゾアにすかさず慇懃に頭を下げた。
「ゾア様、差し出がましい真似をお許しください」
戦おうという気分が削がれたレオナは、あきれて二人のやりとりを眺めていた。
(ゾアの子分?)
このストーンという男がゾアの手下には、レオナにはとても見えなかった。
ゾアの激しい気性は、レオナも見抜いている。自分の気に入らない事があれば、刃に物を言わすような粗暴な性格だった。
ストーンの態度は極めて従順だが、手下であればゾアに意見など出来るはずがない。現に、ランカ自警団という朱色の一群はゾアを押しとどめようともしなかった。ゾアの指示が絶対という集団だった。
暴力の気配を漂わせたゾア達とは、全く違う気配の持ち主だった。武器を身につけている様子もない。
(お世辞も手慣れたものね)
このストーンと呼ばれた男は、絶妙の間でゾアの自尊心をくすぐっている。ストーンはゾアの顔を立てつつも、言葉巧みに自分の望む方向へとゾアを誘導しているように見える。
「ゾア様も、何も事情を知らない旅人を斬っても何の益もありますまい」
「当たり前だ」
ゾアが、ストーンを一瞥して傲然と胸を張った。このゾアという男は、ストーンのお世辞に弱いようだった。
ストーンは我が意を得たりとうなずき、レオナとフォンの方に振り向いた。
「ゾア様は、お役目に忠実に従っただけでございますし……お二方も、喧嘩するような理由はおありで?」
「そりゃ道理だな……こっちにも、喧嘩する理由はないな」
レオナに言葉を挟む余裕を与えず、フォンが苦笑まじりに答えた。
レオナも、小さくうなずくしかなかった。
(黙ってろ……フォンは、そう言いたいのね)
レオナは、フォンの態度でその意図が理解できた。
こういう時のフォンは、絶妙の間でレオナの出鼻をくじく。確かに、こういう状況でレオナが応対すれば、確実に喧嘩になる。
それを見抜いたのだろうか、ストーンと呼ばれたこの謎の男はレオナの答えを聞こうともせず、再びゾア様と呼んだ巨漢の方に向き直った。
「亡くなったのは、十と一名……ですか」
ストーンは、傍らの柱に吊された死体を指し示し、いきなり話題を変えた。
ゾアとレオナの衝突など、なかったものと言わんばかりだった。
すっかり戦う気が削がれたレオナだけ、その場に置いてけぼりにされている。
「ゾア様? この不幸な男達の亡骸は、手前に引き取らせていただけませんか?」
「こいつらは、貴様の身内か?」
「いえいえ、食い詰めてランカに来た無宿者みたいですな……まぁ、野ざらしもかわいそうなので、手前が弔ってやりましょう」
「ふむ、殊勝な心がけだな」
ゾアと呼ばれた男が、満足そうにストーンにうなずいた。
心底からうれしそうに、ストーンが笑顔を見せた。見ず知らずの死人の始末を自ら買って出るのがレオナには不思議だった。しかも、ストーンはそれを喜んでいるようにも見える。
「では、お許しいただけますか?」
「よかろう! この亡骸の処遇は、貴様の良きようにはからえ!」
「ありがとうございます」
ストーンが群衆の方に手振りで合図すると、人混みの中から褐色の長衣をまとった十数人の男が姿を現した。
「裏の共同墓地に埋葬しておくれ」
集まってきた男達に、ストーンが指示を出す。
ストーンの使用人なのか、うなずいた男達が死体を柱から吊るしていた鎖を外して素早く死人を担ぎ上げた。
ストーンが、懐から銀貨を一掴み取り出して集まってきた男達に手渡した。
「一人につき、百シリカを埋葬料に」
レオナは、あっけにとられた。
(墓地に運んで埋葬するのに、一人につき銀貨一枚?)
死体を運ぶのに駄賃として銀貨一枚支払うとは、金持ちとはいえ気前が良すぎる。
だが、ストーンはレオナの思いなどお構いなしだった。
それどころか、レオナとフォンのことなど、話題にも上がらなかったようなストーンの態度だった。
レオナは、事態の急変にすっかり取り残されている。だが、レオナも動くに動けず、二人のやりとりを無言で見守ったままだった。
「それでは、ゾア様、この不幸な者達は手前が弔いますので」
「うむ、わかった……おい、我々も引き上げるぞ!」
ゾアは、ランカ自警団と称する朱色の一団に声を張り上げた。
鎖帷子と剣が触れ合う金属音を立て、ゾアの手下達が一斉にその場から立ち去り始めた。ランカ自警団の連中の行動を見る限り、ゾアという首領の統制は取れているようだった。
踵を返しかけたその瞬間、ゾアが急に振り向いた。ゾアの爬虫類のような冷たい目が、レオナをにらんだ。
「おい! そこの二人!」
ゾアが、鋭い声を掛けた。
レオナが表情を変えずに、ゾアを見上げた。
フォンは聞いているのかいないのか、亡骸を運ぶ男達を興味深く眺めている。
だが、レオナをにらみつけていたゾアの視線が、少しだけ和らいだ。
「貴様らは、命拾いしたな。ここは、見逃してやろう。
だが、ここはランカだ……旅人だろうがなんだろうが、ここに居る限りはランカ自警団の掟に従ってもらう」
ゾアは、配下の男達に顎をしゃくり、朱色のマントの裾を翻しきびすを返した。
群衆が左右に割れ、無言でゾアの歩く道を大きく空ける。
(ふーん……やっぱり、嫌われてるんだ)
レオナは、群衆の態度でゾアの人望が皆無なことに気が付いた。
群衆の面従腹背の態度から見て、ゾア達ランカ自警団を称する一団が、民衆から決して歓迎されていないことがわかる。
後難を恐れてあからさまに抵抗はしないが、ランカ自警団を支持している様子にも見えない。
「……」
レオナは、ゾアという男の背中をにらみつけたまま無言だった。
ゾアの尊大な態度には、レオナのはらわたは煮えくりかえったままだった。
ストーンが割って入らなければ、確実にゾアと斬り合いになっている。
(ランカ自警団のゾア・ベリアル……こいつは、何者?)
ゾアは、ただ者ではない。
ゾアが漂わせる暴力的な気配は、レオナにも覚えのない禍々しい波動だった。
この街にいる限り、いつか再び衝突しそうな予感がする相手だった。
だが、ストーンという謎の男の登場で、レオナもすっかり戦う気が失せていた。
(ボーダンで耳にしてた噂よりも……色々と、ややこしい街だわ)
レオナは、視界からゾアとランカ自警団の面々の朱色の後ろ姿が消えるまで、緊張を緩めなかった。
朱色の姿が視界から消えてから、レオナは大きく息を吐き出した。
緊張を緩めたレオナは、周囲に視線を巡らせた。騒動が終わり、群衆も興味を失ったのかその場から立ち去り始めている。
レオナは、傍らのフォンに視線を移した。
(ほんと、フォンは気楽よね……完全に傍観者じゃん)
フォンは、基本的にレオナがどう行動しようが気にもしない。レオナが怒りにまかせて刃傷沙汰になっても、助けるわけでもなく傍らで興味深そうに眺めているだけだった。
(まぁ、そういう契約だからしょうがないけど……ほんとに冷たいんだから)
ストーンとフォンのやりとりが騒動を抑えてくれたことなど、すっかりレオナの頭にはない。
ふと、レオナはフォンと出会った時の会話を思い出した。
『俺は傍観者だ……姫さんの護衛じゃない。
案内はするが、何をどうするのかは姫さん次第だ……』
フォンの声が、再びレオナの脳裏に響いた。フォンは、レオナの影として傍観者の役割に徹している。
『自分の身は自分で護れ……もっとも、いちいち心配するほどやわじゃなさそうだがな』
フォンは、レオナの旅の道案内に同意した時に、確かにそう言った。
レオナは、大きく息を吐き出した。
(そうね……この旅は、あたしの旅だもの)
レオナの想いなど、フォンはおかまいなしだった。
フォンは、ゾアの恫喝を気にした様子もない。
立ち去るゾア達に興味も示さず、フォンは野次馬の人混みを眺めていた。