ACT04 襲撃
「来るぞ!」
鏢師の誰かが、鋭い警戒の声をあげた。
周囲に漂う殺気が、常人にでも感知できるほどに濃くなってきた。
夜霧の中から、人影が湧き出てきた。湧き出てくる、という表現がふさわしいほど唐突な出現だった。
物音を立てないところをみると、金属の鎖帷子や甲冑の類いは身につけていない。
本来であれば、騎馬で突入して野営地を一気に蹂躙するのが野盗の常套手段だった。
だが、ナギドが選んだ野営地は、防御するには絶妙な場所だった。
野営地だけは平坦だが、その周囲には背丈を越える岩塊が林立し、曲がりくねった道となっている。
これでは、夜間に騎馬での突入は難しい。
隊商が野営地に来る時には難儀した尖った岩の迷路が、逆に幸いしている。自然の防壁に囲まれた広場は、攻めるには難しく護るには容易な場所だった。
案内人のジョシュアが野盗とつながっていたのであれば、ジョシュアが平地の野宿を強く勧めた理由もはっきりわかる。
野盗が騎馬で突入しやすい場所を野営地にすれば、不意打ちが狙える野盗の方が有利だった。
「フォンの予想通り、徒歩か」
鏢師の誰かが、小声でつぶやいた。
野盗は近くまで騎馬で移動してきてから、徒歩で接近してきたのだろう。この岩場を夜間に騎馬で突入することは難しい。
暗闇と静寂に乗じて、皆殺しにするつもりだったのだろうか。夜陰に紛れてこっそりと野営地に接近し、音を立てずに見張りを倒してから、仕事に掛かるという意図が見える。
だが、その作戦はフォンに見破られていた。
徒歩で接近するにしても林立する巨岩に阻まれ、侵入できる道はわずかに三カ所。
そのいずれにも、鏢師が待ち構えていた。
鏢師達は、誰一人として眠っていなかった。フォンの指揮で、全員が寝たふりをしていただけで戦闘に備えていた。
暗闇の中で、どこからか剣戟の音が響いた。
怒声と刃がぶつかり合う音が、あちこちで響いている。
別の道から、また男達がどこからともなく湧き出してきた。かなり手慣れているのか、歩くのにもほとんど物音を立てない。夜襲で目立たぬよう、褐色や灰色の装束に身を固め、素顔を見られぬよう黒い布で覆面している。
正面からの野盗の攻撃は、鏢師達を引きつける陽動だった。
迷路のようになった林立する岩の間の小径を利用し、別の方向から本隊が攻めようという魂胆だった。岩陰を巧みに利用して、身を隠しながら接近してきたのだろう。
岩陰から野営地に躍り出ようとした男達の前を、不意に人影がさえぎった。
「おおっと、ここは通すわけには行かないなぁ」
「!」
突然の声に、黒い布で顔を隠した男達が身構える。
そこには、フォンがいた。
だが、そのフォンは、ただ立っているだけだった。
まるで、夜風の中の散策を楽しむかのような風情だった。
戦う姿ではない。
そもそも、フォンは刀剣など一切身につけていない無腰だった。しかも、武装していないどころか、鎖帷子のような防御用の装備さえフォンは身につけていない。
覆面の男達が、目配せした。
その眼の合図がきっかけだった。
無言で、男達がフォンをめがけて走り出した。
矢尻のような三角の隊形で男達が走る。兵士としての戦闘訓練を受けたかのような、連携のとれた動きだった。
幻惑させるかのように、男達の位置が突進しながらも左右に入れ替わる。
刀剣を持たないフォンを屠る事はたやすいと判断した男達が、次々とフォンに飛び掛かる。
先頭の男が大上段に振りかぶった長剣を切り下ろすのと、左右の男達が長剣を突き込むのがほとんど同時だった。
左右にかわせば鋭い切っ先に胴を貫かれる。動かなければ中央の男の斬撃を真っ向から受ける。
「なるほどね……考えたもんだ」
フォンが、感心したようにつぶやいた。
いつの間にか、背中側に回して隠していたフォンの右手に六尺ばかりの長い棒があった。その棒は、荷駄にくくりつけられていた隊商旗の旗竿だった。
六尺ばかりの棒が、フォンの身体の周囲を水車のようにくるりと回った。ただの棒も、使い手によっては十分な凶器になる。
「!」
立て続けに三度、肉を打ち骨が砕ける鈍い物音がした。
フォンとすれ違った三人が、動きを止めた。
「面白くもないなぁ」
フォンがつぶやいたとたん、三人の男達が声もなくその場に崩れ落ちた。
何をどうやったのか、誰の目にも捉えられていない。
棒は、その両端が使える。蛇のように、頭を打てば尾で反撃し、尾を押さえれば頭がかみつくのに似ている。突けば槍のようにも使えるし、払えば刀剣のようにも使える。
しかも、フォンの操る棒の早さは尋常ではなかった。
隊商旗を掲げる旗竿一つが、フォンの手に掛かればとんでもない凶器に化ける。
フォンは刀剣を身につけていないが、臨機応変にその場で入手できる物を巧みに利用する。そのいずれを扱っても、フォンはずば抜けた技量を見せる。
フォンを襲った三人は倒れたが、四人目が後方に控えていた。
フォンを仕留め損なった事を知った四人目は、フォンと戦わず横へと跳躍してフォンから離れようとした。
「残念ね」
だが、逃げたところの岩陰にレオナが立っていた。
「!」
虚を突かれた男は、驚愕からすぐに立ち直り、反射的に剣をレオナの喉元に向けて突き出す。
レオナの大刀が、鞘走って大気を切り裂いた。
鋭い金属音と共に、剣の刃が真っ二つに折れた。
レオナの大刀は、身幅の厚い刃渡り三尺を越える湾曲した刃を持つ。
並の剣と打ち合えば、相手の刃がへし折れる強靱な刃だった。
柳の葉を思わせる湾曲した大刀は、相手の刃を断ち割っても止まらなかった。空中で飛燕を思わせる軌跡を描き、方向を変えて男の肩口へと走る。
鈍い衝撃が、レオナの右手に刀柄から伝わってきた。肋骨が砕ける鈍い手応えだった。
レオナの愛刀には、刃が付いていない。切れないように刃が潰してあるが、その不殺の刃とはいえ、鋼の甲冑の上からでさえ骨を打ち砕くには十分な強靱さがある。軽装の革鎧など、レオナの愛刀には紙切れ同然だった。
「上だ!」
フォンの言葉と共に、レオナが横っ飛びに身を翻した。
そのすぐ近くを、矢が通過した。
岩の上に、弩弓を構えた人影があった。狙いが外れたのを見て、慌てて弦を引いて、二の矢をつがえようとしている。
突然、暗闇を引き裂き、笛のような甲高い音が暗闇で響いた。
「!」
どこからか飛来した鏑矢に射貫かれた男が、押し殺した悲鳴を上げて岩の上から落下する。
どこか離れた位置から、アルシアが得意の長弓でレオナ達を援護している。
アルシアの使う長弓は、野盗が使った弩弓と違い慣れた射手なら矢を連射することが出来る。
立て続けに、夜空から矢が降ってくる。矢尻の空洞から笛のような音が響くたびに、野盗達の動きに恐慌が巻き起こる。音がすれども、暗闇の中から降り注ぐ矢を肉眼で捉える事は難しい。見えた時には、手遅れだった。
正確な狙いで、さらに二人が矢傷を負った。
野盗の戦力が、徐々に削がれてゆく。
不意打ちを見破られた時点で、野盗の襲撃は半分失敗に終わっている。それでも力業で襲撃を試みたものの、鏢師達の巧みな戦術に、巨岩で囲まれた小径に足止めされ、野営地まで足を踏み込めない。
広い場所ならば、数に物を言わせて包囲戦に持ち込む事が出来るが、両側を大きな岩壁に挟まれた小径では、一対一の戦いとなる。人数こそ劣るが、一対一の戦いになれば鏢師達の方に分がある。
◆
どこからか、雄牛の唸り声のような角笛の長い音が三度鳴った。
それを合図に、男達が逃走に移った。
黒い姿が、林立する岩の間を走って抜ける。
迷路のような岩塊の隙間から、彼方の平地が見える。恐らくは、その周辺に馬を隠しているのだろう。
その一団の中に、ジョシュアの後ろ姿が見える。騒ぎに紛れて、自分の身を拘束していた網を破って逃げ出したのだろう。
「ちっ!」
反射的に、グランの手から石礫が放たれる。
石も十分に武器になる。手足の長いグランが投じる石礫は、勁烈な勢いで飛んだ。
「!」
だが、驚くべき事に、ジョシュアもそれを予想していた。
突然、ジョシュアが跳躍した。今までの動きとまるで別人のような素早さだった。
人間離れした跳躍力で、岩を飛び越え駆け出した。
「深追いするな! 隊商を護るのが優先だ!」
フォンの声が、暗闇に響いた。
戦いながらも、フォンは冷静に全体を見ている。
「伏兵が潜んでる危険がある! まずは隊商を護れ! 勝とうと思うな、負けないことを考えろ!」
フォンの指示で鏢師達は追撃をあきらめ、輪形陣に構えた荷車の周囲に駆け戻る。
弓を握ったアルシアがこちらに走ってくる姿が、レオナの視界に飛び込んできた。
「アルシア! 無理するな!」
フォンが叫んだ。
「あの裏切り者だけは、見逃すもんですか!」
近くに駆けてきたアルシアが、押し殺した声を出した。冷たい美貌のアルシアが、全身から怒りの気配を発散させている。
アルシアは、軽い身のこなしを見せ、自分の背丈の倍ほどの岩によじ登る。
「奴が野盗の手引きをした……案内人のふりをしてたが、とんだ食わせ者だよ」
アルシアは、背負っていた矢筒から手探りで矢を引き抜いた。背負った矢筒に残された、最後の一本だった。
岩の頂上で片膝を付き、矢をつがえた長弓の弦を引き絞る。
アルシアの周囲で、緊張の空気が張り詰めた。
逃走するジョシュアの背中が、夜霧の中に小さく見える。予想以上の俊足だった。
ジョシュアは、一気に岩で出来た迷路のような小径を抜けた。
ジョシュアが大地を蹴って、横っ飛びに方角を変えた。
「!」
だが、それが裏目に出た。
ジョシュアの逃走速度が、わずかに落ちる。
唐突に、アルシアの長弓の弦が鳴った。
高い角度で放たれた矢が、夜空に飛んだ。
アルシアが放った矢は、アルシアがよく使ういつもの鋭い警戒音が鳴る鏑矢ではなく、アルシアの切り札の無音の矢だった。鏑矢の音を警戒させたところで、無音の矢を放ち敵の反応を遅らせる。
突然、ジョシュアの動きが止まった。つんのめるように、膝をついて大地に転倒する。
「やったっ!」
夜空に曲線を描いて飛翔した矢が、ジョシュアの背中に突き刺さっている。
「アルシアが敵でなくて、本当に幸いだったよ」
フォンが、アルシアに視線を移して苦笑した。
この距離で、暗闇を走る相手に命中させる腕前の持ち主は、そう多くはない。
ジョシュアが倒れ込んだ先に、馬の脚があった。
「フォン、見て!」
ジョシュアが倒れ込んだ先に、騎馬の一群が浮かび上がった。
濃霧の夜とはいえ、夜目の利くレオナには不自由はない。夜空を背景に浮かび上がった騎馬の一群は、五十騎余りか。野盗の規模ではない。ほとんど軍勢なみの勢力だった。これだけの軍勢に騎馬で突入されたら、平地では鏢師達でも対応できなかったかも知れない。
騎馬にまたがる巨漢が首領なのか、男の合図で別の男が動いた。素早く馬を降り、倒れたジョシュアを引き起こした。
遠くでジョシュアが馬上に引き上げられるのを、岩塊の上に立ったアルシアが静かににらみつけた。
「ちっ……矢が尽きてなきゃ奴も仕留めたのに」
アルシアが、無念そうにつぶやいた。
予備の矢を、荷車から持ってくる余裕はない。
その時、唐突に風が吹いた。
「!」
濃霧の帳が、一瞬途切れる。
「あいつは……」
レオナが、星明かりに浮き上がった黒ずくめの巨漢をにらみつけた。
それは、奇怪な姿をした男だった。
その黒ずくめの巨大な姿も異様だが、長衣のフードの奥からのぞくその顔がさらに異様だった。ただ一人だけ、兜の面頬を思わせる仮面をつけて素顔を隠している。その仮面は、黒金の地肌に、化け物の顔を形取ったのか、入れ墨を思わせる金色の隈取りの装飾が施されている。
「仮面?」
黒金の仮面の奥で輝く双眼は、寒々しいほど冷酷な光を帯びている。
距離は遠いが、明らかに首領の視線とレオナの視線が交錯し、激しい火花を散らした。
「仮面を被ってるのか……素顔を見せたくない理由でもあるのかな」
「仲間を捨てて行かなかったのは、それだけ余裕があるから?」
フォンの言葉に、レオナが聞き返した。
「もしくは、正体を知られたくないから、かね……存外、野盗の一味はランカを根城にしているかもな」
確かに、ランカの近くで襲撃してきたところを見ると、ランカの街を根城にしている可能性は高い。フォンの言うように、ランカで遭遇したとしても、その正体を見破れないように素顔を隠していたのかも知れない。
再び、夜霧が濃くなってきた。
遠くで、野盗の群れが動き出した。姿を現した時と同様、物音一つ立てずに夜霧の中にその姿が溶け込んでゆく。
「こっちの被害は?」
フォンが尋ねた。
「隊商は無事だ……人も無傷だし、積荷も無事だ」
ナギドの声が、暗闇の奥から響いた。
松明の炎が、煌々と隊商の宿営地の周囲を照らし出している。
「鏢師は?」
ナギドの問いに、あちこちから鏢師達の返事が返ってきた。
「こっちは無事だ」
「うちの班も、無傷だ!」
鏢師達の声に、レオナは安堵のため息をもらした。商売柄、大怪我と隣り合わせとはいえ、仲間が傷付くのは見たくない。
鏢師が無事なのに安心したレオナは、野盗が襲撃してきた方向に視線を走らせた。だが、すでにそちらに人影も気配もない。
「夢でも見てたのかしらね」
周囲を用心深く見渡しながら、レオナがつぶやいた。
レオナも何人か倒したはずだが、そいつらごと消え去っていた。
「仲間を見捨てないだけの、余裕があったか……それとも、顔が知られたくなかったのかねぇ」
松明の明かりが、レオナとフォンに近寄ってきた。
その光で、松明を持ったナギドの姿が浮かび上がった。
ナギドとフォンが周囲の大地に残された血痕を確認したところ、最低でも四、五人近くが相当な深手を負っているはずだった。レオナの大刀は刃が付いていない。フォンに至っては刃も使っていないが、それでも二人で四、五人は倒している。それを加えれば、十人近くが戦闘不能になったと判断できる。アルシアの矢に腕を射られたとか、手傷を負った者はその倍近くいるはずだった。
「まぁ、この血の多さから見れば、三日と生き長らえられないくらいの深手だな」
大地に膝を付いて血痕を調べていた隊商の長のナギドが、フォンに声を掛けた。
松明で照らされている血を吸った大地を見なければ、ここで何が起きたかわからない。
野盗達が流した血が、赤黒く乾き始めている。
「逃げ足は速かったな」
「不意打ちに失敗したから、形勢不利とみて逃げ出したか」
ナギドの言葉には応えず、フォンは野盗が消えた方向を透かし見た。つられて、レオナもフォンの視線の方向を見る。
野営地を囲んだ林立する岩の柱より先は再び深い霧に沈みこみ、夜目が利くレオナの眼でも見通せない。
突然、その霧が晴れた。
「あっ!」
自分の目を疑ったレオナは、不意に小さな声を上げた。
東の地平線の彼方に、ぼんやりとした光が見える。
一瞬、星と疑ったがこれだけ明るい星はない。
明らかに、灯りの光だった。
「フォン! あれを見て!」
フォンが、レオナの視線の先に目をやった。
地平線の彼方で、灯火が揺らめいている。
その灯火の大きさは、夜空の星と見間違えるような大きさではない。
「消えて久しいランカの尖塔に、灯が点ってる?」
フォンが、微かに眉をひそめた。
地平線の彼方のランカの尖塔で、消えて久しいはずの明かりが灯っている。
「二百年も前に、ランカ王国は滅びたはずだが……誰かが灯したのかな?」
ランカ王国が滅亡する前、ランカ王国の神殿の尖塔には夜通し灯りが灯され、旅人の道しるべとして機能していた。
だが、そのランカ王国が滅びた今では、その尖塔の灯りが消えて久しいはずだった。
「でも、昼間あっちの方向に、ランカの尖塔が見えたわよ」
尖塔の篝火の合図は、ランカ王国が滅亡して以来長い間使われていなかったはずだが、その光はどこか禍々しい気配を漂わせている。
「呼んでるのかね?」
「誰が、誰を?」
レオナの問いに、フォンは直接答えなかった。じっと、地平線の灯りを眺めている。
「誰かが灯したか‥‥それにしちゃ、墓場で見かける鬼火みたいな灯火だが」
「ちょっとぉ、薄気味悪いこと言わないでよね。あたしはお化けが苦手なんだから」
レオナは、フォンをにらんだ。
再び夜霧が濃くなり、地平線の彼方の尖塔の灯りが夜霧の中に消えていった。