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ACT03 不審者

 大きな夕陽が西の地平線に沈みかけ、空も大地も天幕までもが鮮やかな茜色に染まった。

 周囲で拾い集めてきた灌木の枯れ枝や、出発地のボーダンから運んできたわずかばかりの燃料で、あちこちに小さな焚き火がいくつか熾された。

「やれやれ、やっと夕飯だぞ」

 配給の行列から戻ってきたフォンが、見張り番をしていたレオナに配られた食料を手渡した。ナギドの隊商では、水だけではなく食事も全て配給制だった。

「さすがに、お腹が空いちゃったわね」

 焚き火の一つを前に、レオナは腰を下ろした。

 隊商の食事は、質素なものだった。

 百人規模の隊商なら、それなりの食料が必要になる。途中で猟をしたりして獲物を確保するのが常だが、このランカ大荒野では食料を見つけるのも難しい。

 食事といっても、旅の最中は干し肉と干した果実、ガチガチに乾いた旅行用のパン、それと貴重な水だけだった。

 旅行者用のパンは、長期保存用に堅く焼き固めている。

 もっとも、この乾燥したランカ大荒野では、数日も放置すれば何でもカラカラに干からびてしまう。

 そんな乾燥した食料を口に含んで、わずかばかりの水でふやかして飲み込むような食事だった。

 幸い、清水の十分な補給が出来たせいか、今夜は小さく裂いた干し肉を煮た汁物の配給があった。暖かい汁物は、急に冷え込む夜にはありがたいご馳走だった。

 昼間は灼熱の陽光で水筒の水も温くなっているが、夜になると急激に冷え込むランカでは、今度はその水も歯に染みるほど冷たくなる。

 傍らで、小さな焚き火の炎が揺らいでいる。

 故郷の王都レグノリアでは、レオナも王族の一員としてそれなりに恵まれた食生活を送ってきた。

 だが、今では旅の質素な食事にもすっかり慣れた。

 生きる為に食べる。

 身体を維持し、大荒野の過酷な生活を生き抜くためだけの味気ない食事だった。

 レオナは、無言で夕飯を食べ終えた。

 さっさと食事を終えたフォンは、レオナの傍らで懐から紙片を取り出して何かやっている。茶色の紙片を小さくちぎり、そこに何か文様のような文字を書き付けている。

「あれを使うの?」

 その様子を見たレオナは、露骨に眉をひそめた。

 フォンと出会った時に心底驚愕させられた奇妙な術を、今夜のフォンが使おうとしているのがわかった。お化けとか魑魅魍魎、妖怪変化とかが大嫌いなレオナは、過去に何度かひどく驚かされた経験からあまり目の前では見たくない術だった。

「あんまり、人前では使いたくないんだが……今夜ばかりは、不吉な気配がするからな」

 フォンが、レオナにしか聞こえないような小声で返した。

 無腰のフォンが奇妙な幻術を使うことは、鏢師(ひょうし)仲間も知らない事だった。それを知っているのは、レオナただ一人だった。

 フォンの使う不思議な術は、シドニア大陸西域諸国で見られる魔道とも異なる。レオナの生まれ育ったリシャムード家も魔道に優れた家柄だが、このような術を見た事がない。

 一寸ばかりの大きさにちぎられた十数枚の紙片が、焚き火の周囲に目立たぬようにそっと置かれた。

 昼間こそは灼熱のランカ大荒野も、日没と共にその趣を大きく変える。乾いた空気と雲一つない空は、日が沈むと急にその気温を下げる。

 急に、夜風に冷気が混ざってきた。

「常人には、過酷な世界よね」

 旅行者用のマントを羽織り直したレオナは、焚き火から少し離れた岩場に分厚い毛布を畳み、その上に腰を下ろした。

 気温が急低下し、肌寒い空気が周囲に張り詰める。

 旅行者用のマントは、日中の強烈な陽光を遮るばかりではなく、この夜間の寒さからも人を守るものだった。

 愛刀を抱え込んだレオナは、夜が更けるのを静かに待った。


       ◆


 昼間こそ灼熱のランカ大平原も、夜になると急激に冷え込んでくる。

 深夜になる頃には、空気が冷えきり肌寒いほどだった。

 どこからか、霧が流れてくる。

 いつの間にか、その夜霧が濃くなっている。

 昼間は灼熱の渇ききったランカ大平原も、夜間になると急激に冷え込み南からの湿った空気が流れ込んでくる。

 遙か彼方の海岸から発生した霧が流れて、ランカ大平原までやってきたものだった。このわずかばかりの夜中の湿気がなければ、全ての生命が死に絶えてしまう。流れてくる夜霧がもたらすこのわずかばかりの水滴が灌木に取り込まれ、かろうじて生きている虫や小動物に必要な水分を与えている。

 天幕を張り大地に敷いた敷布の上で、マントにくるまった状態で隊商の人々が眠りについた。疲れ切っているのか、あちこちの天幕の中から規則正しい寝息が聞こえてくる。

 天幕の一つから、小さな人影が現れた。

 小用にでも行くのか、野営地の外の岩場へと足音を殺してそっと歩いてゆく。

 その人影は、物音を立てずに天幕の並ぶ広場を抜け出した。だが、どこか人目を避けるような動きにも見える。

 焚き火が、熾火になっていた。

 その焚き火の横を、気配を殺した人影が密やかに通り過ぎる。

 その小さな焚き火の傍らの地面で、何かが微かに動いた。

 大地に置かれた紙片が、ゆらゆらと微かに動いている。

 フォンが置いた紙片だった。

 不意に、どこからか風が吹いてきた。

 その風に乗って、紙片が浮いた。

 夜空に十余りの紙片が、空中を舞い踊る。

 熾火の熱が巻き起こす小さな上昇気流を利用し、紙片が高々と舞い上がった。

 そのまま風に乗り、隊商の野営地の周囲に飛び去っていった。

 茶色い紙片が、暗闇に紛れ込む。


       ◆


 気配を殺した人影は、物音を立てずに野営地の外へ出た。

 先ほどまでの平地と違い、あちこちに巨大な岩塊が大地から生えているような地形だった。

 時折、立ち止まっては周囲を警戒する動きを見せる。薄い夜霧を透かし見ても、背後には動くものの姿は見えない。

 人影が、再び動き出した。

 足が不自由なのか、人影が微かに片足を引きずっている。

「?」

 どこからか、微かな羽音が聞こえてきた。

 その小さな羽音に反応し、人影が動きを止めた。

 気配を殺し、岩と同化したようにしばらくの間身動きもせずにいる。

 暗闇の中を透かし見ると、蝶なのか蛾なのか、小さな羽根を持ったものが周囲を舞っている。

 しばらく動きを止めて周囲を警戒していた人影が、安全と見て再び動き出した。

 巨大な岩塊が並んだ迷路のような小径から、大荒野が見通せる位置にたどり着いた。

 その人影は、野営地から見通せない岩陰に身を隠し、長衣の裾で隠していた物を取り出した。

 小柄な身をかがめ、手探りで懐を探る。

 火打ち石が鳴る音と共に、小さな火花が散り灯りが点った。

 小さな炎が、岩場の陰に隠れた人影を浮かび上がらせた。

 案内人のジョシュアだった。長衣のフードを下ろし、素顔をのぞかせる。陽に焼けた褐色の肌は、深いしわを刻み年齢以上に老けて見える。

 ジョシュアが、その小さな灯りを持ち上げて立ち上がった。

 そのジョシュアが手にしたのは、旅行者用の手燭だった。

 小さな黄銅の器の中で、蝋燭が燃えている。

 だが、鏡のように磨き上げられた内側が炎を反射し、意外なほど遠くからでもその明かりが見える。

 ジョシュアが、手燭を掲げて暗闇に向けて振った。

 二度三度と、手燭の炎が揺れる。

 その合図を見る者がいたのか、不意に暗闇の向こうから小さな灯りが浮かび上がった。こちらの合図に呼応するように、遠くで小さな炎が何度か揺れた。

 ジョシュアが、そっと手燭の炎を吹き消した。

 周囲は、再び暗闇に包まれる。

 手燭を懐にしまい、そっと動き出そうとしたとたん声が掛かった。

「ずいぶんと、明るい灯りだったなぁ」

 頭上からの声に、ジョシュアが凍りついた。

「灯りを使わずに暗闇を歩けるくせに、こんな処に来てからわざわざ灯りを使うなんざおかしくねぇか?」

 振り仰ぐと、人の背丈よりも高い岩の上に人影があった。ジョシュアは、声を掛けられるまでその気配には気付かなかった。

「!」

「どこの誰に、合図してたのかねぇ?」

 頭上の岩に腰を下ろしていたのは、フォンだった。

 ジョシュアが、逃げ道を探すように視線を左右に走らせる。

 左の岩陰に逃げ込もうとした瞬間、その岩陰で気配が生じた。

「!」

 岩だと思っていた影が、いきなり動いた。

「こんな夜更けに、何してるのかしらね?」

 すぐそばに、レオナが立っていた。

 岩塊に同化したレオナも、声を掛けるまでジョシュアに気配を悟らせなかった。

「ジョシュア、やってくれるわね……まさか、あんたが野盗の密偵を務めてるなんてね」

 いつでも大刀を抜き放てるように、背中に背負った大刀の柄にレオナの右手が掛かっている。

「ジョシュア、隊商に野盗の密偵が潜り込んでいたのは、ボーダンを出た頃から感付かれてたんだよ」

 フォンの声に、からかうような響きが含まれている。自由交易都市のボーダンでは、ランカ周辺に野盗が出没している噂が流れていた。しかも、行方知れずになった隊商がいくつも出ている状況になれば、交易商が対策を打つのは必然だった。レオナとフォンが鏢師(ひょうし)として傭われたのも、この野盗の跳梁の影響が大きい。

「ここしばらく、ボーダンからランカへ行く隊商が何度も野盗に襲撃されてたからな……ナギドは、襲撃されることを前提に隊商を率いてきたのさ」

「……」

 ジョシュアが、無言でフォンとレオナを交互に見る。逃げ道を探しているのか、その視線があちこちに迷っている。

「おまけに、ナギドがいつも使っている案内人が、隊商が出立する前夜にいきなり病に倒れちまっただけでなく……その翌朝に、別の案内人としてジョシュアが都合良く姿を現すなんて話が出来すぎてるぜ」

 フォンは、ジョシュアの挙動を気にせずに話を続ける。だが、ジョシュアの手が、微かに動いていた。

「!」

 押し殺していた殺気が、ジョシュアから放たれた。

 不意に、ジョシュアの長衣の裾が踊った。

 投げつけられた手燭を、レオナが愛刀の柄で弾いた。同時に、下から飛んできた短剣を、岩上のフォンがひょいとかわした。

 そのわずかな隙を、ジョシュアは見逃さなかった。横っ飛びに跳躍し、岩の迷路に飛び込む。

「あっ、逃げた!」

 ジョシュアが踵を返して、駆け出した。

 ジョシュアの足は速かった。

「足が不自由ってのは、芝居だったわけだ」

 岩の小径を縫って逃げるジョシュアの後ろ姿を見て、フォンが小声で楽しそうにつぶやいた。正体がばれたジョシュアは、もはや偽装を隠そうともしない。

「追わないの?」

 レオナの言葉に、岩の頂上から音もなく飛び降りてきたフォンが小さく肩をすくめた。

「まぁ、そう簡単に逃げ切れるとは思えんがね」

 フォンの視線の先を、レオナの視線が追った。

 白く輝いた蝶が、夜霧を通してぼんやりと見える。おそらく、その下にジョシュアがいる。


       ◆


 ジョシュアは、暗闇の中を迷うことなく岩塊の迷路を駆けていた。

 時折、ジョシュアは岩陰に張り付き、呼吸を整えながら追っ手の気配を探る。

「?」

 再び、耳元で微かな羽音が聞こえる。

 目をこらすと、ジョシュアの周囲を蝶が舞っている。どちらに走ろうが、蝶がつきまとって来ていることにジョシュアは気が付いた。

 蝶を払おうと、顔の近くで手を振った。

 だが、その蝶はひらりとかわし、ジョシュアを嘲るかのように再び周囲を舞う。

 ジョシュアは、再び岩塊の小径の中を走り出した。

 蝶は、相変わらずジョシュアの周囲を舞っている。

「くそっ!」

 ジョシュアは、再び手を振って目の前を飛んでいる蝶を払った。

 今度は、蝶を払う手応えがあった。

 不意に、目の前の蝶が明るい炎となって燃え上がった。

「!」

 いきなり目前で燃え上がった蝶に気を取られたのが、ジョシュアの失敗だった。

 何かに足を取られて、ジョシュアが転倒した。いつの間にか、足下に細引きの綱が張られていた。

 転倒したとたん、頭上から大きな網をかぶせられた。

 左右の岩の影から、鏢師(ひょうし)のグランとハンが姿を現した。

 ジョシュアを捕らえたのは、隊商の荷馬車の荷物を固縛する頑丈な網だった。手で引っ張ったり、かみついた程度では破れない。

「こいつは、足止めしとけばいい……今は、こいつが呼んだ連中を食い止めるのが先だ」

 追いついたフォンが、指示を飛ばす。

 ハンが、怪力を発揮して傍らの岩を持ち上げた。そう簡単には逃げ出せないよう、一抱えもある岩塊がジョシュアを包み込んだ網の四隅に置かれた。逃げ出せぬと悟ったのか、もがいていたジョシュアの動きが止まった。

「ジョシュアには、聞きたいことは色々あるがね……しばらく、ここで大人しくしててもらおう」

 フォンが、ジョシュアに声を掛けた。

「今は、こいつの相手してるより先に、野盗を片付けなきゃならんからな」

 確かに、暗闇の奥から何かが蠢く気配が伝わってくる。

 フォンの周囲を舞っていた蝶が、ほの白い燐光を発し再び暗闇の中へ散った。

 小さな蝶が暗闇の中で舞い、接近する敵の位置を教えるかのように白く光った。

「あっちから来るのかしらね」

 レオナの言葉に、フォンが小さくうなずいた。

「式神が教えてくれるから、大丈夫さ」

 小さな蝶は、フォンの使う式神だった。式神と呼ばれる使い魔を使役する術は、シドニア大陸西域の術ではない。

 レオナの故郷のあるシドニア大陸西岸でも、使い魔を魔導師が使役する術はあるが、フォンの使う術は少し違っている。

 動物を操るのではなく、呪符を動物に化けさせて使役する術だった。魔道に優れたリシャムード家に生まれ育ったレオナでも、このような奇妙な術を見たことがない。

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