ACT02 野営地
「これって、歩くより遅いわよ」
オアシスから野営地に向かう道すがら、最後尾を守るレオナのぼやきが止まらない。
半刻近く待たされたあげく、野営地が決まって隊商が動き出したものの、その動きは驚くほど遅い。最後尾の荷駄から少し離れた位置で、後方の監視を続けながらも、時々視線を前方の荷駄に走らせる。
左右を背丈の倍近い巨岩に囲まれた迷路のような小径は、荷馬車が通れるギリギリの幅だった。ただでさえ遅い隊商の速度は、さらに遅くなる。
隊商の最後尾で守備を担当するレオナは、そのイライラを隠せなかった。聞こえる相手がいないのをいいことに、さかんに傍らのフォンに毒づいている。
八つ当たりされているフォンは、苦笑を浮かべてレオナの愚痴を聞き流している。
「これじゃあ、もし野盗が襲撃してきたら逃げ場がないわよ!」
「アルシアとグランが斥候に出て確認したんだから、まぁ待ち伏せはないだろ?」
レオナと違い、フォンは落ち着いている。
「そりゃ、あの二人が安全って判断したなら、大丈夫かも知れないけどさ……」
アルシアとグランは、レオナとフォンの配置された班の鏢師だった。レオナが見ても、二人の腕がずば抜けているのは承知している。特に、この二人の眼は、鷹のような稀有な視力を誇る。
「先回りしていたとしても、陽が高いうちに襲ってくるほど野盗も馬鹿じゃない……昼間に襲撃するつもりだったら、何度でも機会はあったはずだぞ」
フォンが、レオナをたしなめる。
百騎を超える隊商にとっては、迷路のような小径は難儀な道だった。
荷駄を積んだ馬車が通るのがやっとという、巨岩に挟まれた曲がりくねった細い道だった。背丈を上回るような尖った岩が大地からいくつも突き出し、岩の塊が迷路のようになっている。
レオナが危惧したのは、その岩陰に伏兵を配置されたらどう対処すればいいのか、という点だった。
もし、レオナが野盗の立場なら、この迷路のような岩陰を利用して待ち伏せを掛ける。
「おっ、迷路を抜けたぞ」
フォンの言葉に、背後を警戒していたレオナは前方に視線を戻した。
半日近くかかってその小径を抜けると、いきなり広い平らな空間が目の前に開けた。
レオナの心配をよそに、隊商は襲撃も受けずに無事に岩塊の小径を抜けた。
岩塊だらけで、騎馬でまっすぐ走れないような荒れ地の中央に、野営に適した平地があった。
結局、ナギドは自分の意見を強引に通したようだった。案内人のジョシュアが、不愉快そうな表情で馬から降りる姿が見えた。微かに片足を引きずるような緩慢な歩みで、馬をつなぎ始める。
「なるほどねぇ……これなら、防御には最適だ」
隊商の最後尾を守るフォンが、馬上から野営地を眺めて感心したような言葉を漏らした。
「どういうこと?」
レオナの問いに、フォンが周囲の大きな岩塊の迷路を示した。
「ここなら、騎馬での突入は難しい……野盗が襲撃するにしても、この迷路みたいな小径を徒歩で攻めてくるしかない」
フォンに言われて、レオナは林立する背の高い岩の塊を見上げた。
「ああ、なるほどね……それで、隊商も守りを固めてるのね」
レオナは、野営準備の真っ最中の隊商に視線を移した。
野営は、荷車を円形に並べたものだった。荷車から馬を外し、数頭ごとに馬がつながれた。馬車を外側に並べる事で、荷物を運ぶ馬や驢馬を内側に入れて守っている。
輪形陣を取る事で、外部からの襲撃に備える構えだった。
ナギドの采配で、いくつかの荷車の円陣が並んだ。
「今のところ、異常はないわね」
レオナは、周囲を油断なく見渡した。
「でも……もし野盗に襲撃されたら、逃げ場がないわよ」
「どのみち、これだけの規模の隊商だ……逃げ出す前に、蹂躙される」
フォンが、あっさりと言ってのけた。
ナギドの布陣から判断して、たとえ野盗の一団に襲撃されても騎馬で逃げ出す事は考えていないようだった。
下手に逃げて個別撃破されることを、ナギドは恐れている。積荷を捨てればともかく、積荷を満載した馬や荷馬車では騎馬による野盗を振り切れない。
「じゃあ……ナギドは、逃げずに踏みとどまって戦うって狙い?」
「まぁな……ナギドは、騎馬での襲撃を恐れてたってこったな。
ナギドは、ただの隊商の長じゃないぞ」
フォンは、周囲を眺めてから小声でレオナにささやいた。フォンの青灰色の瞳が、いたずらっぽい輝きを浮かべている。
それは、レオナにもわかる。隊商の荒くれ者共を束ねるナギドの技量は、レオナから見ても驚くべきほどだった。
まず、人望が違う。
隊商の中では、初めてナギドと組む連中も多い。その中には、ナギドの技量を疑う連中もいるにはいた。だが、旅も二日、三日と重ねるうちに、ナギドへの文句を言う連中はいなくなった。
レオナもナギドと初対面だったが、すぐに指揮者としてのナギドの魅力に気が付いた。
とにかく、人の扱いが巧みだった。使っている面々の性格や技量に応じて、仕事を振ってくる。
「隊商の指揮者としては、凄腕だわ」
レオナの故郷ヴァンダール王国でも、ナギド並みの統率力を持つのは将軍並の数人だけだった。
隊商を率いるのがナギドだったのは、レオナにも幸いだった。出自の定かでもないレオナとフォンの実力を見抜き、巧みに使いこなしている。それでいて、レオナとフォンも特別扱いはせず、他の鏢師との扱いは公平だった。
だが、レオナの言葉に、フォンが小さく首を横に振った。
「統率力だけじゃない。
野営地の選び方や、荷車を輪形陣に並べるとかは、兵法を理解してなきゃ出来ない真似だ……ひょっとすると、元はどっかの国の将軍か軍師か何かだったかもな」
確かに、ナギドの隊商は統率が取れている。
この二十日あまりの旅でも、野盗の襲撃がない。
何度か、野盗の偵察らしい騎馬の姿を地平線の彼方に認めたが、隙のない隊商の動きがその襲撃を回避している。
野盗が狙う姿は、鹿の群れを狙う狼の群れの行動に近い。
集団で動く隊商から落伍して単独になったものが、まず真っ先に狙われる。
だが、ナギドの隊商には、見事に落伍者がいなかった。百騎を超える隊商では、普通は何騎か落伍者が出るのが普通だった。
脱落しそうになった荷駄もいたが、それは最後尾を守るレオナとフォンの二人でなんとか対応できた。
「おーい! 天幕張るのを、手伝ってくれ!」
誰かの声に反応して、レオナが動いた。
荷車が輪形陣に配置されると、今度は荷車から天幕用の木の柱と畳んだ大きな帆布が降ろされた。皆が力を合わせて、手際よく天幕を張ってゆく。自分達のねぐらを設営するのだから、早く済ませば早く眠れる。皆が率先して手を貸すのが、この隊商では自然だった。
綱を引いて天幕を張るのを手伝っていたレオナの横に、離れたところにいたフォンが並んだ。
「ナギドが呼んでる」
唐突にフォンが、身をかがめてレオナにささやいた。
「えっ、あたしも?」
レオナは、引っ張っていた綱の先を、大地に打ちこんだ杭に大急ぎで結びつけた。
先を歩くフォンを、レオナは大刀を背負った姿のまま追う。
◆
にわかごしらえの大きな天幕が、隊商の野営地の真ん中に設営されている。
長い木の枝と帆布で造られた天幕は、設営に時間が掛からない。
雨の降らないランカでも、天幕は必需品だった。ランカ近辺では、強い陽射しと砂塵を遮るために天幕が使われる。
強い陽射しの中から入ったレオナには、天幕の下は薄暗かった。目をこらすと、天幕の中に置かれた軽い折りたたみの机に地図が拡げられている。
浅黒い肌を持ち黒いあごひげをたくわえたナギドは、シドニア大陸東方民族の血が濃い男だった。背が高く痩身のナギドが立つと、枯れ木のようにも見える。そのひげには白い物が混じり、ナギドが積み重ねてきた年齢が垣間見える。
「見てくれ……もう少しで、ランカだ」
ナギドが、羊皮紙の地図を示した。
使い込んだ手描きの地図には、几帳面な小さな書き込みがあちこちに見える。ナギドは、その地図に現在の地形変化や状況を追記している。
地図を見る限りは、この野営地からランカはそう遠くはない。
「東の地平線の向こうに、ランカの尖塔が見えた……明日にはたどり着きそうだ」
ナギドは、そう言ってから急に真顔になった。誰かに聞かれる事を警戒しているかのように、天幕の中で視線を左右にさまよわせてから、声を急に潜めた。
「我々を、追尾してる奴らは?」
「襲ってくるかと思ったが、ずーっと付かず離れずだ」
フォンが、小声で答えた。
この隊商を追尾している騎馬がいる事に最初に気が付いたのは、隊商の最後尾で警護を務めるフォンだった。
フォンの観察力は、レオナを遙かに上回る。最初は地平線の彼方に見えた、騎馬が巻き起こすわずかばかりの土煙を見とがめ、そこからずっと監視している。
「最初は野盗の群れかと思ったが、それにしちゃあずいぶん慎重に接近してきてる……だが、相変わらずかなり近くにいる。こっちが、気を回しすぎてるだけならいいんだがね」
フォンが、ナギドに簡潔に報告した。
何度か、襲撃できる機会はあったはずだった。だが、その騎馬は遠くからこちらの様子をうかがうばかりで、決して接近してこようとはしない。
「こっちの隊商の規模が、でかいからな……数騎じゃ襲撃できないと踏んだのかもな」
ナギドの言葉に、フォンが静かに首を横に振った。
「襲撃の機会は、何度かあった……それでも襲ってこないところを見ると、何かを待っているとしか思えなくてね」
「その何か、とは?」
ナギドの問いに、フォンは簡潔に答えた。
「時の利、地の利、人の利、天候の利」
「!」
ナギドの眼光が、鋭くなった。
「そうか……援軍待ちか!」
ナギドは、フォンの言葉の意味を即座に理解した。
「罠に追い込んで、集団で仕留める……そうすると、我々は罠に追い込まれたってことか?」
「まだ、罠に追い込まれたとは思わないが……少なくとも、あの追尾の仕方は、援軍が来るまで付かず離れずって意図が見えるんでね」
普段は知らぬ顔をしているが、フォンにもかなり深い兵法の知識がある。
隊商の護衛に傭われたフォンに兵法の心得があることを、ナギドはボーダンを出た直後に見抜いた。こういう状況でフォンの意見を聞くのは、ナギドがフォンを信頼していることを示している。
そこに、鏢師仲間のグランとアルシアが入ってきた。ナギドを見て、一礼した。この二人の鏢師は、ナギドの隊商の護衛を務める期間が長いという。
「頭領、お呼びか?」
「ああ、少し相談だ」
ナギドが、傍らの敷布を眼で示した。グランとアルシアは敷布の上に腰を下ろした。
グランは、長い手足を持つ痩身の男だった。常に陽気で、軽口を絶やさない。
そして、矢筒を背負い長弓を手にしたアルシアは、赤毛の細身の若い女性だった。レオナよりも少し背が高い。
驚くほど冷めた表情で、一緒に行動してから二十日あまりの間で一度も笑顔を観た事がない。
だが、アルシアの弓矢の腕はかなりのものだった。隊商がボーダンを出て、ランカの大荒野に足を踏み入れてすぐに、アルシアの弓の腕前はわかった。
灌木の茂みに隠れていた猛毒の砂蛇を、数間離れた距離で発見して一撃で頭を射貫いた腕前を見せつけられてからは、誰もその腕前を疑わなかった。
二人とも、レオナとフォンが配置された鏢師の班だった。
レオナとフォンは、この鏢師の一団の中では新参者だった。
だが、旅を続けるうちに、何故かフォンが指揮官みたいな役割になってしまっていた。フォンには、そういう不思議な魅力があった。実際、フォンの持つ能力は百騎どころか千騎でも自在に扱える。
「狙ってくるなら、今夜だろう」
フォンが、小声でささやいた。
「今まで、ずっと付かず離れず追尾してきたのは、襲撃の機会を狙っていたのさ」
「俺は、てっきり諦めたと思ってたが……わざわざランカの近くに来てから、襲撃か?」
グランが、いぶかしそうに尋ねた。
それには答えず、フォンが天幕と外を遮る仕切り布を開いた。西からの陽射しが天幕の中に差し込み、天幕の内部を朱に輝かせた。
差し込んだ強い陽射しが、空中を舞っている小さな砂埃を浮かび上がらせた。
東にあるランカの方向ではなく、フォンの視線は隊商の群れがオアシスからたどってきた林立する岩の柱が形作る小径の方を見ている。
「ランカの近くなら、こっちも油断する」
西の彼方を眺めながら、フォンが天幕の外に聞こえないよう小声で応じた。目を細めつつ、西の地平線に沈みつつある夕日を眺める。
「俺が野盗で、今夜襲撃するならこの夕陽を背にして接近する」
「なるほど……この強い夕陽なら、接近してる姿を隠せるな」
ナギドが同意した。
フォンの判断は、兵法の理から外れていない。
再び天幕の仕切りを下ろしながら、フォンは再びグランとアルシアに視線を戻した。フォンの青灰色の瞳が、考え深げな光を帯びている。
「野盗の連中は、ランカ入境直前でこっちの気が緩むのを待ってる」
「むむッ‥‥確かに、それは道理だ。
さすがに、ランカが目と鼻の先で襲撃されるとは思わんからな」
グランが唸った。
フォンが小さくうなずき、言葉を足した。
「襲撃の可能性があるとわかっていても、あと少しで目的地に到着ってなれば、誰でも気が緩むのは避けられんさ」
「ランカからの救援は? 自分の処に届けられる物資を持った連中が、目と鼻の先で襲われるてるんだ‥‥騒ぎを知れば駆けつけてくれるってのが、この世界で暗黙の掟のはずだよ」
黙って話を聞いていたアルシアが、口を開いた。
フォンの話を疑っているのではなく、淡々と事実を確認するような口調だった。
小さく苦笑したフォンが、声を潜めた。
「ランカの中にいる連中も、味方ばかりじゃあるまい」
「!」
思わせぶりなフォンの言葉に、グランとアルシアの表情が険しくなった。
「確かに、ここしばらくランカへの隊商が立て続けに襲撃されてるって噂だね」
「そう……だから、俺達鏢師が傭われたんだろ……いつになく、鏢師の頭数が多いのはそのせいだ」
グランとアルシアも、鏢師として状況の飲み込みが早い。
「それで、皆にちょいと相談があるんだ」
フォンが、全員に近寄るように身振りで示した。