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ジンは走る。住民の避難が始まり、徐々に人通りの少なくなってきた街を。
ジンは駆ける。四方八方から自身に迫る、軍用車のサイレンの音の中を。
ジンは進む。日が沈み、暗く暗く染まりつつあるこの世界を。
前方に見えた十字路交差点。次にどの方向に走るかはジンの命運を左右する。
より確実な道を選び取るために、ジンは再び未来予知の魔法を発動した。
まず、後方に戻るという選択肢はありえない。すぐ背後には彼を追って走る敵が一小隊存在しているからだ。
直進した先に待つのは二台の軍用車。真っ直ぐこちらに向かってくる敵と、背後から追ってくる敵に挟まれる形になれば状況はかなり厳しくなるだろう。
右に待つのはバリケード。こちらには十数台の軍用車が壁を形成している。どうやら待ち伏せされているようだ。
左に軍用車の姿はないらしい。しかしこちらは自衛軍の基地へ戻る方向だ。全員徒歩ではあるらしいが、最も多くの隊員を相手取って戦わなければならないのは明白だった。
おそらく軍は、ジンを右のバリケードの方向へ誘導しようとしている。ならば最悪の選択はもちろん、この十字路を右折して逃走することだろう。
左折もできることなら避けたい。危険度Cのジンが一度に相手にできる敵の人数はせいぜい7人程度が限界だ。それを超えればいくら彼の魔法でも対応しきれない。ならば――
「直進が一番容易か……ッ!?」
自分の直感を信じ、ジンは十字路を超えて真っ直ぐに駆け抜ける。
もうこれは半分賭けだった。どの方向へ走っても危機であることに変わりないのなら、相対評価で最も可能性のある道を選ぶしかない。
――するとそのとき、ジンは進行方向を歩く一人の少女と目が合った。
金の長髪、透き通る青い瞳。
非常に華奢で脚が長く、金髪と対照的な真っ赤なコートが印象によく残る。
少女はすれ違うジンの目から視線を離さない。
それに対してジンは、一瞬の邂逅の後に彼女から目を背け、止まることなく前方へと足を進めた。
「なんだ? まだ避難できていない民間人がいるのか!?」
「お嬢さん、今すぐここから離れて! その男は危険――」
――鮮血。
ジンを追って少女の元まで辿り着いた隊員たちには、何が起きたのかわからなかった。
彼らが目にしたのは、何の前触れもなく、噴水のように突然噴き上がり始めた一人の隊員の血液。そして聞こえてきたのは、まるでボウリング球でも地面に落としたかのような鈍い音。
「なっ、なんだッ!?」
「わあああああッ!! 柴崎……ッ!!」
突然の出来事に足を止めた隊員たちが見たのは、足元に転がる柴崎という名の同志の頭。そして鮮血を勢いよく噴き上げながらよろよろと数歩進み、やがてべちゃりと倒れ込んだ人間の胴体だった。
「なんだ!? 何が起きてるッ!?」
「貴様の仕業か……ッ!?」
最悪の事態を想像してしまった隊員たちの標的が、ジンから少女へと切り替わる。
しかし少女はいくつもの銃口を向けられながらも、降り注ぐ赤い雨の中で平然と立ち、隊員たちと向き合っていた。
*****
予知通り、ジンの前方からは二台の軍用車が迫ってきた。
車はジンの20mほど先でドリフト。90度回転して停止したのち、数人の隊員たちが車を盾にジンへ銃を向けた。
「止まれ来訪者! 止まらなければ射殺する!」
「止まったって射殺するだろうに。何を言っているんだか」
ジンは敵の呼びかけに対してそう呟き、時魔術で自身を取り巻く時間を加速させた。
20mの距離が一瞬にして縮まる。突然眼前に現れたジンの姿に、隊員たちはまるで反応できていなかった。
「――遅い」
呟くと同時にジンが発砲。
一人目は頭。二人目は胸。三人目は車を盾にしていたため、ひとまず車体の下から脚を撃って転ばせておく。
すると四人目と五人目が応戦。彼らはジン目掛けて二発ずつ発砲――したのだが、その瞬間にジンは時魔術を発動。この場の時間を遅延させた。
蠅がとまりそうな速さで襲い来る弾丸の隙間を縫うように躱しながら、ジンは自身の拳銃の弾丸を再装填。
そして遅延魔法が解けると同時に、彼はその二人の隊員の眉間を一発ずつの発砲で撃ち抜いた。
すると、盾にされている軍用車の裏から新手が応戦。
しかし発砲のタイミングを予知していたジンはそれをいとも簡単に躱し、車の裏へ頭を引っ込めようとする敵をいち早く仕留めた。
予知、遅延、加速。
遅延、加速、予知。
加速、予知、遅延。
この場の時間を自由に操るジンに、自衛軍はまるで歯が立たない。
結局ジンには一発たりともかすりもせずに、自衛軍の勢力は全員がアスファルトに伏したのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
しかしながら、この戦闘はさすがに応えた。
短時間に連続で時魔術を発動し続け、ジンはかなり体力を消耗したのだ。元の世界で持っていた魔力がそのままならば、この程度で息が上がったりはしないはずだというのに。
勝つか負けるかは五分五分の賭けだった。ジンの勝因として大きかったのは、先程までいたはずの追っ手がぱったりと途絶えたことだ。
挟み撃ちにされていたらかなり厳しかっただろう。しかし結果はこの通りだ。もう起こりはしないもしもに思いを馳せるより、今は先を急ぐことのほうが重要だ――
――と考え、ジンが足を進めようとした、そのときだった。
彼の脳裏にとある光景が浮かんできたのだ。
自身の左後頭部に命中する弾丸。少し遅れて聞こえてくる一発の銃声。
そしてそのまま、闇の中へと沈んでいく意識――そう、彼は死ぬのだ。今から数秒後に。
「狙撃手がいるのか……ッ! しまった!!」
気づいたところでもう遅い。この未来予知に反応できるだけの体力は、もうジンには残されていなかった。
今の戦いはすべて陽動。バリケードへ誘導できなかった場合の次善の作戦。疲弊し動きが鈍ったジンを確実に狙撃して仕留めるための、自衛軍の苦肉の策だったのだ。
左後方に約50m、道路脇に停められた軽自動車の陰。予知の魔法によって狙撃手の位置は正確に把握できている――だが、それだけだ。
ジンはもう、自身の頭が撃ち抜かれるのを待つことしかできない。次の瞬間には、敵が放った弾丸が彼の命を――
――奪いにはこなかった。
銃声の代わりに聞こえてきたのは、一人の男の断末魔の悲鳴。
振り返り確かめると、ジンは視線の先の光景に息を呑んだ。
そこにいたのは、先程すれ違った金髪の少女。
彼女はどういうわけか、ジンを狙っていた狙撃手の首元に噛みついていた。
やがて、狙撃手の四肢がびくびくと痙攣し始める。
そして次の瞬間、狙撃手の全身はあっという間に青ざめ、最終的にはミイラのように干からびていってしまったのだった。
その光景を前に立ち尽くすジン。
そして少女は干からびて軽くなった狙撃手の亡骸を軽々と放り捨てると、くるりと振り返ってジンの方へと歩み寄ってきた。
少しずつ、距離が縮むにつれて、彼女の姿が認識できるようになってくる。
ほぼ沈みきった夕日に照らされて燦々と輝く金色の髪。大量の返り血で、その赤さに深みが増して見えるコート。
そして、嬉しそうにキラキラと輝きながらジンを見つめる青い青い瞳。
やがて彼女はジンの目の前まで歩み寄ってくると、彼を真っ直ぐに見据えたままで口を開いた。
「……やっと……出会えた。ずっとずっと探してた、あたしの――」
――しかし、彼女の言葉はそこで止められてしまった。
彼女の頭に照準を合わせて構えられた、ジンの右手の拳銃によって。