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「毎度思うが、君はノックというものを知らないのかね?」
「それを聞くために呼び出したなら今すぐ帰るが」
「まさか。伝達内容はちゃんと覚えていてくれたまえよ」
特注の革の仮面で顔の右半分を隠した男――御旗大和は、敵意剥き出しの仁を前にしてもまったく動じる様子を見せない。
というのも、もう慣れっこなのである。仁は自衛軍に入隊した時から何も変わっていない。そういう男なのだと御旗もわかっているのだ。
優秀な人材は誰であれ活かす。それが例え自分を信頼していない人間であっても。
将として頭一つ抜けた才を持つ御旗は、いかなる暴れ馬をも御するだけの技量と人徳を兼ね備えた人物だった。
「作戦報告なら必要性を感じない。俺が標的の頭を撃ち抜いた。それだけだ。見てわからなかったか?」
「ああ。確かに見ていたが、どうにも不可解な点が多くてな。それについて尋ねたくて来てもらった」
「見ていたのに状況がわからないだと? 笑わせるな。そんな仮面なんか外して、ちゃんと両目でものを見たほうがいいんじゃないか?」
「ははは。面白いことを言う。私の右目はもうほとんど視力を失っていることくらい知っているだろうに」
御旗は15年前、『赤の七日間』において『竜』を討伐する際、全身に大火傷を負って生死の境を彷徨った。
軍服の下は焼けただれ見るも無残。もう公衆の浴場には行けないな、なんて冗談を溢していたこともあるらしい。
顔の右半分を仮面で覆っているのもそのためだ。仮面の下は火傷の跡で痛々しいことこの上ない外見になっていると噂されている。
しかしそのような醜い姿となっても、彼は軍人を始めとする多くの弐本国民から支持され、英雄ともてはやされている。
それもそのはずだ。なんと言っても彼は、帝国史上唯一の危険度Sの敵を――大災害レベルをはるかに上回る来訪者を討伐したのだから。
「そうではないのだ。私が君を呼んだのは、そのような話をするためではない」
「なら早く本題に入れ。俺は一秒でも早くこの場を去りたい」
「ははは。ならば希望通り単刀直入に話すとしようか」
楽しげに笑ってみせた御旗が、椅子に腰かけたままで右手をそっと上げる。
すると上官室には五名ほどの隊員が一斉に流れ込み、仁を取り囲んで銃口を向けた。
「……ほう、動じないのか。余程肝が据わっているのだな、君は」
この状況に眉一つ動かさない仁の態度を見て、御旗は興味深そうに頷いた。
そう。仁はまるで動揺していない。彼の起こした反応と言えば、この上官室にいる誰にも聞こえないほど小さな声で「チッ……思ったより早かったな」とつぶやいた程度だった。
「瀬戸仁隊員。君には我々自衛軍の――いや、弐本国民の宿敵である『来訪者』の容疑がかけられている。反論はあるかね?」
「……」
仁は何も答えない。ただじっと、目の前に座している上官を睨みつけたままだ。
御旗もこれ以上、何も尋ねない。返答次第では目に前に立つ優秀な部下を排除しなければならないというのに、冷静な表情を崩さないままだった。
「……もしそうだと答えたらどうする? 今ここで射殺するか?」
「ああ、そうなるだろうな」
仁と御旗が淡々と言葉を交わす。
二人が平静を保つ中、仁を取り囲む数名の隊員たちだけが額に汗を滲ませ、緊張感に包まれていた。
「違うと答えたら?」
「それが事実なら、私は帝都防衛隊隊長の席を辞するだけでは済まないだろう。この生命を以て償う他あるまい」
そう答える御旗の堂々とした振る舞いに、仁は腹をくくった。
取り繕っても無駄だ。この男は建前としてそう述べてはいるが、絶対的な確信を持って自分に迫っている、と。
「――なら……殺してみろ」
「――撃て」
仁は投げかけられた問いに答える代わりに、一言そう挑発してみせた。
それに少し遅れて御旗は射殺の合図を出す。すると仁を取り囲む隊員たちは、手にした拳銃の引金を一斉に引いた――
――ところが、銃口から飛び出した弾丸が仁を捉えることはなかった。
射殺される寸前、仁はこの上官室の中で自分のみに許された力を――『魔法』を行使したのだ。
その瞬間、仁の周囲は時間が停止する。
自分の頭や胸、脚を目掛けて襲い掛かるいくつもの弾丸は空中で動きを止め、上官室内にいる者らは仁以外全員、まるでよくできたマネキンのように微動だにしなくなった。
その隙に仁は、一人の隊員の手から拳銃を奪い、上官室を駆け出す。
そして彼が廊下をひた走る途中で、上官室からは複数の銃声が遅れて鳴り響いた。
「なッ!? 消えた!?」
「どこだッ!?」
隊員たちの慌てふためく声がする。
それもそのはずだ。仁が行使した魔法で時間が一瞬停止していたことを、止まっていた彼ら自身が自覚できるはずがない。彼らからすれば、目の前に立っていたはずの標的が突然姿を消したようにしか見えないだろう。
これが仁の得意とする魔法――『時魔術』。時の流れを操り、思うままに加速、減速、停止させることができるという能力だ。
そして、これは同時に宣戦布告でもあった。魔法の行使は『来訪者』であることの証明。今この瞬間をもって、仁は自衛軍による排除の対象に――つまり単純に呼称するならば、敵となったのだ。