列車にて
学校から帰る時……その列車に乗る。
列車の窓の風景はとてつもなく鮮やかだった。
普段、感じるものとは違い、物は自分に近ければ近いほど速く疾走する。遠くのものは、空に浮かぶ雲のようにゆっくり動く。
そんな景色だった。
ある意味では、アニメのような感動を覚えるそれは、当時の私にとっては果てしなく奇妙なものだった。
動き……だろうか。
とにかくそれは素晴らしかった。
数秒経てば、切り替わってしまうその場面。次に来るのは、まだ見ぬ景色。時間の流れすら感じさせるその景色は、まったく飽きなど感じさせない。
時に寂寥まで脳裏に浮かばせるその窓の外は、普段歩いているだけではなんとも思わないものだった。
……そう。なんとも思わない。何気ない世界が列車の中にいることで、色づいて見えたのだ。
初めて列車に乗ったのは……確か、6歳頃だっただろう。父と手をつないだことが、私の不安を打ち消したことを覚えている。
そこから見た景色。その感動すら、今こうして外を眺めると浮かんでくる。
……その景色は、今だけでなく過去すら見せる。
そして、列車は未来に向かっている。途中で逆方向になど進みはしない。
なるほど、寂寥を感じる訳である。
ただ始点から発車して、その後は終点を目指して一直線。
何か……その取り返しのつかない何かが、私にとっての感動に繋がるのだろうか。
列車というものがここまで発展したのは、ただ便利だっただけだろうか。
……我々の人生にとって、『動き』は感動を与える。移り変わる景色が、我々に思考を巡らせる。
だから、試しに一歩踏み出てみてはどうだろうか。
何もしない景色は、退屈で窮屈で偏屈なものである。その中に入れば、我々は動けなくなってしまうほど打ちのめされるだろう。
そこから抜け出すことこそ、我々にとっての試練なのだと思う。
その一歩こそ踏み出せば、その景色に感動できる。その感動を胸に抱いて、また次の感動を求めて、前に進むことができる。
だから……力を踏みしめて、その最初の一歩を踏み出してほしい。
それが運命の分かれ道であるから。