大晦日
12月31日、大晦日。
私は今、大掃除をしている。日当たりの悪いワンルームのフローリングの上には、空になった惣菜のパックが詰まったスーパーのビニール袋や、取り込んだものの畳まずに放り投げられ、シワだらけになった服などが散乱している。ソファの脚の周りには埃と髪の毛が溜まっている。
ローテーブルの上では食べかけのスナック菓子、ちょっとした興味から始めた刺繍の細々とした道具や、年の始めに行った出張先で買った地域限定の菓子の空箱が、今にも崩れ落ちそうな小山になっている。だらしなく裾を引きずるカーテンの隙間から寒々しい西日が細く差している。
思い返せば今年も長いようで短かった。繰り返す毎日はそれぞれに焦点を当てれば、どの一日も変わり映えの無い冷めた風呂のようにひんやりとした虚無感を齎すものであったが、一年という単位で思い返せば、それは実体のない重い塊となり、仰向けになった胸に落とせば体を押しつぶすようにして穿ち抜くのではないかという程にある種の重圧を感じさせる鉄球のような概念となり、私の記憶を翳らせる。
片手に持ったゴミ袋を床に落とし、崩れ落ちるようにソファに腰を下ろした。
この一年で何か得たものはあったのだろうか。過ぎ去る時に比例して増えていくゴミやガラクタを目の前に、胸の内を酸のようにじわじわと溶かしていく疑問を自分自身に投げかける。カーテンの隙間から見える淡くオレンジ色に染まった空の上には、透明な風が鋭い先端を持ちながら空間の隙間を無理矢理に通り抜けるように吹き続けている。
目を開くと、部屋の中は暗くなっていた。
カーテンから覗く細い空には、ひとつの星さえも浮いていない。
私が積み重ねてきた一年分の何か。夜の暗闇が溶けて染み込んだ部屋の中で、電源を付けたままの黒いテレビの画面が、私の一年を重く照らしていた。
来年は良い年になるのだろうか。いや、時間はわからないが、もう『今年』なのか?
そんなことを考えながらソファに寝そべり目を閉じた。
私はわかっていた。
何年も前から、私自身がもう生きたくないと思っていることを。
窓から吹き込む隙間風が、テーブルの上の小山を静かに崩した。