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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

怪奇短編群

◇ 魅惑のダガーナイフ ◇

作者: 鬼々


 常に地面を観察しながら道を歩くという人は、地球上に果たしてどのくらいの数存在するのだろう。


 明るい性格の人の場合、堂々と胸を張って前方を見ながら道を歩くはずだ。


 暗い性格の人でも、常に地面を観察しながら道を歩くということはまずない。


 常に地面を観察しながら道を歩くような人間がいるならば、そいつはよっぽどの変わり者だ。


 だが、変わり者であればあるほど、時に常人とは違った奇妙な出会いを体験するものなのである。





 しなやかな流線美。

 複雑だが一つ一つが丁重に彫られた金の装飾。

 しっくりとくるグリップ感。

 ハンドル部分にあるライオンの横顔は逞しい。


 それは見れば見る程美しい、ダガーナイフ……。


 常に地面を観察しながら道を歩く変わり者の男が、このダガーナイフを拾ったのは実に一週間程前のことになる。


 男は久しぶりに大学時代の友達と会っていた。

 旅行に行くので、その間飼い猫を預かって欲しいと頼まれたその帰りのことであった。


 いつも通り地面を観察しながら歩いていると、道端にキラリと光る何かを見つけた。

 男は足をはたと止める。


「む?何だろう」


 それはダガーナイフだった。

 といっても現代風な軍用的デザインの物ではなく、中世ヨーロッパ風の貴族的なデザインをしていた。

 むしろ、美術品といった方が相応しいかもしれない。


「こりゃあ随分と美しいナイフだなあ……」


 使われた形跡はあまりない。

 ブレード部分をすうっとなぞると指に血が滲んだ。

 どうやら模造品の類ではない、本物のナイフだ。

 何故こんな所に……?


 「うむ、なんだか妙に惹きつけられる」


 男はそのナイフをとりあえず上着の左内ポケットに強引に突っ込むと、その場を後にした。





「久々に見るが……。やはり美しい」


 男はナイフを拾ったことをすっかり忘れていた。

 次にそれを見たのは自宅で洋服を洗濯にかけていたときのことである。


 薄汚れた上着を洗濯しようとして、念の為ポケットの中身を探る。


 以前、ポケットに大事なメモを入れたまま上着を洗濯してしまい、読めなくなってしまったという失敗談ゆえの行動だった。


 上着のポケットを探ってみると冷たい金属の感触がある。

 見てみると、どうだ。

 それは格式高いデザインをした実に美しいダガーナイフであった。


 随分と古い品物のようだが、時代を経てもその美しさは少しも損なわれていない。


 男はしばらくそのナイフを感嘆の目で眺めていた。

 が、意を決してその美しいブレードに触れ、そおっと撫でた。


 ナイフの隅から隅までを満遍なく愛撫する。

 時に丹念に線を引くように指でなぞりあげる。


 少し摘んで先端を弄ぶようにしてやるとまるでナイフが喜んでいるような気がして、思わず男の顔にも笑みがこぼれた。


 薄い唇で、男はすっとナイフに接吻する。

 そして、ブレード部分を舌先でねろっと舐めた。

 舌の上には独特の苦味だけが残る……。


 異常な行為だと自分でも分かっていた。

 だが、止めることは出来なかった。


 今までその手の小道具や骨董品には何の興味もなかった男だったが、何故だかそのダガーナイフに限っては異常な程興味を惹きつけられたのだった……。





 それからというもの、男は朝起きるとすぐにナイフを手に取り、奇妙な逢瀬のひと時を楽しんでから会社に出勤するようになる。


 帰宅後も、男は何より先にナイフを手に取った。


「んはあ、んはあ。ただいまぁ……」


 始め、その美しい金の装飾をじっくりと視姦するように観察する。


 そして刀身に優しく接吻する。

 恋人をじらすように何度もくすぐる。

 軽い甘噛みをグリップに食らわせる。

 舌全体を使ってねろっと舐めあげる。

 口に咥えてふざけた後、

 互いに気恥ずかしくなって笑いあった。


「……ふう」


 一連の行為が終わると、男はすこぶる冷静になり一息つく。

 そして、何故自分がこのようなド変態に成り下がってしまったのかを思考した。


 そう、思えばこれは性的興奮に似ている……。

 つまり、なんら異常な行為ではないはずだ!


 男なら、身近な異性や雑誌に載っているグラビアアイドルに性的欲情を催すことは極めて正常である。

 まあ、ナイフにここまで興奮できるのも俺くらいの者だがな……。


 男は思わず苦笑いを浮かべた。

 ふと思い返せば、男は幼少の頃から内省的で引っ込み思案な性格であった。

 うじうじといつも下を向いて歩いていた。


 それこそ地面を観察しながら歩くという、妙な癖がつく程に。

 だからこそ、このナイフに惹かれたのかもしれない。

 煌びやかな美しさと暴力的な強さを合わせ持つ、このダガーナイフに……。





 やがて、男はナイフをポケットに入れて持ち歩くようになった。

 いい歳をして恥ずかしいという気持ちが無いでは無い。

 しかし、これを胸に忍ばせて道を歩くと、なんとも高揚的な気分になるのだ。


 近所を一回り歩くにしても、このナイフを所持しているとしていないとでは心持ちが全然違う。

 ポケットにナイフを忍ばせ、道を歩きながら男は妄想する。


 『よく聞け、俺はこの町の王であるぞ!

 ふふ。なんたって、このダガーナイフを持っているんだからな……。

 やい、そこのジジイ、道を開けろ!この俺を王と知っての愚行か! 』


 勿論、口に出して言うわけではない。

 元より男にそんな勇気は無く、ささやかな妄想を胸に抱きながら小さくほくそ笑むだけなのだ。


 だが、道を歩く男の目にはその妄想は現実よりも現実的に写っていた。

 妄想の中の男は、腰にナイフを携え大道を闊歩する一国の王だ。

 王にとって民衆とは、自分より身分の低い奴隷にしか過ぎないのである……。





 だが、その行為にも飽きてきた。

 大体、このナイフはそんな風にして使う物じゃないだろう。

 そんな使い方は、この気品と強さをもつ美しいダガーナイフの価値を貶める行為にしかならない……。


 はっと思いついて、男は近くの魚屋へと走り、安い青魚を買ってきた。

 

 ナイフとは、古来身を断ち切るためにある。

 そう思いついての行動だ。

 台所に立つと、青魚をまな板の上に置いた。


 男は青魚の尻尾を左手で抑え、右手に持つナイフの刀身をすっと滑らせた。

 青魚はあっという間に真っ二つとなる。


「すごい……。なんて切れ味だ」


 男は驚愕した。淡い恐怖すら覚える。

 それは道に捨ててあった物とは到底思えない程の切れ味だった。

 それこそ、さっき研いでおきましたと誰かに言われれば信じてしまう程の……。


 もっと、もっとだ!

 もっと身を切ってみたい!

 死んでいる物では駄目だ!

 今度は生きている新鮮な肉を……!


 近くに居た猫に目が止まった。

 友達から預かった白い毛をした猫。


 ナイフを右手に構え、忍び足で猫に近づいていく。

 両目が眩み、こめかみには冷や汗が伝った。


 一瞬の心の迷いはあったが、男の衝動はもう止まらない。

 右手に持ったナイフを猫の首に向かって一気に振り落とした。


 猫の首がスパッと舞う。

 部屋一面に鮮やかな血が飛沫した。


「へへ……。遂にやっちまった」


 男は脂汗で張り付いた髪を右に分けながら呟く。

 足元には真っ赤な猫の肉塊が一つ、ごろんと転がっていた。


 だが、男の胸の中にはある程度の達成感と共に、まだ妙に満ち足りない気持ちもあった。


 本当にこれがこのナイフ本来の正しい使い方だろうか?

 このダガーナイフ本来の使い方は。

 正しい使用方法は。


「猫が死んだんだ。飼い主が生きてたってしょうがないよなあ……」


 男は笑みを浮かべた。

 残忍に歪んだ、恐ろしい表情であった。



 男は現在、森の中を走っている。

 警察が隠された死体を遂に発見したらしい。

 恐らく男が捕まるのも時間の問題だろう。


 森の中に入ったのは、なにも逃げる為ではない。


 森の中に逃げたところで追っ手を巻くことが出来ないことくらい、男でも容易に想像がつく。

 日本の警察を舐めてはいけない。


 男はここに、自分の一生を終わらせに来たのだ。


 何処にも逃げ場が無いのならあの世へ逃げるしかないだろう。

 男は猫一匹と人一人を斬り殺したのだから、自業自得だ。

 これが男の辿る運命だったというわけだ。


 丈夫そうな太い木の幹を探しだすと、首吊り用のロープをそこにしっかりと結びつける。


 そして、男は脚立に乗り、ゆっくりとロープに首を掛けた。


 最後に。

 最後にあの、持ってきた美しいダガーナイフをもう一度だけ見ておきたい……。


 男は左内ポケットを探る。

 ポケットには大きな穴がぽっかり一つ空いていた。


 ここ最近ナイフを強引に突っ込むことが多かったから、布にほつれができたのだろう。


 どうやら、ナイフはここに来る途中の道に落としてきてしまったらしい。

 男は自嘲気味にせせら笑った。


 一体、何が俺をここまで追い込んだのだろう。

 あのナイフには何か特別な呪いでもかかっていたのか。


 それとも、あのナイフはごく普通の品であり、あのナイフが一種のきっかけとなって、俺の内に潜む歪んだ狂気が呼び起こされたのだろうか。


 異常なのはナイフか、俺か……。

 男には分からなかった。


 ただ、今もあのダガーナイフは道に落ちていて、まだ見ぬ新しい主人を待っていることだろう。

 男は脚立を大きく蹴飛ばし、空中に身を預けた。



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