影を踏む
これはある意味で、
「キャラクターの育て方」の続きです。
ちょっと前になりますが、ある科学番組で、
人口知能(AI)に対していろいろな会話や個人の情報を多量にインプットし、情報元の人物をAIで再現すると言う研究のお話をやっていました。
AIを、現実の人物の複製としたり、亡くなっている人物をAIとして復活させるというような、画期的な試みのようです。(不老不死、永遠の生命のような言い回しをしていましたっけ?)
画期的なことなのか?
とても不思議でした。
たまにアニメでもそういうお話はやるし、SFなら結構たくさんの作品で書かれている。
実際に試みていることがかな?
とても不思議。
自分の脳内に人格を作り、会話シュミレートを行うのは当たり前でしたから。
実在の人物が言ったことから、いくつかの会話パターンを予想して対応することは日常だし、
何よりも、一人遊びが当たり前だった自分は、実際の人物の思い出(しゃべりかただったり、好き嫌いなどの事柄)で痴屈な実際の人物の影みたいなものを作ることはよくやっていた気がするからです。
あの、ちょっといかがわしいタイトル(マジで本屋で買いづらい。勘弁してほしい!!)のあれ。
深夜アニメ化されたあの作品に出てきた、
〈エアー○○くん(笑)〉です(苦笑)
にたような事は物書きの皆さんなら当たり前にやってますよね?
とある作家さんみたいに、学園都市まるごと、キャラも含めて頭に住まわせている超人は、確かにあまり居ないとは思いますけど(苦笑)
お話のキャラくらいなら、そう負担にならない。
ただ、現実にいる人物をトレースする。
その行いは本当に大変で、
痴屈な影みたいなものしか作れない自分の手には余る。
以前、ちょっとだけ試しましたが、
頭痛がひどくなったので止めました。
現実の人物は情報が複雑過ぎるんでしょうね。
既に自分という人格があるんだから、それを押しのけて新たに書き込むことはできないんだと思います。
今までのように、影みたいなやつに留めるのがどうやら正解のようです。
この話は、あの刀剣の名前の先生がやっていた、ヤンデレストーカーの行為みたいで、このことを人に語るのは気分悪いんですけどね(苦笑)
ご不快に感じた方、申し訳ないです。
たぶん自分は、その人との思い出がもっと欲しいんでしょうね。
ネットを通じた交流は本当に不確かで、あったはずのことも、次の瞬間にはきれいさっぱり消えている。
肉体的に傷つくこともない代わりに、
無機質な交流は、余計に心を傷つけているのではないか?と思うこともあります。
自分はあの人たちと、もっと話したかった。
ただ、それだけでよかったんですよね。
ちょっとナーバスですね(笑)
いつか、居なくなった、居なくなってしまうネットでできた友人の思い出から、自分の中にその人たちの影が宿るかもしれないです。
でも、そうやって好きな人の影を追いかけている様子は、
独りきりで続けている影踏みにどこか似ている。