靴を取りに行く
新しい運動靴が学校から支給されるので、古いものを返さなければならなくなった。その回収日が今日だったのに、ミウはすっかり忘れていた。
どうするの、と体育係の山名さんが言った。
「今から取ってこようかな。明日じゃダメみたいだし」
「でも、ミウちゃんの家遠いでしょ」
「大丈夫。学校が終わるまでには戻って来られるよ」
ミウは廊下を駆け抜け、正門から外へ出た。しかし、ミウの家は本当に遠い。私鉄を三本乗り継ぎ、さらにバスに乗って町をぐるりと回って行かなければならないのだ。
急いで電車に飛び乗ったが、運悪く線路がみじん切りにされていて、なかなか先へ進めなかった。次に乗った電車では、途中で大蛇に邪魔をされ、車輪を噛まれて壊されてしまった。次の電車は金銀財宝を積んでいて進みが遅く、乗客たちはここぞとばかりに盗みをはたらいた。
ミウはダイヤモンドを一粒握りしめ、バスに乗った。バスは少し性格が悪いようで、ミウの席を何度も揺らしたり、眠気を誘って目的を忘れさせようとした。
「大丈夫。私は運動靴を取りに行くんだから」
自分だけのことならきっと忘れていたが、クラス全員分回収できなければ、山名さんや担任の先生まで怒られてしまう。ミウはバスの手すりにしがみつき、暮れていく空を眺めた。
ようやく家に着くと、玄関のドアが開けっ放しだった。
「誰か来たのかな」
中に入ってみたが、誰もいない。ミウは台所でジュースを飲み、出かける前に食べかけたカップケーキの残りを食べた。服やノート、鞄が部屋に散乱していて、まるで荒らされた後のようだ。でも、最初からこうだったのかもしれない。
ミウはクローゼットを開け、運動靴を出した。一年生の時に支給された白い靴と、先月買ったばかりの水色の靴がある。自分で買ったものは返さなくてもいいような気がしたが、また取りに戻るのは大変なので、一緒に袋に詰め込んだ。
「早く戻らないと、学校が閉まっちゃう」
また引き返すのは気が重かったが、ゆっくりしている暇はない。ミウは袋を抱え、外へ出た。すると、見たことのない銀色の車がガレージにとまっていた。
やっぱり誰かが入ってきていたのだ。ミウは車の窓をそっと覗いてみた。
「ミウ! ここにいたのか」
運転席の扉が開き、赤いジャージを着た男が現れた。ミウは後ろに下がり、誰ですか、と言った。どこかで見たことがあるような気もしたし、やっぱり知らないような気もした。
「この家には何もない。金目のものが何もなかったよ」
「あなた泥棒なんですか?」
「好きでやってるんじゃない。金か宝石がないと車が走らないんだ。お前を送っていってやろうと思ったのに」
送ってもらわなくても困らないと思ったが、男があまりに落胆しているので気の毒になった。
「あの、これじゃだめですか」
ミウはポケットからダイヤモンドを取り出して男に見せた。男の黒々とした目が大きく開いた。
「こ、こ、これは、これは……」
「私のじゃないですけど、良かったらあげます」
男はダイヤモンドをひったくり、食い入るように見つめた。夕日の光が反射して、男の黒い髪と目を照らしている。
これでいいですか、と聞いても、男は黙ってダイヤモンドを見ている。ミウは戸締りをしていなかったことに気づき、玄関へ引き返した。
「あの車に乗るなんて、ちょっと嫌だな。でもまたバスに乗るのも面倒だし……」
鍵を閉め、戻ってくると妙な違和感を感じた。ミウは足を止め、目の前にとまっている車をじっと見た。
車のボンネットが無残に潰れ、フロントガラスが粉々に砕けて飛び散っている。ナンバープレートは黒く焦げ、運転席から煙が立ち上っている。
ぶつかった形跡もなく、何かが落ちてきたわけでもない。
「大丈夫ですか?」
ミウは運転席を覗き込んだ。赤いジャージの男は仰向けに伸び、両目をあらぬ方向に向けていた。額にはガラスの破片がびっしり刺さっている。大丈夫ではなさそうだ。
「やっぱりバスで行くしかないか」
ミウは車の前を通り過ぎ、バス停のある通りへ走った。日が沈み、空が紫色に染まり始めている。腕時計を見たが、間に合っても間に合わなくても今日中に靴を持っていかなければならない。
次にもらえる靴はどんなだろう、と思った。できれば紐がほどけにくく、かかとが脱げにくく、つま先が広いものが良い。色はピンクか紫で、シンプルなデザインだといいな、と思いながら、ひんやりとした空気の中を走った。
空には星がまたたき始めた。ガラスの破片のようにも、記憶のかけらのようにも見えた。太陽のように、月のように、ミウは学校への軌道を走り続ける。