第八話 夢と図書室
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リリさんとの謎過ぎる攻防が終わり、何となく疲れ果てた私は、ゴロンとベッドの上で横になる。サイドテーブルには、新たにベルが設けられ、それを鳴らせば専属侍女の誰かが来てくれるらしいものの、今はちょっと休みたい。
家ではこんな贅沢な休みなんて取れなかったなと、ぼんやり記憶を掘り起こしていたのがいけなかったのだろうか。いつの間にか眠ってしまった私は、悪夢を見た。
「誰に育ててもらったと思ってるんだっ! さっさとしろっ!」
「お前なんか誰にも望まれてねぇんだよっ」
「うっわぁ、ちょっとアレ、何で汚物がこんなとこに居んの?」
「何? その目? ふざけんなよっ」
「クスクス、ずぶ濡れね。良い気味」
家で、学校で、虐げられ、いじめられ続けた記憶が、声が、グルグルと巡る。黒い人影達に一方的に責められて、私はどんどん小さくなっていく。
(助けて)
クスクス、クスクス。
(助けて、誰か)
あはははっ、きゃはははっ。
(もう、苦しいのは、やだよぅ)
酷く苦しく、辛い夢は、その後もしばらく続き、ようやく目が覚めた私は汗だくで、随分と呼吸も荒かった。
(ゆ、め……夢、か……)
具体的な内容は、目が覚めた瞬間に分からなくなってしまったものの、その苦しさ、辛さだけは覚えている。きっと、家でのこと、学校でのことなのだろうと当たりをつけて、大きく息を吐く。
(……お風呂、入りたいなぁ)
少し落ち着けば、汗で濡れた体が気持ち悪い。お風呂くらいなら自分一人で用意できるだろうと、私はノロノロと起き上がってお風呂場へと続く扉を開く。
(えーっと……どうすれば良いんだろう?)
お風呂場に入ってみると、まず、蛇口が見当たらない。それだけなら、まだ、パネルで操作するタイプのお風呂かとも思えたけれど、そのパネルも見当たらない。あるのは、壁に埋め込まれたっぽい赤の石と青の石のみだった。
(これが、スイッチ、とか?)
そう思って押してみるものの、手応えはない。押して使うものではないらしい。その後も色々と試してみるものの、どうにも使い方が分からなかった。
(……呼ぶしかなさそう)
お風呂に入りたいのであれば、あのベルで誰かを呼ぶしかなさそうだった。私は、一人では何もできなかったことにうなだれながら部屋へと戻り、サイドテーブルにあるベルをチリンと鳴らす。
「失礼します」
少し待てば、すぐにノック音とメアリーさんの声がして、私は少しだけ安心した。先程、リリさんとは色々あったため、今はメアリーさんが来てくれたことがありがたかった。
「どうなさいましたか? お嬢様?」
そう呼ばれて、そろそろお嬢様呼びも改善したいなと考えながら、私はお風呂を使いたいことを告げる。
「かしこまりました。すぐに湯を張ります」
「(あ、あと、その、私の名前、桜夕夏です。夕夏って呼んでくれませんか?)」
すぐにお風呂場へ行こうとしたメアリーさんを引き留めて、私はようやく名前を告げる。
「え、えぇと、『シャクラ・ユーカ』お嬢様、ですか?」
「(『しゃくら』じゃなくて、『さくら』、なんですけど……夕夏は発音が近いので、とりあえずそれで呼んでください)」
「かしこまりましたっ。ユーカお嬢様」
「(できれば、『お嬢様』はなしで)」
「それはできませんっ。ユーカお嬢様」
「(……どうしても、ですか?)」
『お嬢様』呼びは慣れないため、どうにかして変えてもらおうと私はジーっとメアリーさんを見つめる。けれど、メアリーさんは無情だった。
「はい」
「(……分かりました)」
大真面目に即答されては、私も引き下がらざるを得ない。そうして、お風呂を準備してもらって、いつの間にかララさんが着替えと香油を持ってきたことに戦慄しながら、入浴を終えるのだった。
「(メアリーさん、私、あの、何かしたいです)」
生まれて初めて香油を体に塗られた私は、自分から漂う良い香りにしばらく慣れなかったものの、今は特に気にならないくらいまでになっていた。そして、手持ち無沙汰な私は、またあんな夢を見ては堪らないとばかりにメアリーさんへそっとお伺いを立てる。
「何か、とは? 暇を潰せるもの、ということでよろしいですか?」
「(えっと、できれば、メアリーさんみたいに働けたらなぁと)」
何もしないでただ美味しい食事を与えられる現状は、正直落ち着かない。せめて、恩返しのために動きたい。けれど、私の言葉にメアリーさんはその美しい顔を歪ませる。
「ユーカお嬢様は働く必要などありませんよっ」
勢い良くそう言われ、私はやっぱり、能力のない子供を雇いたいとは思わないかと納得する。
「(あ、あの、でしたら、本、とか……)」
ならば、せめて勉強をしたい。この世界が何なのか、ここはどういったところなのかを。
「まぁっ、そういえば、本も何もございませんでしたねっ。かしこまりました。急いでご用意を……いえ、もしよろしければ、図書室へご案内致しましょうか?」
「(えっ? 良いんですか!?)」
パチクリと瞬いた私は、予想外の言葉に勢い良く飛び付く。まさか、監禁されている状態で外に出られるとは思ってもみなかったのだ。
「えぇ、もちろん、許可を取ってからになりますが、気分転換にはなりますでしょう?」
「(っ、はいっ!)」
私は普通にしていたつもりだったけれど、どうやら夢のせいで落ち込んでいることはバレバレだったらしい。それでも、この素晴らしい提案に、私は嬉しくなる。
「では、許可を取って参りますね。あぁ、それと、わたくしのことはメアリーとお呼びください。敬語も不要ですよ」
「(えっ、あっ、ですが……)」
「わたくし達はユーカお嬢様の専属侍女、使用人です。主にそうかしこまられると居心地が悪いのですよ」
言い淀む私に、メアリーさんは諭すように説明する。
「(分かりま……分かった。よろしくね。メアリー)」
正直、明らかに自分より年上のメアリーさんに敬語を使わないというのは私の居心地が悪いのだけれど、求められたのならば仕方ない。不用意に軋轢を生まないためには、相手に従う従順さも必要だ。……もちろん、危険な要求に従うつもりはないけれど。
「では、許可を取って参ります。許可が取れれば、ララとともに向かいましょうね」
「(はい、じゃなくて、うん)」
香油を塗った後、気配を消して佇んでいたララさん。私は、失礼だけれど、まだそこに居るとは思わず、ララさんの姿に驚いて、少しだけビクッとしながらうなずく。
退出するメアリーを見送りながら、私はまだ見ぬ知識の山に期待で胸を膨らませるのだった。




