第十五話 対面
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それでは、どうぞ!
運び込まれた朝食は、フレンチトーストにニンジンのポタージュスープ、目玉焼きにポテトサラダだった。
(フレンチトースト、ジュワァって甘味が広がって、とってもジューシーっ)
ハチミツをたっぷりかけてあるフレンチトーストは、昔、祖母に食べさせてもらって以来、一度も食べたことのないものだ。しかも……。
(これ、色からして普通のフレンチトーストじゃないとは思ってたけど……ココアを入れてる?)
きっと、卵液と牛乳以外にココアパウダーを入れた液に漬け込んだのだろう。ココア色のフレンチトーストは、ハチミツ以外のココア風味がしっかり残っていた。
(こっちは、普通の目玉焼き)
ナイフを差し込むと、トロリと卵黄が溢れ出る目玉焼きを前に、ゴクリと喉を鳴らして口に放り込む。
(うんっ、塩加減抜群! 卵黄がまろやかでとっても美味しいっ)
シンプルな目玉焼きではあったものの、それはそれは美味しくて仕方がなかった。
(この前はカボチャのポタージュだったけど、今度はニンジン……ふわわっ、トロットロだぁ)
ニンジンのポタージュスープは、トロリとしていて、ニンジンの甘味が強調されている。ぜひともまた食べたくなるスープだった。
(最後は……私の大好物……)
まだ手をつけていないそれは、艶々としたポテトサラダ。キュウリやニンジン、タマネギ、ハムが入ったポテトサラダは、本当に久しぶりだ。恐る恐るフォークで掬ってパクリと食べると、一気にマヨネーズの風味と、ジャガイモの甘さが奏でるハーモニーに、私は思わずうっとりする。シャキシャキ、コリコリとした野菜の歯ごたえもとても楽しく、ハムの塩加減がアクセントになっていて、最高だった。
(幸せ……)
ちょっと前までは、魔王に会いに行かなくてはならないということで悲壮になっていた心が、ここに来て随分と解れてしまっていた。やはり、美味しいものは正義だ。
黙々と食べ続けた私は、それでも、やはり半分も食べられない。『ごちそうさま』と告げながらも、残してしまったことが申し訳ないし、こんなに美味しいものを残さなければならない状況が恨めしい。
「では、お下げしますね」
じっと残った食事を見つめていても、これ以上は入らない。メアリーが片付け初めて、全てをワゴンに乗せてしまう姿までしっかりと見届けると、私はようやく頭を回し始める。
(そういえば、魔王様に、ハミルトン様に会わなきゃならないんだった)
こんなに食事を美味しく堪能している場合ではなかった。確か、食事が終わったら、すぐに会う予定のはずだ。
(ど、どうしよう。心の準備、全然できてない)
怖い人(?)を前にすれば、きっと私はまたフラッシュバックを起こす。元の世界の時は、フラッシュバックを起こす度に震えたり、悲鳴を上げかけたりしていたものだけれど、ここでは一度、過呼吸まで起こしている。しかも、その後に失神まで……。今回もまた、それが起こらないとは限らない。
少し考えれば分かる危険性に、私は随分と挙動不審だったのだろう。ワゴンをどこかに返して戻ってきたメアリーに、とても心配されてしまった。
(どうしよう、どうしよう)
もう、会わないとは言えない。メアリーに連れられてどこかの部屋へ向かっている私の内心は、荒れに荒れていた。
(何か、恐怖を軽減させる方法……気休めとかじゃなくて……何か……)
もうすでに、魔王様に会うという状況そのものがプレッシャーになっていて、恐怖心が震えに繋がっている。これですぐに対面して無事でいられるかどうか、非常に微妙なところだ。
(!? そうだっ、メアリーに側に居てもらえないかなっ?)
その案を思い付いたのは、どこかの扉の前で立ち止まった直後だった。
「(メアリー、あの――――)」
「ユーカお嬢様をお連れしました」
悲しいかな。私の口パクは、メアリーに気づいてもらえなかった。緊張した面持ちでノックをして用件を告げたメアリーに、私はどうにか先程考えた良案を告げようとするのだけれど、私同様に緊張しているらしいメアリーを見てしまえば、それが酷なことのような気がしてならない。
「入ってきて良いよ」
まごまごとしていると、たおやかなテノールが扉の奥から聞こえた。
「では、ユーカお嬢様。わたくしはここまでですので」
「(……うん)」
用件を伝える前に、ここまでだと宣言されてしまえば、私もそれ以上は何も言えない。もう、覚悟を決めるしかなさそうだ。
「(し、失礼します)」
聞こえないとは分かっていても、私はそう告げて恐る恐る入室する。
「やぁ、こんにちは」
そこに居たのは灰色の短髪に、トパーズのような黄色い瞳を持った人好きのする笑みを浮かべた美青年。その顔の造りは、あのジークフリート様とも負けず劣らず整っており、ジークフリート様が麗しい美青年と評するに相応しいと思える一方で、このハミルトン様は妖艶な美青年と言えそうだ。そして、しっかりと観察してみれば、あのジークフリート様と同じように、その頭には角があった。しかもそれは、ジークフリート様の角が黒く天井に向けて直立していたのに対して、ハミルトン様の角は真っ赤で捻れた角だ。
魔王という言葉から想像していたものとは異なるハミルトン様の様子に、私は少し安堵しかけて、すぐにその身を固まらせる。
(目が、笑ってない)
敵意や害意は感じない。それなのに、その目は全く笑っていない。これはこれで、とても怖かった。
(な、何が、原因? もしかして、声が出なくて、無言で入ってきた形になってるから、怒ってる??)
怯える心を制御できない私は、すぐにそのまま震え出す。
「……やっぱり、そんな反応、か……」
それに対して、ハミルトン様は一瞬、傷ついたような表情を見せる。ただ、私はそれを疑問に思う余裕もなく、震える体を抱き締める。
「…………」
「(…………)」
私を睨むように見つめるハミルトン様と、ただただ止まらない震えを抑えられない私。お互いが無言で見つめ合って、どれだけ経っただろうか。とうとう、私はその恐怖から後ずさってしまう。
「ふんっ、そんなに、僕が怖いかい?」
(はい、怖いです。その笑っていない目と、雰囲気が)
きっと、普通にしていればここまではならない。けれど、どうにも目の前の美青年は私に良い感情を抱いていないらしい。
「そんなに怖いなら、さっさと退出するといいよ」
その言葉に、私はようやく許されたと思ってそそくさと退出する。
少し考えれば、何か用事があってしかるべきだったのだけれど、それを考える余裕は全くない。とにかく今は、この震えを止めなければならないという思いばかりだった。