感情の因果【ショートショート】
ジーンズの右側のポケットで、初期設定のまま変えていないケータイのメール着信音が鳴った。ヨウスケはきつめのポケットに右手を潜り込ませてケータイを引っ張り出す。
『いまどこ』
手慣れた手つきでいくつかボタンを押し、受信されたメールを表示させると画面にその短い文字が表れた。なんの愛想もない、冷たい感じのするメールだった。
ヨウスケは返信ボタンを押し、『いまむかってるところ。もうすぐ着く。そっちはどんな服装?』と入力して送信した。すると間をおかずにすぐ返信のメールが届いた。
『駅前のコンビニに着いたらメールして』
ヨウスケの質問は無視され、メールには相手の要求のみが書かれていた。それを見てヨウスケはムッとしたが、少し考えて諦めたように息をはくと、ケータイをポケットにしまい歩き出した。
駅前に出て、目標のコンビニを確認するとヨウスケはそこに向かって歩きながらメールをうった。
『着いたよ。どこにいるの?』
メールを送信し、ヨウスケがコンビニの前に到着するのとほぼ同時に相手から返信のメールが届いた。
『どんな格好? どの人かわかんない』
メールの内容からすると、相手は離れた場所から様子をうかがっているようだった。ヨウスケは釈然としない気分で顔を上げて辺りを見回した。
コンビニの前にはヨウスケの他に二人の男が居た。一人はヨウスケと同じくらいの年代で二十歳そこそこといったところ。肌はよく日に焼けていて髪の色は水分の少ない絵の具を塗りつけたような茶色だった。もう一人は二十代後半から三十代前半くらい、黒髪の短髪で体格の良いスポーツマンといった感じの男だった。二人ともヨウスケと同じように誰かを待っているようだった。
ヨウスケはコンビニのガラスに寄り掛かった。周囲の雑音や人の話し声がガラスをつたって微かな振動となり、背中に響いてくる。ヨウスケはそれを心地よく感じながら相手にメールをうった。
『近くにいるんでしょう? 何でこっちに来ないの。どういうこと?』
メールを送信してヨウスケは右手にケータイを持ったまま、帽子を目深にかぶり直してタバコを吸い、返信を待った。
『恥ずかしいから で どの人? 茶パツの人?』と、今までより幾分遅れて返信がきた。
ヨウスケは相手の言い訳に納得がいかず、なにか言い返してやろうかと思ったが、またなにかを諦めるように息をはき、思いとどまった。
『いや違う。俺は黒っぽいシャツを着てキャップをかぶってる』とヨウスケ。
『ガラスに寄り掛かってる人?』と相手。
『そうだよ』
メールをやりとりする中、ふと横を見ると茶色の長い髪で顔には濃いめの化粧をしたミニスカートの女が、絵の具の髪の男に近づいていき、いきなり抱き合ってキスをした。どうやら彼の待ち人は現れたようである。
ヨウスケは人目も気にせずコンビニの前でイチャつく二人を横目に見ながら呆れてしまう反面、少し羨ましくも思った。そういう気持ちで眺めていると、実際にはお世辞にも気品があるとは言い難い二人が、どこかの国の王子様とお姫様のようにも見えてくる。もう一人のスポーツマン風の男は執事かボディーガードといったところだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていたところでまたケータイがメールを受信し、その音でヨウスケは我に返ったような気がした。目の前の王子様とお姫様と執事も、見直してみるとただの羞恥心が欠落した若いカップルと、姿勢の正しいスポーツマンに戻っていた。ヨウスケは左手で強めに顔を拭うと、右手のケータイを開いた。
『顔がよく見えないよ 帽子取ってみて』
ヨウスケは、そう表示された画面を少しの間黙って見つめ、それから視線だけで辺りを軽く見回すと、小さく息をついて返事をうった。
『何でそんな品定めみたいなことされなきゃなんないの? いいから早くこっち来てよ』
するとまたすぐ相手から返信があった。ヨウスケがメールを送信してからまだ数十秒しか経っていなかった。ヨウスケは顔も知らないメール相手の指先が、海洋生物の触手かなにかのように不気味に動いてケータイをもの凄い速さで操る様を想像して、軽く表情を歪ませた。
『そんなに顔に自信無いんだ? 男らしくない人だね いいからさっさと帽子取ってもうちょっと右の方向いてよ』と相手。
――自信? 男らしくない? そういう問題じゃないだろ。なんだこいつ――
ヨウスケは相手の言葉に苛立った。そして睨み付けるような目つきで右の方向に顔を向けると、コンビニから見て右斜め前方の小さなビルの階段の踊り場からこちらを覗いている数人の若い男女が見えた。
ヨウスケの視線に気づくと、若者達は慌てて身をかがめてコンクリートの横壁の陰に隠れた。
「いたずらかよ……」
ヨウスケは顔をしかめて無意識に小さな舌打ちをし、その流れのままゆっくり目を閉じて力無くため息を漏らした。
目を開けるとヨウスケはもう一度若者達の居た場所に視線をやって、それからメールをうちはじめ、相手に送信した。
『男が居るよな? いたずらだろ。ふざけんなよ』
ヨウスケは若者達が隠れたコンクリートの壁をじっと睨んだ。そのコンクリートの裏で若者達が自分のことを嘲笑っている様子を想像すると余計に腹が立った。
ヨウスケがメールを送ってから数十秒経って、相手の一人が壁の上から顔を覗かせた。男だ。その男はにやにやしながらヨウスケを見ると、手に持ったケータイをいじりはじめた。男の後ろでは奥の方へ移動して行く他の仲間の頭部がチラッと見えた。
少しして、姿を見せていた男はケータイをしまうと、ヨウスケに向かって中指を立てながら大袈裟に口を動かして「ばぁーか」と言い捨て、その場を去った。
ヨウスケは後を追いかけようか迷ったが、相手の方が人数が多いことを考えると躊躇してしまった。しかし腹の虫は治まらず、ヨウスケはこんな状況でも臆病な一面が顔を出してしまう自分に嫌悪感を抱き、やり場の無い感情を余計に増幅させた。
男の姿が見えなくなってすぐ、ヨウスケのケータイがメールを受信した。
『うるせーよキモ男! おまえカガミ見たことねーだろ? おまえなんか他人に相手にされる訳ないじゃん なにカンチガイしてんの? カス 』
メールの送信元を確認してみると、さっきまでメールをしていた相手と同じケータイから送信されていた。相手がケータイをこの男に渡したのか、それともはじめからこの男が別人になりすましてメールしていたのか知らないが、そのメールを見てヨウスケは込み上げてくる恥ずかしさと、怒りと、情けなさと、雑多な感情で何がなんだかわからなくなった。
――それからひと月、街から若い男女が次々と姿を消した。
その中で最初に姿を消した人物は、ヨウスケだった。
了