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なまぐさ坊主の怪奇録  作者: 独楽
這い回る女
7/8

-006-




「――■■■■■■■■■■■■――――ッ! ■■■、■■■■■!!! ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――――ッ!!!!!!」



 なにを言っているのか――もはや人の言葉ではないし、人間が出せる音ですらない。

 それは思わず耳を塞いでしまうほどの絶叫だった。

 愛する彼女の面影は一切残っていない。

 いのりは首を奇妙にしならせ、見えているのか、念仏を唱える大道寺めがけ這う。

 動きは水泳のバタフライに近いが、鞭のようにしならせる腕には力がこもっていない。身の毛もよだつ絶叫に加えて、その動きが不気味さをより一層際立たせている。 


「ちょ、いっ……」


 思わず手を伸ばしそうになる竜虎に、


「手ぇ出すなッ!!」


 天木が怒鳴った。

 そして大道寺に這い寄るいのりを押さえつけた。

 いのりは暴れ、制されながらも尚大道寺に向かって腕を振る。一心不乱だった。

 大道寺を殺さんばかりの勢い――竜虎はただただ圧倒された。瞬きを忘れ、木偶の坊のように見ていることしかできない。


 と。


 そこでいのりはぐるりと首を回した。

 見開かれた目が竜虎をとらえた。


「■■ゥッ! ■ッ! ■■■ッ!! ■■■■――■■■■■■■ッ!!!!!!」


 なにを思ったのか、今度は竜虎に向かって腕を振る。


「……ッ、マズいッ」


 天木はにじるように言った。


「……こいつ……新しい宿主を求めてやがる……ッ!」


 どくん、と心臓がうなった。

 新たな宿主――つまりこの場合、竜虎以外他にいない。

 十数分間に言っていた、いのりが助かるなら自分などどうなってもいい――その威勢はすでに吹き飛んでいた。認識が甘かった。“それ”を舐めていた。アニメはこんなに恐ろしいものだと教えてはくれなかった。リリムちゃんが相手取っていたのは、もっと可愛らしい霊だった。現実の“それ”を目前に、はからずも竜虎は泣きそうになる。


「……南無」


 念仏を唱え終わったのか、大道寺立ち上がる。

 こちらに向き直り、億劫そうに頭を掻きながら、


「……低級の動物霊だと思ったんだがな。まったく、厄介なもんを持ち込んでくれたもんだぜ……細井さん、悪いがこっから先は素人には見せらんねえ。ここから出ていっちゃくれねえか?」

「そんな……だって!」

「だってもクソもねえよ。彼女が心配なのはわかる。だが……ここは俺に任せてくれ」


 大道寺は笑った。

 また――その顔だ。

 頼りがいのある、自信に満ち溢れた顔だ。


「……、……わかりました」


 竜虎は彼を信じることにした。

 自分の歩をわきまえる――他力本願で、単に逃げているだけのように聞こえるが、しかし、それを選択するのはなかなか難しい。

 竜虎は無力を噛みしめながら、大道寺に命運を託した。

 本堂から外へ、障子戸に手を掛ける。

 振り向くといのりの身体がぐわんぐわんと奇妙に揺れていて――振られなびく黒髪が、まるで悶え苦しむ女の亡霊のように見えた。


「早く行けッ!!」


 大喝を受け、ビクッと身体を震わす。

 竜虎はいのりに背を向け、本堂から出た。

 ピシャリと勢いよく戸を閉めるが、しかし、立てつけの悪いそれはわずかな隙間を残す。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――――ッ!!!!」


 また叫び声が聞こえた。

 わずかな隙間から――障子戸の奥から漏れ出る――いのりの悲鳴。

 竜虎は咄嗟に振り向き、隙間からそれを見た。


「…………っ!」


 目を見開き、息を呑む――いや。

 呼吸すらも忘れさせるその光景は、果たして現実のものなのだろうか。

 いのりの背中――その間から黒い、禍々しい、この世のモノとは到底思えないカタマリが揺れて靡いて、宙に羽を広げていた。

 怏々と広がるそれは髪だ。

 水中に漂う藻のような髪、髪、髪――毒々しくもうねる大量の毛髪。

 そしてその中心には白い、どこまでも白い女の顔――生首が。

 それがあたかも糸に吊られ振り回されているかのように堂内を走りまわる――生理的嫌悪感しか抱かないその容貌を眼前に、しかし大道寺は黙々と呪文を唱え続ける。いのりの身体は際限なく揺れ――尚も鎮痛の悲鳴を上げ続ける。


「クソっ、奴さんしがみついてやがる……ッ!」


 天木がうめいた――しがみついている、とは言うまでもなくあの悪霊のことだろう。

 伸ばす片手は揺れるいのりの身体を支えるように――片方の腕は竜虎には“見えないナニカ”を払うような仕草で――その法衣に包まれた背中を見ているだけでも、必死さはありありと伝わってくる。

 尾を引くように長髪を流しながら宙を駆ける生首――悪霊と決死の格闘を続ける三人を見ていることしか出来ない自分に、竜虎は心の底から悔しさを感じた。


「い、いのり……いのり……っ!」


 自分に力がないのが怨めしかった。

 口から漏れ出る言葉に、嗚咽が混じって掠れていく。

 聞き取るに堪えない声だろう。肺が苦しい、胸が痛い、心臓が壊れたように脈打つ。情けない、不甲斐ない、何も出来ない自分が憎くて仕方がない。涙ばかりが溢れて、馬鹿みたいに彼女の名前を呟くことしか出来ない。

 ……頑張れ。

 ……頑張れ、いのり。

 無様だが、竜虎に出来ることと言えば、いのりの無事を祈り続けることだけだ。

 神でも仏でも悪魔でもなんでもいい。


「……いのりを……俺の大切ないのりを助けてくれ……ッ!!」


 と、そのときだった。

 眼が、合った。

 竜虎の潤む視界と大東寺の鋭い眼が交差し――


 『俺に任せろって言っただろ?』


 ――と、ただ念仏を唱え続ける大東寺の言葉は当然聞こえなかったが――その薄く開いた眼は、その言葉は、音がなくとも確かに竜虎の心に響き届いた。


「……天地玄妙神辺変通力離……」


 大東寺は立てた二つ指で手刀印を組み、九字を切る。


「……この手は我が手にはあらず、常世におわしますそこの御仏、大仏多仏の苦手なり。仏手を持ちて呪えば如何なる霊霊も消えずということなし……」


 そして活眼。

 カッと見開かれた眼は、禍々しい生首を見据え、


「闇に惑いし哀れな影よ。その戒めを俺が解き放ってやろう――」


 破ァッ!!


 と、大東寺が数珠を握り込んだ拳を突き出した。

 途端に、揺れるいのりの背筋が糸を引いたようにピンと伸び、中空を舞っていた毒々しい生首が炎に包まれる。その幻惑の灯火に焼かれ、うねる髪はフラッシュペーパーのように一瞬で燃え散り、残る頭は火の玉のようにぶらりと――だらりと――ポタリポタリとその肉を溶かし、やがて雲散霧消と跡片もなく消え去った。

 いのりの身体は糸が切れたように前へと倒れ込む。

 竜虎は堪らず堂内へ駆け出し、いのりを抱き寄せた。


「いのり、いのり!」


 いのりは正体をなくしていた。

 再三の呼び掛けに、やがて虚ろな目が竜虎を捕え、


「……竜虎……さん……」


 いのりは竜虎の胸にしがみついた。

 怖かった、怖かったよ、と声を震わせて。


「もう大丈夫。除霊は終わったよ」


 天木が言った。

 一仕事を終えた大道寺は、おもむろに懐を探り、煙草を取り出す。

 そして燈火に火を点し、紫煙を吐きながら、


「……惚れた腫れたは恋の華……恋愛に障害は付き物だ。……が、付いていいのは色だけで、狐が憑いていい道理はねえ。その子を大切にしてやんなよ、細井さん」


 竜虎は涙目で大東寺を見上げた。


 ――な、なんてカッコいいんだ――


 安堵に心打ち震えるままに、そう思った。



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