-005-
大東寺に言われるまま寺を後にし、そして黄昏が落ちて街が赤く染まる頃に、竜虎は再度寺に足を運んだ。
寺があるのは都会から外れた田舎街。
地方の街の――そして寺はそんな街から更に外れた山のふもとの一画にあった。
街灯は五十メートル区間に一本立っていればマシなほうで、夜になれば周囲はぞっとするほど暗くなる。いま見える茜色に染まる綺麗な風景もやがて闇に落ちるのだろう、緑生い茂る山々は驚くほどの落差で、不気味のそれへと移り変わっていた。
竜虎はいのりを連れ、寺の門をくぐり、再度本堂へと入る。
「よう、来たな」
障子戸を開けると、昼に見た景観から一変していた。
真っ白い浄衣に身を包んだ大道寺が、竜虎たちを迎えた。
そこには酒の匂いも、涎垂らしただらしない顔もない――昼間とは見違える厳粛な格好である。竜虎は大道寺が仏門につく人だということを再確認する。
「どうも」
と、大道寺の隣で小柄な男が会釈した。
「天木流って言います。よろしくお願いします」
こちらこそよろしくお願いします、と竜虎といのりはお辞儀をする。
昼間に訪れた際にはいなかったので、竜虎も初対面である。
優しい二重瞼、整った顔立ちで女性と見間違うほどの美青年だ。身体の線はやはり女性のように細く、大道寺とはまた違う意味で浄衣が似合っている。二人とも男なのだが、並ぶ様を見ていると、美女と野獣という言葉が連想される。あるいは、ゴリラと美青年か。
「こいつは俺のアシスタントみたいなもんだ。今回の除霊を手伝ってもらう」
大道寺は簡単な紹介をし、
「準備は整ってる。さっそく始めようか」
促されるまま竜虎といのりは中へと上がった。
堂内は、薄暗さが不気味ではあったが、ある物は昼間とあまり変わらない。
ただ、大きな仏像の前に新たに黒塗りの台が設けられていた。その両側を囲うように燈火が置かれている。
厳粛な雰囲気に呑まれるような感覚を覚えた。
「……まるでアニメみたいだ……」
ここでドラマではなくアニメを持ち出すあたりが竜虎である。
竜虎の脳内では『ピコ巫女パラダイス』のワンシーンが回想されていたが、見覚えある除霊の光景とは少し違っていた。
それもそのはずで、神社と寺、巫女と尼僧は似ているようで全く異なる。
しかし、高潔と禍々しさが入り混ざった異様な空間は同じようなものだ。
竜虎は体験したことのない空気に、空間に、硬い唾をのみ込んだ。
「はい、これ着けて」
天木は白い布きれをいのりに差しだした。
「これって……」
「この布で目を隠して下さい。そういう形式なんですよ」
天木は笑顔で言うが、そこには妙な迫力があった。
いのりはそれに戸惑いながらも、布で目を覆い、頭の後ろで結んだ。
それを見取った天木は粛々とした作法で大道寺の隣に返っていく。
「さて、じゃあまずは気を楽に持とうか」
正面を向いたまま――空間の中心にいるいのりに背を向けて――大東寺は言った。
「大切なのは疑いを持たないこと、そして取り乱さないこと。心が乱れれば“それ”はしがみつく。彼女から離れて――あるいは竜虎さん、あんたに鞍替えする可能性だってある」
脅しのような言葉に、いのりは小さくうめいた。
自分に取り憑いている“それ”が、今度は竜虎に取り憑く――あくまでひとつの可能性ではあるが、愛する人に危害を与えるとなれば危惧せずにはいられない。いのりのうめきも当然のことだ。
が、
「だからどうしたって言うんですか。始めてください」
竜虎は言い切った。
彼氏の勇ましい姿に、きっといのりはキュンとしているだろう。
「へっ、格好つけやがって」
そして始まった。
仏前に座った大道寺は、鈴を鳴らし、木魚を叩いた。
静かに念仏を唱える。その声は徐々に大きく、徐々に力強くなっていく。
これが徐霊――浄霊。
竜虎は中央にいるいのりの背中を見た。
やや頭を垂れ、しゅんとして座っている。
始まってみたが、特に変わった様子はない。
一分が過ぎた。
大道寺の念仏と妙な緊張感だけがだけがあった。
……案外、葬式とかと変わらないのか?
いたって普通だ。
正直ビビっていた竜虎だったが、これなら大丈夫そうだ、と気を持ち直す。
が、五分を過ぎたところで異変が起こった。
いのりの身体が揺れ始めたのだ。
ふらふらと、まるでゴムになったかのように揺れ――やがて両の手を重ね、天に掲げた。
全身がビクビクと痙攣している。わずかなうめき声も聞こえる。
「……っ!」
竜虎は息を呑んだ。
異様としか言いようがなかった。
そして、なにかの糸が切れたようにパタリと倒れた。
畳の上に力なく広げる四肢――
「……ケ」
そのやわらかい、安堵できる彼女の手が再度動いたとき、
「……ケケ……」
竜虎の知るいのりの姿は――もう、なかった。