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「……と、いうわけなんです」
そう打ち明ける竜虎の表情は、まるでキモオタ童貞だった頃のようにじめったく薄暗い。
けれど、竜虎の沈痛な面持ちもむべなるかな、愛する彼女がまさかあんな奇行に走るとは夢にも思っていなかった。
夢遊病か?
それとも精神疾患でも患っていたのか?
足りない頭をぐるぐると回転させ、やがて竜虎はひとつの考えに行き着いた――
幼女アニメ、『ピコ巫女パラダイス』を見ていたときである。
「とんでもない奇行――これは間違いなく取り憑いた悪霊の仕業だね! でも安心して! 大丈ブイっ!(横ピース) わたしの十字架は対魔効果抜群だしぃ、銀玉詰め込んだリリム・パニッシャー(ベレッタM92F)があれば敵見必殺即殺成仏ぅっ☆」
――こ、これだ――と思った。
そういうわけで、竜虎は助けを求めてこの場所にやってきた。
通された本堂は古めかしい木造りのそれで、やけに屋根が高い。土塗りの壁には読みにくい文字が書かれた半紙がずらりと貼られ、『金、二満』に加えて人名――ここに寄付とかした人たちの名前なのだろう――が書かれていて、妙な厳かさを演出している。
奥手には大きな仏壇が三つあり、金ぴかの仏様たちが文字通り仏頂面で鎮座していた。
言わずもがな、寺である。
竜虎は広い堂内――その畳の上に正座し、対面で同じように正座する男に除霊の依頼をしている最中だった。
「……それでどうなんでしょうか? 俺としてはやっぱり悪霊とか、そういうのだと思うんですけど……」
「…………」
対面に正座する男は、難しい顔をしたままピクリとも動かない。
竜虎は緊張した空気の中で、再度目の前の男を見た。
シルエットの綺麗な丸坊主。
よく見ると耳の上に無数のラインが刻まれていて、ちょっといかつい印象がある。
仏に仕える身とは思えない髪型はさておき、下地に着ている黒い衣、羽織る豪華に飾られた法衣など――和尚さんがよく着ている黒い衣が法衣、上から掛けているのが袈裟という――その服装は勿論、首からぶら下げる大仰な数珠などの装具も、どこからどう見てもお寺のお坊さんのそれだ。
「あの、聞いてます? ……えっと……」
「……大東寺真嵩だ」
と、面倒そうに大道寺は名乗った。
「そう不安がんなよ、話はちゃんと聞いている。……つまり、あんたの彼女がパンツ被ってフローリングの床で犬ゴッコするような性癖をもってた、って話だろ?」
「いえ、まったく違います。かすってるようでいて完全に別の話になってます」
「フローリングでローリングとは洒落た彼女さんだな」
「なに駄洒落てんですか、ふざけないでください」
めずらしくキレ気味の竜虎である。
「冗談だよ。マジに怒んなよ」
「そんな冗談がありますか。だいたいなんですか、パンツを被るって……変態じゃあるまいし。いのりはそんな女の子じゃありません」
「ごめん、謝る。だから声のトーン下げて……昨日飲み過ぎちゃってさぁ……頭痛いんだよ……ゥオエっ」
と、大道寺は両手で口を押さえる。
すっぱい臭いが竜虎のところまで届いた。こちらまで気分が悪くなりそうな悶えっぷりだ。
「……なんつーか、二日酔いで死にそうなんで、また後日にでも足運んでもらっていいッスか?」
うわー。
来るところ間違えたー、と竜虎は心底後悔した。
けれど、竜虎はこのエセ坊主のような男に頼る外なかった。
この寺を選ぶ決め手となったのは、「友達に聞いたんだけど、除霊ならこのお寺がいいんだって」といういのりの言だったが、ネットで探してみてもこの寺の他に身近に除霊を行ってくれるところなどない。
なにより、竜虎は焦っていた。
こう言っては後の祭りだが、正直に言って、除霊を行ってくれる場所ならどこでもよかった。一刻も早くいのりに取り憑いた悪霊を祓って欲しい――そんな藁にも縋る思いでやってきたというのに、こんなエセ坊主を用意したのだから神の塩梅を恨まずにはいられない。
「このエセ坊主……」
思っていたことが、そのまま声に出てしまった。
竜虎の悪態を耳に聞き入れたのか、大道寺は眉をしかめて訝しい顔をつくる。
ただでさえ悪そうな顔が、さらに悪人面になった。
睨みつけられ正直ビビってしまった竜虎だったが、しかし、大道寺はふっと表情を和らげ、
「かはは、エセ坊主とは言ってくれるじゃねえか。……細井さん……だったか? いいぜ、俺がエセかどうか、仕事できっちり見せつけてやんよ」
「えっ?」
竜虎は曇った表情を一変させる。
「じゃ、じゃあ、いのりの除霊を引き受けてくれるんですね!?」
「もちろんだ。男に二言はねえ」
大道寺は尊大に頷きを返した。
なんて頼もしい――竜虎は彼をエセ坊主などと貶した自分を叱咤する。
「……で、その彼女さんってのはどこにいるんだ? 表に待たせてんのか?」
「あ、いや……」
竜虎は口ごもった。
「そのことなんですが……いま話した内容を、いのりには黙っていてほしいんです。自分が取り憑かれておかしくなったなんて知ったら、きっといのりは傷つく……だから、その……」
「ったく、注文の多いお客さんだ。わかったよ、奇行の話は伏せる」
竜虎は礼をして本堂を出る。
表に待たせていたいのりを連れて戻ると、
「……ふうん?」
大東寺はいのりを見るなり、「なるほどな」と覚えのありそうな笑みを作る。
目をつむり、天井を仰いだ――まさか、一見しただけで原因がわかったのか?
そして大道寺はキザったらしく片目を伏せ、
「“狐憑き”、だな」
と言った。
「……キツネつき?」
隣に正座するいのりが訊き返した。
アニメ『ピコ巫女パラダイス』の熱心な視聴者である竜虎には、それの意味するところはわかっていた。
キツネ憑きってのは文字通りの意味で――
「狐憑きだけじゃない、そういった憑き物ってのは『よくないモノ』に取り憑かれて、異常な行動をとるようになったり、あらぬことを口走ったり、幻覚を見たりするある種の精神異常状態を指すんだが――そこに共通してるのは、記憶が一部すっぽりと抜け落ちていたり、いつの間にか知らない場所にいる――ってところだな。なあ、彼女。そういった覚えはあるか?」
大道寺はいのりに問う。
いのりは困り顔を横に振り、
「……言われてみると、朝起きてベッドじゃない場所で寝ていたことが何度かありました。寝像が悪いんだなーくらいにしか思ってなかったんですけど……」
「寝ぼけ、夢遊病……まあ、簡単に言っちまえば、自分が自分であるという感覚が失われている状態だな」
「……自分が……失われている……」
小さく呟くいのりは当惑の様子だ。
しかし、それも仕方ないだろう。いのりは自分の奇行を全く覚えていないし、口走った、「おうち、おうち」という言葉も、やはりいのりは覚えていない。
思い返してみれば、あのときの彼女の奇妙な笑顔は、言われてみれば狐面を被った『ナニカ』に見えなくもない。
「当然、単なる病気って可能性もある。だが、こうもくっきりハッキリ“見えちまってる”んだから、病院を勧めることはできねえなぁ」
と、揶揄するように大道寺は言う。
彼にはいのりに取り憑いている『ナニカ』が見えてるのか――
「それは……」
竜虎は訊いた。
「いのりに憑いているそれは……本当に狐なんですか?」
「んー……それはわかんねえな」
あっけらかんと、大東寺は応えた。
「わ、わかんねえって……そんな! ふざけんなよ!」
その茶化すような言い草が気に障って、竜虎は思わず叫んでしまった。
まったく怒ったり反省したり忙しい――今日の竜虎は情緒不安定である。
大東寺は、そんな竜虎を軽くあしらうように笑い、
「てめーはアホか? その子に蛇が憑いてようが鬼が憑いてようが、引っ張りだしてぶっ潰しちまえば関係ねー話だろ? 竜虎さんよ、そもそものベクトルを履き違えてんよ。てめーはパンツを頭にかぶるクチか? ちげーだろ。パンツは被るもんじゃなくて履くもんだ」
――たしかに。
その喩えの意味はわからないが、たしかに。
「で。ゲロを吐くなら便所って相場が決まってる。俺、いまからしばらく便所に籠るから、また夜にでも来てくれねえかな? ……っうぇ」
えずきながら大道寺は本堂を後にする。
頼れるのか、そうでないのか――いずれにしても、残された竜虎には不安しか残っていなかった。