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本来ならここに至るまでにいくつもの注釈が必要なのだろう。
多くの言葉を遣い、丁寧に説明すべきことなのだろう。
なぜ『怪奇録』とか言いつつラブコメが始まってんだ、と文句の一つも出てくると思う。
それらを理解しつつ、触り程度に始めた恋を――そのエピソードをまるまる素っ飛ばして、「二人は付き合っちゃいましたっ☆」なんて言ったら憤慨する読者もそれは多くいるのではないだろうか?
ああ、恐ろしい。
なにが恐ろしいって、開始六行目でブラウザバックされることがなによりも恐ろしい!
しかし、それでも言わせて貰うと、二次元オタクの色恋沙汰に需要があると思えないし、語るだけ無駄で、ぶっちゃけ面倒だ。
そういうわけで、ここまでの経緯はさておき。
細井竜虎、二十歳――童貞――念願の彼女を手にした彼の世界は、一変してその色をバラ色に変えた。
灰色の景色に色が付けられ、なにからなにまでがその目に輝いて映る。
信号機の色が赤だと再確認した。
ときたま黄色になって、青はどう見ても緑色だろということも再確認できた。
惰性で渡っていた横断歩道も、いまは己れの意思で踏みしめていると実感できる。
「いまさらですけど……細井竜虎って、強そうなんだか、弱そうなんだか……なーんか不思議な名前ですよね」
椎名いのりの振り撒く笑顔が、
「えー……デートで映画って、竜虎さぁん。ちょっとベタすぎやしませんかぁ?」
声が、
「うぅ……あんなラストってあんまりです。物語の最後はハッピーエンドじゃないと……やっぱりわたし、納得いきません……」
感情が、
「そういえば覚えてますか、竜虎さん。わたしたち、今日で付き合って一ヶ月なんですよ? 花束でもプレゼントしてくれることを期待してたんですけど……ま、竜虎さんにそれを望むのは、ちょっち荷が勝ち過ぎましたかねぇ」
そのまま色になって竜虎の世界を華々しくも鮮やかに彩っていった。
「……一ヶ月記念って、先週じゃないですか。一週間遅れでこんな花束貰ってもねえ……まあ、悪い気はしないんで貰っておきますけど……ありがとございます」
少し生意気で、少し高飛車で、少し素直じゃない彼女。
デートを重ねるたびに、いのりのことが好きになっていく自分がわかった。
けれど、長らく童貞をこじらせていた竜虎には、最後の一歩が踏み出せない。
デートの別れのたびに、その一言がどうしても言えない。
「じゃ、今日はここでさよならですね。綺麗なお花、ありがとうございました」
竜虎は自問する。
俺はなにを躊躇うことがあるのだろう?
「来週も、たしかバイト休みでしたよね? 次はちゃんとデートプラン考えておいてくださいよー」
なにを戸惑うことがあるのだろう?
「それじゃ、また」
と、小さく手を振る彼女に、
「――い、いのり!」
竜虎は静かに叫んだ。
いのりは街灯を背景に振り向く。
「はい?」
続く言葉が出てこない。
竜虎は金魚のように口をぱくぱくさせ、やがて、
「お、俺は……なんていうか……お前のことが好きだ、よ?」
緊張のあまり疑問形になってしまった。
が、自分の感情を素直に言葉に出来たことに胸の内でガッツポーズを取る。
「……へーえ?」
受けたいのりは、光りが散るような笑顔を零し、
「その続きは?」
と、悪戯に言う。
「あ、愛してるよ?」
「……『愛してるよ』じゃなくてですね、私が欲しいのはそんな言葉なんかじゃありません」
「…………」
口ごもる竜虎。
けれどいのりは悪戯な笑みを絶やさず、
「あのですね、竜虎さん。女の子は言葉だけじゃ不安になっちゃうときがあるんです。真面目で結構、誠実で大いに結構。……でもね」
ぐっと腕を引かれ――ふっと、彼女の顔が近くなる。
唇が触れた。
竜虎は息をするのも忘れてその一瞬に放心する。
五秒か十秒か……あるいは一分が経ったかもしれない。
やがて唇に伝わる熱が離れ、
「……こうやって強引に、行動で示してほしいときもあるんです。わかりますか?」
そしてベッドイン。
つまりは合体だ。
世にはびこるカップルの極めて順当な流れである。