黄金の毒
[1]
「本当にいいのかね?」
前よりもさらに太った風貌の部長が訊いてきた。
有原新一は、はいと頷いた。
机の上には辞表と書かれた封筒がガサツに置かれていた。
「後悔はないんだね、本当に」
部長が念を押してくる。これだけ離れていてもわかるくらい相変わらず口が臭い。
「えぇ。それに、私が辞めて困る人なんてこの職場にはいないでしょう」
「えっ、あっ、いや、そんなことないだろう…」
明らかに狼狽した部長にため息をひとつ落とした。
「お世話になりました。失礼します」
そう言って新一は会社を後にした。2度と跨ぐことがない、社の敷居を跨ぎ、心が軽くなる気がしていた。でも真逆だった。心と共に足取りは重い。鉛のようなものを内面にぶら下げられているようだった。ふと、電柱にとまっていたカラスに目がいった。
「俺は、今日でお前らと同じになったよ」
何となく呟いた。カラスが飛び立っていった。
黒い羽が一枚だけ落ちた。
「古芝さん、古芝さん」
部下の真野由佳が呼んだ。
「なんだよ、何度呼んだって俺は一人しかいねーよ」
「そんなことはわかってますよ。今、寝てたでしょ?」
古芝重行はぎくりとした。
「馬鹿言ってんじゃねぇ、あれだ、あの、イメトレだ」
真野がため息をつき、尋ねる。
「何のですか?」
「あぁ、悪かったよ、俺が悪かった。で、用件はなんだよ」
「先日の婦女暴行事件の重要参考人が挙がったのでこれから現場に行きます」
「あぁ、いってらっしゃい」
「そうじゃなくて、古芝さんも一緒に行くんですよ」
真野の口調が少し強くなった。
「はぁ?そんなの所轄のガキどもにやらしときゃいいだろうが」
「残念ですけど、今回はウチの管轄です。ほら、早く支度してください」
はぁー。と長いため息をつき、古芝はスーツを纏い、立ち上がった。一度、欠伸をした。
[2]
新一は高校を出てすぐ、地元の大学に進学した。理由は近かったから。それ以外でも以上でもなかった。それなりに楽しんだ学生生活でも、なりたいものや、就きたい職業に出会うことはなく、結局教授の紹介で、今の会社に入った。そこまで有名でもない印刷業社だった。基本の仕事は営業と事務の両方。人手不足に嘆いていたらしく、細かい面接はなく、すんなり入社することができた。
だが、入社して丁度一ヶ月が経った頃だった。事件は起きた。同期入社の清水豊が何者かに殺害されたのだ。そして、警察の疑いは真っ先に同僚の新一にかけられた。清水は新一よりも優秀で、この会社に勤めたのが不思議がられるくらいの人材だった。新一の殺害動機は出世が近い同僚の逆恨み。これだけのことで一気に疑いがかけられた。
有原新一の社会人生活は、冤罪から始まった。
何とか冤罪を晴らした新一だったが、腹の虫は治まらなかった。担当した刑事は冤罪なんて大袈裟だ、自分は容疑者として絞り込んだだけだと言い張り、新一に一切の謝罪をしなかった。いつしかその刑事に対し復讐心を抱くようになっていた。
そして、丁度その頃からだった。自分がくだらない世の中に生きていると思い始めたのは。
新一は帰宅していた。今この瞬間自分は無職になったんだと考えると、情けないないような、解放感に溢れているような、その狭間にいた。
ふとインターネットを開き、復讐 殺人 方法 と検索をかけてみた。何を調べたかったのかはわからなかったが、ネットの回線は待たない。一瞬で画面が切り替わった。無数のサイトにアクセスできる入り口が表示される。インターネットとは便利に見えても実際は恐ろしいものだと思った。
そして、新一は奇妙な掲示板を目にかけた。
トップページには”自殺懇願社”と書かれていた。
自殺懇願社。懇願者の字はこうだと思ったが、違った。考えるよりも先に手が動いていた。ページを開いた。どうやらこのサイトは3人で運営しているようだった。Aと書かれた後に瀧と書かれていた。
そして下にはこう書かれていた。
一人、無事に飛び立った。私たちはいつでも新たな人員を待っている、誰でもご連絡を。
新一に悪寒が走った。と、同時に今まで感じたことのないような、衝撃が駆け抜けた。
自殺なんて考えたことがなかった。でも今となればどうでもいい、無職の自分なんかに何一つスペックなんてない。何より、このサイトに何故か興味があった。本当にインターネットは恐ろしい。
そして、気づけば新規入会をクリックしていた自分がいた。
[3]
「またこの手の殺しかよ、ったく懲りねーな」
古芝が手袋をし、合掌した。
「同一犯ですかね」
真野も同じように合掌した。
「十中八九そうだろうな。パターンが一緒だ 」
ここ最近で三件目の殺しだった。どれも頸動脈を刃物でかっ切ったような形跡があり、即死したものと思われていた。
「被害者三人に共通しているものがあります」
「なんだ」
「三人とも、無職です」
古芝は考えを巡らせた。
「まあ、関係してるかしてないかは」
煙草に火をつける。
「上に判断させるさ」
歩き出した古芝を真野が後から小走りで追った。
とてつもなく不気味で怪しかった。自殺懇願社に入会する意志を固めた新一は、指定された場所に来ていた。そこは、何十年も使われてはいないだろう廃屋だった。ドアを開けた。ギィッと鈍い音がした。
「ノックもせずに開けるなんて、なかなか非常識だねあんた」
中から声がした。細い声だった。そして、恐ろしく威圧感があった。
「申し訳ない、場所があってるか不安だったもんで」
「まあそこにかけたまえ」
廃屋にしては生活感があった。まだ昼なのに薄暗いが、テーブルや椅子、パソコンなど、様々なものが揃っていた。どうやら今日は目の前にいるこいつしかいないようだ。
「じゃあ改めて挨拶から。自殺懇願社トップの瀧です。どうぞよろしく」
この男が瀧だったのか。新一はサイトの書き込みで見た字を頭の中で照らし合わせた。
「新井…新一です」
まだ半信半疑な自分がいた。それに、決心が鈍ってた。ひとまず、偽名を使おう、そう事前に決めていた。
「新一くん、偽名なんて使っても無駄だよ。もうすでに君は丸裸だからね」
鼓動が早くなるのを感じた。ばれていた。だけどどうして?嘘を突き通せる気がしなかった。
「さすがに鋭いですね、でもなぜ偽名だと?」
「ウチには優秀なハッカーもいるもんで、君がアクセスしてきたパソコンの中身を覗かせてもらったってわけだ」
ハッカー。ドラマなんかじゃ聞いたことがある響きだったが、まさか、自分がハッキングに遭っていたなんて。頭痛がする。
「よろしくね、有原新一くん」
悪寒が止まらない。どうにかならないものか。
「まあ、聞かれる前に説明しておくよ。自殺懇願社とは文字通り自殺を懇願するものが集まる秘密結社だ。でも自殺なんてのは一人でも充分に遂行できる。何故わざわざウチに集まるのか。それがうちのミソなんだよね」
新一は首を傾げた。全くわからない。
「新一くん、もし自分の死が何かの役に立つとしたら、どうする?」
朱色に染まった長い髪を揺らしながら、瀧が言った。
「まぁ死のうとしてる人間からすれば、どうせ死ぬのなら役に立つ方で。という人間と、関係ない、俺は一人で死ぬって二種に分かれるでしょうね」
「ご名答、察しがいいね新一くん。ここはその前者達が集まる場所だ」
前者…。でも人の役に立つ死に方などあるのだろうか。
「君は死にたいんだろう?」
瀧の唐突の質問に言葉を失った。
「えぇ、まあ」
「曖昧だねぇ新一くん」
改めて考えてみると、本当に自分が死にたいのかわからなくなっていた。
「まぁいい。そんなに急かす問題でもないからね、まあひとまずは新規入会だ。逃げようたって君の情報は全部こっちに漏れてるからね、無駄だよ」
俺は指名手配犯か何かかよと思った。
瀧がそう言い終えると、入り口のドアが開いた。鈍い音がした。
「瀧、そいつが新規?」
男が二人入ってきた。二人とも瀧より身長は高いが、そこまで威圧感は感じなかった。
「あぁ、おかえり。そうだよ。新規の有原新一くん」
新一はぺこりと頭をさげた。
「ははっ、あからさまに人生絶望しましたっ!みたいな顔してんな」
「静、口が悪い」
「悪い悪い」
「初めまして新一くん。自殺懇願社の神室です。こっちの口の悪いのは静。よろしくね」
神室と名乗った男性は、優しそうな人だった。何故こんな所に居るのかが不思議なくらいだ。
「それで、神室。例の件は?」
瀧が神妙な顔つきになった。
「あぁ。大丈夫。うまく撒いたよ」
「そうか、よくやってくれた」
何の話だろうと思った。
「じゃあ、新一くん。また後日連絡するよ」
「え?帰っていいんですか?」
意表を突かれたような感じだった。
「うん。あ、もしかしてもう家とか売払っちゃった?」
「そんな軽い感じて聞かないで下さいよ。まだ家はありますけど」
「そう、ならよかった。よくいるからねぇ、すぐに死にたいって人は初めて来たその日に死んでいくから。既に家とか売払ってます!みたいな人」
よくスラスラと人が死ぬだなんだと言えるものだなと思った。
「まあ、見る限り新一くんはまだそんなに決意が固まってないみたいだし、当事者よりは裏方の方にしばらくまわってもらった方がいいかもしれないしね、とりあえずまた連絡するよ」
裏方?声に出したつもりが心に留めていた。
「わかりました、では」
「じゃーな新一」
「またね」
静と神室が続けて声をかけてきた。
「はい、また」
そう言って新一はドアを閉めた。
「どう思う、瀧」
静が瀧に問いただした。
「気が早いな、静。まあ、そうだね」
瀧は髪をかきあげた。
「察しがいいし、自殺の意思も薄い。少し邪魔かもしれない」
窓の外からカラスが鳴いた。
帰宅した新一はニュースを見ていた。どのチャンネルも一つの話題で持ちきりだった。無差別連続殺人事件。ここ最近で三件起こっており、犯人は未だ逃走中らしい。食事を摂るためテレビを消した。
物騒な世の中だと思った。
[4]
「いい加減、喫煙室で吸いたまえ古芝くん」
警視庁捜査一課、課長の那須城二が声をかけてきた。
「あれっ、那須課長、戻られてたんですか?あっ、おはようございます」
古芝が慌てて火を消す。地面にグリグリとタバコを押し付けた。
「相変わらず慌ただしいなお前は」
ははは、と古芝は上を向いた。
「でも、何でまたこっちに?」
「緊急招集だよ。ったく、あっちいったりこっちいったり俺は引っ越し屋かっての」
「例の事件のことで?」
「あぁ、そのようだな。犯人のメドは立ってるのか?」
「いや、それが難航してるんですよね。何しろ被害者がバラバラで」
「ほーお。まあ詳しくは中で聞くよ、どーせそろそろ会議だろう」
「えぇ、行きましょう」
「吸い殻、ちゃんと捨てとけよ」
古芝はギクリとした。精一杯のつくり笑顔でもちろんですよと答えた。那須はこういったところに厳しい。娘からもらったと言う茄子のキーホルダーがゆらゆらと揺れていた。
「被害者は左から順に後藤英介、加瀬美和子、畑中裕也の三名。それぞれに重要な共通点はなく、唯一挙げるとすれば、三名とも職を失っており、家族もいない。それぞれに同じ25歳だと言うことだけだ。
殺害方法はどれもナイフのようなもので頸動脈をひとっ切りだ。それにより、同一犯である可能性が高い。そして犯人は非常に犯罪に慣れていると踏んでいる。ーーー以上だ、何かあるか」
警視庁捜査一課部長、三浦浩二がスラスラと説明を続けた。
「よし、では永野班は今までに刃物を使い殺傷事件を起こし、なお、ムショから出てる前科者を当たってくれ。那須班は被害者の三名に本当に繋がりがないかもう一度洗い直してくれ。警察の名にかけて、この幼稚な殺人鬼を監獄へぶち込むぞ、以上解散」
全員の敬礼が揃う。その後誰が指示するでもなく全員が会議室から出て行った。
「古芝、真野、行くぞ」
那須がスーツを着直す。かなり古びた、黒いスーツだ。古芝は胸の中にあるもやっとした気持ちを抱えたまま、那須の背中に続いた。
[5]
あれから三日が経っていた。瀧から連絡を受けた新一は指定された場所に向かっていた。少し気になったことがある。瀧からのメールには
「その場所には男が二人いると思うけど、見つからないようにね。決して音も立てないように」
と書いてあった。一体どういう意味なのだろう。二人の男って、神室と静の事ではないのだろうか。
そうこう考えを巡らせているうちに指定された場所に到着した。市街地から少し離れた、小さな裏山だった。来るのは初めてだった。少し登ると小さな広場があるらしいが、そこが指定場所だった。
新一は山を登り広場を目指した。少しすると、恐らくこれだろうと言うような広場が見えてきた。メールの指示通り、木陰に隠れて見守る事にした。
しばらくすると、一人の男が現れた。肩幅が広く、がっちりとした体型だった。男は広場の中央まで行くと、仁王立ちでその場に立った。恐らくもう一人の男を待っているのだろう。男は何も持っておらず、目的がわからなかった。
それから10分ほど経っただろうか。奥からもう一人の男が現れた。さっきとは逆転、痩せ細った中年の男だった。
「あのー自殺懇願社の方でしょうか?」
ここからでも声はよく聞こえる。やっぱりあいつらは関係者か。
「あぁ、そうだ。桧垣慶次だな?」
「えぇそうです。瀧さんにここに来るように言われて」
どうやら俺と同じ境遇らしい。でもおかしい。瀧は俺にあの二人に見つからぬように、と送ってきた。
桧垣といったか。あの男とは俺は違うのか。
「まあつべこべ言うな。とにかくこれを見ろ」
肩幅の男が一枚写真を取り出した。
「誰ですか、これ?綺麗な女性ですねえ」
どうやら写真に写っているのは女性らしい。
「見覚えないか?どこかで会ったとか何でもいい」
「いや、見たことないですねえ」
「そうか、ならいい」
桧垣が首を傾げた。次の瞬間だった。肩幅の男が桧垣の後ろに回り込み、首元に切りかかった。
新一は驚嘆した。目の前で起きたことがわからなかった。桧垣の首元から血が吹き出るように溢れ出す。桧垣はピクピクと動きながら、倒れた。肩幅の男はナイフについた血を拭き、ポケットにしまった。万一でも、目線がこっちに来ないよう新一は木陰に隠れた。鼓動が早くなっていくのを感じた。
「新一くん、上出来だよ」
聞き慣れた声がした。瀧だ。瀧が後ろに立っていた。
「瀧っ!どういうことだ説明しろ!」
「うわーすっごい怒鳴るじゃん。呼び捨てだし」
「戯けてる場合かよ、人が人を殺したじゃねーか何なんだよあいつは」
「私たちの本当の目的。君がそこに辿り着くにはまだ早いよ。それに私たちが今日欲しかったのは、
”君がここにいたという事実”」
「どういう事だ?」
「ねぇ、頼」
瀧が目配せした先にはさっきの肩幅の男がいた。いつの間にこっちに来たのか、強烈な威圧感だった。
頼と呼ばれた肩幅の男はこくりと頷いた。表情に変化はない。
「まさかっ」
新一が何かに気づいた。
「君はもう、立派な共犯者だ」
新一は山を滑るように駆け下り始めた。くそっ気づくのが遅かった。ハメられた。
「逃げても無駄だって、すぐに捕まえるよ」
瀧の笑い声が薄く聞こえた。
自殺懇願社。あいつらの本当の目的ってなんだよ。
少し雨が降ってきた。一つの事件が頭に浮かんだ。昨日ニュースで見た、無差別連続殺人事件。
犯人は、あいつらだ。
[6]
「那須さんはどっかに行っちまったし、結局いつも俺ら2人になんだよな」
古芝がポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
「まあ、あの方の傍若無人っぷりは今に始まった事ではないですしね」
「おっ言うようになったねぇ真野ちゃん」
それより、と真野が仕切り直した。
「後藤英介と加瀬美和子の身辺はあたりましたが、これといって何の情報も得られませんでしたね」
「あぁ。残るはまだ記憶に新しい畑中裕也の身辺調査ーーー電話だ」
会議室から出てから、マナーモードを解除するのを忘れていたようだ。古芝の携帯がブルブルと震えていた。画面には那須と出ていた。
「もしもし、古芝です」
「おう、今どこだ?」
「今から畑中裕也の身辺調査に向かうところですけど?他の二人は残念ながら何も見つからなくて」
「残念ながら、もう一人追加だ」
古芝の眉がぴくりと上がる。
「どういう事です?」
「桧垣慶次。先ほど死体で発見された。残念ながら同じ手口だ」
「マジですか。スパンが短すぎるな」
「詳細はメールする。とりあえず畑中裕也を調べてから向かってくれ。三浦さんには俺から言っておく」
わかりましたと言い、電話を切った。
疑問の目線を送ってくる真野に内容を説明した。
「四人目ですか…随分と早い段階で動いてきてますね。何かに焦っているように」
「あぁ、それは俺も感じた」
話しているうちに畑中裕也の自宅付近に着いた。
家宅捜索はとっくの昔に終わっているが、周りの聞き込みを開始する事にした。
「ひゃっ、警察が何の用ですか?」
警察の者ですと言うと、大体はこの反応をする。慣れている。畑中裕也の隣に住む河原という女性に話を伺う事にした。
「前にも刑事さんなら来ましたけど、その時と私の答えは変わりませんよ?畑中さんとは挨拶する程度の関係だし、あまり込み入った話はしたことありませんし」
淡々と話を続ける。
「私も暇じゃありませんので、それだけでしたらもう帰ってください」
「ちょっと待ってください。どうしてそんな厄介払いするみたいな」
「いいから帰ってください」
「それじゃあ最後に一つだけ」
真野が口を開いた。
「事件が起こる前に、突然畑中さんの雰囲気が暗くなったなと感じるような事はありませんでしたか?」
真野の質問に河原の表情が変わった。
「何か心当たりが?」
すかさず古芝も入り込む。
「そんなはっきりとはわからないけど、ある日を境に朝挨拶をしてもすっごく小さい声でどうもとしか言わなくなったわ。最後に畑中さんを見たのはその姿だったし。何だか脱力感というか、何かしら。上手く言えないけれどもそんな感じがしたわ」
古芝と真野が目を合わせる。
「お忙しい中ありがとうございました。また何か思い出したらご連絡を」
古芝は立ち上がりお辞儀をした。
真野も続き失礼しますと言った。
「何かあるんだろ?同じ事を三人ともに聞いてただろ」
河原宅を出てすぐに古芝が言った。
「えぇ。少し気になる事があって。今まで殺害された三人とも、河原さんの証言が当てはまるんです。
後藤英介、加瀬美和子、畑中裕也。三人ともある日を境に途端に元気をなくしています」
「まさか、死を覚悟していたとでも言うのか?」
「仮にもし、そうだとしたら?」
真野の視線が強い。古芝は一度逸らし、笑った。
「面白い、調べてみる価値はありそうだな」
「私もそう思います。この事件は私たちが気づいていない、何かが隠されています」
「ひとまず、あくまでも仮説だ。那須さんから詳細が来てる。警視庁に戻る前に、四人目の被害者、桧垣慶次の事を調べよう」
真野は力強く返事をし、古芝の背中を追って歩き出した。
[6]
逃げたら本当に共犯者になってしまうんじゃないか?ふと新一はそう思った。あれからかなり走ってきた。自殺懇願社の奴らは俺を探しているのか?俺が警察に行く前に捕まえて…いやそんな事をしても、結局俺にとってはもう不都合だ。俺が警察に行き、殺害現場を目撃したと言い、瀧や頼たちが捕まったとしても、自殺懇願社ごとやられる。そうなると、既に入会している俺はれっきとした共犯者だ。自首したことになる。それより、今はあいつらの本当の目的を探る事が先決だ。それさえ突き止めたらこの連続殺人は終わる。そしてあの写真の女性だ。
そこも突き止めるべき材料だ。
古びた電気屋の前を通った。古びたといっても、店頭にテレビくらいは置いてあった。
画面を見て驚嘆した。連続殺人事件四人目の被害者
桧垣慶次さん31歳と出ていた。ということはもう警察は動いてる。過去の出来事が蘇る。頭が切れる瀧の事だ、きっと自分に足がつかないように別の犯人を仕立てているだろう。冤罪。その言葉にいつも突っ掛かりを覚える。新一はかぶりを振った。
俺は俺でしっかりと行動しなければ。
「すぐに見つかりますね新一くん。もっと上手く逃げないと」
後ろから聞き覚えのある声がした。もう追ってきやがった。
「瀧っ!」
振り返り新一は目を疑った。そこには瀧、神室、静、頼。自殺懇願社のトップ四人が揃っていた。俺を探すのに、これだけの奴らが自ら動いたって事か?それとももう自殺懇願社には動かせる手駒があまりいないのか?
「とりあえず戻るぞ、新一。話はそれからだ」
前より低く落ち着いた声で静が言った。
すぐに消されるなんて事はないだろう。そんな事をしても奴らには何のメリットもない。それに四人目の桧垣慶次を殺した所だ。俺の予想では奴らはしばらく殺人は起こさない。潰すなら今だ。
後ろから静と頼が見張る中、廃屋に向かい歩き出した。
[7]
「えぇ。確かに刑事さんがおっしゃるように、そんな感じはしましたね」
古芝と真野は桧垣慶次の隣に住む男性に話を聞いていた。先程と同じ質問を投げかけたところ、このような答えが返ってきた。
「ありがとうございます。また何か思い出したらご連絡を」
そう言うと二人はアパートを後にした。
「やっぱり桧垣慶次もそうでしたね。古芝さん、この仮説は正しいかもしれません」
真野の目は力強い。
「俺と同じ事を考えているかもな、お前」
「恐らくそうです」
「あぁ。四人が死を覚悟した上で殺されたのだとしたら、考えられる仮説は二つ。過去に大きな事件を起こし、その償いとして死を覚悟していた。そしてもう一つはーーー」
「自殺」
古芝の声を真野が制した。やはり同じ考えに至ったようだった。
「そうなるな。この四人に繋がりがないか、もう一度洗い直してみよう」
「そうですね、那須さんに連絡は?」
「そんなもん後回しだ。この事件俺たちで片付けんぞ」
「そう言うと思いましたよ、古芝さん」
「行くぞ」
少しだけ生暖かい風が二人の間を吹き抜けた。
[8]
「それで、新一くんはどこまで辿り着いたんですか?君の考えを聞かせてもらいたい」
廃屋に着き、新一は瀧と向かい合って座らされた。
後ろには神室と静、そして頼もいる。まるでマフィアの取り調べだ。
「俺が辿り着いてんのは、今起こってる連続殺人事件の犯人があんたらだって事だけだよ」
自然と口調が荒くなる。
「それだけかい?」
「もし俺が他の事に感づいていたら、口封じの為に消すってか」
「その通り」
「残念だけど、俺が考えてんのはそれだけだよ。じゃあ殺す理由にはなんねぇな」
新一は、頼が取り出したあの写真の事を考えていた。ある女性の写真としか聞こえてはいない。
「そんなにあの写真が気になりますか」
瀧がにやっと笑う。
「エスパーかよあんた」
「視線がね、少し泳いでいましたよ。他の事を考えている証拠だ」
新一は早く瞬きをした。そしてもう一度瀧を見た。
「まあ、君はもう既にこちら側の人間だ。頼、新一くんに見せてあげて」
頼は何も言わずに頷いた。何度見ても不気味な顔だ。頼が机に写真を出した。
「手に取って見て結構ですよ」
瀧に言われ、新一は写真を手に取った。驚嘆した。
そこには一年前に殺された、同僚の清水豊の姿があった。
[9]
「驚くのも無理はないね新一くん」
瀧が言った。頭の整理がつかない。頭の中でいくつもの仮説を立てたが、交わらない。
「どういうことだ?俺と清水の関係を知ってたのか?」
「まぁ、そういうことだね。最初にハッキングした時から君の経歴はわかってたからね」
ハキハキとした様子で瀧は言った。
「待ってくれ整理ができない。じゃあお前たちがやろうとしてるのは復讐?清水の敵討ちか?だいたいお前たちと清水の関係は?」
「一気に聞きすぎだよ。何から答えればいい」
瀧は苦笑した。初めて人間らしいと思えた表情だった。
「まぁ、先にこれだけは言っておくよ。清水豊は生きている。死んでなんかいない」
「おい瀧っ」
瀧のセリフを静が遮った。新一は二人を順番に目で追った。
「おいおい、人を馬鹿にするのも大概にしろよ。って言いたい所だけど、静の反応を見る限りまんざらでもなさそうだな」
「いいんだよ静。新一くんがうちに来ることになってからこうなることはわかっていた」
「あんたらの言う自殺の手伝いってのは殺人の事だろ。それに俺をうまくダシに使おうって魂胆だったんだろ?今俺に清水豊の件をばらして、何のメリットがあるんだ?」
珍しく頭が冴えている。そして何より、落ち着いている。
「さっき豊は生きている、と言ったよね。あれは半分嘘で半分本当なんだ。豊はあの事件で身体の自由を失った。生きているのに、生きている実感がしないといつも言う」
瀧の目が悲しそうに写った。あの事件とは、無論、
新一が容疑者として取り上げられた事件の事だ。
「瀧と、清水の関係は?」
「兄妹だ。血は繋がっていないんだけどね」
「それともう一つ、何故警察は清水を死んでいると言った?何故殺人事件として扱ったんだ?」
「私達が別の死体を用意した。それなりの証拠と手は打ってある。馬鹿な警察はその死体を清水豊と断定した」
「あんたら、とんでもねえな」
何となく合点がいった。清水豊はあの事件で身体の自由を失った。そして、何より清水豊を死体として扱わなければならない理由があったはずだ。社会的に清水豊を殺して置かなければならなかった。
まだ少し辻褄合わせには時間を要するが、こんなとこだろうと新一は考えていた。
「それで、俺にはこれから何を?」
「私達がこれまでに動いてきたのは、全て豊を襲った犯人を殺すことが目的にある。今まで私達が殺してきた人間は全てここに集まった自殺志願者達だ。念のため、豊について何か知っていることはないかを聞き質した後にね」
先ほど瀧が言った、”別の死体を用意した”とはそういうことなのか。あれも自殺志願者ってことか。
「だったらどうしてここまで俺を巻き込んだ?桧垣慶次を殺した現場で、俺も頼に始末されててもおかしくないはずだろう」
新一の言葉に瀧の思考が一瞬止まった。
「君とは、分かり合える気がした」
「人殺しと何を分かり合えるってんだよ」
「お前調子に乗りすぎだ」
「よせ、静」
新一に殴りかかろうとした静を瀧が制した。
「君もどこかで思ってるんだろう?あの時、新一くんの人生を狂わせた、冤罪という罪の事を」
新一は自分の顔色が変わっていくのを感じた。
「私たちは、あの時の担当刑事を知ってる。何処の誰かも、今どうしているのかも」
心臓が高鳴った。瀧の事を恐ろしく頭のいい男だと思った。
「はっ。それを餌にしようってか」
「新一、あんた最初とだいぶキャラ変わってるよ」
神室が口を開いた。自分でも、これが素なんだと感じた。
「その情報と引き換えに、私達にもう一度協力してほしい」
瀧が頭を下げた。嘘をついているようには思えなかった。
今まで人生を振り返ってみた。よくよく考えてみると、笑えるくらい刺激がない人生だった。目の前にいるのは人殺しとその仲間たち。まさか自分がそんなやつらに手を貸そうとしているなんて思うと、自分でも考えられない。
「わかった。正式に、お前たちに手を貸す」
乗りかかった船だ。これまでにない刺激を人生の最後で堪能してやろうと思った。
「約束する、君の手は汚させない」
そう言って瀧は笑った。見渡すと、残りの三人も笑っていた。とんでもない秘密結社の中に集まったメンバーだが、何故瀧が束ねているかが少しわかったような気がした。
[10]
「自殺サイト?」
パソコンを操作する真野を覗き込むように古芝が言った。
「えぇ。その可能性も少なくはないと思いまして」
「そんな物騒なもんがあんのかよ怖いな」
古芝は目を細めた。
「昔他県でありましたよね、こういったサイトの利用者同士で交換殺人を行った事件が」
真野は振り返り古芝の方を見た。そして再びパソコンに目を戻した。
「まさか、今回の連続殺人も?」
「根拠はありません。ただ、100%ないとは限りません」
「確かに、被害者同士の繋がりがないところを見るとそう考えるのも頷けるな。永野班も収穫はなしだったそうだ」
その時、真野の目が何かを捉えた。いつもより大きく見開き画面に顔を近づける。
「古芝さん、四人目の被害者の名前、桧垣慶次でしたよね?」
「あぁ、そうだが…何か見つけたのか?」
古芝も画面を覗き込む。
「確証は持てませんが、ここを見てください」
真野が示した画面には母親への遺書らしき言葉が並べられていた。そして文末にーーー慶次 とあった。
「当たりかもしれんぞ真野」
「ですね」
真野が画面を一つ戻し、トップページを開く。画面には、自殺懇願社と表示されていた。
[11]
新一は一度帰宅していた。今日は色々な事がいっぺんに起こりすぎた。殺人現場を目撃し、共犯者にさせられ、終いには自分から共犯者に手を貸すなどと言ってしまった。新一は頭を掻いた。
瀧から交換条件として受け取った情報は、清水豊殺人事件で新一を容疑者として話をまくしたてたとする、那須城二という刑事の情報だった。信濃署に所属している。警視庁捜査一課の課長だった。
新一は名前こそピンとこなかったが、瀧に見せられた写真を見ると、頭の中でピースがハマる感覚があった。ただ、この刑事を問い詰めたい、そんな感情はあまりなかった。自分でも不思議だった。確かにあの事件。何の証拠もないまま容疑者扱いされたことは事実だ。だが何しろ無実が証明されてからも、実際、那須の顔は忘れていた。自分の復讐心なんて、所詮この程度のものだと思った。瀧に手を貸すと言った今、自分の中で小さなわだかまりの様なものが無数にあった。
[12]
次の日、新一は廃屋に来ていた。他の四人も揃っていた。瀧に呼び出されたのだ。
「今日、うちに警察が来ると思う」
瀧が口を開いた。全員が息を呑んだ。
「どうしてわかったんだ?」
静が尋ねる。
「桧垣慶次が死ぬ前に遺書をサイトに残していたようだ。自分が死んだ翌日以降に勝手にアップロードされるように細工をしてな。恐らくそれを警察が見た。警視庁のパソコンからアクセス履歴が残っていた」
ほう、と神室が頷く。
「でも安心してくれ、何も不審に思われるような事はない。普段通りにしていればいい。私が対応するから、君たちは出ておいてくれ、また連絡する」
瀧はそう言って、新一を含め四人を外に出した。自信に満ちた表情をしていた。
「ではサイトに書かれていた慶次という人物は桧垣慶次ではないのですね?」
真野が訊く。
「疑い深いなあ刑事さん。何度も違うと言っているでしょう、それに証拠がないのによくそんな事が言えますね。たまたま同じ名前なだけでしょう。
よくあるんですよ、ああやってサイトに遺書を残す方は」
淡々と話を続ける瀧に、古芝はくぐもった。はぁと一つため息をついた。
「わかりました。ではこれで失礼します、何かわかりましたらご連絡を」
そう言い古芝は名刺を差し出した。
「えぇ。捕まるといいですね、早く」
瀧がにやりと笑った。
「本当ですよ」
古芝は瀧に睨みつけるような目線を送り廃屋を後にした。
「残念ながらシロのようですね、また振り出しか」
廃屋を出て、少し歩いたところで真野が口を開いた。
「いや、恐らく当たりだ」
「なぜです?」
「刑事の勘ってやつ、かな」
古芝は煙草に火をつけ、空に煙を吐いた。
[13]
桂木菫は引き継ぎの業務を終え、帰路についていた。帰りの電車は今日も混んでいる。路線を一つ乗り換えて、やっとの思いで最寄駅に着いた。時刻は0時をまわっていた。ここの所残業続きで身体はもうクタクタだった。
駅の改札を出た所で傘を差した男性を見かけた。男性は菫の姿を見つけると、傘を閉じて近づいてきた。雨は少し小降りだった。
「桂木菫さんですね?」
男性は真摯な顔つきで菫を見つめた。だが、その顔に見覚えはない。
「えっと、どちら様ですか?なぜ、私の名前を?」
「有原新一と言います。突然すみません。お聞きしたい事があるのです。桂木純平さんの事について」
菫の表情が強張った。
「あなたっ、お兄ちゃんの事を知ってるんですかっ?まさかっあなたもーーー」
菫は狼狽を隠せない。
「安心してください。これだけは言えます。僕はあなたの味方です。教えてください、お兄さんの事を」
少し雨が強くなってきた。傘がないと厳しい。
「家はすぐそこです。ついてきてください」
新一は、はいと答え、続いて歩き出した。
桂木菫の住むアパートに着き、居間に案内された。少し濡れた髪を掻いていると、菫がタオルを渡してくれた。
「本当、こんな時間にすみません。いつも帰りの時間がバラバラだと聞いたので」
「いえ、明日はちょうど休みですし。それで早速なんですが」
「そうですね、本題に入りましょう。単刀直入に言うと僕は今自殺懇願社に居ます。自殺志願者ではなく、裏方の人員として」
「やっぱりそうなんですね。でも、あなたは敵ではない、そうなんでしょう?」
菫の目を見つめる。大きな、綺麗な瞳だった。
「もちろんです。最初は僕も志願者のつもりで入会しました。でも、意思が弱い僕はすぐに執行する事ができなかった。だから、裏方にまわれと言われたんです」
「あそこは、自殺懇願社なんて甘ったるい集まりなんかじゃありません。ただの人殺し集団です」
「やっぱり…僕が調べた結果、あなたのお兄さん、桂木純平さんは、ある事件の工作の為に、やつらに殺されました。僕はそれを突き止めた」
菫の表情が崩れた。悔しさを滲み出している。両手は握り拳に変わっていた。
「あなたなら、知ってるんじゃないですか?奴らの秘密を」
「そんなのっーーー私が知りたいくらいですっ」
「すみません、失礼な事を」
「いえっ、私こそ、すみません」
「僕が必ずあいつらを止めてみせます。あなたの無念がそれで少しでも晴れるなら、やらせてください」
新一は菫をじっと見つめた。菫は嗚咽を漏らしながら、はいっ、はいっと何度も頷いた。
その後、新一は菫の家を後にした。いくらこんな状況でも、女性の一人暮らしの家に泊まるのは気が引ける。タクシーに乗り込み、次の行動を考えた。
[14]
「早く見せろっ」
那須が古芝から印刷された用紙を奪い取った。
[馬鹿な警察の皆さん、昨年板野印刷会社で起こった
殺人事件をもう一度調べ直してください。被害者は清水豊じゃない、桂木純平という男性です。]
用紙の内容を、那須が読み上げた。
「なんだこれは」
「今朝、警視庁のホームページに匿名でメールが届いたんです」
真野が答える。
「悪戯にしては凝りすぎてる。それに何より、被害者の名前と事件名が一致してる。調べる余地はあるんじゃないですか、那須さん」
古芝が投げかける。
「ったく、連続殺人でそれどころじゃねえってのに」
「この事件、確か那須さん真っ先に同僚の男性に疑いをかけましたよね。まるで何かから避けるように」
「古芝っ」
那須が古芝の肩を掴んだ。
「何が言いたい」
「いえ、何でもありません。とにかく、我々はもう一度この事件を洗い直します。それにもしかすると、今回の連続殺人と関わりがあるかもしれない」
「自信満々だな、この忙しい時にわざわざ寄り道するってのか、五人目の被害者が出たらどうする!?」
「そうならないために!今ある情報を洗い直すんです」
古芝は真野に目配せをし、行くぞと言った。
真野は那須と古芝を交互に見た後、古芝に続いた。
「生意気なやつめ」
那須が机を叩いた。遠い目をした。
「新一と連絡が取れない?」
声を上げたのは神室だった。
「あぁ、でも大丈夫。手は打ってある」
「どういうことだよ瀧?」
「まんまと僕の掌の上で踊ってるって事さ。そろそろ彼はチェックメイトだよ」
「最近のあんた、何考えるかわかんないよ」
「ミステリアスな方が異性受けはいいんですよ」
「ふざけるな」
「カリカリするなよ神室。大丈夫だ」
少し、沈黙があった。
「わかったよ、悪かった」
[15]
「やはり、あの密告メールは本当だったか」
「驚きでしたね、一体何処の誰が」
「真野、今から言うことを調べて欲しい」
真野は顔を上げ、古芝を見た。
「わかりました、すぐに調べます」
そう言うと真野は足早にその場を去ろうとした。
「真野っ」
古芝の声に真野の足が止まった。振り返る。
「全部終わったら、一杯やろう」
古芝はクイっとビールを飲む手振りを見せた。
「楽しみにしてます」
古芝の携帯が鳴った。公衆電話だった。
「もしもし」
「俺です、新一です」
「あぁ、例の件は今真野に調べさせてる。それでそっちの首尾はどうだ?」
「もうじき、動くと思います。それまでには片をつけないと」
「わかってる。また、連絡してくれ」
「はい、では」
[16]
瀧からの電話で、新一は廃屋に駆けつけた。
「すまない、少し色々あって連絡ができなかった」
「構わないよ、それで、いよいよ最後の工程だ」
「ああ、もちろん最後まで手伝わせてもらう」
「頼もしいねぇ。豊を襲った犯人がわかった。警視庁捜査一課 課長 那須城二だ」
新一の胸がドクンと鳴った。外に漏れるんじゃないかと思うほどの音だった。
「那須…が?」
「あぁ、徹底的に調べ上げた」
「そうなのか。で、決行はいつだ?」
「一週間後だ」
「遅いんじゃないのか?警察も連続殺人で動いてる。早めに片付けた方が奴らの目も錯乱しやすいんじゃないか?」
瀧が考えを巡らせた。新一の鼓動はさっきよりも早くなっていた。
「それもそうだな、新一くんの案に賛同しよう。決行は二日後だ。それまでにもう一度練らせてもらうよ」
「あぁ、わかった。俺は俺で考えがある。今それを進めているところだ」
「それも、お聞かせ願いたいね」
「まだ完璧じゃないんだ。もう少し待ってくれーーーじゃあまた出るよ、今度はすぐ連絡する」
「わかった」
そう言うと新一は廃屋を後にした。
「いいのかよ瀧、あんなに泳がしといて」
「まぁ、あそこまで真剣に俺たちに協力するとはな、人は見かけにはよらないってか」
神室、静が続けて言った。
「何を言ってる。あれはもう化けの皮剥がれてるよ。」
二人が目を合わせる。視線を瀧に向け目で尋ねる。
「だから言っただろう。チェックメイトだって」
[17]
それからあっという間に二日が経った。
新一は瀧から指定された場所に来ていた。みどうやら早く着きすぎたみたいだ。まだ辺りには誰も見当たらない。ここは今は使われていないビルの駐車場だった。もちろん人目にはつきにくい。たどり着くのも一苦労だった。ここに那須を呼び出すのか?それとも何か別の策をとるのか。
その時、奥から足音がした。予定では、神室と頼が来るはずだったが、足音は一つだった。
「新一くん」
聞き慣れた声だった。瀧だった。
「瀧?どうしてお前が?」
「もういい、もう充分だ。君は充分にやってくれたよ。まさかここまで私たちをコケにするとはね」
新一の胸が高鳴る。必死に狼狽を隠す。
「何言ってるんだお前」
「まず一つ、君は廃屋のパソコンからある女の住所を閲覧した」
新一は舌を噛んだ。
「女の名前は桂木菫。そして、君はあることにも気が付いた。一年前の板野印刷での事件。殺されたのは桂木菫の兄、桂木純平だと言うことに」
鼓動が早くなる。言葉が出てこない。
「残念だけど、あのパソコンに残しておいた住所は全くの嘘の情報だ。君は桂木菫に会ったんだろう?
あの女性も我々が用意した偽の桂木菫だ。話を合わせるよう言ってあった。演技が上手いだろう」
瀧がにやりと笑う。自分の無力さを思い知った。結局はやつの掌の上で踊らされていただけだったのか。
「チェックメイトだ新一くん」
そう言うと瀧は懐から銃を取り出し、新一に突きつけた。
「あの世で後悔すればいいよ、自分の勇敢さをね」
ダァンと銃声が鳴った。瀧の左足が撃ち抜かれていた。うわぁぁっと呻き声を上げた。
駐車場の入り口で、銃を構えた古芝の姿があった。
[18]
「はっ?何故警察がここに」
足を押さえながら瀧が言った。
「大丈夫か新一くん」
古芝が新一の元に駆け寄った。
「えぇ、俺は大丈夫です」
「どういうことだ、お前ら」
「負けたのはお前だよ瀧。一つずつ説明してやる。
まず、桂木菫の件。俺はあんたが簡単に住所をわかるところに残しているとは思えなかった。だからその住所が記されている駅で桂木菫を待った。話をした後、俺はすぐに菫が演技をしていると気づいた。その後、瀧に何か吹き込まれているんじゃないかと問い質した。そうすると、教えてくれたよあんたの事をな」
瀧が舌を噛んだ。さっきとは状況が逆だ。形成逆転だ。
「続きは俺が」
そう言いだしたのは古芝だった。
「俺は警視庁に送られてきた密告メールの後に個人的に新一くんと連絡を取り合っていた。メールの差出人は自分だと、俺宛に電話が来たんでな。ーーー
瀧、あの時お前に名刺を渡しておいてよかったぜ」
瀧はハッとした。
「まさか、あの書き込みも」
「その通りだ、桧垣慶次になりすまし遺書らしきものをホームページに書きこみ、警視庁にヒントを送ったのも俺だ」
新一は連々と語った。
「新一…貴様」
瀧が悔しさを滲み出させる。右足からは依然血が流れ続けている。
「そして、新一くんに言われ、俺が部下に調べさせたのがこれだ。新一くんの言った通りだったよ」
「チェックメイトだ瀧」
新一が封筒を開ける。
「いや、清水豊」
瀧の顔色が変わった。
「…何が言いたい?」
「お前は瀧なんて人物じゃない。一年前の事件で清水豊という人物を社会的に抹殺し、お前は瀧という人物を名乗った。お前の正体は整形して顔を変えた、清水豊なんだろ?」
「まさか、そこまで見透かされていたとはね。あっちなみに性転換なんかはしてないけどね」
「急に女口調になるなよ気色悪い」
「お前の目的はなんだ清水豊」
「そこまでだお前たち」
会話を遮り、刑事が入ってきた。見覚えがある。
那須城二だった。
「話は聞かせてもらったし、録音も済ませた。詳しくは署で聞こう、清水。ご苦労だったな古芝」
「ちょっと待ってください那須さん」
「なんだ古芝、ここからは私に任せろ」
「いやそうじゃなくて」
古芝が那須の肩を掴んだ。
「黒幕はあんたでしょうが」
[19]
「何を言ってるんだお前は」
那須が手を振りほどいた。
「何清水連れて逃げようとしてんすか」
「逃げるってなんだ?何のことだ?」
「シラを切ろうったってもうネタは上がってるんですよ、那須さん。あんたが殺したんでしょう?桂木純平を」
那須の顔が徐々に強張ってきた。清水を一度見た。
「お前、誰にぬかしてんだ」
「もう無理だよ、父さん」
清水豊が口を開いた。
「この人は私の父さん。本名は清水城二」
「豊っおまえ」
「ついでに言うと、今回の連続殺人の三人目の被害者、加瀬美和子はあんたの母親だろ」
新一が問い質した。
二人の目が一点を捉えた。
「貴様、何故その事を…」
「色々調べてもらったんだよ古芝さんに」
「豊は美和子に昔から暴力を受けていたんだ。それで、俺は決心した。美和子を殺し、豊を守ろうと。だが現在の警察の捜査力は課長である俺がよく知ってる。それで今回の計画を建てたんだ。警察の目を欺き、豊にも協力してもらってな」
「清水、まさか同期入社のお前がこんな犯罪に手を染めちまうなんてな」
「でも私は後悔してない、あの人から逃げられるのなら何だってしたから」
「それで何人が死んだと思ってんだよ」
「豊は間違っていない、間違っているのは俺だ。俺は自分の職務より、娘の事を優先した」
「その精神は間違ってないと思いますが、那須さん、あんたは人として間違ってる」
古芝が言った。
「なぜだ?何がおかしい?自分の娘を守るためなら誰が何人死のうと関係ないだろ!?なあ!」
ダァン その時、銃声が鳴った。
「これ以上は、聞く耳が可哀想です」
真野が後ろから歩いてきた。銃口からは煙が上がっていた。銃弾は清水城二の脇腹を捉えていた。
「真野、ようやく到着か、もう片はついたぞ」
「みたいですね、まあ私は後始末をしていましたので」
駐車場の外には、静、神室が刑事に連行されていた。新一は違和感を覚えた。
「古芝さんっ一人足りない!」
振り返ったその先には銃を構えた頼の姿があった。
[20]
銃声は聞こえなかった。というより、目の前の音が全て遮断されたような感覚があった。
「お父さんっ」
と豊が駆け寄った先には、清水城二の姿があった。さっきより血の量が増えている。
「父親としてお前を守り、刑事として仲間を守れた。もう俺に悔いはない」
「お父さんっいやっうわぁぁぁあ」
豊が嗚咽を漏らし、叫んだ。
やがて後ろにいた刑事が突入し、頼を確保した。
「綺麗事だよ、那須さん」
そう言って古芝は大粒の涙をひとつ流した。
あの事件から一日が経っていた。
清水豊、頼、神室、静の四人は連続殺人事件の確定死刑囚として収監されるらしい。
「古芝さん」
「ん?」
二人はいつもの店で昼食をとっていた。
「私たちの仕事って何なんでしょうね」
「何だ、急に情が湧いてきたか」
「いえ、そうじゃなくて。私がもし、那須さんの立場なら同じ事をしてたかなって、同じように緻密な連続殺人を企て、警察の目からわからないようにしながら、娘を守るのかなって」
古芝がトンカツを口に入れる。とても一口では噛み切れないサイズだ。
「わからねぇなあ。何しろそんな境遇になった事がないからな」
「まあ、そうなんですけど」
「まあ、あの、あれだな」
ゴホッと古芝が咳払いをした。いっぺんに食べ過ぎたみたいだ。
「どんな人生でも、思わぬ所に毒があるって事だ」
「本当、その通りだと思います」
だろ?と言いながら携帯に目をやる。三浦から着信があった。すぐにかけ直し、内容を確認する。
「真野、近くで傷害事件があったらしい。すぐに現場に行ってくれだってよ。いつまでも下ばっか見てっと刑事なんてやれねーぞ」
そう言いながら、古芝は立ち上がった。
「おばちゃん、事件があったみてぇだから行くわ!今日の分はツケといてくれっ」
「古芝さん、前もそう言ってたじゃないかい」
白衣を着た年配の女性がキッチンから顔を覗かせた。昔からの顔なじみだ。
「いってらっしゃい」
古芝は、あぁ、いってきますと答えた。
真野は目を一度閉じ、開けた。新しい何かが見えたような気がした。
[終]
「はい、そうですね。えぇ、今週中には、はいーーーはい、失礼します」
新一は電話を切り、胸ポケットにしまった。
あれから半年が経っていた。事件後もう一度就職活動をし、新しい職場に就いていた。桂木菫の紹介だった。正直、かなり毎日大変だが、充実している。
あの事件の事は今でも思い出す。あの時のように、人生に絶望し、死のうと少しでも思っていた自分はもういない。生まれ変わったような気分がする。
どんなに輝いて見えるものにも必ず毒がある。
果たして本当にそうだろうか?自分に投げかけてみる。変えていくのは自分次第だ。黄金のように輝いているものに、毒があるのか、ないのか。自分の目で確かめる。その為の一度きりの人生なのだから。