第九十八話「ヨヘンの戦、シアの船出」
ミンストレル二級上将率いる八千の先鋒隊が迫ってきている報告を受けたヨヘンは集めた幕僚達に自らがそれを迎え撃つ事を告げて、ほぼ同数の部隊を率いて迎撃に出た。
参謀の中には司令官自らが先鋒隊に応じる必要はないとヨヘンに自重を促す者もいたが、
「正面からサラセナの反逆者達を打ち破ってこそ、この戦争に勝つ意味が産まれるんだ!」
と、部隊全体に訓示までし彼女は自ら兵を進め、両軍はコモレビトとシュランゲシャッテンの中間地点の平野で衝突した。
帝国の精鋭とサラセナの精鋭。
そのぶつかり合いの勝敗を分けたのは指揮官の能力だった。
ミンストレル二級上将はサラセナでは勇将としての名を馳せていたが、前線指揮官としての才覚はヨヘンが遥かに勝っていたのである。
両軍の正面対決は兵の装備、士気、訓練はレベル的には大差なく互角のぶつかり合いをしていたが、ミンストレル上将が兵を二手に分け挟撃により状況を動かそうとした瞬間をヨヘンは見逃さなかった。
自ら馬に跨がり騎馬隊の先頭に立ち、二手に別れた敵部隊の向かって左翼側面を突破、機動力を活かして外線機動を描くともう一方を捕捉して正面から撃ち破ってしまったのだ。
ミンストレル上将は自分の策が裏目に出たのを後悔しつつ、再戦を誓い無念の退却を命令したが、まだ戦いは終わらなかった。
ヨヘンは執拗な追撃を丸二日も続け、サラセナ先鋒部隊を半数にまで討ち果たしつつ、そのままシュランゲシャッテンにまで迫ったのである。
対するユージィは城の守りを固めた、守る城は規模が大きなマイラオス城だ。
サラセナの参謀達もおよそ四万で守る城に八千程度の戦力で攻勢はしてこないだろうと踏んだが、ヨヘンは彼等の予想を平然と裏切ってみせた。
攻城戦を仕掛けたのである。
予想外の攻勢に焦りつつ、ユージィは冷静に対処し、ヨヘンの三日間に渡る火の出るような攻撃を凌いだ。
そして四日目の朝、まるで何事もなかったかの様にヨヘンはマイラオス城の前面から綺麗に消息も掴ませない素早さで消え失せていた。
「やっと敵軍は止めた息を吐いてくれましたな、女王様の防衛戦の指揮は見事でした、しかしヨヘン・ハルパーという将は油断ならぬ猛将ですな、ミンストレル上将を破っただけでなく、寡兵でこの城にまで押し寄せてくるとは! それに攻めの激しさも退く際の手際も敵ながら」
防衛戦の指揮を見事に執り切ったユージィを讃えつつ、ヨヘンの闘い振りを老参謀の一人は褒めたが、
「確かに強いです、でもヨヘン・ハルパーという将は機動戦の巧緻さに長けただけの人、だからこそセフィーナ皇女は彼女を親衛遊撃軍の副司令官にしなかったのです、彼女は私への私怨の勢いでここに押し寄せて、やはり寡兵でこの城は落とせぬ事にやっと気づいたか、取りあえずの憂晴らしが済んでかで引き揚げたに過ぎませんよ」
サラセナ女王はそう答えると、今度はこちらからの番です、兵達に出撃準備をさせてください、限定攻勢への報復に全面攻勢という物を見せてあげましょう、と立ち上がった。
***
西部戦線が本格的な激突を始める中、中部での両陣営の本営同士の戦いはいささか迫力を欠いていた。
アンデレルタ山脈の麓で丘陵では大規模な戦いは起こらず、毎日各所で小中規模の部隊が戦いを繰り返していた。
いわゆる小競り合いでそれらの戦いは戦局には大きく響かない物である。
長期戦化を防ぎたいアレキサンダーとしては何度か、纏まった兵力を率いてフェルノール軍の陣営に迫るが、カールは決戦には乗る仕草を全く見せず、アレキサンダーとしては切歯扼腕して引き揚げる事を繰り返していた。
「しかし、アレキサンダー兄さんは兵を率いてきても、ここには突っ込んでこないみたいだね、来られたら来られたで相当な覚悟をしないといけないよね?」
「今度はまだ来ないさ」
フェルノール陣営。
開戦劈頭から念入りに築かれた防御陣地の幕舎でそう訊ねるクラウスにカールは素っ気なく答え、
「ヤツの率いている兵は殆どが借り物だ、下手な損耗をさせれば不満が噴出する上、一度は強引策で俺に痛い目に遭わされているのに再び繰り返せばヤツの唯一の周囲への強みである戦の強さに疑問符が付けられかねないからな……それよりも、だ」
目の前のテーブルに置かれたアンデレルタ周辺の作戦図からクラウスに視線を移す。
「お前はいつまでもここに居ても大した役には立つまい? お前にはお前の重要なすべき事があるんじゃないのか?」
「おやおや……僕は戦場じゃ役立たずかい? アイオリアの一族として戦場でセフィーナの様に名を上げたいと思うのはそんなに悪いことかな?」
「お前が戦場でセフィーナの様に戦えるならば、お前は今頃兄弟全員を向こうに回しての戦場に居ただろうさ、それをしていないという事は少なくともお前は自意識過剰のアレキサンダーとは違い、自分の限度はわきまえていると観ていたのだがな」
「はいはい、兄上に誉められて光栄さ、僕も着々と準備はしているさ、それが整うまではこの戦場に居たいんだ、とかく後の歴史書は戦場に出た人間を称賛する傾向があるだろ?」
「フッ……やる事をやっているなら勝手にしろ、こちらはこちらでアレキサンダーのヤツと戦場に相対するという割に合わない事をしているんだからな」
首と手を振り苦笑するクラウスに、カールは僅かに口元を緩めて再び作戦図に視線を降ろした。
***
南部諸州連合統合作戦本部。
第一種軍装に袖を通し、黒髪の女性将校はフゥと息を吐いて自分に与えられた部屋から廊下に出る。
そこに待っていたのはメイドの少女。
「とてもお似合いです」
「そうかしら、布地からして違うから違和感があるわ」
「すぐに慣れるでしょう」
「もちろん努力するわ」
遠慮がちな笑顔を見せると、本日から正式に南部諸州連合中将を拝命したシア・バイエルラインはヴェロニカと揃って同じ建物内のリンデマンの執務室に向かう。
「御主人様、シア中将をお連れしました」
ドアをノックしたヴェロニカに促され、入室するとリンデマンは執務机の椅子に背中を深くかけ座っていた。
「どうだい? うちの軍服の着心地は?」
「少し慣れませんね、ヴェロニカは似合うと言ってくれたのですけれど……」
「まぁね、美人は大抵の物が似合うさ、でも君は帝国軍の軍服が合いすぎていたからね、これから我々の軍服が合うようになるのは努力が必要だと思うがね」
「美人だなんて……そんな、努力はします」
思わぬ誉め言葉に迷うシア。
リンデマンは深く背中をかけていた状態から身体を起こし座り直す。
「世辞や嘘じゃないが、私は君の容姿を認めて中将という待遇を用意した訳じゃないのは解ってもらえるかな? 周りを説得するのは中々に簡単じゃなかったからな」
「勿論です」
シアの表情が引き締まる。
本来ならば亡命した軍人がそのままの階級で亡命先で軍務に就くという事は考えにくい事柄だった。
過去に事例が全くない訳ではないが、それには余程の手土産を亡命先に持たなければいけない。
特に将官クラスなら尚更だ。
数十年前、帝国の一少将が度を越えた陰険な部下苛めが趣味であった大貴族出身の中将の首と最前線の帝国軍物資集積所を焼き払い、数百の部下を連れて南部諸州連合に亡命した際は部下共々に帝国軍の階級そのままに迎い入れた事例がある。
無論、シアにはそんな手土産は無く、停戦中の帝国との関係を鑑み准将か大佐待遇、もしくは暫く軍籍には付けずに様子を観ては、という意見が大半であったが、そこをリンデマンがシアの身元を引き受けるという形で彼女を中将という階級に就けたのだ。
これはシアが何かの問題を起こしてしまったら、その責任はリンデマンにも生じるという事である。
「期待に応えられる様に努力します」
「私は甘い期待などは君にしていない、無理をせずに君の能力を見せてくれればいい、期待ではなく私の計算通りしてくれれば君は少なくとも我々の迷惑になる能力の持ち主では無い筈だ」
「……」
初対面ならばリンデマンのその言い様に心底を計りかねただろうが、居候という形でリンデマンの家にルフィナと世話になっている内にその偏屈というか素直でない性格は何となく理解し始めていたのだが……
「了解です」
形の良い敬礼を返しながら、当面の上司であるリンデマンの言い方に上手い言葉を返すセンスが無い自分を余計な事と思いながらも心配してしまうシアなのであった。
続く




