第九十七話「西部戦線 帰らぬあの人へ」
昨年から帝国西部は戦乱が絶えない。
バービンシャー動乱から連合軍の進出、さらにシュランゲシャッテンの反乱と大きな戦が続いている。
そして今年はゼファー派の内乱に乗じてのサラセナ軍の侵攻という事態。
西部各地の帝国守備軍は五万というほぼ三個師団の大軍のサラセナ軍をどうにか食い止めようとするが、内乱の連続の損耗が癒えない各地の守備軍は精鋭揃いのサラセナ軍の侵攻を止められず、遂にサラセナ軍は帝国西部の重要地点であるシュランゲシャッテン公の反乱の舞台にもなり、現在は帝国直轄領となっていたサペンス、ガイアペイア、シュランゲシャッテンの三都市を制圧し、帝国西部に大きく食い込む事に成功する。
サラセナ軍を率いるユージィ王女は更に南下を目指そうとシュランゲシャッテンに軍を集結させ、次なる目標をメセナに定めたが、ヨヘン・ハルパー中将率いる四万の親衛遊撃軍が西部に現れた為、それ以上の進軍を停め、親衛遊撃軍はかってセフィーナがそうしたようにコモレビトに陣を張り、両軍は対峙した。
コモレビト。
セフィーナが戦争芸術とまで言われる戦略移動でハービンシャー動乱を決着させた際、第一の目標となった地である。
比較的小規模な城であり、守りには向かないがシュランゲシャッテンの動きにすぐに反応できる場所だ。
「この小城じゃ守りには向かないぜ、どうする?」
そのコモレビト城の会議室で臨時司令官ヨヘンに言ったのは副司令官のクルサード中将。
司令官のヨヘンと同格の中将であるが、年齢も上で先任でもある。
「もちろん攻めます」
ヨヘンの瞳と口調には鋭さがあった。
クルサードへの感情ではない、シア一連の騒動の原因が少しずつ明らかになり始め、ヨヘン個人として情報を精査し、原因をサラセナの陰謀と決定していたからであった。
ヨヘン・ハルパーは軍務経歴において私情から作戦を定めるような軍人では決して無かったが、後の歴史研究者等からはこの時ばかりはシアへの友愛を裂かれた感情で作戦を定めていたのではないのだろうかと指摘される事となる。
「しかし、サラセナ軍は五万と我々より多い上に精鋭ですし、
防備もしっかりしているシュランゲシャッテンのマイラオス城にあります、攻めるのは不利になるでは?」
「私もそう考えます、周囲の私兵に援助を求めて中部の情勢が定まるまで防衛に徹するのが良いと思います、それならばここよりもメセナ城まで南下するのが良策かと」
参謀達からヨヘンの攻勢策に異論が出る。
帝国皇女の大将が司令官よりは参謀達も物が言い安いのは確かの様子だ。
だが容姿ならばセフィーナと同世代にも見えてしまう臨時司令官は参謀達を前に首を横に振った。
「中部の情勢を待つ理由はない、必ずしも情勢が良くなるとは限らないし、我々は我々の最大の戦果を上げる努力をする事が軍人としての職務であり、本作戦に我々親衛遊撃軍が当てられた理由だと思う、私は攻勢策に出ます」
ヨヘンは宣言した。
臨時であれ総司令官がここまで言えば参謀達もこれ以上は防衛策を主張は出来ない、それに元々がセフィーナというワンマン司令官に率いられている親衛遊撃軍は参謀達が飾りになりがちなのである上に今までセフィーナに意見具申をしていたシアも居ないのである。
「でもどうする嬢ちゃん? 攻勢とは言ってもサラセナ軍はさっきも言ったが精鋭だ、簡単には勝てない、俺はサラセナ国境警備軍司令だったんだ、五万は奴等のほぼ全力動員だが、装備品も訓練も行き届いてる、たまに起こる国境のゴタゴタでかなり痛い目に合わされた事もある」
木製の椅子が軋むくらいに背もたれに肥満した重い身体を預けるクルサード。
彼はセフィーナに抜擢されるまではサラセナ国境(これは正式には呼ばず、正確には自治領境界だがそう呼ばれている)警備軍司令であり、対サラセナ戦は専門だ。
サラセナとアイオリアは自治領承認から本格的な戦争はしていないが偵察部隊同士のちょっとした衝突はかなり起こっており、訓練された動きや潤沢に高級装備が行き渡ったサラセナ部隊相手に第一線級の部隊が配属される筈もない国境警備軍でクルサードは何度か苦戦している。
「精鋭ですか……確かに訓練も装備も我々親衛遊撃軍に劣らない精鋭かも知れませんが大した敵とは思いません、十二分に撃破可能な敵です、問題はその後だけど絶対に上手くやれると思いますよ」
断言するヨヘン。
会議室がざわつく。
確かにヨヘン・ハルパーは二十代で中将まで登り詰めた才能の持ち主で将来はセフィーナが統括するアイオリア陸軍参謀本部でシアと並んで軍団長と言う者すら居るが、サラセナの精鋭部隊を認めつつ大した敵ではないとはどういう事か、半数以上が彼女よりも年上の幕僚達の間には臨時司令官が親友の因縁でサラセナと戦おうとしているという危惧が生まれ始めていた。
「じゃあ、作戦を説明します」
異論は認めない。
ヨヘンはそんな態度を隠さず、自分の後ろに張られた作戦図を指揮棒で強く叩いた。
***
「シア中将の騒動は帝国の諜報部ももう掴んでいるでしょう、ヨヘン・ハルパー中将はシア中将の無二の親友……私の事をきっと恨んでいるでしょうね」
透き通るような肌に白い髪。
セフィーナにも優るとも劣らない美貌の持ち主であるサラセナ国女王ユージィ・エリキュネルは微笑んだ。
シュランゲシャッテンのマイラオス城の主の座に腰を降ろす彼女から一段下がった間に幕僚達は左右に居並ぶ。
「女王陛下、ヨヘン・ハルパー中将はシア中将にも並ぶセフィーナ皇女の右腕です、諜報班からの報告では機動戦による攻め戦を得意としているとの事で、ご指摘の通り親友のシア中将の一件もあり感情的になっているとの事です、これを作戦に利用しては如何でしょうか?」
「なるほど、それは考慮に値します、心に留めます」
参謀の一人からの報告と意見にユージィは頷く。
彼女は強権的であるが、決して独裁ではない。
会議では最終的な裁決権は持つが、部下達の発言を許さない様な部分は滅多に無い。
「他に意見のある者は?」
「畏れながら!」
歩み出たのはサラセナ国軍第三兵団長のミンストレル二級上将である、二級上将とはサラセナ国特有の階級の呼び名であり、帝国では中将に値する。
ミンストレル二級上将は五万のサラセナ軍の約一万の兵団の指揮を任せられている将であり、三十七歳の中肉中背で短く整えられた茶色の髪に優男の風貌を持つ。
その優しげな見かけからは想像できないが、個人的な武勇が高く評価されている猛将だ。
「意見がおありですか? ミンストレル二級上将」
「はっ、我々はここまで進撃して参りましたが相手は各地の守備軍に過ぎませんでした、ここでセフィーナ皇女が率いておらぬとはいえ親衛遊撃軍という帝国随一、いや大陸で最強と言っても過言ではない敵を迎えたのです、まずは力量を測る一戦を交える必要があると考えます」
ユージィに促されたミンストレル二級上将は過剰に猛る事なく、冷静な様子で自らの意見を述べる。
先ずは先鋒部隊を繰り出して一戦という訳だ。
「……」
その提案にユージィは即答はしなかった。
座のひじ掛けを数秒間トントンと指で叩いた後で、
「無理はしないでください、あくまでも力量と相手の意図を図る為の出撃ですよ、相手が多勢で応じてきたら戦闘を回避してくださいな、相手はセフィーナ皇女でないとはいえ、帝国の名将であるヨヘン・ハルパー中将ですから」
と、注意を加えてそれを裁可する。
「了解しました、では出撃準備を始めますが宜しいでしょうか」
「早速お願いします、準備が整い次第出てください」
ミンストレル二級上将は引き締まった顔色を変えずに敬礼し、退出の許可を得ると謁見の間を出ていく。
「これで取りあえず様子を見ます、今日はもう宜しいです、ご苦労様でした」
取りあえずの方策が決まりユージィが会議を締める、頭を下げて退出していく幕僚達。
謁見の間にはお付きの少女と数名の護衛のみとなる。
「あなた達もいいわよ」
彼女達も退出させ一人になり、暫し瞳を閉じてから高い天井に向けて顔を上げ……
「あなたと私、どちらが勝っても、あの人は戻ってきてはくれないというのにね」
そうポツリと呟くユージィであった。
続く




