第九十二話「崩れ落ちる英雄姫」
外務省からの要請でいつまでも同じアルザード州に留まっているのも出来なくなり、セフィーナはアルファンス州のエリーゼに戻る事になった。
ただホテルの外にはてぐすねを引いてマスコミが張っているので、裏口の仕入れ搬入口からの脱出で外に出て外務省の用意した何処にでもあるような馬車に乗り換えての移動。
その間のセフィーナの様子は活気が抜けている状態は変わらず、少ない言葉を交わす相手はメイヤのみであったが、その間も故郷の帝国の戦線についてはしきりに気にする様子を見せた。
その帝国の戦況であるが、四月も終わろうとする頃、前線での偵察部隊同士の小さな小競合いは起こっていたが、フェルノール派側の主力部隊がまだ配置を終えておらず大きな戦いは起こっていない、その間にゼファー派側が支配地域拡大に動けば良いと思われるが、あくまでも配置を終えていないのはカールやクラウス、そしてヨヘンの率いるフェルノール派の主力兵力であり、各地に常駐している守備軍や警備隊の大部分が動員を終えて配置についていた為、下手に何処かに手を付けて思わぬ損害を受けては予備兵力の余裕も少なく、計算が大きく狂ってしまうゼファー派側としては、まずは西部でも中部でも主力同士の余計な重しのない決戦を望み準備を始めていたからであった。
「まだ戦いは起こっていないか」
セフィーナはその報告にポツリと反応したが、また部屋に籠ってしまう。
もちろん帝国外務省は言うまでもなくフェルノール派であるから、セフィーナに記者会見をさせ、公的な立場をハッキリとさせたいのだが、元々がアイオリア直系皇族同士の戦いという事情があり無闇には口出し出来ない。
「外務省の言う通りにエリーゼに移ってくれているし、皇女殿下はフェルノール派を以前と変わらず支持している」
「だが、公式行事は一切取り止めたままだ、正規の政治行動を取っていないのは疑わしい」
「いつかどちらの間も取り持つ行動を起こされるのでは!?」
外務省の職員達の間にもこうした見解の相違が様々な所で見られ、五月に入った頃……セフィーナの滞在するホテルに是非とも彼女と面会したいという非公式の申し出があったのである。
「……」
セフィーナが南のアルザード州からエリーゼに移ったのを知る者はまだ少ない。
南部諸州連合の一部高官には伝えられているが、アルザード州からは移動したと気づいたマスコミもまだ居場所は判明できていない状態での面会の申し出。
これが情報を聞きつけ、政治的にセフィーナを利用してやろうと考えている共和党のクルスチア程度のレベルの国会議員だったらメイヤはセフィーナに確認もせずに面会を断ったのだが、それでは済まない相手だったので、話を本人に通して判断を仰ぐ事にしたのである。
「……ソイツなら会っておいた方がいいな、逆に会わなかったら何を言いに来たのか気になって仕方が無くなるからな」
面会希望の相手の名前を聞いたセフィーナの顔に、ここ数週間鳴りを潜めていた鋭さが一瞬戻ったのをメイヤは見逃さなかった。
***
「お久しぶりです、皇女殿下……少し前は探さずとも皇女殿下は話題の中心におられましたが、いやはや今回は貴女に会うどころか探すのにも苦労しました、すっかり御忍びが上手くなられましたな?」
スウィートルームの応接室、ヴェロニカを伴い、ソファーに身を沈めながら嫌味から言葉をスタートさせたゴットハルト・リンデマンの言い様にセフィーナは特に反応せず、まぁなとだけ答え紅茶を一口飲んでリンデマンを見据えた。
部屋に居るのは応接テーブルを挟んで向かい合うリンデマンとセフィーナ、各々の後ろに控えるヴェロニカとメイヤだけだ。
「こちらにも色々と都合があってな、こちらの内戦の事情が複雑になったのは貴公も承知しているだろう?」
「どうですかな? 大して複雑になったとは私にはどうにも思えませんが?」
「ほぅ? 今の状況が複雑でないとは、参考までに聞いても良いか?」
「前々からその兆候がハッキリとあり、反意を見せたアレキサンダー皇子にサラセナやアルフレート皇子が加勢しただけ、それにアルフレート皇子に至っては北部に新たな戦線を作る事も出来なかった、反乱が起こった初期と大した変化はありません」
自信満々に答えるリンデマンに明らかに不機嫌そうにフンと鼻を鳴らしてティーカップを受け皿に戻し、
「貴公には解るまい、所詮は当事者ではない者なのだから」
ぶっきらぼうな言い方を返すセフィーナ。
辛辣な言葉を受けたリンデマンであったが、そんな事は気にしない様子で、
「皇女殿下はここまでハッキリと影響の大きい政治的な行動を控えなかったというのに、ここに来てダンマリでは周囲も困りましょう? その苦労は貴女には理解できませんか?」
と、口にする。
「……」
唇を噛み、切れ長の瞳がリンデマンを捉えた、しかしリンデマンはそれに圧されるどころか嘲笑に近い顔を浮かべている。
出会い頭の明らかな不敬の態度。
いつもならば警告の意味も含めた動きを見せようというメイヤであったが、敢えて動かなかった。
「私の政治的な立ち位置は変わらぬ、しかし父や兄達やの争いに喜んで加わろうとする妹が何処にいるか!?」
「なるほど、しかしその道理は一般家庭での喧嘩の道理、数十万人を巻き込む特殊な家庭では当てはまりません、貴女一人の決断の停滞が何人を不幸にするかお分かりか?」
「貴様……」
セフィーナの顔に明らかな怒りが現れる。
帝国の人間ならば、ほぼ全ての者がその表情を向けられれば道理など投げ捨てて平伏して赦しを乞うだろう。
連合の人間であっても過半数はそうに違いないが、対峙しているのは連合軍屈指の名将であり、偏屈者の変人なのである。
「貴女がそれが解らぬと言うのなら、今すぐにでも全ての役職を辞して国に帰り、一人の妹として泣きながら兄上達の間に入っていかれるのが宜しいかと思います、だがそうでないなら正しいと思われる方に立場を表明するのが貴女の公的な役割だと私は思うのです」
リンデマンは臆せず話を続けた。
帝国を出てきた今、セフィーナにここまで進言できる人間は目の前の男以外に皆無と言っても過言ではない、メイヤはそう考えながらセフィーナの銀髪の後ろ姿を見つめた。
「そんな事はとっくにわかっているっ、わかっている!」
感情的な声を上げるセフィーナ。
それは強がりではないだろう、セフィーナが決して公的な立場を理解できていない訳ではないのはその場の全員が判っているに違いない。
「確かに貴女は十八歳になるか、ならないかの娘であり、この状況は同情出切る、しかし何度も言うがセフィーナ皇女殿下、貴女の人生は既に貴女一人の物ではない、現に私がここに現れたのはそれに翻弄された一人の優秀な女性が貴女を酷く心配していたからなのです」
「……優秀な女性?」
感情を露にしてソファーから立ち上がったセフィーナの動きが止まった。
「ええ……」
「誰だ?」
「元アイオリア帝国軍中将シア・バイエルライン」
「……!?」
驚愕の顔を見せたセフィーナ、もちろんメイヤも一緒だ。
対照的にそれを告げたリンデマンは薄い笑みを浮かべ、控えるヴェロニカは無表情のままだ。
「な、なぜシアが!? シアはゼファー派に……」
「それは謀略です、彼女がゼファー派に付いた事をフェルノール派に信じ込ませ、彼女の帰る所を無くしてゼファー派に走らざる得ない謀略に、彼女もフェルノール派も乗ってしまったのです」
「謀略だと!? なぜシアにそんな事を?」
セフィーナの顔が引きつる。
美しい美少女にはとても長くはさせておきなくない顔だ。
「普通に考えれば、如何に気鋭の将官とはいえ、ここまでの謀略を用いてまで味方に引き入れようとする意図はともかく、とにかくそれは謀略であります」
「なぜお前がそれを……」
「もちろん彼女から詳しく聞きました、シア・バイエルライン中将から直接ね、彼女と一緒に付いてきた元武官のルフィナという少女も信用できる証言をしてくれています」
「なんだと!?」
セフィーナは応接テーブルに手を付き、大きく身体をリンデマンに乗り出した。
「ならば、私とまず先に話をさせなかった!? 私がカール兄さんに話せば、そんな謀略など意味がない、すぐにでもシアを帝国軍に復帰させられる!」
「でしょうな……しかし!」
リンデマンの言葉の語尾に強さが籠る。
それはセフィーナに対する抑えの意味があった。
「もう彼女は帝国の人間ではないのです、あくまでも今は秘密裏ですが彼女は正式に南部諸州連合への亡命を表明し、私が身元を引き受ける事にしたのです」
「……」
帝国の英雄姫に浮かぶ絶句。
シアがゼファー派に参加したと聞いた時と同等か、それ以上の時の衝撃がそこにはあった。
「何故だ!? 連合まで来れるならば私の元に」
「彼女もそうしようとしたのでしょう、しかし……」
リンデマンに言葉を遮られ、セフィーナはそこで気づく。
自らの過ちに。
決断を先送りにした罪に。
「そうです、貴女はこの数週間立場をハッキリとさせずマスコミは様々な憶測を書き立てる事を許した、貴女がもしゼファー派に鞍替えをしていたら、もちろん彼女もその確率については高いとは考えてませんでした、しかしその可能性は必ずあると考えたのです、もしそれが現実だったらシア中将はそれこそゼファー派に逆送りです、そんな危険を犯せないと考え、自ら居場所を否応なしに作らざる得なくなったのですよ」
「……そんな」
応接テーブルに両肘を着いて崩れ落ちる。
態度を明確に出来なかった自分をシアは信じ切れなかった、いやシアに自分を信じさせる事がセフィーナには出来なかった。
何という不覚。
悩み、孤独に逃げている間にシアは自分を頼りに謀略から逃げ逃れて来ていたというのに。
もう遅い。
今更シアに何を言っても、一度亡命を決めた彼女は帰ってこないだろう。
セフィーナは知っている。
シア・バイエルラインは礼儀正しく、控え目な所がある女性であるが十二分な才能とそれに相応しいプライドがある。
「セフィーナ、今から会ってでも!」
「無理だ、私が今更シアに何を言っても聞かないだろう、むしろ私の意思を疑った自分を責めるかもしれない……もうダメだ」
「わかっておりますな……後の状況は関係なく、彼女はもう決めたと私に言いました、だからこそ私は彼女の身元を引き受ける事にしたのです」
メイヤの進言に額をテーブルに着けたまま涙声で答えたセフィーナをリンデマンは告げた。
漏れ始める嗚咽。
我慢が出来なかった。
英雄姫は年相応の少女らしく大粒の涙をテーブルに大量に落とし始めていた。
「皇女殿下……貴女はこれから様座な事を決断しなければならない立場であり、それを先送りにしたり、間違えれば、周囲の者だけで無く、一度も会った事もない沢山の民衆を不幸にしてしまうのです……私が言いたいのはそれだけです、それではセフィーナ皇女殿下、私は行きます」
立ち上がるリンデマンは頭を垂れたままのセフィーナを見下ろした。
ヴェロニカもペコリと頭を下げ、二人は揃って部屋を出ていくがセフィーナは嗚咽を漏らして泣き続け、それを観ている事しか出来ないメイヤも自らの情けなさに歯を喰い縛って頬を伝う涙を必死に止めようとしたがそれは叶わなかった。
続く




