第九十一話「戦況検討会議」
アルファンス州エリーゼの街の中心地に建つアパートメントの居間で安楽椅子に座った男は大きな息を吐き、届いたばかりの新聞を近くのテーブルに置いてコーヒーカップを口に運ぶ。
「今日も特に何も無しでホテルに籠りっきりか、セフィーナ皇女殿下は案外に傷つきやすいのだな」
「残念そうですね、しかし親兄弟が内乱を始めたら落ち込むのは仕方がない部分もあるかと思いますが?」
リンデマンの言い様にヴェロニカはそう言って空になったカップに新たにコーヒーを注いだ。
「彼女は若いからね、もちろん傷ついたり落ち込んだりするのは理解できる、私はそれを残念には思っていないが彼女が悩んでいるのだとしたら多少の落胆があるのだ」
「どういう意味でしょうか?」
「兄弟同士の戦いに傷つくのは妹として当然だ、しかし彼女がこの後に及んでどちらに付くか悩んでいたら私は彼女を幾らか買い被り過ぎたのかもしれない、彼女が自身で記者会見をせずとも帝国の外務省を通してでもいい、自分の立ち位置をハッキリとさせないから好き放題に書かれてしまう、各新聞はセフィーナ皇女の今後の行動をまるっきり正反対の事を書き合って売り上げを伸ばし合っている状態であり、これでは彼女の政治的な立場が大きく疑われてしまう」
新しく注がれたコーヒーを飲むリンデマン。
そこに見える落胆がセフィーナに対する物か、新聞各社に向けられた物であるかまではヴェロニカは問わない。
「眼を引くような見出しで正反対の事が書かれた二紙があれば読み比べたくなるのもわかります」
「その通りだ、似たような記事では他社に差がつけられない、どちらにも周辺の関係者や事情通とやらから得た情報はあるが、本人から聞いた話などは皆無なのだからな、幾らでも過激に書き立て、市民の購買意欲を刺激できる状態なのだよ」
「誰かがアドバイスしないのでしょうか? せめてセフィーナ皇女に注意してあげられれば」
「する筈の家族からは離れ、その彼等が内輪揉めしている状態で彼女に誰がそれをする? 彼女のお付きの少女は古い付き合いで遠慮も無いようだが政治的な助言が出来るようには見えなかったし、帝国外務省の人間も今の状態で帝国皇女に意見が出来る訳が無い」
リンデマンは立ち上がる。
そろそろ出勤の時間だ、ヴェロニカは軍服の上着を用意してリンデマンの後ろに回して着せた。
「沈黙は金とも言うが、今は沈黙は毒だ、それも本人だけでなく周囲の者にすら悪影響を及ぼす可能性が高い……まだまだ皇女殿下も子供だ、まぁ私がここで愚痴を言っても彼女には届きもしないのだが」
まだ寒さの残る朝の石畳の道を歩きながら、そんな事を話続けるリンデマンの様子は何処か教授が期待の教え子の不甲斐なさを嘆く様にも見えたが、ヴェロニカは当然そんな事は口にはしなかったのである。
***
停戦中の高級軍人は戦争中のそれよりは遥かに暇であるが、そうとは素直には認めはしない。
帝国で開戦寸前の内戦の情報の精査、検討を行い、意見を提出せよという作戦本部長モンティー元帥からの指示を受けたリンデマンは統合作戦本部の第二会議室でそれを行う事にした。
会議の出席者はリンデマン、ヴェロニカ、アリスと彼女の部下であるリキュエール少将とヴィスパー少佐の五人。
「では帝国内の内戦について現在まで入ってきている情報を整理します」
ヴィスパー少佐が帝国の大地図を全員が座る机の上に大きく広げた。
「帝国中部ゼファーでまずアレキサンダー皇子が起ち、続いてサラセナが北西の国境を超えました、続いて北部でアルフレート皇子が反乱を起こしたのですが、こちらは周辺の都市への波及が防がれ、アルフレート皇子は軍をゼファーに向けました」
そう説明すると、机上演習用の赤い駒を二つ帝国中部のゼファーと置き、更に一つを北西部に進ませる。
「当初の予定では三つの戦線で全面内戦を行い、敗戦や内乱で傷ついた民衆の支持を得てフェルノール派と拮抗していくつもりだったのね、でもアルフレート皇子は逆にカール皇子にそれが読まれていたらしいわ、この第三戦線を構築させなかったのは見事だと思うわ」
「流石ですね、伊達にアイオリアの長男はやっていないですね」
アリスが説明するとリキュエールが感心の声を出す。
「逆を言えば、兄弟すら推測の材料が揃えば先手を取るような性格が反乱を読んだ可能性がある、カール皇子が皇帝になった時の生き残りにアルフレート皇子は不安を覚えたのかもしれない、もちろん不仲を伝えられているアレキサンダー皇子の動機はそれに間違いないだろう、そこをサラセナが眼をつけたのはもちろんの事だな……それに皇帝居城の噂ではカール皇子はセフィーナ皇女に対する溺愛を隠さないらしく、何かと良い兄であったアルフレート皇子としては、それに対して妹を護るという反感の感情もあったという話もある」
リンデマンが口を開く。
カールのセフィーナへの溺愛は皇帝居城では門番すらも知っている事であり、セフィーナへの注目が集まった頃から連合でも話題に登っていた。
その中の情報にはカールは自らが皇帝の座に登った暁には本気でセフィーナを唯一の后妃として迎えるつもりであるという物もあり、連合の女性士官の間では色々と話の種になっている。
「それについてはねぇ、色々な裏話があるのよねぇ」
「アハハハ……」
アリスとリキュエールは意味ありげに笑い合う。
二人の様子はまるで同級生の恋の噂話に恥ずかしがる女子学生の様だ。
だがリンデマンはそんな話に微塵も興味を示さずにヴィスパーに視線を向ける。
「まぁ、動機やセフィーナ皇女の事は本題ではないな、この反乱の動きに対するフェルノール派の軍事行動の情報は?」
「はい、あくまでも確定情報ではありませんが……」
そっちが話を始めたんでしょうが、という顔をしたアリスに苦笑いをしながらヴィスパーは今度は青い駒を二つ用意し、一つを西部へ、もう一つを中部に配置した。
「帝国フェルノール派はこれに対し、親衛遊撃軍に新たな司令官ヨヘン・ハルパー中将を任じて西部に派遣し、中部にはカール皇子を総司令官、クラウス皇子を副司令とした討伐軍を向かわせました」
「各々の戦線の兵力を詳しく知りたいです」
緑色のサイドテールを揺らしながら、作戦図を覗き込むリキュエールにヴィスパーは頷く。
「はい、しかし情報が錯綜してますので正確な数字ではありませんが、信憑性が高い情報に依りますと、中部戦線のゼファー派はアレキサンダー皇子が率いる六万とアルフレート皇子が率いる八万の計十四万に対して、カール皇子が率いる討伐軍は約八万五千、西部ではサラセナ軍が約五万五千以上、親衛遊撃軍は四万という戦力となっている様です」
「数はゼファー派がかなり有利ね、特にアルフレート皇子は先手を取られた癖に良く集めたわ」
アリスはヴェロニカの淹れた紅茶をひと口飲んだ。
ゼファー派に対してフェルノール派は両方面での戦力が大きく劣っていると言って過言ではなく、中部方面では討伐軍は攻め手であるにも関わらず、相当な戦力差があるのがわかる。
「でもこれは額面通りではないでしょう? アリス中将」
「もちろん、西部のサラセナ軍はともかく、中部のゼファー派はアレキサンダー皇子やアルフレート皇子の直属以外は彼等に味方する貴族の私兵だと考えて差し支えないわ、二人の直属はおそらく各々が二万は越えないと考えると、中部方面の十四万のうち十万は私兵だという単純計算ね」
リキュエールに振られたアリスが呟くと、ヴィスパーがこちらの調べでもアリス中将の言われる通りの戦力報告が着ていますと返事をした。
もちろん討伐軍は全軍が正規兵で編成されているので、そのメリットが大きいのは鉄槌遠征でも証明されている。
「戦力の把握は以上といった所か、では中部と西部の貴族達の動きはどうか?」
判断材料を揃えてから検討をするつもりなのだろう、リンデマンは話を先に進めた。
ヴィスパーがヴェロニカから資料を受け取る。
「はい、こちらも流動的な上に諜報部も小規模の貴族などの動向は掴みにくいらしいのですが……中部では貴族勢力の三割から四割程がゼファー派に付き、西部では動きが無いようです」
「三割から四割か、サラセナやアルフレート皇子が参加した事もあって予想以上に持っていかれたな」
「でしょうね、でも西部での反応が無いのはどういう事でしょうか?」
「シュランゲシャッテンという最大の駒を昨年使ってしまっているからな、流石に万を越えてくる手駒は無いだろうな、それに西部貴族は二回の反乱に応じた勢力は多くは無かった所から案外に帝国中枢への忠誠心は低くないのだろう」
リンデマンがヴィスパーの疑問に答えると、今度はリキュエールがリンデマンに顔を向けた。
「それはサラセナとしては失策だったと? 去年ではなく今のタイミングでシュランゲシャッテン公という駒を使えていたら効果的だったのでは?」
リキュエールの問いはもっともである。
シュランゲシャッテンの反乱の背後にサラセナがいた事は公的には認められないが、ある程度の認識がされている。
去年ではなくシュランゲシャッテン公の反乱を今回に重ねていれば最も効果的だったと考えられるのだ。
だがリンデマンはそれには首を振る。
「リキュエール少将、少ない情報だが話ではシュランゲシャッテン公はサラセナとの不適切な資金貸与の噂があって、間もなく帝国政府からの追求があるかも知れなかったという、そこで我々の西部侵攻作戦を察知し、急いでシュランゲシャッテン公の反乱を起こさせたというのが実情だろう、資金貸与が明るみに出た後ではシュランゲシャッテン公は逮捕され反乱自体が起こせなかっただろう、とても今年の春までは待てなかったのだ、またその時ではアレキサンダー皇子は鉄槌遠征で負った傷が完治していなかっただろうし、アルフレート皇子も起たなかった可能性が高い、その二つの反乱は連動できずして連動できなかったのだろう」
「なるほど、そういう事情がありましたか」
リキュエールはリンデマンの説明に納得する。
これは後にも研究家の間でもちょっとした論議の対象となった事例であった。
「シュランゲシャッテン公の反乱にアレキサンダー皇子が連動できなかった理由がその怪我だったとしたら、帝国はヴェロニカに勲章を送らないといけないわね」
「……もらえますかね?」
アリスの言葉にヴィスパーの横で様々な資料を整理していたヴェロニカが微笑んだ。
無双の強さで戦場を台風の如く蹂躙していたアレキサンダーに一騎討ちを挑み、彼を長期間負傷させたのは誰でもない、メイド服に身を包んだ黒髪の可憐な美少女であった。
ちなみにもちろん非公式だがヴェロニカはネーベルシュタット事件の実行犯であり、大陸広しと言ってもアイオリアの直系皇族二人に直接傷を負わせようとして生きている人間は居ないだろう。
「で? リンデマン教授はこの状況はフェルノール派とゼファー派のどちらが有利と観ているのよ?」
冗談はさておきとアリスが訊くと、
「現有での戦力はゼファー派が有利だが、控える予備戦力や国力を動員した場合は結局はゼファー派の勝率は二割もあれば上等だろう、しかしある要素が加われば可能性は飛躍的に増す事を考慮せねばなるまい」
リンデマンは神妙な顔で答えた、その要素をアリスも当然に解っている。
「その答えはセフィーナ皇女ね、彼女の動向は不透明だけど、これからどうなるかしらね」
「さてな……そこまで他人の家の事情に深く入り込むつもりもないからな」
そればかりは解らないとリンデマンも右手を軽く振って見せた。
会議はそれから幾つかの事項を検討して、程なく終了を見たのであるが……
寝耳に水としか言えないような衝撃の報告が入ってきたのは、帰りに会議のメンバーで食事にでも行こうとなり、五人が揃って統合作戦本部の玄関を出ようとした時であった。
続く




