第八十九話「向かう者達」
アルフレート・ゼイン・アイオリア。
何かと性格に癖のある直系一族の温厚な調整役として腕を振るってきた彼のゼファー派への参加。
それはサラセナを味方につけてはいるが、皇帝に敵対する形になっていたゼファー派には朗報であり、これにより一気にフェルノール派に迫る勢力をゼファー派は得た、と観て中西部の貴族の中にはゼファー派に走る者も出た。
しかし……北部ゼインで旗を挙げたアルフレートは実は予想外の事態に陥っていたのである。
「クレメントもダメか!?」
「はっ、城主のヤラウワ少将は既に反逆罪の容疑で逮捕され、フェルノールから派遣された者が臨時の城主に就いており……」
「オスロもリクエルタもか?」
「はい、オスロは城主は変わっていませんが、元々我々の計画に乗り気ではありませんでした、リクエルタのバッテン少将もヤラウワ少将と同じく……」
ゼインの城の会議室に居並ぶ幹部達。
上座に座るアルフレートの苦渋の混じった問いに腹心のカーリエン少将は悔しそうに答えた。
アイオリア帝国北部は極寒地である事が大きく開発は進んでいない、その中でもクレメント、オスロ、リクエルタ、そしてゼインは比較的人口が多い中規模都市であり、自らの所領は当然として、自分が起つなら親交が深かった北部のそれらの都市の城主に工作を行い、オスロ以外のクレメント、リクエルタの城主からは協力の約束を得る事に成功していたのだが……
ゼインでアルフレートが兵を挙げる直前、クレメントとリクエルタにフェルノールからの武装憲兵隊が現れ、それぞれの土地を統治していた貴族を反逆罪の容疑で逮捕し、皇帝の勅命で命じられた臨時の城主が就いてしまったのである。
「フェルノール派の動きは何と素早いのでしょうか! それも陛下の勅命が下るなど、誰かの密告ではありませんか!?」
幹部の一人が戸惑いの声を上げると、アルフレートは落ち着いた様子で首を横に振る。
「違う、これはカール兄さんの手腕だ、兄さんは初めから僕を疑っていた、アレキサンダー兄さんが態度を明らかにする以前から僕の所領の北部周辺の調査を進めていて、僕が北部に向かったタイミングで一気に周辺を抑えたんだ、陛下の勅命もカール兄さんから強く働きかけた結果に違いない」
「カール皇子が!?」
「ああ、僕はまんまとカール兄さんに不意討ちを喰らわせるつもりが見事な先手を打たれてしまったんだ、計画が狂ったね」
素直に初動を押さえられた失敗を認め、アルフレートは会議室の他の幹部達を見渡す。
「まだまだです、周辺の主要都市が押さえられたのなら奪取してしまえばいい、アルフレート様を慕う北部の貴族は何もクレメントやリクエルタだけではない、集合させれば五、六万は集まります、クレメントやリクエルタに進軍して両都市を陥落させればオスロも言う事を聞かざる得ない、それから動員をかけて北部戦線を築けば良いのです!」
席を立ち発言したのはセルタ・フェデルファイト中佐。
北部出身の女性士官の二十七歳。
百七十㎝を越える身長に中肉の体つき、茶色い短髪に意志を感じさせる強気の眼差し。
アルフレートの親衛隊を長く勤める彼女は皇帝居城でもその名を知られる武勇の持ち主で、大剣を両手で振り回し実戦でも訓練でも直接対決で彼女を負かせる者はいないと評判だった。
戦争下手という不名誉な陰口を言われるアルフレートだが、アルフレートの率いる師団は負けていても、彼女の麾下のアルフレート親衛隊は負けを知らず、アルフレートの身は無事だ。
一度、同じく皇帝居城でも武勇が噂になる程だったメイヤと模擬戦の一騎討ちをさせてみたらどうだろうか、と話が出てセルタ中佐は乗り気になったのだがメイヤが特に興味を示さなかったので実現しなかったという逸話もある。
「いや……ダメだ」
武闘派の幹部からの先手を取られた戦況を逆転する為の強行策の提案。
だがアルフレートは承諾しなかった。
「確かに今からでも五万の兵は集められる、しかし言ってしまえばそれしか集められないんだ、クレメントやリクエルタには各々に一万近くの守備兵がいるとすると、五万で両都市を攻撃するのは決して有利な策じゃない、五万の兵を損耗したら我々にはもう兵力がない事になるんだ」
「その通りですな」
「そうなればゼファーでのアルフレート様への扱いが変わってしまうかもしれない」
周囲の幹部達の大半がアルフレートの意見に同意すると、セルタ中佐は落胆は見せながらも頭を下げ、大人しく椅子に座る。
「先手を打たれたからには北部戦線を構築する作戦は諦めざる得ない、今から周辺地域からまとめられる兵力を集めてゼファーに向かおう」
アルフレートは断を下す。
集まった戦力で二つの都市を攻撃するという賭けには出ず、更なる最悪を避けた判断。
アルフレートの戦力が撃退されれば彼がゼファー派に参戦した意味が大きく損なわれてしまう。
先手を打たれた事に感情的にならず、次善と思われる堅実な手段を選ぶ。
その判断は無難と言えば無難であり、アルフレートらしい行動であった。
***
「アルフレート皇子はクレメントやリクエルタに対する攻勢を行わず、周辺の戦力を集めて南下したようです、その数は約八万以上で目的地はゼファーかと思われます」
「アルフレートならそうするだろうな、それにしても八万か、予想以上に集められたのは奴の人徳というヤツだな」
フェルノール。
皇帝居城の執務室でアルフレートの作戦行動の報告を受けたカールはそう言って不敵な笑みを浮かべた。
報告が上がってくると聞き、カールの執務室を訪れていたクラウスが報告官から報告書を受け取る。
「ここまではカール兄さんの読み通りだね、アルフレート兄さんはやはり無理に北部戦線を作ろうとはしなかったね」
「アイツは自らの戦下手を知っているからな、只でさえ有利とは言えない条件の攻城戦で撃退されれば、ゼファー派の中での自分の立場も怪しくなるからな、北部戦線を築けなかったとはいえ大戦力を率いてゼファーに馳せ参じる方が無難だ」
「それにしてもアルフレート兄さんの事をよく見抜けたね?」
「造作もないさ」
クラウスが眼を通し終わった報告書を一瞥して、机の上に放り出すとカールは顔を上げた。
「アルフレートにもお前にも所領を中心に憲兵総監と共に内偵捜査をしていただけだ、戦頼りのアレキサンダーの下に駆けつけたいなら所領を中心に自らの戦力を率いて行きたいと思うのは当然だからな」
「そんな事だと思ったよ……でも北部にまで戦線を築かれる事は防いだけど中部にはアレキサンダー兄さんとアルフレート兄さん、西部にはサラセナ軍がいるんだ、これからはどうするんだい?」
答えは予想していたよ、と言いたげに苦笑混じりに肩をすくめたクラウスに、フッと唇を緩めた後でカールは瞳を鋭くさせて執務机から立ち上がる。
「西部にはヨヘン・ハルパー中将の親衛遊撃軍を送る、中部には俺とお前で行くのが筋だろう、陛下に裁可を得て討伐令を下して頂き帝国全域にこれを発令する、これで奴等は完全な反乱軍となるのだ、戦の準備だ」
そう言い放つアイオリア直系家族長男の顔には反乱を起こした弟達への躊躇は一切無かった。
***
夕陽が沈みかけていた。
幾つかの自然の障害を乗り越えた結果、二人の服は所々が破れて肌も傷つき痛々しい。
シアは脱走する際、寝間着ではマズイと部屋にあった軍服に着替えてきただけ幾らかマシだった。
それまで着る事を頑なに拒んできたゼファー派の新生アイオリア軍の軍服は基本的なデザインはアイオリア軍のそれと変わりはなく、見分けとして両肩と袖に金色の一本線が刺繍されている。
新生アイオリア軍としての全く新しい制服などを反乱軍が造っている暇も資金も無駄なので、そういう緊急措置になっているのだろうがシアはそれをナイフで切り落として着ていた。
「そろそろヴァルタよ、ここは……」
「セフィーナ様が去年、連合軍五万を八千の兵で撃破した場所ですよね! 英雄姫セフィーナ皇女殿下の縁の地です」
森を抜けた先に広がる平原。
説明するよりも早くルフィナが口を開くと、感慨深げにシアは頷く。
「そう、ここがヴァルタ平原……停戦中であっても、この平原は両軍の兵が居るだろうから慎重に通過しなければいけないわ、そしてその先がハッファ山地……そこはもう南部諸州連合よ」
向かう平原の先に広がるのは千メートル級が連なった山脈であり、南部諸州連合の中部からの入口であるが道は険しく至る所に連合軍の山砦の築かれ、自然を利用した要害である。
遥か北のゼファーから二人はここまで南下して来ていた。
もちろん目的地は進む先にキチンと定めている。
「さぁ、行くわよ……夜の内は進んで昼は身を隠して平原を横断するわ」
「はい!」
夕陽が西の地平に消え、急速に明るさを失うヴァルタ平原に踏み出すシア、ルフィナはそれに迷い無く付き従うのだった。
続く




