第八十四話「とある情報参謀の受難」
一瞬前まで正確な方向を指向していた筈の鉄筒の先端部は差し出された人差し指によって上向きにされ、発射された弾丸は炸裂音と共に上空に去っていた。
「……!?」
「御無礼、ですわ」
驚愕の暗殺者の視線にフリルの付いたワンピースに身を包んだエメラルドグリーンの長髪の少女は涼しい顔で告げる。
「お前は……?」
すんでの所で危機を脱したセフィーナにしても何が起こったのか理解できずに目が泳いでいる。
「!!」
構わず小男に飛び付いたのはメイヤ。
最新殺傷兵器を持つ相手だがそんな事は構わない、幸いエメラルドグリーンの髪の少女の乱入でセフィーナへの射撃は外れた様子だが、それを発射させてしまった時点でメイヤの心中は穏やかではない。
「この野郎!」
怒りの拳を暗殺者の小男に繰り出す、小男は二発目まではパンチを避けたが、ボディーパンチからアッパーのコンビネーションを見事に受けてしまい、その場に昏倒し、他のセフィーナの護衛達に取り押さえられた。
「怪我は!?」
振り返るメイヤにセフィーナは首を振る、怪我は一切無かったが至近距離で放たれた筒状の最新兵器のインパクトとその発射音にやや度肝を抜かれてしまったのだ。
「何事ですかっ?」
最新兵器の発射音や周囲の喧騒を聞き付けた連合軍の警備兵が数人駆け寄ってくる。
「何者かがセフィーナ皇女殿下を狙った! 幸い殿下はケガもなく無事で犯人はこちらで取り押さえた」
「何ですって!? 了解しました、まだ犯人には仲間が居るかもしれません、警備隊を増援して周囲を警戒します!」
メイヤの説明に状況をすぐに理解した警備兵は犯人を取り押さえるセフィーナの護衛の少女達に加わったり、腰のサーベルを抜いて周囲を警戒し始めた。
「あぶのうございましたわね?」
「助かったよ、お前は確かにネーベルシュタットで見たな?」
ニッコリ笑顔のエメラルドグリーンの髪の少女ミラージュにセフィーナは礼を言いながら訊くが、ミラージュがそうでしたかしらとシラを切ったので、それはまぁいいか、と、筒状の最新兵器の発射時の風圧で乱れた銀髪を直す。
「ちなみにお前が居たのはゴットハルト・リンデマンの差し金と考えていいのか?」
「解釈はお任せしますわ」
「この情報は知っていたのか?」
「さて、どうでしょうか?」
質問をはぐらかすミラージュ、セフィーナはややカチンと来た様子だったが、
「ありがとう、お前が居なかったからセフィーナが危なかった、面倒かけたな」
メイヤが例の抑揚の無い口調ながらも、ミラージュに素直に感謝の意を表したので、助けられた本人としても怒っている訳にはいかず、ミラージュから視線を取り押さえられた男に移す。
メイヤのパンチが効いたのか、小男はピクリとも動かない。
「起こせ」
セフィーナが命ずると警備の少女が小男の頬を何度も叩くが彼はピクリとも動かなかった。
「毒……飲んだな、パンチを入れられる前に失敗した上に逃げられないと踏んで」
顔を上げさせるメイヤ、男の口からは白い泡が出ていた。
「死んだか、背後関係が調べにくくなりますね、おそらくセフィーナ皇女殿下との戦いの中で家族を失った者でしょう、今回の平和大使の件で過激な反対運動をしている政治グループも多いらしいのです、戦ですから皇女殿下を責める権利はありませんが、やりきれない者が多いのも事実です」
連合軍の警備兵は複雑な顔をする。
そんな警備兵の言葉には特に何も答えず、セフィーナは地面に転がる筒状の兵器を拾い上げ……
『いくら過激だからといって、市民の反対グループがまだ近衛師団のごく一部でしか実用化されていない様な最新兵器を持っているのは腑に落ちない、これは嫌な予感がする、何か別の事が起こらなければいいが』
と、瞳を鋭くさせながら唇を噛み締めた。
***
フェルノールの中心街にある高級士官が通うレストラン白夜亭の店内は盛況である、騒がしさも感じる一階を見下ろす吹き抜けの二階席の隅のテーブルが二人の帝国軍将官のお決まりの場所となっていた。
「私達はどうも腰が落ち着かないよねぇ? セフィーナ様が連合に行っちゃってからはまた待機だし、親衛遊撃軍が解散したらまた別部隊になっちゃうわね」
「仕方ないでしょ? 親衛遊撃軍の解散の話はまだ出ていないわ、だったらセフィーナ様が帰ってくるまでは親衛遊撃軍を私達がキチンと守らなきゃいけない、責任も更に重くなったのだからしっかりしましょうね、ヨヘン中将!?」
「へいへい」
シアにグラスに酒を注がれ、ヨヘンはそれを飲み干す。
今日の席は二人のある祝いだった。
ヨヘン・ハルパー、シア・バイエルラインの二人の少将は連合に旅立つ前のセフィーナが強い推挙をした影響もあり、功績を認められ中将に昇進したのだ。
二人と同時に親衛遊撃軍で活躍を見せたクルサードも中将に昇進を果たしている。
またもや同期の同時昇進だが、二人の間には階級などは存在した事は無かった。
「それにしてもシアはいい男の子見つけた?」
「何を急に!? いないわよ」
唐突なヨヘンの質問にシアは焦る。
「中将閣下、そろそろそちらの戦果も聞かせてもらいたい物ですねぇ? 教えてよぉ」
「教えても何もいつもあなたといるでしょ? それに戦果を焦って返り討ちは御免よ、実例を見ている訳だしね」
「ムムム……」
「フフッ、焦んないでいいわ、私は」
痛い所を突かれ頬を膨らませるヨヘン。
その子供の表情にシアは笑って酒を飲んでから、グラスに残ったそれを傾けて眺める。
「それにね、正直を言えば……ヨヘンが先にいっちゃった時は少し寂しかったのよ?」
「そうだったの? 確か自分で決めたなら反対しない、って言ってたような」
「それはそうよ、早いかなとは思ったけど、あなたには幸せになってもらいたかったもの、でも寂しかったわ、もうヨヘンとは今まで通りにはつるめないんだな、って……予想外に早く帰ってきたからビックリしたけどね、喋っちゃったな」
お喋りを酒のせいにした紅潮した顔でウインクして、シアは酒の肴に出された手羽先を口にする。
「シアは寂しがりだからね、気を効かして帰ってきてあげたんだよ、でも私はシアが相手を見つけても気にしないし、今まで通りつるむつもりだから気にせずに相手を見つけなよ?」
「色々と気を効かせてくれる親友に感謝感激だわ、でも当分はあなたでいいわ、ネタが無いからもう話題変えましょ? 手羽先あげるから」
「私もしばらくはシアでいいよ、あーん」
差し出された手羽先をヨヘンはパクリとくわえた。
***
ヨヘンがフェルノール城下にある帝国軍憲兵本部に呼び出されたのは、三日後の早朝であった。
本部長を務めるのはシュタルケ大将、既に七十近い老将だが堅い人格を持つ規則に厳しい人間と聞いていたヨヘンは呼び出された時間ぴったりに本部長室を訪れていた。
「君がヨヘン・ハルパー中将だな、戦果の噂は聞いている、忙しい身に朝早くから御足労願って済まなかったな」
「いえ」
堅い人格と聞いていたが嫌味な感じは受けない、呼び出した事に謝罪を口にした相手にヨヘンは素直に敬礼して答える。
実の所を言えば憲兵本部に呼び出される覚えはヨヘンには無い、実戦畑である自分には憲兵による査閲という後方の業務には縁がないと思っていたからだが……
「ところで君はこんな所に呼び出される覚えはないと思うが、話というのは君の友人のシア・バイエルライン中将の件なのだ」
「えっ? シアが何かしたんですか?」
シュタルケの口から上げられた親友の名前にヨヘンの顔色が怪訝な物になる、自分の身はもちろんだがシアは自分にも増して憲兵本部の話題になるような人間ではない。
「君は最近彼女と連絡は?」
「三日ほど前に白夜亭で食事をしましたが?」
「三日前か、では内密に頼みたいのだが……シア中将とその翌日から連絡が取れないのだ、事故が起こった恐れもあり、私の権限で彼女の自宅に部下を向かわせた結果、キチンと荷物や部屋をスッカリ片付けて行方をくらませてしまった様子なのだ」
「えっ!?」
ヨヘンはシュタルケの机に手をついて声を上げた。
明らかな異常事態だ。
頭が真っ白になる。
シアはセフィーナの居ない今は親衛遊撃軍の代理の軍団長なのである、その様な責任のある状態でシアが荷物を纏めてどこかに行くなんて到底、考えられない。
「捜索はしたのですか!?」
「将官の失踪だ、表沙汰にならないようにしているが、全く手がかりが掴めない、私の判断で親友と知られる君ならばと打ち明けたんだが思い当たる節は無いだろうか?」
シュタルケも困惑しているのだろう。
将官の失踪となれば大事だ。
だが、それ以上に困惑したのは問われたヨヘン自身。
『なぜ……こんな事が』
眼を瞑り、親友の笑顔を思い出しながら、ひたすら手掛かりのない暗闇に問いかけるヨヘン。
彼女にその答えが告げられたのは更に五日後、それは彼女の人生において最大級の衝撃を伴った親衛遊撃軍情報参謀のウルス中佐からの一報であった。
「帝国中部の広範囲にて、アレキサンダー・ゼファー・アイオリア皇子を中心とする大規模反乱が勃発、更にサラセナ軍が国境を超えて西部に進出、反乱軍と協力する態勢をとっているとの事、なおアレキサンダー皇子は自らの軍を新生アイオリア帝国軍と名乗っており、新生アイオリア帝国軍を名乗る反乱軍の総参謀長には先日行方不明となったシア・バイエルライン中将の名があります」
誇張などは一切加えず、情報部からの報せを忠実にヨヘンに報せたウルス中佐であったが、意味が解らないかような呆気にとられた顔を見せた後で、唇を強く噛んだヨヘンからの、
「何をバカな事を、嘘を報告しないでっ!! 情報参謀なら正確な情報を持ってきなさいよっ!?」
という、全く身に責任の無い癇癪を起こされてしまい、対応に窮したのだった。
続く




