第八十二話「矛盾の先には真意があるか?」
テーブルに置かれた酒の肴はヴェロニカの手作りのスモークしたハムであった。
「急に来て悪かったわね? 幾つか気になる事を聞いてね、師団本部から帰りに寄ったのよ」
「いきなり来て、寒いから酒を出せ、とは君は上司の邸宅を飲み屋だと思っているのかね?」
夕食後のコーヒーの後に、読書でもしようとヴェロニカを自室に下がらせたが、そこに訪ねてきたアリスにリンデマンは真顔で訊ねた。
「まさか、同期の仲間よ、同期の仲は階級なんて越えるわ」
「都合の良いことだ、まぁいい、せっかくヴェロニカが手作りのスモークハムを出したんだ、食べるといい」
「同期生と仲が良いというのは素敵ですね、どうぞ」
肩をすくめるアリスにリンデマンが呆れた声を出すと、一旦は自室に下がったが、アリスが来たと聞いて、再びリンデマンの後ろの定位置に付いたヴェロニカがアリスに笑いかけた。
「悪いわねヴェロニカ……あ、このスモークハム美味しい、お酒進んじゃうわ」
スモークハムをフォークで口に運ぶと、予想外の美味しさだったのかアリスはパッと顔色を明るくして、グイとワインを大胆に喉に流し込む。
「全く……酔う前にここに来た用件を訊いておいた方がいいな、あと十分もしたら酔って忘れたと答えられそうだからな」
「あ、それもそうね」
リンデマンが安楽椅子の肘掛けで頬杖を付くと、アリスは思い出した様に顔を上げた。
「リンデマン、あなた今日、セフィーナ皇女殿下と行進して議会議場まで行ったらしいじゃない?」
「ほぅ、情報が早いな……しかし正確じゃない」
「正確じゃない?」
「ヴェロニカも行ったし、他に数千人が行った」
薄笑いでリンデマンが答えると、アリスはグラスに残ったワインを飲み干した。
「アンタに何を言っても仕方ないけど、そこでアンタ、セフィーナ皇女殿下を護るとか言ったとか?」
「嫉妬かね? 君には必要ないだろう?」
「真面目に答えろ」
空のワイングラスをスッと上げ、リンデマンを睨み付けるアリス。
滑らかな素早い動きで、ヴェロニカはアリスの後ろからグラスにワインを注ぐ。
「その類いの事は言った、理由も聞かれると思うから予め答えておこう、理由は私の好奇心だ、セフィーナ・ゼライハ・アイオリアはここで退場させるには歴史的には惜しい存在だ、またもや聞かれると思うから予め答えておくと、前に彼女を害しようとした人間が護ろうとしている矛盾には私自身は気づいている」
「その矛盾の答えは私は知っているわ、でも先にあなたがそうしなければいけないと思ったのは、誰かがセフィーナ皇女を殺そうとしていると思ったからでしょ?」
「思った……というより考えたのだ、彼女の真意は私には把握できない、帝国の諸問題を片付ける時間を作る為というのが根底にあるとは思うが、彼女は案外に本気で本格的な和平を願っているかもしれないな、だがまだ無理なのも解っている筈、しかし南部諸州連合とアイオリア帝国が戦争を完全に止めて、協力してしまったら困る勢力からすれば、彼女はまさに悪魔の使者だ、魔界に送還したいと思うだろう」
リンデマンはそこまで話すと、今日はもう寝付きの一杯しか飲むつもりは無かったのだがな、と言いながらも空のワイングラスをヴェロニカに上げた。
すぐにグラスが赤いワインで満たされる。
「その勢力は軍にも当然として、政界、財界と至る場所に存在しているわ……そして、今回セフィーナ皇女に協力的な行動を取っている人間をマークしている、皇女だけじゃなく、そっちを攻めてくる可能性もあるわけ」
「私を心配してくれているのか?」
いかにも演技臭くリンデマンが声を出すと、アリスは全く隠さずに舌打ちをした。
「あのねぇ、アンタみたいな人を気にしない奴は相手からはやりにくいわよ、抹殺するには味方としての立場が大きすぎるし、戦争には役立つんだから殺すに殺せないわ」
「そんな事はないさ、南部諸州連合に私以外にセフィーナ・ゼライハ・アイオリアの軍事的な才能に対抗できる者がいれば、私を大手を振って抹殺すればいいのだから、実際にセフィーナ皇女殿下を敗走させた君が居るじゃないか!?」
「……殴るわよ」
細目でリンデマンを見ながら、ワインを飲むアリス。
「ともかく……私も協力するわ、ゴットハルト・リンデマンの大いなる企みにね」
「企み? 私がセフィーナ皇女殿下を護るのは好奇心だ」
「大部分はそうでしょうよ、でもある企みもある筈、さっき私は前に彼女を害しようとしたあなたが今度は彼女を護ろうとしている矛盾は説明できる、って言ったでしょ?」
「ほほぅ、君がもしそこまで私を理解できているなら、君は私の良き理解者を名乗ってくれても構わんよ?」
リンデマンの顔色が変わる、不気味にも見えてしまう歓喜が浮かんだ。
アリスは一瞬、それに圧されかけたが……
「その称号は是非遠慮したいけど……あなたは今からならセフィーナ・ゼライハ・アイオリアが生きていた方が南部諸州連合がアイオリア帝国に勝利できる可能性が遥かに高いのではないか、と考え始めているんじゃないかしら? そしてどうするかはわからないけど貴方は戦争をこのまま停戦という曖昧な形でなく、しっかりとした形での決着を企んでいる、その為にセフィーナ皇女殿下が必要となった、どう?」
と、神妙な顔で問い詰める。
すぐに返事は無かった。
代わりにリンデマンの口元が、そこだけ独立した生物のようにユックリと歪んでいく。
「改めて思ったが……」
「な、何よ!?」
「君は私の敵にならなくて良かったね、もし敵だったら私はあらゆる汚い手段を使って、私は君を真っ先に抹殺していだろう、なぜなら戦場の指揮官が最も忌み嫌い、恐れている行為を君がしたからだよ……敵の指揮官の真意を読むと言う行為をね、良かろう君も私の企みに一枚噛むといい」
リンデマンはそう言うと笑いを続けながら、
「だが、それには困難がまだまだある筈だ」
と、付け加えた。
***
夜半。
議会から歓迎パーティを終えたセフィーナを乗せた馬車がホテルの前に付ける。
「ちょっと待ってなよ、ホテルに控えている奴等に周りを固めさせるから」
「構うな、私を観たくて寒い夜空に待っている人がいるかもしれないだろ? 一言くらい声をかけさせろ」
メイヤが止めるが、ドレス姿のセフィーナはさっさと馬車を降りてしまう。
高級ホテルの入口近くには寒空だというのに、百人は越えるであろう市民達が居た。
「セフィーナ様だ!」
「帰ってきたわ!」
「セフィーナ様ぁ!」
皆が一斉に、冬眠から起き出した生物のように動き出す。
どの時代にも有名人の熱狂的なファンという物はいる、彼等や彼女等の殆どが敵国人である筈のセフィーナのファンであろう。
その他は雑誌や新聞の記者……そして、目的を持った者。
「お帰りなさい、南部とはいえ冬は寒かったでしょう? これをどうか!」
進み出て来た赤毛の少女がセフィーナに手渡してきたのは赤いマフラー。
もちろん近づく前にメイヤは反応したが、それを主人に前に出られる形で制されてしまう。
「暖かそうだ、ここよりもフェルノールは数段冷えるけど、夜は流石に寒い、ありがたく頂くよ……えっと、名前は?」
「サエーナです」
「そうか、ありがとうサエーナ」
セフィーナは赤いマフラーを無造作に細い首周りに一周させただけだが、マフラーがまるで意思のあるようにドレスに合うような形でピシリと位置を決めた。
「お、お似合いです、セフィーナ様ぁ!」
サエーナは興奮ぎみに感動し、周囲の者達は感嘆する。
それに対してセフィーナはもう語らない、彼女にマフラーの対価とばかりに微笑みを見せると、先に歩を進めた。
「セフィーナ様!」
「私も貰って欲しい物が!」
「私も身につけて頂きたい物を」
渡した物を身につけて貰えるかもしれない。
数人の少年、少女がプレゼントを手に懸命な懇願の声でセフィーナに駆け寄ろうとした時、彼等よりも遥かに早くセフィーナに近づいた影があった。
「……!?」
セフィーナは一瞬、立ち止まる。
それは小柄の中年の男。
一目見れば冴えない。
しかし、その動きはあまりにも機敏。
「コイツ!! 危ないっ!」
メイヤは即断した。
小柄の冴えない中年を装うとも、高い確率でメイヤや手練れの警護の者に気づかれてしまうかも知れない一流の雰囲気をいたいけな少年、少女でカモフラージュしながらセフィーナに近づいたのだ。
「セフィ……」
メイヤが飛び出そうとするが、それよりも早く男のボロ服のから背中から抜き放たれたのは、彼の身長の半分以上はある金属製の細長い筒状の物体。
「お命頂くっ!」
男が肩に担ぐ筒状の物体から伸びた紐には火が走っていた。
「これはっ!?」
意識があるのにセフィーナの身体は動かない、いや動くよりも速くその最新殺人兵器は帝国皇女を正確に指向していた。
少年、少女の叫び声。
そして……迅雷が鳴り響き、朱が宙を舞った。
続く




