第八十話「議員と英雄姫」
朝陽に照らされるメインストリートを歩く数千にも及ぶ群衆達、その先頭にはドレスに身を包んだアイオリア帝国第一皇女セフィーナ・ゼライハ・アイオリアと南部諸州連合軍の近年の将星の中でも突出した才能を唱われる軍略家ゴットハルト・リンデマンの姿がある。
「我々はもう戦わない!」
「帝国と南部諸州連合の間に平和を!」
「停戦ではなく和平を!」
市民達は口々に声を上げ続け、その数を増していく。
白い息が出るような寒さの中でドレス姿という格好であってもセフィーナの顔は何処か紅潮していた。
「ゴットハルト・リンデマン」
「何か?」
「これが民主主義国家の国民の武器というものか?」
「左様、民主主義国家の政治権力者は市民のこの声を無視する事が非常に難しいのです、絶対君主制度の君主と違い彼等はこの声を封殺したりする事が出来ない、そうすれば彼等は封殺した人々から投票される選挙に落選し、権力を失うからです」
「……選挙か、この国の政治家はそればかりだな、市民のこの熱気を選挙に置き換えてしまうのか!?」
民衆の力に興奮は見せつつも、政治家の話に対しては、ため息をつくセフィーナ。
「それでいいのです、政治家という物は選挙で頭が一杯なくらいが良いのですよ」
「本気か? それが場当たり的な国政を招くのではないか? 長期を見据えた国策の妨げになるのではないか?」
嫌みを言ったつもりが、リンデマンの反応は嫌みに付き合わなかった、セフィーナはその意外な反応に怪訝な顔を浮かべる。
「確かに……長期を見据えた国策は議会制民主主義よりも絶対君主制度の中での方が実現しやすい、権力を失う選挙の心配が無いのですからね、しかし失策を建て直す事が難しい、実に少ない人数の偏見や思い込みを制御できず国を取り返しのつかない方向に導いてしまう恐れも多い、現在の賢明なアイオリア皇帝の元では失策は少ないかも知れないが、今までのアイオリアの歴史という永い間を見れば、民主主義では到底起こらないような民衆が犠牲になるような失策があったのではないですかな?」
「……それもそうだが」
リンデマンの答えと問いかけに、セフィーナは歯切れが悪い返答をして見せた。
幼い頃から見ていた皇帝居城の図書館の蔵書にはアイオリアの失政をハッキリと記し、批判した書物は皆無だが、書記官などが記した記録は残っている。
アイオリアの歴代皇帝の全てが有能な者がなった訳では当たり前だがなく、ただ長男であっただけ、権力闘争の成り行き、運が良く、と様々な理由で至高の玉座に座った者もおり、中には思い付きのような政策を実行しては数千人単位の国民を犠牲にしても反省の色もなく、責任を他人に押しつける様な出来の悪い者もいて後年に悪名を残していた。
「まぁ、話が逸れましたが……皇女殿下が平和大使という立場を違えぬのならば、貴女の采配によって命を失った者が居るにも関わらず味方をする者も多い、という事であり、政治家達はそれを無視は出来ないという事です」
「貴公はどうなのだ? 私の味方にはなってはくれないのか?」
「英雄姫ともあろう貴女が愚問ですな」
リンデマンは至極失礼な言い回しで答えた。
騒々しく歩きながらであるから周囲には聞こえないが、ごく近くに控えるメイヤやヴェロニカには聞こえている。
メイヤの視線がリンデマンに向くが、主君のセフィーナはこれを軽く手で制する。
「愚問とは? 私はこの国に少ない供のみを連れて入っているのだ、味方は少しでも欲しい、おかしいか?」
「言ったでしょう、私は個人的にこの状況を最高の席から観ていたいだけと、あと公的な立場で言えば、民主主義国家の軍人としては政府の命令通りに戦うだけです」
「駒だな……」
「軍人は駒で結構と私は考えますな、軍人がその立場のままで政治を動かすのは危険ではないですかな? それは今までの歴史書が証明しておりますしな」
「ふむ……しかし」
そこまで言うと、セフィーナはリンデマンに向き直り、
「今まで読んできたその歴史書とやらに、ゴットハルト・リンデマンやセフィーナ・ゼライハ・アイオリアという人間が載っていたか? きっと載っていないであろうな、過去に学ぶのも結構だが、これから起こる事は誰にもわからない物なのだ」
と、自信満々に言い放つのだった。
***
南部諸州連合議会。
懸念された目立つような妨害はなく、セフィーナと数千の民衆は議会議場に到着した。
もちろん敷地内は一般人は立ち入り禁止であり、リンデマンすら立ち入れない。
「では海千山千の政治家達の相手、英雄姫がどのような策で挑むか楽しみにしております」
「ふん、ここに至って策などあるか、ここまで来て策頼みなら初めから来ないさ」
あくまでも傍観者としての態度を崩さないリンデマン、セフィーナは素っ気なく答えると、傍らにいた少女ドロシーに近寄り優しげに微笑んだ。
「ありがとうドロシー、案内してくれたお陰で議会議場に着けた、これから頑張って戦争をしないようにこの国の政治家に言うつもりだから、もう少し待っててくれよ?」
「うん、待ってる!」
少女の期待に満ちた無垢な笑顔。
よし、と彼女の頭を撫でるとセフィーナは振り返り、歓声に見送られながら、護衛と随員の一行と共に南部諸州連合の政治中枢である連合議会議場に歩みを進めた。
南部諸州連合議会。
各州の各地から選挙で選ばれた上院、下院議員計数百名で構成される南部諸州連合の政治の最高機関。
最高権力者と言っても良い連合上院議長は通常与党の党首が務め、各大臣が輔佐し、現在は民主党が与党であり、民主党党首が連合議長を務めている。
議員の任期は五年間であるが、失政などで野党や国民からの圧力で議長や大臣の首をすげ替えるだけで足らず、五年の任期を待たずに総選挙で国民の真意を問う事も度々に起こっていた。
「セフィーナ皇女殿下!」
議会議場の建物に入ったセフィーナに駆け寄ってきたのは見知らぬ年上の女だった。
メイヤが駆け寄ってくる彼女とセフィーナの間に立つ。
「あなたは?」
「私はクルスチア・メルモー上院議員です、セフィーナ皇女殿下、この度は平和大使としての御来訪、共和党はぜひ歓迎いたします」
メイヤに訊かれたクルスチア議員は名前を名乗り、メイヤを回り込み、セフィーナに向かって手を差し出してきた。
なるほど……この女か。
セフィーナは思う。
兄のクラウスが作り上げた南部諸州連合との交渉ルートの相手となっていた議員。
南部諸州連合二大政党の一つである共和党では長年野党である状態から脱する為、停戦交渉に役割を果たした彼女を売り出し中と聞いている。
「今日の皇女殿下の挨拶はきっと我々共和党とアイオリア帝国に語り継がれる物となりましょう、私と貴女の名前も歴史に残ることでしょう」
「そうなれば幸いと思います、南部諸州連合とアイオリア帝国の間により良い関係が築ければ、と考えています」
セフィーナは笑顔で、出された手は然り気無く無視した。
『共和党とだけ話に来た訳じゃない、ましてやお前と歴史に名前を残しに来たわけでもない』
口に出さず毒づくセフィーナ。
停戦に至るまでの裏交渉はある程度まで聞いていたが、聞く限りクルスチア議員の事が好きになれず、会ってみたら更にその思いが強くなった。
クルスチア議員は自らの栄逹の為にアイオリア帝国を利用しているのでないか、と警戒していたが、短い挨拶でセフィーナはその思いを確信させたのだ。
相手は所詮、政権党の民主党と政治的に対抗する為にアイオリアと交渉を持ち、停戦に至らせたとセフィーナは考えていた。
『もちろんクラウス兄さんもそんな事は承知なのだろうし、私もあまり面と向かって毛嫌いする訳にはいかないが……もうここに至って彼女は重要な要素とも思わない』
停戦交渉の過程では重要な役割をしたかもしれないが、セフィーナはクルスチア議員を必要以上に持ち上げるつもりも頼るつもりも全く無かった。
冷たい言い方をすれば、あまり得意気に近寄ってきてもらうのはこれからは困る相手。
あくまでも自分が相手にするのは政権党であり、実際の権力者である民主党の議員達であり……リンデマンも認める、この国を動かす民衆達なのだ。
特定の政治家や派閥と近いとは思われたくない。
「共和党の皆が皇女殿下にお会いしたいと、これから我々の控え室においでくださいませんか?」
「いえ、挨拶の草稿を読まなければいけません、失礼します」
その申し出をセフィーナは頭を下げて丁重に断り、もう用はないと議員の前から踵を返す。
「あ……あの、これからの活動についても私や共和党とセフィーナ皇女殿下とはよく話し合う必要がありますから……どうか来てくれませんでしょうか?」
クルスチア議員はその態度にあからさまに迷った様な態度を見せながら呼び止めてきたが、
「我が国にも外務を司る者達がおります、それには及びません、それにこれからは共和党のあなた方はもちろん、民主党の方々ともよく話し合う必要がありますからね、どちらにも特別にお世話になるわけにはいきません……では」
と、セフィーナは彼女の前から歩き去るのだった。
続く




