第七十八話「英雄姫の行進」
春が近づき陽光は強かったが、まだ朝は寒い。
だがエリーゼの気候は帝国首都フェルノールから比べればかなり温暖で、ベッドから寒さで出にくいという事もなく、セフィーナは早朝には起き出し、メイヤに着付けを手伝わせながら儀礼用のドレスに身を包む。
金のティアラは母のセルフィリーナも愛用していた物、案外に庶民的で物持ちが良かった母はセフィーナに遺した物は多く、唯一の形見という程に大層には取り扱ってはいないが、大切な儀式の時には着けている。
「前から思ったんだけどさ、これ寒くない? けっこー露出あるけど?」
「何を言ってるんだ、乙女の正装だ、平和大使の私が軍服を着ているのはおかしいだろ? それに南部の冬なんて帝国の初夏と変わらないさ」
白の第一種礼装姿のままで着付けを手伝うメイヤに、ドレスの露出を心配されたセフィーナは平然と答える。
既に朝食は早く済まし、身だしなみも整え、セフィーナは出発の準備を終えていた。
「もう外にはかなりいるだろ? 寒いのに......」
「セフィーナが煽ったからだよ、初めて会う人達に寒い思いさせて悪い娘だ」
「だな、だから責任を取らないといけない、だから肌寒さを我慢してドレスで行かせてもらう」
幼なじみ独特の遠慮の無い言い様にセフィーナは頷くと、廊下に歩み出る。
部屋よりも更に廊下は温度が下がり、吐く息は白い。
そこには交替で廊下を見張っていた少女が二人、見かけは十代半ばの娘達だが、メイヤがセフィーナを護る為に鍛えた者達だ。
「ご苦労様、帰ってくるまで休んでな」
「はい」
メイヤに声をかけられると、二人はセフィーナに頭を下げて用意された部屋に引き上げていき、代わりに現れた別の少女達と交替する。
セフィーナの護衛は十人、十二分な人数に思えるが現在停戦中とはいえ敵国での皇族の最重要人物の護衛には極端に少ないと言っても良いだろう。
「頼むぞ、私だって怖くない訳はないんだ」
メイヤを始めとする護衛の少女達にセフィーナがそう話しかけると、メイヤを含めた少女達は揃った声でハイと敬礼した。
「出てきたぞっ!!」
「セフィーナ皇女だ!」
「ドレスだ! 綺麗!」
「寒いだろうに」
ホテルの正面玄関から護衛と外務省随員、合わせて数十人の先頭にセフィーナが立つと、待っていた観衆達は歓喜の声を一気に上げた。
早朝の寒さにセフィーナはドレス、だが銀髪の美少女はそれをおくびにも出さず人々を感嘆させる。
「皆さん、おはようございます、セフィーナ・ゼライハ・アイオリアです」
そう名乗るとペコリと頭を下げるセフィーナ。
挨拶一つで朝から集まった観衆はざわつくが、更に口を開くと、何とかそれを聞き取ろうと鎮まる。
「私はこれから帝国と南部諸州連合の皆さんの間の争いを一刻も早く収め、それを長く続けていく為に皆さんの選ばれた議員の方々のいる議会に向かいます、それまでの道中をぜひ皆さんの案内で行きたいのです! 私を議会まで連れていってください!」
セフィーナは意識して声を張った。
申し出に帰ってきたのはオオッというざわめき。
もちろん随員も連れているセフィーナが議会までの道程を迷う筈は無いのだが、そういう意味での申し出では無い事は言われた観衆の殆どが解っている。
ほんの少し前まで、そして今も絶対君主制度の敵国の皇女である自分を議会制民主主義の中枢である議会に連れていくという行為を南部諸州連合の民衆が認めるだろうか、セフィーナはホテルの前に集まった民衆に先ずは問いたかったのだ。
「セフィーナ様は議会の場所を知らないの?」
観衆の中から白い息を吐きながらセフィーナに寄ってきたのは、コートを着た小さな可愛らしい女の子だった。
年の頃はまだ十歳にも満たないだろう。
少女に向けて微笑みを浮かべ、セフィーナは中腰で彼女を覗き込んだ。
「そうだ、私はこの街は初めてなんだ、議会議場まで連れていってくれるかい?」
「いいよ、でも約束してほしいの」
「約束?」
「うん、私のお父さんは戦争で死んじゃったの、セフィーナ様は戦争を止めて平和にする為に来たんだよね?」
「ああ......」
少女の顔を上げた問いにセフィーナは頷く。
「でも周りの人の中には、セフィーナ様は次に戦争をする為の時間を稼ぐ為にここに来た、って言う人が居るんだよ? 本当にそんなつもりなの?」
「それは違うよ」
不安げな顔を見せた少女にセフィーナは笑顔のまま、少女の頭に白い手を置く。
「名前は何という?」
「えっと......ドロシー」
「ドロシー、私の生まれた大切なアイオリア帝国とドロシーの住む国がこれから仲良く出来るなら、私は戦争なんてしようと思わないよ」
「本当に?」
「本当だよ、約束する、それをこれから偉い議員さん達に話に行くんだ、アイオリア帝国と仲良くしてくださいとな」
「良かった、じゃあ早く議会に行こうよ」
セフィーナの答えにドロシーの顔から不安が消え、少女は一行を先導するように走り出した。
「よし、出発だ!」
ドロシーに続いて歩み出す帝国皇女。
やり取りを観ていた周囲の者達は歓声を上げ、セフィーナの周囲で一緒に歩き始める。
帝国皇女と共に歩み始めた南部諸州連合市民の数は早朝にも関わらず、軽く千を越え、それは歩みを進めるほど増えていく。
その中でもセフィーナはメイヤ達護衛を付けてはいたが、気さくに周囲の南部諸州連合市民と話ながら進む。
父を、夫を、息子を戦争で失った者達、自らが心身共に傷ついた者達、様々な理由で帝国と南部諸州連合の戦争に考えを持つ市民達と十分な物ではないが話すセフィーナ。
その度にメイヤ達護衛は神経を磨り減らし、怪しい動きを見せた者は容赦なくセフィーナから引き離す。
市民の中には英雄姫セフィーナとの戦で身内を喪った者もいて、激しく抗議してくる者もいたが、
「互いの存亡を賭けた戦と承知して戦ったのだから私は謝罪をするつもりはない、しかしもう互いに存在を賭ける様な事はせずに認め合えば良いのではないかと思っている」
と、セフィーナは正否はともかく堂々と答えた。
もちろん相手は満足はしない、だが満足いくまで話す余裕もないし、セフィーナは歩みを止めずに次の者と話し出す。
応答は大抵が会話一つ。
しかし南部諸州連合市民がアイオリア帝国皇女と話すという事など普段は有り得ない奇跡である、次から次に皆がセフィーナの周囲に集まってくる。
そして、雪ダルマ式にホテルの前から議会議場までの半分ほどの道程にあるエリーゼ中央公園に到着した頃には一行は三千人近い数にになっていたが......
そこに行進に真っ向から立ちはだかる者がいた。
「ゴットハルト・リンデマン大将だ!」
「おおっ!」
「我等の戦略教授だ!」
驚く市民達。
行進は完全に止まった。
南部諸州連合が誇る将帥リンデマンは第一種軍装で両手を後ろ手に組み、いつもの黒髪の美少女メイドを率いて、公園の中央を走る通路の真ん中に不敵な笑みで立っていたのである。
「来たな、ゴットハルト・リンデマン」
そう呟いたセフィーナの顔には怒りや焦りは無く、それどころか相手に負けない程の好戦的な微笑みすら漏れていたのである。
続く




