第七十七話「テラスのプリンセス」
七つの州から構成される南部諸州連合。
東部のヴァイオレット州、中部のリオレタ州、西部のラーシャンタ州がアイオリア帝国との国境を持ち、残る四つの州が直接的な帝国からの攻撃には晒されない。
その中でも南部の中心部に位置するアルファンス州は連合の中でも最小面積州であるが、開発が容易な平地が多く、各州への交通の要所であり、厳密に決定されてはいないが南部諸州連合の政治軍事の中枢部と位置付けられ、その州都であるエリーゼの街は南部諸州連合の首都的な役割を果たしている。
セフィーナを護衛した第十七師団は比較的早いペースでヴァイオレット州からアルファンス州へ進む、南部諸州連合が成立して初であるアイオリア帝国の皇族の正式な来訪である、警備上の都合であまり途中の街によるのは外務省から避けるようにアリスは言われていて、師団にも様々な指導をしてくる外交官がやって来ていた。
いわゆる世話役だが、セフィーナはその外交官よりも師団長のアリスや副師団長のリキュエールとの交流を好み、食事時などは師団本部にメイヤを連れて顔を出しては軍事的作戦の話に花を咲かせた。
そこでアリスが驚いたのはセフィーナが軍事的な知識の殆どを独学と帝国軍の巨魁と呼ばれた大物から学んだと聞いた事である、父である皇帝パウルは男は五人も居るのだから、たった一人の娘が軍人の道を進むのを止めようとしたくらいだったのだが、セフィーナは近衛師団の演習広場を幼い頃よりメイヤを引き連れ駆け回り、膨大な蔵書量を誇る皇帝居城の図書館に通いつめ、それでも解らない事は当時の近衛師団長であった老将エステルク元帥に聞きに言っていたという。
帝国元帥エステルクの名はアリスも知っていた。
セフィーナがこの世に生を受ける前、アリスやリンデマンが士官学校を出た頃、帝国軍の中枢を担う名将として全盛期を迎えていた将であり、何人もの南部諸州連合将官が煮え湯を呑まされていた相手だが、齢六十後半を迎えた頃には後方に下がり、前線指揮官として指揮を採る事は無くなり、名誉職を転々としていたと聞いていた。
「しかし元帥は厳しい人だったな、もちろん皇族の私に怒鳴り付ける様な事は無かったが、子供心に少しでも皇族である立場に甘えて見せると、皇女殿下、戦場と言うものはとかく失礼な者ばかりが互いの命を狙い合う様な地獄です、わざわざ殿下がそのような場所に行かれる必要は有りませぬ、と軍事訓練も個人的な講義も打ち切られてしまうのだ、私はどうしてもそれは辞めたくなくてな、エステルク元帥にはなかなか頭が上がらなかった」
セフィーナは食事を摂りながら懐かしそうに語り、その時に素直に辞めてればこんなに苦労はしなかったのに、とメイヤにため息をつかれる。
エステルク元帥はセフィーナが十三歳、もちろん皇族あるがゆえに大尉待遇で初陣し、初めての戦場にたくさんの護衛と右往左往し、何の戦局にも寄与できなかった戦いを聞き、
「死ななかっただけ良かったですな、戦場は地獄とお教えした筈です、生還できたのを喜びなさい」
と、帝国皇女に最期の短い講義をし、三日後にかねてから患っていた病で帰らぬ人となった。
そんな自身のエピソードも披露しながら、セフィーナはアリスやリキュエールを通じて、南部諸州連合軍の慣習等にも興味を深く持っている様で質問も多かった。
軍事的な機密や自らが緊張していた事もあり、初めはアリスもリキュエールも饒舌ではなかったが、好奇心旺盛で敵手であった事にこだわらないセフィーナにいつしか打ち解け、第十七師団がアルファンス州のエリーゼに着いた頃には幾らかの世間話まで語り合う仲になっていたのである。
第十七師団、いやセフィーナを待っていたエリーゼの民衆は沸きに沸いた。
平和大使としてセフィーナの来訪を大部分が歓迎し、街の入り口から泊まるホテルまでの道のりも群衆がセフィーナを一目見ようと押しかけ、警護任務をエリーゼの警備隊に移した筈の第十七師団の一部までも交通整理と警護に駆り出される始末となった。
「まったく......観ないうちからこの騒ぎなんだから、実際に観ちゃったらこんなんじゃ済まないわよ」
「ですね、噂以上の美少女ですからね、クラスに一人いるとか学校に一人いる美少女って話じゃないですからね、セフィーナ皇女の場合は」
予想以上の民衆の歓喜に任務が延長され、アリスとリキュエールは苦笑し合い、エリーゼの中央通りに押しかける民衆をなるべく穏便に交通の妨げにならぬように押し退けていく。
***
「こっちでも中々の人気者だね」
「聞いた感じは歓迎が多そうだな、私はこの一年で南部諸州連合軍の人間をこの大陸の人間の中でも最も多く殺めたんだがな、不思議な物だ」
ノロノロと進む馬車の中で呟くメイヤに、セフィーナは真顔で答えた。
事実だ。
直接的でなく指揮を採る形とはいえ、セフィーナはこの一年で数個師団の南部諸州連合軍を撃破し、万を越える南部諸州連合軍人を殺めている。
「そういう恨みがある人間も当然いるよ、それが解っているからここまでは一個師団が護衛に付いたし、私たちもいる」
「私が観たいんだろ? だったら馬車の上にでも立ってやろうか、望みを叶えてやれば道も開けてくれるだろう」
「やったら、その大きめな尻叩く」
メイヤは半ば本気で馬車のドアに手をかけたセフィーナを全開の本気で睨んだ。
セフィーナの乗る馬車の回りには第十七師団とエリーゼ警備隊から数百の護衛が付き、更に乗っている馬車を特定されない様に形の似た様な馬車が計九両連なっていた。
観衆はどの馬車にセフィーナが乗っているのかも判らない状態であり、絶対君主制度の帝国の人間としては姿を見せて観衆の期待に応える選択肢もあるが、そんな事をされたら警備隊の努力も水の泡である。
結果、何もなければセフィーナは歓声を浴び、度胸のある皇女殿下だ、と民衆は誉めるかもしれないが警備任務を実行している身としては心臓が止まる思いだろう。
もちろんメイヤは帝国側のセフィーナの周辺の警護の担当者であり、他のダミーの八両の馬車も数百の警護隊にも何の指揮権も責任もないが、セフィーナ・ゼライハ・アイオリアという人間を警護する大変さは身を以て十年以上の間味わっており、南部諸州連合側の警護隊には感謝もしているし、同情もしている。
「するわけがないだろ? そう睨むな......」
思いの外メイヤが鋭い視線を向けたので、拗ねてしまったのかセフィーナはそれから普段ならば十五分も要らないホテルまでの道のりを二時間かけて行く間、やや不機嫌そうに外務随員から渡された公式行事の予定と段取りの書かれた分厚い冊子を読み耽っていた。
結局、セフィーナのエリーゼ滞在一日目はホテルに着いた時点で陽が落ちてしまい、ほぼ終了した。
滞在するホテルは南部諸州連合有数の高級ホテルの四階の最上階を貸し切る形になり、各階に警備兵が詰める念の入り様。
「何だか、派手すぎるな」
「仕方ないよ、もの珍しいんだから」
「だな」
馬車の中で睨まれて起こした不機嫌をどうにか直したセフィーナは用意されたスウィートルームに唯一連れ立ったメイヤとそんな会話を交わしてから、テラスに向かうドアを開け放つ。
「こら~!!」
「少しだけだ、少しだけ」
いつものように抑揚の無い棒読みだが、注意の声を上げたメイヤにそう言ってセフィーナはドレス姿のままテラスに歩み出た。
見下げる視線。
そこにはホテルの前のメインストリートを埋め尽くさんばかりの群衆がいた。
テラスからの距離は手が届くとはいかないが、決して遠くではない。
「出てきたぞっ!!」
「セフィーナ皇女だ!」
「綺麗......」
元々、ざわついてはいたがセフィーナ本人がテラスに姿を現した事で群衆のテンションは一気に跳ね上がった。
「あと三十秒だけね」
群衆からは見えないテラスの足下に伏せたメイヤに、わかってると小さな声で返すと、セフィーナは群衆に向かって普段の笑みとは明らかに性質の違う、健気な美少女の微笑みを造り出し、控え目に手を振って見せる。
沸き上がった。
遠くはないとはいえ、四階のテラスから微笑んで手を振って見せただけで群衆は歓喜の声をメインストリートに響かせる、おそらくエリーゼの街にこれ程の音響が響き渡った事は数年、いや数十年なかったかも知れないと思えるくらい歓喜の声は大きく空気を揺らした。
「皆さん!」
セフィーナは叫ぶが、歓喜の声の音響に一旦は全くそれが聞こえない。
足下のメイヤにすら聞こえなかった。
「何かおっしゃられるぞ!」
「黙るんだっ」
「聞き逃すぞ!?」
それに気づいた群衆が黙るのに数十秒。
メイヤの設定した時間は群衆が黙るのを待つだけで無くなった、セフィーナを引き摺って部屋に引き戻したいメイヤだが、足下の彼女に向けてセフィーナは左足で、待てとばかりに右足を踏んできている。
そんな足下の攻防などおくびにも出さず、平和の使者のプリンセススマイルを絶やさず、セフィーナは再び口を開く。
「皆さん、わたくしのような者の為にお集まり頂き感謝いたします、わたくしは明日議会で帝国と皆様の間により良い関係を築く為にお話をさせて頂く予定です、そこでわたくしは明日の朝、このホテルから南部諸州連合議会議場まで、この脚で、皆様とお話をしながら歩かせて頂きたいと思います!」
そこまでなるべく淑やかに、出来る限りの上品さで声を響かせるとセフィーナはペコリと頭を下げた。
「歩くだって!?」
「話せるのか!」
「目の前で会える!」
再び沸き上がる観衆。
突如の宣言の後で頭を下げたまま、セフィーナはいつの間にかテラスからフッと姿を消した。
「いなくなった!」
「下がられたんだ」
「もう少しだけ居て欲しかった!」
「明日だ、明日に会える!」
「俺はもう家に帰らない! 明日までここにいる!」
興奮に包まれる市民達。
そんな彼ら彼女らの死角になったテラスの影。
「脚を引っ張るな! 思いっきりテラスに頭をぶつけたじゃないかっ!?」
「知るか~、何を勝手な事言ってんだよ!?」
「考えがあるんだ!」
「うるせぇ、何を考えついたか知らないけど、ボウガンの一本も飛んできたたら台無しだろ!?」
頭を下げた拍子に脚を引っ張られ、姿をくらますように転倒されられた帝国皇女は護衛役の親友と喧々囂々の言い争いを始めていた。
続く




