第七十三話「蠢動」
今日は朝からの雨であった。
南部諸州連合アルファンス州エリーゼの街の中心街の道路の石畳にも所々に大きな水溜まりが出来ている。
「嫌な雨だな......」
統合作戦本部の自室の窓から外を見て呟くリンデマン。
「久方ぶりの雨ですが御主人様は何か気になる事がおありでしょうか?」
傍らのヴェロニカは彼の執務机の上にソッとコーヒーカップを置く。
リンデマンの執務室は大抵リンデマンとヴェロニカの二人だけだ、用事も無しに顔を出すような者はアリスか、士官学校時代の後輩であるブライアン中将くらいだ。
「いや、特には無いがな」
コーヒーを数口啜るとリンデマンは立ち上がり、窓際に立ち通りを眺めた。
「雨だというのに頑張るな......」
「そうですね、小さな子供もいます、寒いでしょうに」
三階から見下ろすリンデマンとヴェロニカ。
その視線の先には統合作戦本部に向かって、木製のプラカード、横断幕を向けて声を上げている数百の市民達がいた。
「戦争反対!」
「私の恋人を返せ」
「良き夫を返せ!」
「息子を返せ!」
「帝国と和平せよ!」
第九次エトナ会戦。
セフィーナ・ゼライハ・アイオリアの親衛遊撃軍の前に、ブライアン、ガナショー両中将率いる二個師団がほぼ潰滅させられた作戦以降、南部諸州連合各地では戦争継続反対のデモが頻繁に起こるようになり、特に南部諸州連合の政治的な中心地であり、統合作戦本部があるアルファンス州エリーゼではほぼ毎日と言ってもよい頻度でそれは起こり、一日のデモの最後は決まって統合作戦本部前で気勢を上げるのである。
「カーテンを閉めましょうか?」
「いや、いい......出鱈目や嘘八百を並べている訳では無いだろう、それに第九次エトナ会戦の敗戦の犠牲者は万を軽く越え、遺族はその数倍だからな、戦争に反対する意見もあるのは私には理解するし、作戦の立案者としての責任も負う立場にある、だが戦争反対を認められる立場では私はないからな」
リンデマンはそう答えると、自ら窓際から離れて再び執務机に座って、幾つかの報告書に目を通し始めたが、その中の一枚に目を止めた。
「デモ隊の発起人はクルスチア・メルモー上院議員か」
「ヴァイオレット州選出の女性議員です、父の代からの共和党議員で、確かまだ二十代だったかと思います」
「そうか......父の基盤を受け継いだと言った所か?」
「申し訳ありません、詳しくは......」
ヴェロニカは頭を下げた。
「クルスチア・メルモー、共和党か......」
「望まれれば、すぐにもミラージュに調べさせます」
些細な質問であったが、それに満足に答えられなかったのが悔しいかのような表情でヴェロニカが申し出る。
ミラージュとはヴェロニカを姉のように慕う裏稼業の工作員であり、ネーベルシュタットのセフィーナ暗殺未遂事件のヴェロニカともう一人の実行犯である。
「彼女は諜報も出来るのか?」
「暗殺と諜報は隣り合わせ、どちらの腕も同じくらいです」
「これはまた......ミラージュは子供の容姿ながら、どういう裏があるのか」
「ふふふっ、御主人様には私の知る全てをお話ししますが、それにはお答え出来ないのです」
笑みを浮かべての回りくどい言い様だが、早い話がヴェロニカもそれを知らないという意味だ。
「そうだな......」
口元に手を当てて、やや考えると顔を上げるリンデマン。
「まずは概要的な感じで構わないから人となりや交友関係、政治的な動きを調べてほしい、あくまでも概要でいい、まだ気になる程度だからな」
「畏まりました、ミラージュに伝えておきます......あと」
「どうした?」
「本部長に呼ばれている時間が近づいています、そろそろ会議室に向かわれた方が宜しいかと思います」
「思い出してしまった、そんな事があったのだったな」
「申し訳ありません」
リンデマンが深いため息をすると、ヴェロニカはそれを伝えた事を謝るかのようにスッと頭を下げる。
戦略的な議題を話し合う会議なのだが、おそらく第九次エトナ会戦の敗戦が槍玉に上げられるだろう、目論見通りに政情不安の帝国西部に内乱を起こさせる事は出来たが、連合軍も二個師団が壊滅したのだ、自分でも言ったが責任は作戦立案者であるリンデマンにも当然かかってくる所だ。
それは仕方がない。
数万を失う戦いに責任を取る者がいない方が異常なのだ、それは作戦に関わった者の中でも一番階級が高い者がそれを負うのが普通であろう。
問題は本作戦が帝国首都フェルノールを目指す作戦を押し退けて採用を見たという点だ、それ見たことかと軍事的な賭博に近いフェルノール作戦が復活はしまいか、という実務的な心配とフェルノール作戦を押し退けられた者達から憂さ晴らし的な復讐を向けてくる幼稚な者はいないかという個人的な心配がリンデマンにはあった。
この際、自ら持つ幼稚性については言及しないのが大抵の人間というものであり、リンデマンも今まで自分が他人に向けてきた態度に反省する事などせずにデモ隊の声が響き渡る雨空を見て、やれやれとばかりに息をついたのであった。
***
「帝国と南部諸州連合は戦い過ぎた、適度な緊張感は国家に発展と規律を産む事があるけど、過度な戦いは厭戦と怠惰を産みかねない、どうですか?」
「賛同いたします、特にこのヴァイオレット州の民衆は大きな戦に疲れております、それでも中央政府はここをまた拠点に大作戦をする兆しすら見えます」
ヴァイオレット州ランスタン。
海沿いの中規模都市の郊外に佇む館。
主であるクルスチア・メルモーは目の前にいる客人である赤茶色髪の美男子の言葉に相槌を打つ。
テーブルを対にして二人だけの食事。
ここはクルスチアの館だから問題ないが、街で見れば二人をよく見た他人は少し不自然に思う者もいるかもしれない。
二十八歳、緑色のセミロングヘアのクルスチアは顔立ちの良さという点だけ見れば、どこにでもいる容姿、良く点数を付けても平均点といった見た目。
彼女より遥かに若そうで、更に絶世と言っても過言ではない赤茶色髪の美男子とは釣り合わない。
「いや、クルスチアさん......貴女が父上からよく教えを受けた聡明な方で良かった! 知性のある女性とお話しするのはやはり刺激になります、貴女とはずっと話していたい」
美男子はエリーゼの街の人気舞台俳優でも見せない笑顔で、クルスチアを褒め称えるが、
「上手いですね、殿下、そうやって貴方は沢山の女性を泣かせてきたのでしょう? ましてや私のような歳の女にそういう気遣いは無用ですよ?」
と、彼女は顔は赤らめつつも素直に喜ばない。
世辞だと思っている、上院議員の娘という立場に育ったが、彼女は我が儘なお嬢様では無かった。
逆に父親が二枚目で、異性とも公私に渡り交友華やかな名物議員であったが為、後を継ぐかもしれない自分にはそういう華やかな世界が似合う美しさが無いのを解っており、それを補完するかのように実務的な成果を上げられるような政治家を目指して来たのである。
「いやいや......確かに全くしなかったとは言いません、でも二十歳を前にして私も反省しました、確かに若く美しい女性はたくさん見てきました、でも残念ですが知性や人格を兼ね備えた人を見つけられませんでした、でも......」
「そ、そういう事を言うのは止めてください、殿下!」
まだ赤みが引かない顔を背けるクルスチア。
「殿下なんて......そっちこそ、止めてくれますか?」
美男子はフッと笑い、対面の席を立ち、クルスチアの座る椅子に歩み寄り彼女の手を取った。
「僕の事はクラウスと呼んでください......僕達はそんな外交辞令的な付き合いでは絶対に成し得ないような大事業を達成しようとしている共同体です、クルスチアさん」
「......アイオリア帝国と南部諸州連合の和平」
息を呑み緊張ぎみに答えたクルスチアに、クラウスはコクリと頷き、
「そう......でもその前にボクと貴女の間に、完全な信頼関係を築けないといけないですよね?」
と、歳上の女性に甘えるような美男子の微笑みと共にクルスチアの手を優しく取ったのだった。
続く




