第六十九話「混戦 アリス対セフィーナ」
ガイアヴァーナ戦記。
南部諸州連合軍と帝国軍の戦いについて史実を元に若干のフィクションを交えた後のベストセラー小説であり、メディアミックス化も各方面で果たした作品だが、アイオリア帝国側に作者が感情を移入し過ぎていると批判も多い。
特に主要人物であるセフィーナ・ゼライハ・アイオリアについては容姿端麗、沈着冷静、品行方正で、どんな危機に陥っても、部下には決して怒鳴ったりはしない人物と書かれている。
第十次エトナ会戦と呼ばれるこの戦いは、エトナ城攻防野戦と呼ばれる方が多く、ガイアヴァーナ戦記でもこの戦いをエトナ城攻防戦としているのだが、この戦いに際してもセフィーナは常に落ち着いて危機に際しても部下を叱咤激励し、冷静に戦った、とあるのだが……それは事実とはかなり異なった。
「バカッ!! テリッシャーノの分隊に離れるなと伝えろ、伝令を出せっ、それ以上離れたら極北のカナスティア司令部で熊と暮らさせてやる、と私が怒っていたと言えっ!!」
「ああ……この、腹が立つ! 何なんだ、何なんだ……!」
「薄いぞ、敵軍は薄い! なぜそれくらい突破してみせない、大幅に敢闘精神が足りないんじゃないのか!」
混戦寸前の戦場。
セフィーナは喚き散らし、怒鳴りながら最前線で指揮を執る。
予定が違えた。
はっきり言えば当てが外れた。
エトナ城を夜間に密かに発し、三手に別れた南部諸州連合軍の中核を薄陽が昇る前に奇襲突撃突破、敵軍を混乱に陥れ、右翼と左翼を次々と各個撃破していくという戦術は第一歩目から破綻をきたした。
来襲を今夜と予測していた連合軍中核がなんと前進し、セフィーナの奇襲部隊と正面から夜間遭遇戦に突入してしまったのだ。
前進と前進。
攻撃と攻撃。
それぞれのベクトルが正面衝突し、両軍は闇夜の乱戦になっていた。
「こうなっては簡単には退けん、連合軍が前進を諦めるか、こちらが突破を完遂するしか無事に幕が引けないぞ」
馬上で右手の人差し指を軽く噛むセフィーナ。
奇襲は失敗した。
相手が守りを固めているなら、意図のバレた奇襲など意味がなく、エトナ城に向けて全力撤退しながら己の不覚を嘆けば良いが、アリスの中核軍は守らず、逆に前進攻勢を仕掛けてきたのだ。
これでは……お互い様なのだが、かなり有利に戦いを推移させた末でなければ、大損害を受けずに逃げる隙が無いのだ。
「アリス中将め! リンデマンの愛人で腰巾着のくせに意地悪さが師匠勝りだ! 策を読んだなら大人しく守りを固めていれば、互いにこんな戦いにならなかったのに!」
アリスが聞けば、永き法廷闘争すら辞さない名誉毀損な言葉を続けながらもセフィーナが乱戦を諦めないのは……確かに攻勢は読まれてしまったが、作戦が全て読まれた訳でなく、これからの状況によっては、大分予定は異なるが勝利する可能性が十分に残されているからであった。
「左右の味方が頑張っているうちに、正面の敵軍を押せれば勝てるぞ、頑張るんだ!」
セフィーナは敵味方が入り乱れる中、敵兵を切り伏せた剣を振り上げ、士気を鼓舞したが……
「あ~、バカバカ、アンポロニトフ大佐の部隊が押され過ぎだ! 何でそこまで押される!? 部下の後ろに隠れてないで自ら先頭に立って死んで見せろ、嫌ならお前も極北送りだっ!」
味方の部隊のまずい動きに、二百年後の半フィクションヒロイック戦記のセフィーナ像とはかけ離れた態度で、本物はまた喚くのだった。
十七と四十手前の女性の癇癪はどちらが面倒かを比べ合う戦いではないのだが、アリスのそれもセフィーナに勝るとも劣らなかった。
「欲をかいたぁ! なんだって私はこんなにバカなのよ、またリンデマンの奴に皮肉られるっ」
「あ~、リキュエール何とかしなさいよっ、背後に回った敵だって多くはないわよ、早くなんとかしなさいよっ!」
「叩き潰すのよっ、最精鋭が何よっ、相手が皇女だからって遠慮なんて要らないわよ!」
闇夜の戦いが始まって、伝令により状況が少しずつ明らかになる中、アリスは自らの読みが的中した事、そしてそれを最大限に利用しようとした事が裏目に出た事を知った。
敵軍の狙いは夜明け前の奇襲、狙いは中核軍への中央突破。
この読みは完全に当たった。
だが対応を誤ったのだ。
副官のヴィスパーは守りを固めて、敵軍の攻勢を退ければ良いと進言したが、南部諸州連合軍指折りの戦術家としてアリスはそれでは満足しなかった。
セフィーナ・ゼライハ・アイオリアに決定的な敗北を与える為、攻勢に対して受動的にならずに逆に先手を取り、終始圧倒しようと考えた。
中央突破を狙いエトナ城から出撃してくるセフィーナ率いる帝国軍に、中核は正面対決を挑み、夜の乱戦で動きを封じた上、右翼と左翼を帝国軍に向かせ、完全包囲を完成させようとしたのだ。
上手くいけばセフィーナ・ゼライハ・アイオリアを虜にも出来るだろう。
作戦を聞いた幹部達は本当に読み通りに、帝国軍は出撃してくるのか、単なる空振りに終わり、明日のエトナ城総攻撃に差し支えるのではないかと初めは訝しげだったが、前進した中核軍がセフィーナ率いる帝国軍と遭遇すると、アリスをまるで預言者を見るような眼で見てきた。
『しめたっ、読み通り! リンデマン……セフィーナ・ゼライハ・アイオリアからの勝ちは私が貰ったわよ!』
沸き上がる歓喜を圧し殺して、夜戦を命じ右翼と左翼に包囲命令を伝える伝令を出したアリスだったが……右翼と左翼から信じられない報せが返ってきたのだ。
それは両翼共に背後からいきなり帝国軍の奇襲を受けて、混乱状態に陥ったという物だったのである。
「ど……どういう事でしょうか?」
狼狽えるヴィスパー。
「しくじったぁ!」
状況を理解したアリスは軍用ブーツで足元の土を蹴った。
セフィーナは正面から中核に対してだけでなく、右翼と左翼部隊に対しても奇襲部隊を用意して、三方からの攻撃を企図していたのだ。
「三方から? 帝国軍の兵力は実は豊富だったんですか!?」
「違うわ、それはない……右翼と左翼を奇襲している敵は少ない筈、多分正面が六千、側面からの奇襲部隊が一千ずつ、それで八千、右翼と左翼に対しては所謂動き止め程度の奇襲、中核の中央突破を成功させるまでの間に、救援に駆けつけられないように、右翼と左翼が合流して各個撃破が不可能にならないように、の抑えだったのよ……でもねぇ」
そこで……アリスは舌打ちをして、
「抑え程度の奇襲を、本格的な背後襲撃にしてしまったのは私自身なのよ!」
と、ヴィスパーに声を荒上げる。
中核で足止めしたセフィーナを包囲させる為、右翼と左翼を内側に向かせてしまったのは誰でもないアリスであった。
セフィーナを完全に虜にしようと全軍をセフィーナ率いる帝国軍に向かせてしまった所の背後を突かれるという裏目。
各個撃破を狙い、数で劣る帝国軍がまさか分派行動を取るとは予想だにしなかったのだ。
自分の対応すらもセフィーナが予測しての行動かも、とも思ったがそれはないと結論する。
いくら背後を突いたと言っても、各六千の右翼と左翼に対するは一千ずつ。
対応如何では右翼と左翼は一千ずつの奇襲部隊を撃破してから、混戦の帝国軍の主力に対する包囲を完成させ、帝国軍は潰滅する可能性があるからだ。
いかにセフィーナ皇女がカードが趣味でも、この勝負はわかってはしてこないだろうとアリスは思う。
そして……その判断は正しかった。
しかし帝国の英雄姫セフィーナも連合軍屈指の勇将アリスも策を用い合った結果、予想外にも生殺与奪権を失ったのである。
夜明けが迫る中、乱戦覚悟で正面から殴り合うセフィーナの本隊とアリスの中核。
勝負の如何は奇襲攻撃をした帝国軍の二つの別動隊と奇襲を受けたが数では優る連合軍の両翼部隊の行動と対応にかかった。
「もう何をやってるんだ!」
「なんなのよっ!」
予想外の状況の中、帝国軍と連合軍を代表すると言ってもよい女性指揮官セフィーナとアリスはこの言葉を連呼し、各々の青年副官を困らせていたのだった。
続く




