第六十八話「対峙 アリス対セフィーナ」
約八千の兵力を率いたセフィーナがエトナ城に入城、防壁の補修や周囲の壕を深くしつつ、城外障害物を増やしている。
その報告がアリスに入ったのは、彼女が率いる南部諸州連合軍第十七師団がエトナ平原に向かう為、夕暮れの西海岸線沿いの浜辺を北上している時であった。
「約八千の半個師団とは、親衛遊撃軍もシュランゲシャッテン公の反乱を受けて、こちらに備える兵力が足りないのでしょうか? でも確かに兵力は半数ですけど、あのセフィーナ・ゼライハ・アイオリアが自ら守るとなると、エトナ城もリンデマン中将をもってしても落とせなかった名城ですし、簡単にはいきそうにないですね」
副官ヴィスパー少佐が浜辺をゆっくりと進む馬上からアリスに訊くが、
「さぁ、それはどうかしらね?」
肩にかかるかかからないか程度の栗色のソバージュヘアを乗馬の震動に揺らしながら、彼女は答える。
「どうかしらと言うと? 中将には良い作戦が有られるとか?」
「作戦云々じゃなく、あなたの言った状況判断にどうかしらね、と言ったの」
「えっ? 僕の状況判断が間違ってましたか?」
ヴィスパー少佐はマズイ事を言ったかな? といった風にやや焦りの顔を見せた。
二十代前半、女性士官に人気が高い中性的な美男子。
元々が補給畑の彼を副官にアリスが抜擢したのは、アリス自身が補給という分野を戦いの中で重視していたからだが、一部では四十前の独身女将官が副官任命権という職権を使い、若く人気のある彼を手元に置こうとしたと陰口を言われたくらいだ。
姿だけでない、その年齢で少佐になったのは補給という目立たないが重要な仕事を堅実にこなし続け、功を認められた正真正銘のエリートであるからだが……
「あなたは確かにエリートだけどね、少しばかり素直すぎるのよ、戦いは単純が良いんだけど、素直はあまり良くないわ」
「は……はぁ、単純は良くて、素直が良くないですか……」
「まぁ、すぐに解るわ」
アリスは意味が呑み込めていない顔をする副官に、戦死しなければね、と付け加えてから、野営の準備を告げた。
第十七師団が西海岸線沿いから東に転進し、エトナ平原に入ったのは二日後であった。
更に東進、ブライアン、ガナショーの両将がセフィーナと戦い敗れ去ったエトナ平原中央部まで第十七師団は進出すると、今度は矛先を北に向け、エトナ城に向かう。
前回の半数の一個師団による侵攻だが、アリスの動きの積極性は前回の二個師団のそれを遥かに上回る。
一万八千の部隊を中央、右翼、左翼に分けると自らは中央部隊の先頭に立ち、三つの部隊は間隔を開け、面で圧迫するようにエトナ城までわずか数時間の距離まで詰める。
それに対し、エトナ城のセフィーナはその段階においても周辺地域から籠城の為の資材、そして兵糧を買い集めており、両軍の兵達は翌日の朝か昼頃には起こるであろう互いの女性指揮官によるエトナ城の攻防戦に様々な想いを巡らせていたのであった。
***
「作戦を説明する」
夕方。
食事の前、いきなり召集を受けた部隊幹部達にセフィーナはそう切り出した。
「作戦? 皇女殿下には籠城の際に何か思案がおありですか?」
「違う、これから説明するのは攻勢作戦についてだ」
幹部の一人の質問に平然と答えたセフィーナであったが、幹部達は皆が眼を見開く。
「こ、攻勢作戦に!? ば、倍の敵軍に対して攻勢に出るのですか? 我々は一切全く、聞いておりませんでしたが?」
驚く幹部クラスの中の一人であるラインアップ少将。
「もちろん喋らなかったからな、それに攻勢作戦に出るかとは誰にも聞かれなかったし、私は必ず籠城をするとも言った覚えも無い」
何をビックリしてるんだ、とばかりな態度のセフィーナ。
確かにセフィーナは作戦をハッキリ明言はしていなかったが……まさか、ここから攻勢作戦とは。
唖然とする幹部達。
帝国の誇る英雄姫は立ち上がる。
「敵師団はアルファンス州からラーシャンタ州そして西海岸を通り抜け、ここに来たのだ、エトナ平原に入ってからの移動も速かったし、疲れてもいる、明日からは守りの堅いエトナ城に対する厳しい戦い、朝までは休んで疲れを取ろう、そう思っているだろう、だが私はアリス中将率いる南部諸州連合将兵に明日をくれてやるつもりはないのだ……そして敵軍を騙すような戦術が得意になりたければ、無警戒な仲間内はいつだって騙せるようにしておいた方が良いぞ、あまりやり過ぎると友達を無くすがな」
籠城資材を整え、兵糧も十二分に用意したのも全てが短期決戦の意図を味方にすら隠すポーズだったのだ。
仲間すら騙した先に優秀な敵将を騙す事がやっとできる。
セフィーナはそう言っているのだ。
「では……改めて作戦を説明する、質問は説明の後で頼むぞ」
まだ唖然とする幹部達。
嘲笑を多分に含んだ顔のまま、セフィーナは幕僚達を見渡した。
***
「多分、今夜来る、各指揮官に伝令を出す準備をして」
「えっ?」
野営陣地が夕食の準備に慌ただしい時刻。
アリスに幕舎に呼び出され、いきなりにそう告げられたヴィスパーはそれに対する上手い返事が思いつかない。
「な、何がでしょうか?」
「バカね、私達は前線の軍人よ、前線で軍人が来るというなら敵でしょうが!?」
「て、敵軍が? 我々に対して半数以下で必死に城の修繕や兵糧集めをしていたんですよ?」
「こっちがそういう風に思うから本気で城の修繕をして、必死に兵糧集めをしたのよ、全ては私達が攻め手で、セフィーナ皇女が守り手だと勝手に決め込ませる為にね」
「そんな……」
アリスの説明にヴィスパーは言葉を失う。
西海岸線を行軍中にアリスがヴィスパーの状況判断をどうかしらね、と言った意味がようやく解った。
あの時点で半数で城に寄り、兵糧を集めて堀を深くしている相手が攻勢側に回ってくる、という可能性を何となく捨てていたのだ。
「こ、根拠がありますか?」
「経験則と勘、そして自分の撒いた種」
上官の即答にヴィスパーは眼をしばたく。
経験則と勘は解る、戦場指揮官は経験が大事であるし、時には勘に頼る面もあるだろう。
だが撒いた種と言うのは解らない。
「撒いた種とは何ですか!?」
「今の状況よ、今の」
アリスはそう答えると、作戦図の置かれた野戦用テーブルに行儀悪く腰を下ろす。
「南から大きく圧迫するようにエトナ城に進んでいるけど、この構えは実は嘘、実は適当な口実を作って右翼、左翼、中核に兵を分けて、各個撃破の隙をわざと見せたかったのよ」
「……罠、という訳ですか?」
「当たり、今の位置なら全力機動で夜半の間にエトナ城から私達を奇襲攻撃できる、機動力と土地勘を活かし、闇に紛れて各個撃破するなら今夜しか無いわ、だから……」
アリスの説明は続きそうだったが、ヴィスパーは手を上げて、それを止め、
「待ってください、罠なら何故、右翼部隊や左翼部隊の味方に別れる前から言わなかったんですか、今夜に、それも夜になってから……こちらも対策がやりにくくなります」
そう抗議するヴィスパー。
アリスが総司令である、彼女の判断に従うのが副官の役目だが、ギリギリになるまで手を明かさないのは味方が困ってしまう。
「だってねぇ……第十七師団はまだ編成間もないし、貴族の私兵集団とはやったけど、相手は帝国軍が誇る英雄姫と最精鋭集団だからね、初めから知らせて部隊の動きに、万が一に不自然さが出ちゃったら、鋭いセフィーナ皇女が罠を事前に察知する可能性があるからね、用心よ、用心」
眉をしかめたアリスの態度はまるで迷惑な質問を受けた士官学校の女教官の様だった。
「わかりました、では対策はどうなさいますか? 敵が出てくると言っても三手に別れた自分達をどこから攻撃してくるかも判らないでは、周囲を十二分に警戒して万全の迎撃をして迎え撃つのが無難かと」
「嫌よ」
ヴィスパーの副官としての提案を軽く蹴り飛ばし、アリスは瞳鋭く作戦図を睨む。
「そこは理論と勘、賭けに出た相手がこちらを各個撃破するなら、敵軍は中央突破を奇襲で達成して、指揮系統を混乱させ、右翼と左翼の連絡を断ってから完全に分離を狙う筈……この中核を狙うに違いないわ……そこまで読んだなら、ただ相手を追い払うだけじゃ足りないわ」
そう言うと作戦図から顔をヴィスパーに向けて……
「帝国の至宝である天才セフィーナ・ゼライハ・アイオリアに、このアリス・グリタニアが少しばかり彼女よりも豊富な軍隊経験を見せつけても、バチは当たらないでしょう? こっちは皇族でも、貴族でもなし、士官学校に入るのだって苦労したんだからさ……八千なんて数で一個師団をやらせる訳にはいかないわよ、でしょ?」
と、アリスは意味ありげな冷気すら感じる含み笑いを浮かべたのである。
「そ、その通りだと思います」
セフィーナ・ゼライハ・アイオリアにも全く臆しない。
それどころか女性指揮官同士の強い対抗心の表れにも見える含み笑いに、ヴィスパーはやや背筋を震わせながら敬礼したのだった。
続く




