第六十五話「少女の苦難と生業」
シュランゲシャッテンから北上、馬でサラセナの地に向かうシアが連れているのはルフィナと三人の護衛のみ。
護衛の者達もメイヤをリーダーとするセフィーナの護衛兵から選んだ者であるから、旅路は五人全員が女子で一見は危なっかしい。
だが護られる立場のシアを含めても各々の腕前は確かであり、下手な山賊、盗賊では倍の数がいようとも返り討ちに出来るだろう。
むしろ心配は道中の道の険しさだ。
サラセナと帝国北西部の境には数千メートル級の山々が立つラヘア山脈が天然の防壁の役割を果たし、そこからの吹き下ろしの風はすでに冬の寒さを感じさせた。
「どうサラセナに入るんですか?」
「国境には名目的には山賊や帝国からの逃亡を企てる様々な指名手配犯を逃れる犯罪者を警戒する部隊がいて、更に砦もあるから、そこの警戒網にかかって名乗るだけで良いのよ、あとは相手が勝手に判断してくれる、それに下手に勝手に入ると地形が複雑なラヘア山脈で遭難しちゃう、早く見つけて欲しいわね」
ルフィナの問いにシアは名目的という部分を強調して答える、太陽が真上の時間だが唇からは白い息が漏れた。
サラセナの秋は帝国首都フェルノールの初冬の寒さに当たる、各人がリュックから寒さをしのぐ軍用外套を羽織る。
潜入のつもりは全くない、というよりシアのいう通り潜入などしたら迷ってしまう。
サラセナへの唯一の陸路からの入り口で軍事的にも最重要な役割を果たすラヘア山脈は地形が複雑で万単位の軍隊の運用が極めて困難である、崖から亀裂、急斜面は当たり前、慣れている者でなければ方向感覚が麻痺してしまったり、危険な動物がたむろしている山林まである。
それに足してサラセナ兵の中でも地の利がある者を重く用いた山岳兵達が各所に砦を構えて待ち受けているのだ。
夏期に攻めてもこれだけの障害があり、冬季や秋期となり雪や寒さが加わると、攻める側の負担は増して、有利不利の天秤は更にそれらに慣れたサラセナ山岳兵に傾く。
実際にアイオリア帝国も遥か昔はサラセナの存在すら許さず、しつこく討伐の兵を出していたのだが、成果を得るどころかラヘア山脈すら抜けられない、運良く抜けられたとしても補給が続かず敵地で包囲され、壊滅の憂き目にあってしまうという非効率さへの認識がプライドと軍部の打算を上回り、潜入を許さなかったサラセナにしても実質的な人口比が十倍の帝国といつまでも戦争はしてられず、豊富な地下資源から得られる物の売り込みの売り込み相手としても国境を接した相手が重要であり、自治承認を受け入れ、帝国相手の貿易による莫大な利益の何十分の一かを支払い、以来二十年間の間、トラブルからの小競り合いはあっても旅団単位以上の戦闘は起こっていない。
だが、様々な呼称や認識は互いの面子の齟齬から修正はされておらず、サラセナ自身は王国と名乗り、現在は女王が君臨するが、帝国の公文書では自治領主としか記されないとか、サラセナ軍は帝国のサラセナ自治区軍となっているという矛盾も内包したままである。
「さて……来た、早くて助かったわ、見つけてくれなかったら、見つかるまでウロウロするようだったから」
ラヘア山脈の麓に近づき、境を越え、すぐに現れた武装した一団にシアは一定の緊張はしながらも安堵を口にする。
サラセナの旗を翻す十人程の集団に護衛のルフィナはやや構えたが、シアはそれを制して彼等に軽く手を挙げた。
抵抗の意思がないのを告げると、若い隊長は自分達はサラセナ王国の国境警備隊と名乗った。
シアも帝国親衛遊撃軍副司令官である事を打ち明けて、この度のシュランゲシャッテン公の謀反によって自治領警備に対する取り決めが必要であるので自治領領主ユージィ・エリュキュネルに軍司令官代理として面会をしたいと申し出る。
もちろん若い隊長は驚いたが、比較的丁寧な態度で管区の上級指揮官に相談しないと自分では判断できないと、山脈の麓の砦に案内された。
そして数日間の連絡待ちを経て、サラセナの首都リュッツオーまで案内される運びとなる。
しかし、それは案内というより護送に近い物であり、周囲を厚手の幕で覆われて外も伺えないようにされた馬車に乗せられた。
「どういう扱いですか!? 私達はともかくシア様は帝国少将にして、セフィーナ様の全権を受けた使いなんですよっ?」
「まぁまぁ、首都までの道程を観察させない狙いがあっても当然よ、山脈を安全に抜ける路なんて相手の最重要機密だからなるべくは見せたくないのはわかるわ、様はリュッツオーに着いて女王に会えれば良いのよ」
昼間だというのにランプ一つの明かりだけの馬車の中は暗く、どんな悪路を行っているのかという位に揺れる。
馬車酔いで吐きそうなルフィナの文句をシアは軽く流す。
何を言おうと現在の生殺与奪の権利は相手にあるのだ、悪路を行かされようがとにかく閉ざされた王国サラセナの女王に謁見しなければならないのである。
「そう言えばどうするんですか?」
「えっ? 何が?」
少し路が落ち着いた頃、ルフィナにそう聞かれたシアは意味が分からず首を傾げた。
その態度に相手は一回り年齢が上だが美人がすると、首を傾げただけでも様になるとルフィナは感心しながら答える。
「噂ですけどヨヘン少将がシア少将が交渉に行くとなった時に言われたらしいのですけど、私だったらサラセナの女王を自治領主閣下と呼ぶけど、シアだったらそうは言わないと思うって、実際にシア少将はどうなされるんですか?」
「そんな事!?」
「結構重要です、それを聞いた下士官達が賭けようという話になっちゃって……」
「賭けね」
「すいません」
申し訳無さげのルフィナ。
シアは数秒の後に言った。
「ならいいわよ、貴女が決めて」
「え?」
予想外のシアの返事にルフィナはキョトンとしたが、
「賭けに勝たせてあげるわ、貴女が賭けた方で呼ぶから教えて、私も迷い始めちゃったから」
そうニッコリ笑顔で続けられてしまい、イヤイヤイヤイヤと恐縮しながらも一見堅物そうなシアに親近感を感じ始めていたのだった。
***
「今会戦で君かパウエル中将でなければセフィーナ・ゼライハ・アイオリアと対するのはかなり危険だと判断した……私は別としてね」
テーブルのステーキにナイフを入れながらリンデマンが言うと、
「その扱いは光栄、あなた自身を別格扱いしている所がまた良いわ」
アリスは口から出た言葉とは裏腹に、疑わしく微妙な笑みを浮かべた。
アルファンス州都エリーゼ市内のホワイトバッファローは旨いステーキを食べながら、ホールに備え付けられたステージで様々なショーが観れるという人気店。
今日の食事はリンデマンからアリスへの誘いであった。
リンデマンとアリスはホールを見下ろす二階のテーブル席に座り、ヴェロニカは相変わらず主人の後ろで立ち控える。
アリスはヴェロニカがリンデマンと食事をする所を観たことがない、いや彼女はリンデマンにすら自らが食事をする所など見せないようだ、彼女の時間の殆どはリンデマンに費やされ、自らの食事の時間など数分なのではないだろうか。
ヴェロニカとの付き合いも数年にもなるが、最近になると戸惑いもなく、彼女の前でもアリスは食事を楽しむ。
ヴェロニカを気にするのは彼女のメイドとしての仕事と矜持を邪魔する事に気づいたからだ。
そういう意味でリンデマンに仕える黒髪ショートボブカットの美少女メイドは非常に優秀かつ頑固者である。
「今日のショーは何かしらね?」
二階席から準備中の舞台をアリスは興味深げに覗き込む。
「演劇です、州立劇場の役者の卵達が立つ舞台で脚本は州立劇場の物と全く変わりません、初々しさと修行中の必死さから評判も高く、中には州立劇場で観るよりも良いとまで言う人もいるそうです」
まるで用意されていたかの様にヴェロニカが答えると、アリスはありがと、と彼女にウインクしてから真顔に戻り、栗色のソバージュヘアを揺らしてリンデマンに向き直る。
「じゃあリンデマン……愉しい演劇の前に面倒な話を済ましておきましょ? 食事を奢ってまで言いたい事を言いなさいよ」
「鋭いな、君は私という人間をよく解ってくれているようだね?」
「腐れ縁っていうのよ、で何なのよ」
リンデマンはステーキナイフとフォークを置いてからワイングラスを手にして口にする。
「不確定要素が多いらしいが情報課から帝国内部の新情報が伝わってきている、鉄槌遠征の失敗した次男アレキサンダーが中部地域の封地に軍を率いたまま閉じ籠って、皇帝からの招聘にも数ヵ月も応じてないらしい」
「まさか……謀反!?」
いきなり聞かされた重要情報に神妙な顔で声を低くするアリス。
「ハッキリとした謀反ならば、サラセナが背後にいようが西部のシュランゲシャッテンと連動しようとするのが普通ではないだろうか? その気配は今のところ伝わってこない」
「なるほどね、確かアレキサンダーは長男で皇太子のカールとは不仲が囁かれてるのよね?」
「そうだ、それは噂ではなく本当だろう、あとカール皇太子がセフィーナ皇女を異常な程に溺愛しているという事もな」
呆れた声のリンデマンにアリスは苦笑してワインを飲む。
「後継者争いのゴタゴタかしら、鉄槌遠征はアレキサンダーが主導したらしいからその大失敗で後継者争いからは大きく後退した形になるわ、カールに従わなければいけなくなった未来に抗おうとしているが、決断がつかないとか? 帝国も大変ね……で、あなたはこの状況をどう思っているのよ?」
「ふむ……そうだな、まだ状況が完全には把握できないが、解っている事はある」
そう言うとリンデマンはワイングラスを少しだけ上げた。
「この状況は国を護ろうと奮闘する十七歳の一人の少女に背負わせるには余りにも過酷だよ、違うかね?」
喧騒の店内。
少しの間の後、フゥと息を吐き、アリスもワイングラスを上げる。
「違わないわ……でもね、私達はその十七歳の青春を国家に捧げた少女の人生を過酷な物にするのを生業にしている者達なのよ、ゴッドハルト・リンデマン」
続く




