第六十三話「抱擁」
コモレビト城内の応接室は広くは無いが、絨毯が敷かれ高価な応接テーブルとソファーがある品の良い部屋だった。
コーヒーを乗せたトレイを持ってきたセフィーナはアルフレートの前の応接テーブルにコーヒーを置き、向かい合わせのソファーに腰を下ろす。
「ありがとう、セフィーナが淹れてくれたのかい、美味しいよ」
運ばれてきたコーヒーを軽く一口含むと、優しげに微笑むアルフレート。
「残念、淹れたのは護衛隊のルフィナ兵長です、私が淹れたら兄上の口に合いませんよ」
「そんな事ないさ、セフィーナが淹れてくれたなら、こっちで合わせるさ」
「もう……兄上も口が上手い」
セフィーナは微笑みを返す。
部屋には二人だけだ。
メイヤは兄弟や父のパウルなどと会う時には特に呼び止めなければ部屋の外に出ている。
「戦況の方はどうだい?」
「はい、お耳にはお入りになっていると思いますが、西海岸からエトナ平原に侵攻してきた連合軍は撃破しました、損耗した兵力はありますが、このコモレビトに転進し、シュランゲシャッテン公に対している所です」
「相変わらず見事だね、損耗した兵力の埋め合わせは定員数全ては厳しいけれど、優先して配備するように申請するよ」
「助かります、勝ちましたが連合軍も鉄槌遠征を撃退した勢いがあり強いです、思うように素直にはいきませんでした、相手方のミスにつけ込めたのと、ヨヘンが絶妙なタイミングで戦場に現れてくれたので助かりましたが、これから先に連合軍と戦うにはもっと自身を磨かなければ、帝国の宿敵ゴットハルト・リンデマンには軽く蹴散らされてしまうのではと不安になります」
大勝したと言うのにセフィーナは少し悩んだ表情でカップを口に運ぶ。
謙遜でもなく正直な気持ちだ、連合軍の焦りによる連携の隙、援軍のヨヘンのタイミング、これらがセフィーナに良い方向に傾かなければ親衛遊撃軍の犠牲はまだ多かっただろう。
セフィーナはそう考えていた。
「何を言ってるのさ、セフィーナ、君の存在はいまやアイオリア帝国の希望と言っても過言じゃない、相手方のミスにつけ込んだのもヨヘン少将が活躍したのもセフィーナの采配だよ、もっと自信と誇りを持っていい、僕なんかセフィーナに比べたら戦場でだらしがない司令官と陰口を叩かれているよ、君は自信を持つんだ」
「アルフレート兄さん……ありがとう」
「じゃあ、もう弱音は吐かないね?」
立ち上がったアルフレートはセフィーナの座るソファーに歩み寄り、銀色の髪の頭に手を伸ばして軽く撫でた。
「はい、セフィーナは頑張ります」
素直に頷くセフィーナ。
こんな態度はアルフレート以外にはしない。
いつもそうであった。
幼い頃から優しいアルフレートの前でセフィーナはつい弱さを出してしまう。
甘えられる相手であるから。
慰めてもらえるのがわかるから。
いつまでもいけないとは思いつつもセフィーナはアルフレート相手には、ただの十七歳の弱い妹になってしまうのだ。
「あ……」
このまま甘えたままでいたい衝動を抑え、セフィーナが顔を上げると、アルフレートは銀髪の頭に乗せた手を下げる。
「どうしたんだい?」
「いや……アルフレート兄さんはゼファーに行かれた帰りにこちらまで寄られたのでしょう? アレキサンダー兄さんの様子はどうだったのですか?」
「ああ……そうなんだけどね」
アルフレートの優しげな顔に影が差す。
「兄上!?」
「いや……会ってみてアレキサンダー兄さんが心身ともに傷ついているのはわかった、カール兄さんに顔向けできないというのもある、こちらが焦って急かすのはアレキサンダー兄さんを要らぬ方向に行かせかねない、ゆっくりと説得を重ねた方が良いと思うよ」
「要らぬ方向、その為にもシュランゲシャッテン公の謀反を……いえ、何でもありません」
そこまで言ってセフィーナは慌てて言葉を止めた、明らかな失言をしたと気づいたからだ。
「セフィーナ……」
アルフレートはそれを責めない。
再び伸ばした手を妹の頬に当てる。
その瞳はあくまでも優しげ。
「……アルフレート兄さん」
「あのね、セフィーナ」
「はい……」
「この世に親兄弟を傷つけてまで、手に入れて嬉しい物なんてあるのだろうか? そんな事をしてまで手に入れた人生に価値があるのだろうか?」
優しげながらも悲しみも含んだ口調の問いかけだった。
カールやクラウス、セフィーナまでの美顔を持ってはいないが、アルフレートには十二分に整った顔と、前述の三人を上回る人を思いやる表情がある。
「それは……」
答えに詰まるセフィーナ。
無いと思いたいが、幼い頃から通い詰めていた皇帝居城の巨大書庫、セフィーナは過去からそして未来永劫まで、あらゆる欲を巡り骨肉の争いが続いていく事を学んでいた。
例えば一番近い身内の記録では、六代前のアイオリア帝国皇帝のリバーン・アイオリアは産まれた時は第六皇子。
登極するまでに、二人の兄を戦で殺し、二人の姉に最終的には毒を飲ませた皇帝。
彼が殺さなかったのは酒と女に浸りきり、皇子としての公式の役目すら果たせなくなる程に精神を病んでいた二つ上の兄だけだった。
最終的はリバーンは六十九歳で急死するが、その血筋が今のアイオリアにも直系で繋がっているのだ。
答えずともアルフレートには答えが分かっていたようだ。
「だろうね、僕たちの身体に流れているアイオリアの血を持つ者達だけでも、そんな争いは幾らでもあったさ……でも、その親兄弟を蹴散らして手に入れた物を人は自分の宝物と思えるのだろうか?」
「少なくとも私には無理です、仮に父上や兄上達、弟を蹴散らして手に入れた物に何の価値を見出だせましょうか? 問う必要もセフィーナにはありません」
「それでいい……それでこそ、君はアイオリアの誇り、セフィーナ・ゼライハ・アイオリアだ、君はいつまでもそうでいて欲しい」
アルフレートはセフィーナを引き寄せ、立ち上がらせると強く抱き締めた。
「あ……」
あまりにも不意で、予想外の行動にセフィーナは言葉が出ない。
幼い頃は別として、物心ついてからアルフレートに抱き締められた記憶は無かったからだ。
「セフィーナ……」
見つめ合う兄妹。
僅かにアルフレートが顔を近づけようとした時だった。
「ん……っ」
セフィーナの身体が硬直し、アルフレートはピクリとそれに気づく。
「だいぶ線が細くなったね……最近、色々と無理をさせて痩せさせたかな?」
そう笑みを浮かべ、セフィーナを離して椅子に座り直す。
セフィーナもいえ、多分痩せてませんと、赤面しながら答えて、ソファーに座ると何かを誤魔化すようにコーヒーを飲む。
「そうか、困っている事はあるかい? 僕が力になれるかは判らないけど、あったら遠慮なく話して欲しいな」
「あ……いえ、特に……いや、あります」
一旦は何もないと言いかけたが、赤面を冷ます様に首をブンブンと振ると、セフィーナはアルフレートを見据えた。
***
「なるほど、セフィーナは親衛遊撃軍司令官としてサラセナを訪問するなりして動きを牽制したい、しかしシュランゲシャッテン公の動きも気になると?」
「はい、シアの指摘通り、シュランゲシャッテン公の背後にサラセナがいたなら私がサラセナに出向けば、その隙をシュランゲシャッテン公に突かせるに違いないと、言われてしまえばそうなのですが、だからと言っても謀反との大規模全面武力衝突をバービンシャー動乱に続き、年に二度もしたくは無いのです、本格戦闘になる前に抑えてしまいたいのです」
長めの説明を聞き終えたアルフレートに対してセフィーナは思い詰めた顔を見せた。
説明している間の時間ですっかり赤面はおさまっていた。
「シュランゲシャッテン公達の反乱軍は六万、親衛遊撃軍は三万五千、軍事的には勝機はあるのかい?」
「それは問題ないと思います、絶対に勝てると断言はしませんが、少なくとも戦をして負けるつもりはありません、ただ勝つにしても戦いをしたくないんです」
「なるほどな……」
約半数だというのに謀反軍に純軍事的に負けるつもりは毛頭無さそうなセフィーナの様子を見ると、アルフレートは暫く考え込んでから、控えめに笑いながら顔を上げた。
「セフィーナの言う事もわかるけど、シア少将の言い分には敵わないだろうな、だからさ……発想の転換をしてみようか?」
「発想の転換ですか?」
意外そうな顔をするセフィーナに、アルフレートは頷く。
「そうさ、セフィーナには自分で幹部級を選んだ親衛遊撃軍があるじゃないか、そこにはセフィーナの分身の役目を果たせる部下がいるんじゃないかな? 責任が大きくなっていく人間ほど、組織の中に上手く自分と同じ、それは無理であっても十二分に自分の考えを及第点で実行に移してくれる部下を作るのが重要だよ」
「……役目を果たせる部下ですか?」
「いないかい? いないとは思えないけど?」
「優秀な部下達がいます、そうでした、セフィーナはそんな事を忘れていました」
セフィーナの顔と口調に明るさが出ると、アルフレートも微笑んで腰を上げる。
「だよね? 僕もそろそろ行くか、セフィーナの負担を少しでも減らさないとね」
「ご訪問嬉しかったです、もう戻られますか? 帰りにはまたゼファーにお寄りになられるのですか? 城の外まで参ります」
見送りをしようと立ち上がるセフィーナに、
「まだ戻るのは早いかな? セフィーナの負担を少しでも減らす、と言ったろ? サラセナに行っても僕は役には立たないだろうけど、危険は承知でシュランゲシャッテンに行けば僕は少しは役に立つかもしれないからね」
アルフレートはそう言って、また銀色の髪の頭に優しく手を乗せるのだった。
続く




