第六十一話「勇躍、英雄姫」
南部諸州連合アルファンス州エリーゼ郊外。
連合軍統合作戦本部の廊下を歩いていたヴェロニカはピタリと足を止めた。
「少尉」
あまり呼ばれなれない呼ばれ方に一度は無視しかけたヴェロニカだったが、もしかしたら自分の事かと振り返る。
そこに立っていたのは情報部少尉の腕章を付けた二十代の若い将校だった。
「どうされましたか?」
本部内でも異色のメイドの愛想が良い微笑みに、若い将校はやや戸惑いながらも笑みを返してくる。
「いえ、これからリンデマン大将宛の報告書をお届けしようと思っていたのです、大将閣下は執務室に御在室でしょうか?」
「はい、居られます……もし宜しければ報告書は私がお届けしますが?」
「そうですか、ではお願いします、でも緊急報告案件なので、リンデマン閣下の受領のサインも頂きたいのです」
彼が出してきたのは赤い封筒だった。
本部内から持ち出し禁止の文書だ。
「報告が終わりましたら、報告受領のサインも頂いて情報部に参ります」
「ではお手数ですがお願いします、必ず封筒もお返しください」
ヴェロニカが報告と受領のサインの用事を受けると、その将校は安堵の顔を浮かべて、それをヴェロニカに託す。
メイド姿のままで軍務につく彼女は初めのうちは奇異な眼で見られていたが、リンデマンという気難しい人間が大将という地位を得て、何かと部下との接触が多くなる立場になってしまうと、対する連絡役として周りはヴェロニカを重宝し出していた。
少なくともヴェロニカは対人的には主人よりは遥かに難しさはないので、直接はリンデマンに報告しにくい件を副官に伝えるという事が出来るようになったのだ。
そのせいとルックスもあってヴェロニカは作戦本部内では今やちょっとした人気者だ。
「失礼します」
ヴェロニカはノックをしてからリンデマンの執務室に戻る。
大将だけに重厚な執務机がある広めの個室が与えられているが、その他は部屋の隅に滅多に使われないヴェロニカの副官用の机と観賞用の植物が窓際にあるくらいだ。
執務机の椅子で本を読んでいたリンデマンはチラリとヴェロニカの持つ赤い封筒に眼を向けた。
「緊急報告か」
「はい、緊急報告案件と」
「負けたな」
リンデマンは中身もみずに大きく息を吐き、読んでいた本を置くと、高級そうな椅子の背もたれに身体を預けた。
「どの程度負けたか知りたい、読んでくれ」
「かしこまりました」
その一言に対して、ヴェロニカは表情ひとつ変えずに封筒から報告書を取り出す。
ヴェロニカが読み上げた内容はブライアン中将からの報告だ、そこには帝国軍との戦闘に置いて序盤の有利さを活かせずに逆転敗北した事が細かに、正直に記載されていた。
長めの文書量だったが、ヴェロニカは淡々とした声で間違いなく、それを読み終える。
「以上です……」
「前の報告で親衛遊撃軍が北に戦力を回したとあったが……目の前でセフィーナ・アイオリアが戦力を半減させるという餌に釣られて、罠に引っ掛かったな」
「どういう事なのでしょう? ヨヘン少将の部隊は北に反乱に対する援軍に向かった筈ではなかったんですか? なぜ南からエトナ平原に現れる事が出来たのでしょうか?」
「ヨヘン少将の北への出発は偽装だ、報告では夜に帝国軍は移動を開始したという、闇に紛れてからヨヘン少将の部隊は引き返し、エトナ平原東側を南下して、南エトナのザトランド山脈辺りに身を潜めていたのだろう、西から攻めたのなら東側は帝国親衛遊撃軍を挟んで奥になるし、偵察隊を減らしていたのなら気づかんだろうな」
リンデマンは顎に手を当てる。
それまでに報告は何度か受けていた、そこで何が起きても戦闘を留まるように新たな命令を送るべきだったか?
いや、それは不可能だろう。
隙あらば敵を攻撃するように教育されているのが軍人だ、それを禁じたら敵への脅威が無くなってしまう。
「コモレビトからの情報では、ヨヘン少将の部隊とクルサード少将の部隊が昼と夜に別れてコモレビトに入城して、コモレビト領主から歓迎を受けたとありましたが、これは誤った情報だったのでしょうか?」
「それも罠だ、クルサード少将が一万の部隊を率いて昼に一度コモレビトに入城し、夜に密かに外に出して、ヨヘン少将に似た人間を先頭に置いて再び入城させれば、一万の部隊が二回で二万と工作員は判断するだろう、もちろんコモレビト領主も協力しての事、これ以外にも一万を二万に見せる手は幾つもある、ブライアンとガナショーは会戦の前から情報戦でセフィーナ皇女にミスリードをさせられて敗北していたんだ」
即答するリンデマン。
「ブライアンは残念だったが……これからセフィーナ皇女は北に戦力を転進させてのシュランゲシャッテン公の反乱鎮圧に全力を注ぐか、それとも元凶に刃を入れてみようとするか?」
「元凶ですか? シュランゲシャッテン公では無いのですか?」
ヴェロニカが報告書をリンデマンの読み向きに机に置くと、リンデマンはペン差しからペンを取り、インク壺に先を浸して、報告書に既読証明のサインを書き始めた。
「大貴族とはいえ、シュランゲシャッテン公にこの絶妙なタイミングで反乱を起こすセンスはないさ、高い情報収集力で我々の西部侵攻作戦を知り、それに呼応してシュランゲシャッテンを動かした者がいるのだ」
「それは何者ですか?」
「極北の自治王国だよ」
「サラセナですか? 御主人様は今回の黒幕はサラセナだとお考えで?」
「ああ……」
少しだけ眼を大きくしたヴェロニカにリンデマンは頷く。
「私が今回、東部への攻撃を反対して西部での作戦を実施したのは中西部の貴族達の様子を観たかった事があるが、私は極北の女王がどう動くかに興味があったんだよ、まぁ様子見をしようとした割にはガナショー中将の第十二師団の壊滅とブライアンの第十師団の敗走は高すぎる代償だったのだがね、作戦発令者としては統合本部長にお叱りも仕方ないな」
そう言ってサインを書き終えた報告書を差し出しながら、
「それにしてもセフィーナ皇女は今回の戦場を西部戦線と読んでいた上、ガナショー、ブライアンの二人の手練れを見事に撃退した手並みは見事を通り越して、鮮やかなくらいだな……これはもう私が出るか、出ないのならパウエル閣下か、アリスにでも頼まんと、セフィーナ皇女の相手には荷が重いかもしれんな」
と、呟くのだった。
***
「何をして、何処へ行くと言った?」
「もう耳が遠くなったのか? 半日しか産まれた日が変わらないお前がそうでは困るな」
親衛遊撃軍が夜営する幕舎の中、問いかけるメイヤ
にセフィーナは不満げな顔を見せた。
「もう一回言って」
「もう次はないぞ……これから親衛遊撃軍はシア達に任せて、お前と私だけでサラセナに行って女王を名乗る自治領主に会う、私はハッキリとそう言った」
「……本気? 勝手にサラセナに行ったら陛下やお兄さん達に怒られるよ!?」
メイヤの口調はいつもの抑揚の無い感情の乏しいそれだったが、その視線は神妙な物だ。
「何を言う、サラセナは自治権を認めているとはいえ、れっきとした帝国領だ、私は親衛遊撃軍として国内各地での軍事行動を認められているし、領主も全面的に協力する義務もあるし、補給や施設利用の権利もある、ましては帝国皇女の私が帝国領で行けぬ所があろうか?」
全くの冗談抜きに胸を張るセフィーナ。
本気である事が解ると……
「しゃ~ね~な、無茶苦茶な理屈だなぁ」
メイヤの表情は神妙なそれから、一気にいつもの脱力感すら感じさせる柔らかい物に戻る。
「間違っている箇所があるか? 無茶苦茶でも正論きわまりないだろ?」
メイヤの反応の変化に対して、セフィーナはニッコリ笑う。
幼い日に二人でいた時に必ず悪戯を思い付き、侍従達や大人を困らせるのはセフィーナの方だった、笑顔で良い事を思い付いた、と悪さを言い出す。
十年近く経って、美しく成長しても笑顔には昔の面影が残っている。
そんな事を感じながら、
「そういう問答は他の人とやってよ、私は取り敢えずはサラセナの奴等がセフィーナを迎えて、おかしな気を起こしたら、奴等の正規軍全員をこのアックスで叩きのめす準備をするだけだよ、確か五万か六万くらいだよね? 刃が欠けても叩き殺すから良いけど、柄が折れなきゃ良いけど」
メイヤはセフィーナを見据え、そう平然と答えるのだった。
続く




