第五十七話「問いと誘惑」
木漏れ日を浴びながら数騎の騎士に護衛された馬車は木々の間に拓かれた道を進む。
「アルフレート様、ゼファーの城が見えてきましたぞ」
「そうか、一旦止まろう、小休止だ」
年配の騎士で、警備隊長であるルアン少佐の呼びかけに、アルフレートは馬車の窓を開けて告げる。
馬車は停まり、騎士達も馬を周囲の木々に繋いで休みを取り始めた。
アルフレートの周囲を普段から護衛する騎士達の緊張感が無いのは当たり前だ、彼らは今回のアルフレートの赴きを知らないからだ。
端からすれば次男に三男が訪ねるという当たり前の事だが、それは表向きであり、実は敗戦の将である次男アレキサンダーの命令無視という意図を問い質すという物騒な内容を彼等が知っていたら、その態度と改まるのだろうが、それを軽々しく口には出来ない。
それにアルフレートとしては、護衛を数騎にとどめたのもアレキサンダーに下手に警戒されては話も出来ないと踏んだからだ。
「どれくらいで着くかな?」
「城は見えてますが、まだ遠いですな、昼過ぎにはなりましょうか」
水筒から水を飲むアルフレートにルアン少佐は城が見える方向を見る。
アレキサンダーが居るであろうゼファー城が標高数百メートル程の木々が繁る山に割り込んだかの様にそびえ立つ。
「立派な城だね、高すぎず低すぎない山に建っていて守りが堅そうだ」
「ゼファー城は堅牢な山城ですからな、統治には山城よりも平城ですが、戦の神の化身とまで言われるアレキサンダー様にはああいう城が似合っておりますな」
アルフレートの感想にルアン少佐は頷く。
ゼファー城はアレキサンダーが所領として与えられる前からあった山城である。
アイオリア直系家族のミドルネームとなる各々の所領は皇帝から誕生時に承る物で場所は様々だ。
例えばセフィーナの所領であるゼライハには城などはなく、セフィーナも少し大きい程度の屋敷に住んでいる。
「アルフレート様の御所領のゼインにも城がございますな?」
「小さな平城さ、山になんて城があったら領民が陳情や儀礼に来る時にやりにくいだろ?」
「領民統治の為に、流石でございますな」
「戦なんて出来ない臆病なだけさ、さぁ、また進もうか……んっ!?」
苦笑をしながら水筒をしまったアルフレートだったが、木々の影から現れた男たちに表情を強ばらせた。
野盗の類いではない、一目で見て理解できる訓練された兵士達だった。
ルアン少佐達、護衛の騎士にも緊張が走り、各々が武器に手をやった。
「何者だ? 我々はアイオリア皇族のアルフレート様とその護衛騎士だ、無礼な参上には容赦はせんぞ!」
ルアン少佐の堂々とした警告が森に響き、木に止まっていた鳥達が羽ばたいていく。
「失礼を」
兵士達の先頭にいた三十代半ば、背は特に高くはないが、鍛え抜かれた筋肉が軽装鎧から見える男が頭を丁寧に下げる。
「我々はこの地の領主にして、アイオリア皇族であられるアレキサンダー様の麾下で、私はこの小隊の隊長のマック大尉であります、今は領内を警戒中にて、不躾な参上にはどうか御容赦頂きたい」
「警戒中? 何か起こっているのか?」
「詳しくは伺っておりません、我々は末端の部隊に御去りますれば、申し訳ありません」
アルフレートの問いに、マック大尉は首を振った後で再び頭を下げた。
「構わない、こちらこそ軍務中の貴官に不躾な問いをして済まなかった」
「いえ、所で殿下はゼファー城への道中でございましょうか?」
「ああ……兄に挨拶程度の大した用事ではないから、先に連絡などはしていないが、城に兄上は居られるだろうか?」
アルフレートの言はもちろん嘘だ、偵察隊の隊長に本当の事を明かす訳にはいかない。
然り気無く、所在を確かめる。
「それはわかりませんが、殿下ご一行が来られたのならば、私の部下達にゼファー城まで案内させます」
「そうだな、感謝する」
マック大尉の意図はともかく、アルフレートは素直に申し出を受け入れる。
元々、潜入任務ではないし、何を探るよりもアレキサンダー本人に会うのが一番話が判りやすいだろう。
謀略、詐術を嫌う兄は、その実行も苦手中の苦手であるのは、兄弟の付き合いをしてきたアルフレートが十二分に承知している。
そこを加味して……
『警戒部隊が城の周囲を警戒しているとは、これは穏やかではないな』
嫌な予感を覚えるアルフレート。
マック大尉の態度が紳士的であった事に惑わされてはいけない。
平時ならば門を閉じ、内部の警らを確りしていれば事足りる山城の警戒を外にまで広げているのは平時の警戒体制ではない。
周囲に小規模の警戒部隊を配するのは、城への偵察を封じる為の戦時警戒に近い物だとアルフレートは直感した。
『ここは帝国内の自らの所領だと言うのに……警戒部隊を放つくらいに兄さんは……』
案内をかって出たマック大尉の部下達の後ろに続く馬車の中、アルフレートは下唇を噛んでそう考えるのだった。
***
「アルフレートか、意外な人間が現れたな」
ゼファー城内。
広間にいるのはアレキサンダーとアルフレートだけである。
城主の座に座るアレキサンダーはまるで王のような威厳を放ちながら言ったが、
「アレキサンダー兄さん、久しぶりだね」
アルフレートはまるでクラウスの様に軽い挨拶から切り出した。
あくまで詰問や叱責をアレキサンダーに感じさせてはいけない、場合によればアレキサンダーはそれに対して、相手が皇帝であっても萎縮をする人間では無いからだ。
「そうだな、遠征に出る前だから数ヵ月にもなろうか」
「ああ、兄さんがゼファーから出てこないから父上や皆も会いたがっているよ」
「フッ……」
アレキサンダーは鼻で笑う。
もちろん友好的な物ではない、そんな筈がなかろう、皆が俺を責めていると言いたげだ。
その展開はアルフレートにも読めている。
「発表はされなかったけど、実は父上が高熱で臥せったんだ」
「父上が高熱で!?」
アレキサンダーの逞しい眉が動く。
予想通りだ。
アレキサンダーは決して親不孝な息子ではない、どちらかと父親思いな息子であるとアルフレートは幼い頃から見ていた。
「ああ、鉄槌遠征が終わった直後にだ、今はちゃんと快復したけど一時はかなりお弱りになったんだ……もちろん戦の敗北には責任がある、兄さんが武人らしく責任を感じてここに謹慎しているのも父上は理解しているよ、でも父上は帝国の行く末と同じくらい兄上を心配しているさ」
「……そうか」
アレキサンダーは口元を引き締める。
アルフレートとしては言葉を慎重に選んでいるつもりだ。
鉄槌遠征での責任は誰も問わないから気にせずに出ておいで、と言えれば楽だが、それは言えない。
犠牲が大きすぎ、実質的指揮官として動いていたアレキサンダーを不問には出来ないのだ。
責任はある、という事を含めつつもアレキサンダーを意固地にさせてはいけない。
「父上はいい、父上は、俺は父上に敗戦について謝罪するつもりはある……だが」
絞り出すようにアレキサンダーは言った。
「俺はカールには頭を下げるつもりはない、アイツは今回の敗戦を盾に俺を一気に追い落とすつもりに違いないのだ!」
その顔には怒りがあった。
次男アレキサンダーと長男カールが兄妹間では最も相性の悪い組み合わせであるのは兄妹の皆が感じていた。
武勇を頼みとするアレキサンダーをカールは力だけに頼る猪武者と馬鹿にし、アレキサンダーはカールなど最前線に立たず、後方で少し気の効いた指揮が出来る程度の二流大将とレッテルを押している。
アルフレートから見れば、どちらも一級品に見えるのだが、互いが互いの個性を認め合わないのは戦場だけでなく、万事がそうなのだ。
「カール兄さんに謝る必要はない、皇帝陛下の赤子たる兵達を多く失ったのは陛下と人民に謝る事で、カール兄さんには関係はないさ、もしカール兄さん自身に謝れと、アレキサンダー兄さんに言うならば、自分が必ずカール兄さんにそれは違うと進言する!」
アルフレートはやや熱くなる自分を意識していた、嘘ではない、これは本気だ。
鉄槌遠征での失敗は軍を統括する参謀総長としての責任が全くない訳ではないのだ。
「アルフレート……お前も変わり者の多い兄妹の調整役は大変だな」
「調整役だなんて違うさ、当然として兄妹は仲良くしなければいけないんだよ」
アレキサンダーの嫌味や険の無い同情の言葉にやや安堵をアルフレートは覚えた。
少なくとも話を聞いてもらえているからだ。
「お前もクラウスの奴ほど変わり身早くはならないだろうしな、奴はもうカールの下働きを受け入れたそうじゃないか?」
「下働きじゃないさ、敗戦の責任を受け入れて陛下からの下命だよ、ほとぼりが覚めたらまた表舞台に帰る準備さ……」
「俺にはそんな事はできんっ!!」
アレキサンダーが突然に吼える。
しまった。
アルフレートは意識の中だけで舌打ちした。
クラウスの立場を皇帝よりの一時期の事だ、と言いたかったのだが、カールの下働きという部分をアレキサンダーは強く捉えている。
「アレキサンダー兄さん、平気だ、クラウスの場合は……」
「クラウスは俺を見限り、カールに取り入ったんだ! 陰謀好きなクラウスがカールと組んだら俺は何をされるかわからんっ!」
アレキサンダーは椅子から立ち上がった。
そして、太い人差し指がアルフレートに向けられた。
「アルフレート、お前もそうだぞ……カールは兄弟であっても邪魔になれば容赦はしないだろう、カールは絶対権力者になるのが目標だ、それはお前も知っているだろう?」
「……」
アレキサンダーの指摘に対するアルフレートの沈黙の意味はイエスである。
アイオリアの一族でそれを知らない者はいないだろう、そしてアレキサンダーはその強力なライバルであった事も。
「今回の失策で俺はもう……皇帝にはなれぬ、なれるとしたら……西部が動乱し、国境に敵がいる今しかあり得ぬかもしれん」
拳は強く握られながらも、その降り下ろす先が見えずに肘掛けの上で震えるのみ。
自らの失策。
アレキサンダーとは、それを認められない男ではないが恥辱を素直に受け入れて、新たなスタートに向けて踏み出せる男でもない。
自ら間違えていると知りつつ、名誉と意地の為に死ぬ男なのだ。
「滅多な事をいうなっ! 兄さん、自棄を起こしてはダメだ、例え皇帝の座が遠のこうともアレキサンダー・アイオリアの名誉を傷つけてはダメだ、やはりフェルノールに帰って話し合うんだ」
「お前はそれでいいのかっ!? このままカールが帝国皇帝になっても?」
自制を促すアルフレートの勢いを凌ぐ様にアレキサンダーは叫ぶ。
「兄さん……」
「良いのか? このままカールに膝を屈して仕えるつもりなのか?」
「まだ父上が健在の時、話すような事ではないだろう、それに元来は家というものは長男が継ぐものだ、それを破った結果滅亡に舵を切ってしまった国は多いのは兄さんも分かるだろう?」
後継者争いをカールと繰り広げるアレキサンダーに、こう言うのはアルフレートも覚悟がいったが、ここまで相手がカール個人に意固地に相対しているなら仕方がない。
理論と事例で説得する方法をアルフレートは選んだ。
「国家が疲弊した段階で内部分裂などしたら、それこそ後継者争いなんて意味がなくなるんだ、今は皇帝陛下を、もしもの事があれば陛下が指名した後継者を盛り立てていくのが国家に対する責任だろう?」
常日頃から信じている正論を強く主張したアルフレートだったが……返ってきたのは予想外で、衝撃的な言葉だった。
「では絶対権力者になったカールが、その力でセフィーナを手に入れても文句は言わないんだな?」
「う……」
「カールが絶対権力に拘る強い理由の一つはセフィーナを手に入れる為だぞ、どうなんだ?」
不意すぎる問いかけだった。
アルフレートの意識に幼い頃から見守ってきた銀髪の妹の顔が浮かぶ。
美しく。
聡明で。
負けず嫌いで意地っ張りで。
そして……愛しかった。
「どうなんだアルフレート? 俺はセフィーナには妹以上感情はない、セフィーナの事はお前に任せても構わんのだぞ」
「……」
「どうなんだ?」
言い返す事が出来ないアルフレートの鼓膜にアレキサンダーの恫喝にも近い問いが響き渡った。
続く




