第五十六話「親衛遊撃軍動く」
大陸の北西部の広い高山地帯。
この地がシュランゲシャッテン領。
西部貴族の中で五本の指に入る大貴族で、領内経営も安定していた。
領主のイアトスは五十七歳。
特に外観は見るべき者を惹き付ける部分のない中肉中背の男だが、領内では無理な収税や徴用をせず人気も高い。
西部で起きたバービンシャー動乱の際にも、近くにあって特に帝国に益のある動きをしたわけではないが、所領の高山地域を固く守り、内乱の飛び火を受けなかった。
面白味はないが、堅実。
そんな評価を受けていたシュランゲシャッテンが何故、謀反の旗を挙げたのか!?
西部の各所領の貴族達は動揺しつつ、様々な考えを巡らせる。
「セフィーナ様が西部に来ているのにバカな事をして……噂ではバービンシャー公爵と親しかったシュランゲシャッテン公は自分が帝国に疑われていると勘違いして、ご乱心なされたのだ」
「いや、セフィーナ様は西部にはいるが、敵と対陣中だ、敵に背を向けて、北のシュランゲシャッテンには迎えないさ、上手くタイミングを見計らったんだろうさ」
「初めから連合軍に内応していたのだ、そうでもなければ謀反の準備が整っている説明がつかないだろう、おそらく鉄槌遠征で帝国に見切りをつけ、将来は連合州の知事にでもなるつもりだ」
それらの推察はどれも確たる証拠を持っておらず、噂の域を出ない。
しかしシュランゲシャッテン公が謀反を起こしたという事実は確かであり、周辺の貴族は各々の反応を見せ始める。
大部分が帝国に忠誠を見せつつ、所領の守りを固めるという行動を起こす、大貴族のシュランゲシャッテンは私兵を数万単位で動員出来るが、そんな貴族は一握りであり、殆どの貴族達は千から二千が限度で、所領が狭く、生産性、経済に恵まれていない領主などは三桁の私兵もいない者もおり、多くが自己防衛に徹した。
また、次に多かったのは比較的動員兵力の多い
貴族達が数千から一万程の兵力で、謀反軍であるシュランゲシャッテン軍に反対の意思を見せ、帝国軍が討伐に動き出せば当然、それに協力するという動き。
そして……最後がシュランゲシャッテンに同調し、自らも謀反を起こす者だ。
シュランゲシャッテンに隣接し、公と親しい二つの領主、サペンスとガイアペイア両伯爵が互いに一万の兵力を以て謀反軍に合流、シュランゲシャッテン軍四万と合わせ、六万のいうバービンシャー動乱を上回る反乱軍が西部に再び現れたのである。
「ようやく旗色がハッキリしたか、サペンスやガイアペイアまで帝国に見切りをつけたか、この火はすぐに消さないとな」
対陣より二週間後に入った謀反の報せより、更に二週間、西海岸からのエトナ平原入り口にて陣取った南部諸州連合軍と睨み合いを続けていたセフィーナは陣中でポツリと呟く。
セフィーナを上座に据えた大きな作戦地図が置かれた長机に並んで座るのは、殆どがセフィーナ自らが選んだ親衛遊撃軍の幹部達だ。
「ヨヘン!」
「ハイッ」
セフィーナの鋭い呼び声に、元気よく返事をするヨヘン少将。
低い身長、栗色の短めのポニーテールに童顔という彼女のその態度は、まるで士官学校で銀色の髪麗しい先輩に呼び止められた後輩の様だが、実際はヨヘンは士官学校を卒業して十年近くが経過しているし、セフィーナは幼年兵学校は出ているが士官学校は出ていない。
「打ち合わせの通り、コモレビト領主には連絡済みだ、クルサードの仕事が済み次第命令を下すから準備をしておけ」
「了解しました」
「次はクルサードだ」
「はぁい」
肥満気味な中年少将クルサードが立ち上がる。
軍服の着こなしも崩れ、上官に対する態度も誉められた物ではない全く冴えない男だ。
もしセフィーナが素行や見かけを登用に気にするなら、間違えても一万の兵力を預けはしないだろう。
「お前も作戦通り、上手くやれよ、お前の仕事が中途半端だと皆が困る」
「へぇい」
「クルサード少将!」
クルサードの返事に副将のシアが声を荒げるがセフィーナはそれを制する。
「いいよ、年齢ならこの中ではクルサードが遥かに歳上なんだ、仕事さえしてくれたら少しは構わんさ、頼むぞ」
「はぁい、わかりました、頑張りますよ」
帝国皇女の大将にも適当な態度を貫くクルサードに、ヨヘンとシアのコンビは微妙な表情を見せるが、セフィーナは不敵な笑みを浮かべたままで作戦地図に眼を落としていた。
***
「エトナ平原の警戒が厳重さを増しているだと?」
「はい、平原の各所に放っていた偵察隊が幾つも連絡を断ちました、昨夜から頻繁に帝国軍は動き始めています」
「遂に動くか、謀反を起こしたシュランゲシャッテン公を叩きに向かうか、目の前の我々を叩きに出るか? とにかくガナショー中将に相談しないとな」
親衛遊撃軍と対陣中の南部諸州連合軍。
情報参謀からの報告にブライアン中将は唇を引き締めた。
西部での再びの大規模反乱は様々な要因が考えられるが、着火材に火を付けたのは自分達のエトナ平原侵攻だろう。
もちろん南部諸州連合軍と反乱を起こしたシュランゲシャッテン公は連絡などは取り合ってはいない、彼が好機を見ての行動だが、この状況を互いに利用しあう必要があるのは確かだ。
ブライアンは野戦用のテントを出て、合同司令部が置かれている大型テントに向かう。
警備兵から副官に取り次いでもらい、ダイ・ガナショー中将と幕舎の中、二人の司令官だけで会議を持つ。
「なるほどな……エトナ平原周辺地域から我々の偵察隊を排除したのは怪しいな、北での大規模反乱に対して鎮圧に動くタイミングを図っているに違いないな」
「はい、私もそう思います、どれくらいの兵力をいつ頃、北に回すのかをなるべく我々に知られたくないのでしょう?」
椅子に座り、腕を組むガナショー中将の推察にブライアンは同意する。
ここまでは互いの意見は一致した。
「再び偵察隊を出しますか?」
「うむ……相手の同行を知りたいのは山々だが、短期間にそこまでやられたなら、被害が増えていくだけだ、偵察はしないといけないが、あまり無理をさせないように」
「そうですね、わかりました」
ブライアンは頷く。
セフィーナの動きを捉える必要があるが、相手がそこまで偵察隊をナーバスに狙っているなら相手の支配地域で無理はさせられない。
偵察隊は決死隊ではない、敵軍が厳重な警戒を敷いているなら、遠目よりの動向の観察に偵察を押さえる必要もある。
「で……敵軍が北に向かうようでしたら、どう動かれますか?」
「……」
その問いにガナショー中将は無言で目をつぶった、彼は勇猛果敢さを強く持つが、決して何にでも飛び付く猪武者ではない。
「現在……我々とセフィーナ・ゼライハ・アイオリアの率いる親衛遊撃軍との戦力はほぼ互角だからな、相手が一万でも北に向かわせたなら俺個人的には仕掛けるんだが、ここは二万も北に向かわせたら仕掛けたい、偵察隊を減らせば不確かになるが、敵陣の様子には注意させよう」
「相手は約四万、二万を向かわせたら残りは二万、我々の半数になる……」
「どうだ? そこまでの好機なら戦線維持命令を意固地に守る必要があるか? そこは現場指揮官の裁量もあろう?」
ガナショー中将が身を乗り出してブライアンに訊ねてくる。
元々はアリスが担当する戦場だったのを、東部攻撃案を却下の憂き目にあった統合作戦本部長のモンティー元帥の横槍で、ガナショーに代わったと聞いたブライアン中将は作戦面で色々と口出しを受けると心配したが、ガナショー中将もそれなりに年下の中将の自分に気を使ってくれているのを感じて安堵し、余計な警戒は解いて仲間として戦おうと考え始めていた。
「ですね……私も賛成です、しかし相手はセフィーナ・アイオリアですからね、敵陣の数を少なく見せて罠を張るくらいはあるでしょう、気を付けましょう」
「そうだな、敵陣偵察は今まで通りにしないと騙されるな」
二人の中将は注意は十分に、そして仕掛ける時と意思を同調させたのである。
***
「平原全体における敵の偵察隊の数はかなり減ったようです、クルサード少将からの報告では既にかなり敵偵察隊を捕捉したとの事」
「素早い偵察隊をここまで捕捉するとは、クルサードは本人は肥満だが狩りは上手いな、流石はサラセナ国境警備隊で越境者を取り締まっていただけはある、予想以上の腕だ、これでいい」
司令官用野戦幕舎。
シアの報告に、椅子に座ったままのセフィーナは満足げに笑みを浮かべた。
「エトナ平原における連合軍の眼はこれで弱体化しましたが、この本陣に対しては偵察隊を張り付けるのを諦めていないようです」
「だろうな、私でもそうするよ……じゃあ、動くとするか! ヨヘンに作戦の発動を伝えろ、クルサードにも使いをやれ、作戦通り動きを始めろとな!」
「ハッ! 作戦発動します」
時は今と、立ち上がるセフィーナ。
対するシアは綺麗な敬礼をして、幕舎を颯爽とした足取りで出ていく。
「さて……」
シアを見送ると、セフィーナは大きく息を吐き、傍らに控えるメイヤに振り返る。
「兄上は我慢できると思うか? まさか変な気を起こさないだろうか!?」
セフィーナの顔には、先程までのシアに対していた鋭さと英邁さは消えていた。
悩む一人の少女しか居なかった。
問いにメイヤはそのダークグレーの瞳をやや左斜めに向けてから、口をゆっくり開き、いつもの抑揚のない発音で答えた。
「わかんない、でもアレキサンダー様がその気だったら我慢できないんじゃないかな?」
「ばか……」
小さく呟くセフィーナ。
「こういう時は無理だと思っても、それなりの返答をするもんだ」
「悪いね、産まれた日も場所もほとんど変わんないのに、遠慮なく私よりも偉く可愛く産まれてきた女には、私も遠慮しないように生後二日目に横に並べられた時から誓ってたんだ」
少しいじけた様子も見せたセフィーナに対しても平然と答えるメイヤに……
「それなら仕方ないな、十七年も護ってきた誓い、破るなよ」
セフィーナはクスリと吹き出しながら、とにかく勝つ事だな、と笑顔を見せたのであった。
続く




