第五十三話「西部侵攻作戦ウッドペッカー」
南部諸州連合アルファンス州州都エリーゼ。
暑い盛りが過ぎると、南部人達は秋の訪れを楽しく祝う。
中央から北部に版図を持つ帝国の人間には解りにくいが、夏の南部の暑さは尋常でない場合があり、南部諸州連合の中心に位置するアルファンス州でも今年の夏は暑く、これからの涼を歓待する祭りが街では催されている。
「エリーゼの夜祭りです、もうそんな時期になったんですね」
「そうだな」
ゴットハルト・リンデマンは小さめの紙製の買い物袋を両手で抱えるヴェロニカに頷く。
統合作戦本部に出勤しては、次の作戦計画を会議や専門のスタッフを集めての協議にかけ、夕方に夕食の買い物を済ませて帰っていくのが夏の毎日になっていた。
「帰ったら、すぐにお風呂の準備を致します」
「うむ……」
「本日のご報告、気になりますか?」
返答が何処か素っ気ないリンデマンにヴェロニカは訪ねる。
本日の報告とは、親衛遊撃軍を組織し、軍団長になったセフィーナが結成直後にその軍団をエトナ平原に進駐させているという物だ。
「そう見えるか?」
「申し訳ありませんが見えます、西部への侵攻を決め、実行を命じた所にセフィーナ皇女が部隊を率いて待っていた、それがお気にかかっていられるのではないですか?」
ヴェロニカは主人にストレートに物を言う非礼を詫びながらも躊躇なく告げた。
「そうだな、大勝を得た後に、夏季を避け冬季までは待たぬ攻勢作戦というのはある程度予想がつくだろう」
リンデマンは足を止めた、別に落ち着いて話をする意思表示ではない、たまたま祭りに可愛らしい仮装をして参加する幼稚舎学校の子供達の集団が前を通ったからだ。
もちろんヴェロニカも足を止める。
「だが攻勢時期の予想はついたとしても、彼女はその侵攻地点までも正確に予想して、自らのフリーハンドに扱える戦力を用意してまで待ち構えていた」
「はい……報告を受けた際、アリス中将や他の方々も大変驚かれていました、なぜ西部のエトナ平原という作戦目標をセフィーナ皇女が知り得たのかと」
「私もそれが気になっている、元々西部への侵攻を決めたのは私だ、それも帝国首都フェルノールが近い東部への大規模の攻勢作戦を蹴ってまで、二個師団程度による西部への侵攻作戦を押し通した物だ」
「はい」
ヴェロニカは神妙に頷く。
鉄槌遠征を見事に撃退した南部諸州連合軍は全軍の士気が上がった。
今こそ帝国を完膚なきまでに叩くべき、と大軍をもってヴァイオレット州から帝国東部に進撃して、最短距離で帝国首都フェルノールを陥落させようとする大胆な作戦案が統合作戦本部長モンティー元帥の子飼いとも言われる第一作戦課長のベルレッツ中将より提出されたのは、南部諸州連合側でヴァイオレット会戦と呼ばれる鉄槌遠征撃退後より、一月も経たない六月の下旬という速さだった。
「復帰してから勝ちすぎた感のあるリンデマン大将に対する作戦本部長の対抗策だろう」
「恐らく難癖をつけて、作戦にはリンデマン大将は参加させずに首都陥落の功を狙っている」
高級軍人達は噂しあった。
「鉄槌遠征で多大な戦力を失ったとはいえ、帝国軍の戦力はまだ強力です、以前から指摘されるようにフェルノールはヴァイオレット州の国境線から近すぎるという戦略的欠点は度々指摘されています、しかしそれは帝国軍も重々に承知しているのです、強力な防衛拠点も存在していますし、相手が十万の兵力を防衛に当てていたら、こちらが作戦を成功させるには少なくとも三十万、いや場合によっては四十万からの動員が必要になるかも知れません、防衛戦とはいえ我々も前の戦いで八個師団の師団を動かしています、普段ならば大作戦と称してもおかしくない戦力です、三十万ともなれば後方支援戦力を含め、約十二から十三個の師団を投入しなければいけませんが、すぐに動員が可能かどうか、計画の立案者である作戦課長はどうか考えますか? 私には些か投機性が強すぎるように感じますが?」
統合作戦本部長や高級幹部、各師団長達を集めた南部諸州連合軍戦略会議で、第十七師団長アリス・グリタニア中将は反対意見を述べた。
三十万となれば鉄槌遠征で帝国軍が動員した戦力と等しい。
その時でも、帝国軍の三割以上は貴族達の私兵集団で正規軍は使われなかったのだ。
「それほどの必要はあるまい、帝国の揺らいだ屋台骨を砕くのなら、十五万から二十万の動員で十分ではないか? フェルノールに向かって進撃すれば、相手が勝手に瓦解していく可能性もあるだろうし」
アリスに対して反論したのは、作戦立案者の作戦課課長であるベルレッツ中将。
五十代半ばの男でやや肥満体。
統合作戦本部長のモンティー元帥の腰巾着というのは、ある程度の高級軍人の中では常識の様に語られており、また実際そういう行動も多く見られる人物だ。
「相手が勝手に? そこを期待しての十万規模の動員となりますか? ならば国境線に部隊を展開しても、相手の防備が頑強で瓦解が得られなければそこで退却するのですね?」
アリスがわざとらしく反応を見せると、約三割近い者達から失笑が漏れる。
「そういう事ではない、敵軍には今は軋みが生じていると私は考える、帝国内部は今年の内乱もあり危うい状態だ、東部人の敗北を望む可能性だってあるだろう」
「流石の分析力ですね、私もそう考えます、一部の者は帝国の崩壊を望む可能性は十二分にあり得ます」
失笑を受けてしまい、やや顔を歪ませて反撃を試みるベルレッツ中将に、アリスは意外にもニッコリ微笑み同意するが、
「ただし、一気に帝国首都を狙うような攻勢を受けて、尚且つ足並みが揃わぬような容易な相手ならば、偉大な先代達がすでに帝国軍を撃ち破っていたでしょう、この時期にフェルノールを狙うような攻勢を仕掛ければ、今は不協和音が聞こえつつある中西部の帝国貴族達も、結局は帝国が滅びてしまえば元も子もない事に気づき、東部貴族やアイオリアに協力するとかもしれません……いわゆるやぶ蛇です、中将が描かれているように不協和音に付け込むどころか、雨降って地固まるの如しになる可能性を小官は考えます、相手の首都を狙うつもりならば十万位の攻勢ではなく、相手が力を合わせようが何をしようが正面から戦える三十万くらいは動員しないと、それでも勝算は微妙でしょうけど」
と、結局は長々と反対意見を述べる。
少なくとも相手の瓦解が前提の作戦には賛成できかねる、アリスの意見はそれだった。
「三十万までの動員は厳しい、したとしても勝負は五分五分、中途半端な攻勢は却って内事を誤魔化す適度な外要因となってしまい相手を助けてしまう、こりゃ煮詰まりましたなぁ」
わざとらしく唸り、再び周囲を笑わせたのはグラン・パウエル中将。
会議の出席者では最年長、本来ならば階級も最上位でおかしくない実績と経験を持つ戦場の強者だが、長く政権を持つ民主党にしても、政権奪取を狙う共和党にしても、政治的支援を一切断るという動きを見せ、時には軍事に政治的な争いを持ち込んでくる両党を痛烈に批判する反骨心が目を付けられ長く中将に留まっている。
ヴァイオレット会戦でも東海岸戦線を受け持ち、帝国第二軍を相手にリンデマンの作戦をほぼ完璧に遂行して見せて、その手腕を発揮したが、
「もう昇進などいらんよ、大して給料も上がらんのに嫌味なヤツばかり顔見知りになっていく」
と、愚痴をこぼす様な気骨ある老将であり、国民的な人気も高い。
「ともかくだ……ヴァイオレット州は戦場になったばかりだ、作戦上仕方ないとはいえ、中央街道周辺の都市部は深くまで侵攻した帝国貴族の攻勢を受けて疲労もしているし、第二軍と我々が市街戦を戦ったサーガライズなどは街の三割が破壊されてしまったのだ、とても帝国東部を攻める為の根拠地にはなり得まいよ」
南部諸州連合軍内部では誰もが一目おかざる得ない宿将の言葉には説得力があった。
南部諸州連合の東部全域とはヴァイオレット州であり、帝国東部を攻めるにはそこを根拠地にしなければならないが、鉄槌遠征で第一軍が攻めたゲート・タイガーリリィ方面はともかく、第二軍が熾烈な市街戦を繰り広げた港街サーガライズに、深くまで第三軍を侵攻させた中央街道沿いの街は少なからずの損害を出している。
サーガライズでは激しい市街戦が、中央街道沿いの街々では、そこを占領したが軍政の初歩も知らぬ貴族達やその私兵達の略奪や暴走が住民達を深く傷つけ、物心共に復興できていない。
「そうだな……我々は鉄槌遠征を退けたが、調子に乗って同じ目に会わないとは限らないな」
「うん、ヴァイオレット州の被害を回復させないと輸送にも不自由するだろう」
「根拠地にして負担を強いたら、何よりもヴァイオレット州の住民が黙っていない」
各師団長や高級参謀達が口々に語り始める、もちろん賛成派もいて、反対派と数時間に渡る議論になったが……
結局は遠征は時期尚早として、見送られる事になったのである。
ちなみにこの会議中、リンデマンは実に大人しく議論をボンヤリ眺めていたが、大遠征案が否決されると、
「なに作戦課長、いくら提案が否決に至ったとはいえ気に病む必要はない、敵軍に大打撃を与えた今、素早く攻勢だと思うのは全く間違えではない、攻勢目標を考え直し、国力に負荷をかけない動員に留めれば良いのだ、君が誤っていたのはその辺りだけだ」
白々しくモンティー元帥の子飼いのベルレッツ中将に嫌味という調味料だらけの声をかけ、一週間後、自らの立案した西部を攻撃目標に定めた作戦を立案し、裁可を得たのである。
モンティー元帥はベルレッツ中将を使ったとはいえ、実質的には自らの作戦提案を潰された後であり、統合作戦本部長の権限を使い、リンデマンの提案を蹴る事も出来たが……彼はそこまでしなかった。
その原因は色々あるが、まず攻勢が必要な事はモンティー元帥自体も考えていた事と、リンデマンの名声は軍部だけでなく、市民や政治家にも広がっており、現在、リンデマンと表立って対立した時の自らのリスクを計算したからであった。
こうしてリンデマンが作戦立案した帝国西部侵攻作戦「ウッドペッカー」が発動される。
ここまでは思惑通りだったが、二つの誤算にリンデマンは眉をしかめた。
一つ目は味方の事。
リンデマンの作戦立案した段階では、参加兵力は二個師団。
ブライアン・パルトゥム中将の第十師団とアリス・グリタニア中将の第十七師団を指定していたのだが、それが第十師団は変わらないが、第十七師団がダイ・ガナショー中将率いる第三師団に替わっていた事である。
「やられたな……」
リンデマンは裁可を受けた後に下命された作戦要綱を見ながら舌打ちした。
モンティー元帥の横槍だ。
ブライアン・パルトゥム中将はリンデマンやアリスの士官学校の一期下の数々のリンデマン伝説を知る後輩であるし、アリスは本人は常に否定するが、リンデマン一派の急先鋒という話になっている。
モンティー元帥はここに権限を使い、自分の一派であるダイ・ガナショー中将を割り込ませたのである。
そして第二の誤算が、作戦目標に定めたエトナ平原にセフィーナがいた事だ。
***
「偶然かもしれません、エトナ平原は帝国軍の演習地でもありますし、新たな軍団を訓練する為に駐屯していただけでは?」
作戦が実行されるまでの推移を思い出した後でヴェロニカはそう主人に声をかけるが、
「そうではない、東部の海岸沿いのフェルノールで編成、結成式までした軍団をいちいち大陸を横断させて西部に演習にもってこないさ、セフィーナ皇女は自らの意思で私の次の狙いを的確に読んでいた事になる」
リンデマンはそう答えると、仮装の幼児達の列が途切れたのを見計らい歩き出す。
ヴェロニカも当然、続く。
「そんな事が……」
「ありうる、そして作戦実施部隊にも明かしていない、私の本作戦における真の目的すらも読み取っているかもしれない、そうだとしたら……」
そこで言葉と脚を止め、リンデマンは瞳を鋭くさせたのであった。
続く




