第五十話「ザ・バトル・オヴ・ヴァイオレット ー決戦前ー」
「た、大将ですか? 昇進もされた訳ですね」
「うん、そこは頼んだ訳じゃないが、どうやら兄上がバービンシャー動乱の件の功績を見て、私がフェルノールに帰ったら任命される予定だったらしい、結局は帰らなかったけどな」
驚くヨヘンにセフィーナは笑顔で頷く、弱冠十七歳の大将。
帝国でも南部諸州連合でも、いやガイアヴァーナ大陸史上でも十代の大将は記録がない。
本人もやや照れ臭そうに笑みを浮かべたが、すぐに表情に緊張感を取り戻し、情報参謀に視線を向ける。
「ともかく……現状の戦力を把握したい、負傷者を覗いて、補給と休息を済ませれば戦える者はここにはどれくらいいる?」
話を振られた情報参謀が緊張気味に敬礼する。
「はっ……今の時点で五万を少し越えるくらいになります、丸一日治療を進めて明日になれば、一割程度は戦える者も増えるでしょう、移動を行わず治療に専念するのもいいかもしれません」
「ダメだ、戦力はもちろん欲しいが、もう一日は待てない、救援作戦では時間が何よりも欲しいんだ……負傷者は撤退させる、ではホーエンローエ元帥とストラス上級大将、これらの負傷者の収容と撤退、そして皇帝陛下への経過報告をお願いします」
情報参謀の報告と提案に対し、首を振ってセフィーナは即断し、負傷兵の収容と帰還報告という任を、これまでの総司令ホーエンローエ元帥と第二軍司令官のストラス上級大将に丁寧な口調で託す。
賢明な判断だろうと、ヨヘンは思う。
皇帝の命とはいえ、大将のセフィーナが救出作戦を指揮するなら、出自はともかく階級が格上の人間はいない方がスムーズだ。
「了解しました」
アレキサンダーやクラウスと政治的に近く、その後継者争いでの強力すぎるライバルであるセフィーナに頼まれる形で、命令されるのは複雑だろうが、老元帥と上級大将は大人しくそれに従う態度を見せる。
アイオリアのセフィーナが更に皇帝の命でやって来ているのだ、アレキサンダーとクラウスが降りてしまっている今は逆らう余地もないし、敗将の身ではそれも敵わない。
二人の了承を確認したようにセフィーナは頷き、幕僚達に顔を向けた。
「次は兵の編成を組み直す、このままの師団単位で動いたら残存兵力のバランスが著しく悪くて使いにくい、五万の残存兵力を新しく四個師団に組み直せ、各々の師団長はリーデル中将、マクマホン中将、クルサード少将とヨヘン准将でいい、臨時的な措置なので、今回に限り名称は各師団長の名前を師団の前に付けて呼称しよう」
「えっ?」
流れるように、テキパキと指示だったが、ヨヘンを始めとする周囲の者は耳を疑う。
リーデル中将とマクマホン中将は元々鉄槌遠征に麾下の師団を参加させている師団長で問題はないが、ヨヘンは師団長でもないし、皆はクルサード少将という人物を知らなかった。
鉄槌遠征作戦の将官の名前を知らないという事はあり得ないので、フェルノールから派遣されてきたのだろう。
「あの、私では階級が……」
「臨時と言ったろ? 自らもし不可能と申し出るなら別だが、貴官が心配するような事じゃない、不具合が生じたなら全ての責任は私にある、私にはリンデマンと戦うなら必要な措置だったのだが、出来ないか?」
「いえ……喜んで!」
通常なら師団長は中将級の指揮官が務めるのが通例なので、ヨヘンはそう申し出たがセフィーナの明確な答えに、直立して敬礼した。
編成は朝から急ピッチで行われ、正午には終了して出撃可能となる。
セフィーナが率いる本隊二万と各一万三千の四個師団、計七万二千が救出作戦の兵力だ。
敗残兵の再編成で士気に疑問が呈されたが、そんな不安を吹き飛ばしたのは再出陣前に、兵達を前に行われたセフィーナの限りなく演説に近い訓示であった。
兵達は一段高く用意された壇上に立ったセフィーナを見ただけで歓声を上げる。
「セフィーナ様だ!」
「英雄姫だ!」
後送される程の傷を負ってはいなかった兵士も敗戦に心は深手を負っていた、そんな兵士達に英雄姫セフィーナの登場は最高の薬となり、再び戦う気力を呼び起こさせた。
「健闘の甲斐なく、ここまで帝国は皇帝陛下の赤子たる諸君達に敗戦の苦を味あわせた事を申し訳なく思う! だが、まだ敵中に在り苦難の戦を続けている味方達がいる、彼等の為に諸君らの力をもう少しだけ借りたい! 皆にだけは求めぬ、このセフィーナ・ゼライハ・アイオリアは敵将ゴッドハルト・リンデマンを次の戦で撃破してみせる、これは誓いである! 必ずや実行する!」
拳を振り上げ、叫びに近い口調でのセフィーナの言葉に兵士達は大歓声を返す。
「セフィーナ様万歳、アイオリア万歳!」
「帝国万歳、南部諸州連合を倒せっ!」
「セフィーナ様が負けるはずがない!」
「万歳、万歳!」
熱狂だった。
セフィーナの人気と名声、能力を頼り、兵士達が復讐を誓っているのだ。
「こりゃ、立派な姫様だ、あんだけ可愛くて弁もたてば、人気も出るわな」
並ぶ師団長の中、ヨヘンの横で妙に冷めた声で呟いたのはクルサード少将であった。
身長は百九十㎝にもなるが、かなりの肥満体型の三十代半ばの男だ。
軍帽を被せたグレーの髪はかなり乱れているし、体型に合わせた軍服も手入れは適当な様子の冴えない男だ。
「少将、お言葉ですが、セフィーナ様はこういう弁より、むしろ戦そのものの方がお姿と同じくらいの才能がおありです」
「なるほどねぇ、確かに見かけと同じ位に戦もスゴかったら負けねぇや、スゴイ、スゴイ」
クルサード少将はつまらなそうに答えた。
『いきなり現れて何なの?』
ヨヘンは細目になる。
絶対に男子の好みからは外れた男だ。
「ところで少将は前任地は?」
「え? 俺に興味があるの? チビとか童顔とか、俺は興味ないけど?」
「ななっ、前任地を聞いただけでしょうが!」
「わりぃ、わりぃ、その気だと思っちゃってさぁ」
悪口で質問を返された上、思ってもない気を疑われて、歯を喰い縛り怒るヨヘン。
『無理だぁ……デブで嫌味で、話しかけなきゃよかったぁ!』
これから師団長同士だと、気を使って話を振った事を本気で後悔していると、
「まぁ怒んなよ、おチビちゃん、俺の前任地はサラセナ国境だよ、国境警戒軍司令だったんだが、姫様のご要望とかでフェルノールに呼ばれて連れてこられたんだよ」
クルサードはいかにも面倒くさそうに答えた。
「おチビは余計です……サラセナからですか、セフィーナ様の要望?」
意外だった。
要望でこの男を幕下に加えるべく、サラセナから呼び寄せたのか?
いかにも無粋で、失礼なこの男を?
北西部のサラセナ国境警戒軍は極北の極寒地での任務だ。
過酷で、帝国軍の任地の中ではよく左遷先に例えられ、実際に不祥事等を起こした者が飛ばされる事がある。
『でもセフィーナ様の事だから、この人にも見るべき所があるから呼んだのだろうし……』
そんな事を考える。
彼女の人を見る眼に支障があるとは思いたくない、なぜなら自分やシアはセフィーナに見出だされなければ、まだ一中佐に違いなく、将官になってなどいなかったろうから。
「だから……見つめてるなよ、好みじゃないけどなんなら相手してやろうか?」
「……結構です」
クルサードからプイと顔を横に逸らし、少なくともセフィーナの登用は人格はあまり重視しないのだろう、とヨヘンは思うのだった。
***
南部諸州連合軍は依然、モンテルシャー山に閉じ籠る第三軍の残存部隊六千を圧倒的な戦力で完全に包囲していた。
「帝国軍の再南下は予想済み、と言うよりは予定済みだな」
南部諸州連合軍陣地の幕舎。
各幕僚を前でリンデマンは黒板に張られた作戦図に視線を向けた。
「だが、ただし、という点も有られるのではないかな?」
第八師団長のパウエル中将が口を開く。
南部諸州連合軍でも指折りの宿将に、
「左様」
リンデマンは指揮棒を自らの右手の平で軽く打つ。
「敵軍に万単位の新たな援軍が加わった事、その援軍がセフィーナ・ゼライハ・アイオリアだったという事ですね」
第十師団長ブライアン・パルトゥム中将が神妙な顔つきで言った。
褐色の肌に中背、筋肉質な身体の青年将官はリンデマンやアリスの一つ後輩であるが、リンデマンはともかく、アリスよりも先に中将になったエリートでもある。
「帝国軍は編成を行い、五つの師団編成に切り換えて、南下を開始しました……その際にはセフィーナ皇女が兵士を前に演説を打って、全軍が大きく指揮を上げた、と言います」
「隠す気なしね、セフィーナ・ゼライハ・アイオリア、ここに参上! いざ悪の総帥リンデマン覚悟せよ、ね」
情報参謀が読み上げた報告に、アリスは少しだけ笑みを見せたが、
「ロマンチシズムではあるまい、味方の士気の問題だろうな、痛い目にあった戦場にまた戻れ、というなら、それなりの士気回復の手段を取らねばならないからな」
「解っているな……戦場を、十七歳なんて私の孫娘より四つしか違いないのだがな」
リンデマンは冷静にそれを分析し、パウエルは素直に感心する。
「セフィーナ皇女が優れた将である事は、今までの戦歴を観れば疑いありません、こちらは勝ち戦の最中、八個師団の十一万の数をこの地に集結させています、有利かと思いますが、決戦の為の策を講じなければ……」
「そうね、どうするリンデマン?」
そう言って顔の前で手を組んだブライアン、アリスも頷いてリンデマンを見据えると、幕僚達の視線は総司令リンデマンに注視された。
誰もが口には出さないが、帝国の英雄姫セフィーナに、連合軍の随一の知将と名高く、戦略教授【タクティカル・プロフェッサー】とまで呼ばれているリンデマンがどう立ち向かうか、当事者として興味があるのだ。
新聞の見出し風に言うなら……
英雄姫セフィーナ・ゼライハ・アイオリアと戦略教授ゴッドハルト・リンデマンの対決。
命に対しては罰当たりかもしれないが、その戦を生業としてしまった者として、興味が全くないとは言えないのである。
「ふむ……」
リンデマンは黒板の前で、指揮棒で自らの手の平を軽く叩いている、姿は教授の異名通り、しかし黒板の横にメイドを控えさせている教授はいないだろうが。
「我々、南部諸州連合軍は勝ち戦、兵士数十一万で六千を山に囲んでいる、なお敵軍は二万の援軍を得て再編成した七万からなる部隊、新たな司令官を迎え、六千を救出する為に南下中……」
リンデマンはそれこそ、まるで問題を読み上げる教授といった風に振る舞い、
「私はこの勝ち戦をセフィーナ姫に譲るつもりは毛頭ないし、まず負けないだろう……」
と、前置きし、作戦図を指揮棒で指し作戦を説明し始めたのだった。
続く




