第四十九話「ザ・バトル・オヴ・ヴァイオレット ー参上と退場ー」
再び戦場に戻る。
戦いを終えた兵には覚悟がいる事だ、味わったのが負け戦なら尚更である。
その幕舎の中の空気は特別に重かった。
「戻らないといけないだろうね、見棄てて逃げたら、俺達も彼らも終わりだ、いやもう僕自身はだいぶ終わってるけどね」
クラウスは自嘲気味に首を振る。
帝国と南部諸州連合の国境近くに終結したのは、第一軍と第二軍の残存戦力約九万。
それだけを見れば有力な戦力だが、第一軍と第二軍でも損耗率が五割近くになっている結果を見れば散々たる敗走軍だ。
実質的な総司令官であるアレキサンダーが一騎討ちの結果、首を骨折して後送されている上、兵士達にも負傷兵が多く、実質的な戦力は五、六万と見積もるのが正確。
モンテルシャー山で連合軍に囲まれた第三軍は約六千。
戦えるのは合わせても十万にも満たない。
鉄槌遠征開始当初、三十万を越えていた軍勢がこの有り様である。
クラウスも流石にショックは隠せない。
「部下の間では反対意見が出るかと」
「自分もこれ以上の損害は部隊に負わせられないです」
「反対です、アレキサンダー皇子もいられないのに」
各幕僚達からも反対意見が出る。
そんな事は予想できた、編成については扱いやすい者達を入れたつもりだが、あまりにも大きな敗戦で反抗的になっている。
「でも第三軍はようやくモンテルシャー山まで来てるんだからさ、それを見棄てたら、第三軍のこれまでの損害は彼等の突出にあるけど、これからの損害は僕達のせいになりかねないぜ、考えてみなよ、彼らは各地方の貴族なんだぜ、バービンシャーを忘れたのかい、見棄てたら遺恨が残るんじゃないの?」
政治的な事まで踏み込んだクラウスの言葉に、各司令官や参謀達は悩み出す。
その中にはヨヘンや第二軍の撤退戦で、自分の師団は五割を失ったが、味方の撤退を助けた帝国軍第十四師団長のルーデル中将もいたが、いい答えが出ない。
特にヨヘンが揺れている理由は特別である、崩壊した第三軍で現在、実質的な指揮をとっているのが親友のシアなのである。
飛び出したい気持ちなのだが、それを黙ってさせるゴッドハルト・リンデマンではないのも十二分に解るのだ。
「とりあえずはさ……救援の支援だけでもすべきだと僕は思うよ、この兵力でも出来る事はあるだろう?」
クラウスは総司令のホーエンローエ元帥に視線を向けた。
今までの作戦が実質的にアレキサンダーによる物であっても、ホーエンローエは名義上とはいえ総司令なのだ。
アレキサンダーがいなくなり、今はこれ程不利な状況で最終的な責任がのしかかってくるのは不条理かとホーエンローエは悩むが、それも自身が引き受けた事。
遠征が成功に終わったら、貴族としての更なる高い爵位を与えるようにクラウスとアレキサンダーが皇帝に強く働きかける約束をして、彼は総司令を受けたのだ。
「元帥……ご決断を頼むよ」
クラウスの催促に何か言いたげな顔を浮かべた元帥であったが……
「では……救出作戦を始めましょう、だがとにかく味方にこれ以上の無理は避ける事だ、ここだけの話ですが、あまり六千の味方の救出に躍起になって我等の残存部隊までやられたら、それこそ帝国の軍事力に穴が空いてしまいます」
結局はクラウスのいう救出は実施するが、あくまでも深入りはしないという方針が総司令から示される。
薄情に聞こえるし、実際にそうなのだが……仕方がない部分が大きい。
敗けすぎたのだ。
元帥がいう通り、ここに集合できた九万の残存兵力まで失う事があれば、帝国と南部諸州連合の軍事バランスが著しく狂ってしまう。
戦略的にあながち間違いでもない。
『シア……』
目をつぶるヨヘン。
情けない。
惨めな敗北とは仲間を助けるのにも、加減をしなければいけないのだ。
周囲の大部分の者達も同じ気持ちだろう。
「じゃあさ……早速」
「待ってもらおう!」
気の重い作戦の話を参謀長であるクラウスが進めようとした時である、凛とした少女の声と共に幕舎の入口が開け放たれた。
「あ……」
呆然とするクラウス。
いやクラウスだけではない、その場にいた全員が同じような状態になってしまう。
そこには軽装鎧で腰に剣を差した銀髪の美少女が堂々と立っていたのだ。
「セ……セフィーナ!? な、なんでここにいるんだよ?」
「なんでと言われても困ります、クラウス兄さん、これはこういう事です」
厳しい表情のセフィーナは一枚の書類を封筒から取り出す。
「あ……」
その場の全員が硬直する。
セフィーナとの距離で、書類の内容を読める驚異的な視力の持ち主はそこにはいなかったが、そこには帝国軍人ならば誰でも知っていなければいけない人物の署名と、仰々しい捺印が押されているのが見えたのだ。
「そこには何が書いてあるんだ!?」
「読んだ方が早いのでは? 但し、読まれてしまったら兄上もなりの覚悟が必要ですが」
「なっ……」
クラウスはセフィーナに駆け寄り、書類を取って数秒目配せをしてから息をつく。
「手配していたのかい?」
「国境線の街にいました、その間にフェルノールの兄さん達を通して……父上に働きかけてもらっていました」
「俺達が負ける、って思ってたのか?」
「はい、アレキサンダー兄さんには警告を出しつつも、それが受け入れられずに全面的な敗北をする場合も考え手配していました、外には私の指揮師団います、帝都より移動させました」
「自分の師団まで手配済みかよ……」
クラウスはまたもやフゥと息をつき、しばし頭を抱えると……
「何を俺達の負け前提で話を進めてやがるんだよっ、妹のくせに舐めやがって!」
そう怒鳴り付けて、セフィーナの襟を両手で掴んだ。
傍らに控えるメイヤが素早く動き出すが、襟首を掴まれたままでセフィーナは左手を後ろに出して、その動きを制する。
「お前はっ……お前はっ……」
身体と声を震わせるクラウス。
兄にそうされたままセフィーナは動かない、その深い紫の瞳で前を見据えたままだ。
「畜生……畜生……」
うつむいて嗚咽を漏らした後、クラウスは息を整えると顔を上げ、幕僚たちに振り返って……
「陛下からだ、今をもって鉄槌遠征軍は解散だ、そして……セフィーナ大将の指示によって撤退支援部隊を編成しろ、だってさ! 悩んでいたのがバカみたいだったが、めんどくさい事はセフィーナ大将がやってくれる、よかった、よかったよ」
と、ニコニコ破顔して見せたのだ。
セフィーナも含めた全員がクラウスの豹変に驚き、同時にそれが必死の擬態である事をハッキリと認識する。
「いいさ、まぁ戦は僕の得意分野じゃなかったのさ、任せたよセフィーナ、僕は腕に矢を受けた傷が案外に深いから、編成にはご遠慮してフェルノールに帰らせてもらうよ」
踵を返すクラウス。
「クラウス兄さん……」
鉄の意思を固め、恥をかかせる事を承知で皇帝の命を伝えたが、クラウスの意外な態度に複雑な表情を浮かべてしまうセフィーナ。
「セフィーナ……まぁ、頑張ってゴッドハルト・リンデマンとやらに一泡ふかせてくれよ、俺の方も少しはそれでスッとするからさ」
振り返らずにそう告げて、歩き出すクラウスの背中にセフィーナは、
「必ずや……」
と、短く答えて、残された幕僚達にクルリと身体ごと振り返った。
まだまだ身体は全快ではない、だがここは立たねばならない。
銀髪の美少女は腹部に力を込めて言った。
「皆つづけ! これから、このセフィーナ・ゼライハ・アイオリアが、必ずや帝国の仇敵ゴッドハルト・リンデマンに一泡ふかせてみせる!」
後の歴史書で、ザ・バトル・オヴ・ヴァイオレットの最後の大舞台と呼ばれる戦いが、すぐそこに迫っていた。
続く




