第四十八話「ザ・バトル・オヴ・ヴァイオレット ー悪魔の罠だよー」
六月十二日。
ヴァイオレット州、北西部モンテルシャー山。
標高数百メートルほどの岩肌ばかりの荒れ山に帝国第三軍の生き残り約一万七千の兵は逃げ込んで閉じ籠っていた。
連合軍の反撃が開始された六月初頭、帝国軍第三軍は南のベスナという中規模都市を本拠地にしていたが、敗北の連続により五個師団を数えた兵力は二個師団まで減り、マグネッセン公が暗殺され、更に連合軍の第十一、十七師団、そして第一州兵団による包囲が始まると、私兵達が大量に脱走してしまったのである。
脱走した兵士は全体の三割にも及ぶ数で、残った兵士達の士気も落ち、これでは籠城も不可能と判断した第三軍司令部は北への脱出を進言したシアの意見を採用した。
問題は脱出の方法だったが、脱出の指揮官を任されたシアはここで一計を案じる。
帝国領に戻るというなら当然、北への進路となるのが当然だが、第一州兵団の囲む東のルートを貴族達に提案して準備させたのだ。
「我々が北に逃げるのは敵軍も警戒しています、東から包囲する第一州兵団は州兵が相手で一番練度も低く、野戦も不馴れな筈です、こちらを突破して迂回して北上しましょう!」
シアはそう説明したが、準備を整えた脱出決行の夜、周囲を包囲されて焦る三人の老貴族が、
「迂回なんてとんでもない、俺は早く帰りたい、早く帰って屋敷で落ち着きたい、もともとこんな所になんて来たくなかったんだ!」
と、自分の私兵計八千を率いて北から脱出を試みたのだ。
周囲の者達は驚く。
だが脱出の指揮官を命じられたシアは、
「出てほしくなかったけど、こういう方が出る可能性は高いとわかっていました、さぁ私達はタイミングを見計らって東から逃げましょう、とにかく落ち着いて、最低限の動きで淡々と灯りなどは間違っても付けないように!」
そう残った貴族達に冷静に告げると、先に脱出を試みた者達が第十一師団、第一州兵団などに激しい攻撃を受けている隙に、夜の闇を味方につけてスッと街を出てしまったのである。
先に脱出を試みた三人の貴族はシアの囮に自ら立候補したような物だった。
東を守っていた州兵団も経験が全くない夜の戦の中で、第十一師団と北側から出てきた敵兵の脱出を阻もうと必死になり、周囲を観る余裕は少なかった。
リキュエール准将も偶然そうなったのだが、一万近い部隊が囮の役割をしてしまっているとは思わず、自身の部隊の夜間偵察能力の低さも手伝い、シア率いる部隊の通過を許してしまう。
「どうにかなったかな? これからは北に転進して、ひたすら……」
うまく戦場を離れるように東に抜けたシアの率いる一団だったが……三人の貴族私兵集団の脱出を阻む攻撃には加わらず、全体的に戦場を俯瞰していた者がいたのだ。
第十七師団アリス中将である。
「いやいや……何かあるかもと、同士討ちの危険がある夜戦には混じらなかったんだけどね」
彼女は自らの判断の正しさと言うよりは幸運に感謝しつつ、容赦ない突撃を命じた。
「気づかれた!」
「そっちからもいたのっ?」
「逃がさないわよ」
この戦場に集った三人の女性指揮官の感情は三者三様。
戦場は一気に動き出す。
「こうなったら……みんな走って! 」
第十七師団は南からだ、北と東の包囲をすり抜けているなら完全には捕捉されない可能性にシアは賭けるしかなかった。
そして……約九千の中から三割の犠牲と落伍者を出しながらも、脱出したベスナよりもかなり北に上がったモンテルシャー山まで逃げ込む事に成功したのである。
ちなみに先に脱出を試みた三人の貴族の私兵集団八千は、第十一師団と第一州兵団により全滅の憂き目を見ていた。
「どうにか……ここまで逃げてきたんだ、あとは第一軍と第二軍に救助を要請して助けてもらえば良いではないか! もうこれ以上は自力だけでは逃げ切れぬ」
モンテルシャー山頂に陣を張ったが、貴族達に急かされるシア。
「味方も苦戦している可能性もあります、こちらは今まで離れすぎて情報が得られにくかったですからね、とにかく情報を」
そう答え状況を知る為、近くの町に偵察兵を派遣すると、すぐに第一軍と第二軍の敗北を知る。
大きく動揺する貴族達。
「第一軍と第二軍も負けただと!?」
「なぜだ、だらしない!」
「正規軍人の癖に!」
「奴等には最も奮戦した我々を助ける義務が生じる筈だ!」
彼らは凶報に喚く。
一歩でも北に逃げたいが疲労も極限に達し、物資も窮乏した第三軍は限界だった。
だからこそ、更に北に向かわずモンテルシャー山に逃げ込んだのだ。
素直に北に向かっていたら、進軍速度が極端に鈍っていたので、追いつかれて殲滅されていたに違いない。
「もう南から敵軍が追いついてきました!」
「北や東からも敵勢が!」
偵察兵が悲鳴を上げてくる。
慌てて幕舎を飛び出し、山頂の陣から麓を見下ろし……
「おおおおっ……」
貴族達は絶望の嗚咽を漏らした。
モンテルシャー山の周囲を自分達の十倍を越えるような連合軍が囲んでいたのだ。
「こ……これはどういう事だっ!」
「なぜだ、なぜだ、なぜだ……」
激しく狼狽する貴族達。
シアには理由はハッキリ解る。
負けたのだ……鉄槌遠征軍が全方面で全軍敗北をした。
自分達は逃げ遅れ、結果連合軍が全軍ここに集結したのだ。
「と、とにかく……救援要請を出せ、決死隊を編成してあの囲みを突破して、第一軍と第二軍に助けに来るように言えっ」
そうなるのよね……
予想通りの周囲の反応にシアは落胆する。
そうすればどうなるか……
だいぶ数は減ったが、ここにいる有力貴族を見棄てるわけにはいかない。
貴族は帝国を形成する重要な要素。
自業自得と見棄てては、帝国の屋台骨にヒビが入りかねない。
只でさえ、バービンシャー反乱があったばかりなのである。
それにここで何もしなかったら、おそらくアレキサンダーやクラウスの評価は底につくまで下落するだろう。
国境近くまで逃げ切った筈の第一軍と第二軍が引き返して、圧倒的不利を承知で助けに来るしかないのだ。
「なんという事だ、これは神の悪戯なのか、悪魔の罠なのか!?」
岩肌に両膝をつき、麓に広がる連合軍を見ながら若い貴族が呻く。
そんな事は問われるまでもない。
この結果は偶然ではない。
全てが連合軍総司令官ゴッドハルト・リンデマンの掌の上だった。
神のせいにするなんてとんでもない。
「悪魔の罠だよ」
シアは呟いた。
続く




