第四話「兄達と妹」
「報告は聞いていたが……南部諸州連合軍はもうこのヴァルタ平原から駆逐したか」
「はい、敵は南に去りました、現在はこの平原全域は我々の軍の完全掌握下にあります」
平原の幕舎の外。
腕を組む兄のアレキサンダーにセフィーナはそう答えて、敬礼した。
身長百九十センチ、体重は百キロに近い偉丈夫、深い緑色の短髪にやや彫りの深い顔は二十四歳という年齢以上の貫禄を感じさせる。
「掃討作戦を行いますか?」
「要らんな、報告の通りの敗北ならば南部諸州連合の奴等は暫くは大人しくしてるだろう、今ごろは南の山に逃げ込んでるさ」
アレキサンダーは腕を組んだまま、遥か南に見える山脈を睨み付ける。
ハッファ山地。
南部諸州連合を形成する州の一つであるリオレタ州とアイオリア帝国領土の狭間。
これまで帝国軍はハッファ山地を越えよう軍を幾度か派遣したが、山間の地形と各所に張り巡らされた砦によって侵入を阻まれているのだ。
「セフィーナ」
「はい」
「俺達の到着を待たずに戦を始めたのには、何か意図があるのか?」
アレキサンダーの瞳は、セフィーナの方ではなくハッファ山地を向いたままだ。
「カールやアルフレートと違い、俺はお前には甘くないぞ、今回の大勝は国民に知れ渡り、人気の高いお前を更に国民は慕うだろう、そうすれば……」
「戦いを開始した意図と問われては、兄上に対してでも返答が難しくなります」
問いの終了を待たず、セフィーナが口を開いた。
「先遣隊であれども、帝国に仇なす南部諸州連合に痛撃を加える事を誓った出征です、その好機があれば積極的に戦う事が軍人という物だと私は理解しています」
先遣隊の任務には敵軍の出方を探る威力偵察という物が多いが、特別な指示がない限り交戦が禁じられている訳でない。
場合によりけりで現地にいる指揮官の裁量に任されている場合が殆どであり、そういう意味では本隊の司令官であるアレキサンダーはセフィーナを責める理由はない筈である。
「五万に八千が当たるのが好機と?」
「ええ、我々先遣隊は数こそ劣勢でしたが、二日も先に戦場に到達し砦を使える地の利を得ておりました、更にはまた二日経てば敵軍には脅威となる援軍を頼めるという天の時、それだけでも戦う前から大きく有利だったのです」
「ならば俺達を待つ戦術も考えられたんじゃないのか? 八千で籠城していれば二日は支えきれたのではないか? さすれば砦と援軍の連携、敵軍の疲労度から八割方はこちらが有利だった筈」
「ええ……それがまず定石でしょうに」
兄の指摘をセフィーナは否定しない。
「しかし、それは南部諸州連合軍も想定する戦術であり、実際にそうさせない為に敵軍は時間を作る強行軍を実施、砦を取り囲んでの一斉攻撃に打って出たのです……ならば敵軍のこちらの動きを決めつけての行動を逆手に取るのが一歩先に進んだ戦術だと私は考えたのです、好機でなければ例えば自らの軍が五万で相手が八千だとしても戦うべきではないのです、今回は私が先にヴァルタ平原に陣取り、有力な援軍があるという時点で南部諸州連合軍は動くべきでは無かった、逆を言えば相手が機を逸した行動に出た時はこちらが好機なのです」
機を逸した作戦行動。
南部諸州連合軍を率いていたアレクセイ、エルヴィン両中将は消息不明だ。
逃げ延びた様子はなく、捕虜にも名前は無かったので、砦に起こった大火で戦死したと思われる。
確認のしようは無いが、彼等もそのリスクはある程度は理解していたのだろう。
だが彼等はリスクを犯してもハイリターンを選んだのだ。
二日のうちに五分の一以下の戦力であるセフィーナを撃ち破り、捕虜にでもすれば南部諸州連合軍の軍功どころか末代まで語られる名誉を獲られると。
八千の先遣隊指揮官が皇族の自分ではなく、一介の少将か中将の率いる部隊だったら彼等が動いたかというとセフィーナは懐疑的だ。
そう考えたからこそ自分の存在をひたすら滑稽にアピールして、彼等に与し易しという印象を与え、万が一にでも冷静に退かれるのを防いだのである。
「下らん、お前が今回したのは戦術と語るにはあまりにも下劣な詐欺の部類だろう」
八千で五万に勝利する為、セフィーナが丹念に紡いだ糸をアレキサンダーは一言で断ち切った。
セフィーナの頬が僅かに動く。
「戦術というのは中央突破、両翼包囲、縦深防御、援軍の投入と様々な戦場での力と臨機応変な指揮の比べ合いだ、自らを囮として敵軍を罠に嵌めるなど女子供の詐術だ」
「……」
実績を無視した中傷に対し、セフィーナは何も答えなかった。
返答に詰まったのではない、敢えて答えるのを止めたのだ。
アレキサンダーという兄は兄弟で間違いなく一番力強く、指揮能力にも優れているとセフィーナは思ってはいたが、相容れない戦争の考え方がある。
それにセフィーナとて十七歳の娘だ、戦に大勝したというのに詐欺よわばりされては内心穏やかではなく、
「そうですか……では報告は終わりましたので失礼します」
と、頭を下げて踵を返し、早足に彼の幕舎の前から歩き去った。
「セフィーナ」
「ああ……」
早足のままで足下の草を弾き飛ばす勢いで歩いていると並んできたのはメイヤだった。
セフィーナは横目で彼女をチラリとだけ見たが、歩くスピードは落とさない。
「アレキサンダー様に報告に行ってたんだね?」
「なぜわかる?」
「機嫌が悪くなってる、相変わらず苦手だね」
「当たり前だ!」
メイヤの的確な指摘に脚を止め、セフィーナは怒鳴った。
「命懸けの戦だったんだ、負けたのなら責めは受けようが、戦功を上げてそれを詐欺よわばりされれば、誰だって機嫌が悪くなって当然ではないか?」
「確かにね、これからアルフレート様の所に行くの?」
「そうだ、アルフレート兄さんにも報告はしないといけない」
「アレキサンダー兄さんに苛められた、って言いつけたら? 昔みたいに」
「もう子供じゃないんだぞ! そんな事をする訳がないだろう!」
七、八年前までは苦手な次男のアレキサンダーや四男のクラウスに苛められると、セフィーナは味方になってくれる三男のアルフレートか長男のカールを頼るのが常だった。
メイヤはそれを知っている。
思わず顔面を真っ赤にするセフィーナに、
「まだまだ子供だよ」
ダークグレーの髪の幼馴染みは、意味ありげに口元を緩めた。
***
「今回もお手柄だったね、セフィーナ」
「ありがとうございます、アルフレート兄さん」
黒がかった金髪の細身長身の優男。
帝国の三男アルフレート・ゼイン・アイオリアの優しげな笑顔にセフィーナは微笑む。
「大勝を聞いた時は驚いたよ、信じていなかった訳じゃないけどセフィーナを助ける為に急いでいた時だったからね、もしかしたら僕らの脚を止める敵の謀略の可能性もあるとアレキサンダー兄さんと報告を疑ったくらいだ、こんな見事な作戦を用意していたなんてね」
「申し訳ありません、前もって作戦を知らせ、万が一の漏洩があると危険ですから」
「いやいや謝る事なんてないよ、今回の戦でまたセフィーナの評価は高まるよ、もちろん妹の栄達は兄の僕も嬉しい」
「栄達だなんて、そんな……」
「栄達だろ?」
和やかな雰囲気。
幕舎の中の作戦会議用テーブルの椅子に座り、紅茶を飲む兄妹二人。
大勝したとはいえ戦場、だが二人はまるで実家の居間にいる様だ。
「アルフレート兄さん、私は任地から直接こちらに着ましたが、父上はどうでしたか? 軽い風邪をひいたと聞いています」
「風邪をひいたのは本当だけど元気だよ、デオドラート様が父上を看ているよ」
「デオドラート妃ですか、最近はいつもですね」
「そうだね」
アルフレートは紅茶を口に運ぶ。
二人の父親とは、ガイアヴァーナ大陸北方の強国アイオリア帝国の皇帝の事に他ならない。
皇帝の子供たちには異母兄弟は当たり前だが、現在の直系アイオリアの皇子たちは皆が母親が違う。
セフィーナの母親は、現皇帝の生前は寵愛を一身に受けたとまで言われたセルフィリーナ妃であったが、彼女はセフィーナが六歳の時に二十八歳という若さで病死していた。
現皇帝パウル・ゼーディ・アイオリアは現在五十九歳。
子を成した妃の中で現在皇帝の寵愛が向いているのが、デオドラート妃、三十六歳。
年齢からは見えないくらいに若々しく、人隔てなく優しい性格で内外の評判も良い。
セフィーナも面識があり、彼女は既に他界したセフィーナの母親とも気があったと思い出話をしてくれる。
「デオドラート妃は優しくて僕が言うのもおかしいけど、可愛らしさもある素敵な女性だと思う、だからこそクラウスはもう少し母親を見倣ってほしい物だと思うよ」
「……確かに」
棘はないが困った様子を見せた兄アルフレートに、セフィーナは苦笑しながら同意した。
クラウスというのは、デオドラート妃の息子でセフィーナの四番目の兄に当たるクラウス・ゼノ・アイオリア。
十九歳、栗色の髪に白い肌、蒼い瞳を持つ母親譲りの美少年であり、頭も良いと噂だが母親から受け継いだのは可愛らしげにも見える容姿だけで性格は狡猾、ずる賢い、陰険という散々な陰口が囁かれている。
セフィーナにとって面倒なのは陰口が限りなく真実に近く、その標的に少なからずなってきたからであった。
だがセフィーナに対しての最近の態度はかなり軟化している、性格が丸くなったのなら兄の人間的な成長を生意気にも祝う気持ちにもなるが、他の者に対する時の相変わらず陰険でずる賢い噂は途切れておらず、かえってそれがセフィーナには内心気持ちが良くない状態だ。
「まぁ、今ここに居ないクラウスの事を話しても仕方がないか、それよりも」
紅茶カップを作戦机に置きアルフレートはセフィーナに顔を上げる。
「この度の大勝は早馬でフェルノールにも伝わっているさ、パレード物だろうから楽しみだ、さっそく帰るとしようか?」
フェルノールとはアイオリア帝国の首都だ。
アルフレートの優しげな笑みに、セフィーナはカップを手にしたまま微笑みを返すのだった。
続く